四日目(3)ミカエル、興味津々
街の中心が近付く。
辺りには商業ビルや店舗が建ち、人影も多くなってきた。
すれ違う人が時々ミカエルを眼で追っている。やはり目立つんだろう。せめて普通の格好に着替えて貰っておいて良かった。
ミカエルは見るもの全てに眼を輝かせている。
僕はそんな様子を見ながら訊ねた。
「天界では違う性格だったって言ってたけど、じゃあいつ変わったの? 僕と出会った時にはもう今の感じだったけど」
「地上に降りてすぐかな。初めて見た地上がもうすっごく面白くて! キラキラしてるし綺麗だし見たことのないものばっかりで、気が付いたら昔のわたしが出てきちゃってた」
けどね、とミカエルは僕を見る。
「一番変わったのは、シノブと会ってからだよ」
「僕と?」
「うん。シノブを見てたらもう、恥ずかしいって言うか青くさいって言うか」
「おい」
「まるで……昔のわたしを見てるみたいで」
昔の、ミカエル。
「だから思い出したの」
寂しげな笑顔を残して、彼女は先へ歩いて行ってしまった。
背中を見つめる。
どうして彼女は理想を捨ててしまったのだろう。
気になるけれど、それはまだ聞かない。聞けない。
それはきっと彼女が敢えて濁した部分だから。まだ話してはくれないだろうと思った。
小走りで彼女の後を追った。
駅前まで来た。
「結局何しようか」
サタンの痕跡を探す巡回の任務は、梓が僕に気を遣ってくれた建前だ。実質予定はない。
だから何をすれば良いのかミカエルと相談しようしたのだが、
「うわあ! ほえー!」
ミカエルは聞いちゃいなかった。
駅舎や駅ビルを見回してしきりに感心している。
「ミカエルってば」
「うわあ、なにアレ……ん、なにか言った?」
「何かって言うか」
彼女はすっかり景色に夢中で、尋ねる気も失せてしまった。
「そんなに楽しい?」
「うん、すごい楽しい! 見たことないものばっかりだもん」
「まあそりゃ天界に車はないだろうね」
「クルマ?」
「ほらそれ」
ちょうど信号が変わって、走り出す車を指差す。連なって通り過ぎる車の一台一台を、ミカエルは首を振って見送っていた。
「へえー、クルマって言うんだ」
勉強になる、とミカエルが呟くので思わず笑った。
「勉強って。そんなこと勉強してどうするのさ」
「あ、馬鹿にした! ホントに必要なの地上の勉強っ。わたしもいずれ地上に来るんだから」
「へ?」
どう言うことだ。
「天使ってね、地上時間で換算して354年に一度入れかわるのよ。新しい良き者の魂にね。そして使命を担っていた魂は受肉されて輪廻の環に還っていく。そう言う決まり。だからわたしもあと二百……えーっと、にひゃく……? ……二百何年くらい使命をこなせば天使はおしまい」
解からないのかよ。
まあ、ともかく、
「そうなんだ」
「そうなんです」
スケールの大きな話だった。
大きすぎて良く解からないほどに。
ただ、ミカエルが知らないことに興味津津なのと同じように、僕も僕の知らないこと――つまり天界のことにとても興味があった。
「ミカエルは天界でどんな使命をしていたの?」
「いろいろあるけど……例えば、霊魂を瞑界へ導く役目ね。魂を秤にかけるの。ふっふっふ。あんまりわたしを邪険にするとシノブの魂、導いてあげないんだからね」
「はは……」
質の悪い冗談だ。
ミカエルはにんまり笑って、
「どう? 怖くなった?」
「いいや」
僕は首を振った。
「死んだ先にもミカエルが待っていると思ったらむしろ安心した」
「―――ッ!」
ミカエルはまたほんのり紅く頬を染める。僕はそれを見て笑った。先の見えない死に比べたら、彼女が待っている死なんてほっとするに決まってるのに。
ミカエルは何故か恨めしそうに、上目遣いで僕を見る。
「……その口、絶対半分くらい縫った方がいいわ」
「なんでさ」
「なんでもっ!」
そう言って背中を向けて歩き出してしまうので、僕は苦笑しながらまた後を追った。
「待ってってば。動く前にどこ行くのか決めようよ」
「フン」
歩道の端っこによって考える。
「偵察ってどうすればいいのかな」
「まあ好きなとこに行けってことじゃない? なんにも言われてないしね」
「好きなとこねえ」
そう言われてもすぐには思い付かない。普段バイト先の満天宮と古賀道場と近所のスーパーくらいしか行かないからだ。悠あたりなら色々な面白い場所を知っているんだろうが。
僕が考え込んでいると、
「わあっ」
ミカエルが笑顔で叫んだ。
「アレ、アレなに?」
指差す方向を見る。
そこには、架線と線路に従って快調に疾走する鉄の箱。
「電車?」
「デンシャ! あれデンシャって言うんだ」
その電車は狭神駅から出発して、徐々に遠くへ離れて行く。
僕にとっては当たり前の光景でも、ミカエルには全てが新鮮で目新しいようだ。
そこで思い付いた。
「良かったら乗ってみる?」
「乗れるの!?」
「うん。簡単だよ」
そうか、それで良いじゃないか。
「今日はミカエルに地上を案内するよ。色々回れば、一応、偵察にもなるしね」
「ホントにっ? やったあ!」
その時ミカエルが浮かべた笑顔だけで、これから先のちょっとした苦労がもう報われた気がした。