表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DECEMBER  作者: 竜月
三日目 Bohemian Rhapsody
60/63

三日目 (22) 戦争終幕


      ■□■


 たわむ世界に覆われて視界を失い、次に眼を開けた時には、僕はもう廃病院の屋上にいた。

 急に、冬の寒さが肌を刺す。

 太陽は既に沈み、空は薄黒い雲で覆われていた。

 森の向こうに街の灯りが見えた。いつの間にか、もう夜を迎えている。

 屋上には僕とラファエル、そして二人、倒れている人間がいた。


「梓!」

「梓さん!」


 聖剣を消す。しゃがんで、梓の躯を抱き起こした。


「梓、しっかりして!」

「……う……、え?」


 梓は薄く眼を開く。ぼんやりとした表情だったが、辺りを見回そうとするその瞳には、確かに理知的なものが宿っていた。

 無事だ。彼女は、大丈夫だ。


「良かった……!」


 強く抱きしめて、しばらくの間彼女の頭を胸に埋めた。


「待ってて」


 彼女をラファエルに引き渡して、そして、もう一人の元へ向かう。


「大丈夫ですか?」

「……ええ。まあねえ」


 ウィータは仰向けに倒れたまま、それでも微笑んでいた。

 こうして見ると、滅茶苦茶になっている右手を筆頭に、相当傷を負っていた。小さな裂傷、火傷のようなものが幾つも窺える。それが羽織っていた黒い衣装と髪の毛のお陰でで見え辛かっただけだった。

 多少服が焦げていても、どうしてか髪の毛だけは艶やかなまま、彼女を中心に扇型に広がっている。


「すぐに治療しないと」


 傍にしゃがむ。とりあえず傷の具合を確かめるところから。


「フフ」

「なんですか?」

「だって……フフフフフ」


 ウィータは、肩を震わせて笑い始めた。


「フフフ、ハハ。ハハハハハ! 貴方、やっぱり狂ってるわねえ。『殺人鬼』の治療をするなんて」

「関係ありません」

「フフフフ……」


 笑いの余韻を引きずりながら、彼女は顔を空へ向けた。

 今までの殺意に満ち満ちた表情とは異なり、とても静かで、穏やかな表情だった。


「邪魔ねえ」


 ウィータは無傷の左手を持ちあげて、顔にかかっていた髪の毛をはらった。


「ああ、なんて、綺麗な空かしらあ」


 初めて見る彼女の瞳は、黒曜石みたいに黒く輝く、とても綺麗な瞳だった。

 病的に白いおでこや頬が一層黒の衣装に映える。小振りな角がよりはっきり見えるようになる。

 暗く沈んでゆく空を眺めながら、ウィータは、歌を口ずさみ始めた。



「――Is this real life? Is this just fantasy? ――」


 

 小さな声。

 けれど、風に掻き消されずに響く、美しい声。

 幻想的なその歌は、哀しみにも喜びにも聴こえた。



「――Open your eyes.Look up to the skies and see.Im just a poor boy’I need no sympathy.Because Im easy come’easy go.――」



 僕はこの歌を知っている。

 昔、悠が教えてくれた歌。

『Bohemian Rhapspdy』。



「――Mama’I just killed a man.Put a gun against his head’pulled my trigger’now he’s dead.――」



 聴き入っていた。

 僕も世界までも。

 哀しみと喜びに。



「――Nothing really matters.nothing really matters to me.

Any way the wind blow.――……」



 吐息が白く空に溶けて、そして、人生のように起伏に富んだ歌は終わった。

 ウィータの声が止んで、同時に冷たい雨粒が頬を打つ。僕ははっと歌から醒めた。

 雨が降り始めていた。

 ウィータは満足気に眼を閉じて、雨を全身に受けながら、口元を綻ばせている。

 僕は一旦立ち上がり、梓の元へ向かった。

 梓は躯を起こしていた。ラファエルが後ろから支えている。

 自分の穴だらけのコートを脱ぐ。


「梓。とりあえずこれ着て――」


 梓に手渡そうとした瞬間に、


「殺鎌」


 背後から、小さな声が聞こえた。

 その言葉は――、


「……危ないっ!」


 梓に手を引かれて、倒れながら振り返る。

 ――その映像は、僕の視界に焼き付く。

 横になっているウィータ、左手を空に向けている。その手の中には何もない。何も、持っていない。

 左手の先を自然と追い掛けた。空。夜空。暗い空。灯りのない空。上がった視線はその先で、何かの影を垣間見る。

 黒い夜空で、黒いナニカが動いていた。

 眼が慣れて、解かる。

 あれは黒い風車だ。

 殺鎌が、ぐるぐる、ぐるぐると、回っているのだ。

 上昇した殺鎌は、重力と釣り合ってある一点で滞空し、そして、


「あっ――」


 反転。

 墜ちる。

 音もなく。

 墜ちた。


「…………」


 沈黙が満ちる。

 誰にも言葉はなかった。

 雨音だけが鳴り止まない。

 地面や森の匂いが漂ってくる。

 僕は立ち上がり、歩み寄り、そして、ウィータの傍でしゃがんだ。


「……――んで」


 掠れた声で、叫ぶ。


「何でッ!?」


 ウィータは、墜ちてきた殺鎌に胸を貫かれていた。

 胸から生えた殺鎌は「く」の字を描き、まるで、黒い止まり木のよう。

 ウィータは震える右手を持ち上げて、小指の指輪を、黒い刃に打ちつけた。碧色の宝石が容易に砕ける。破片はキラキラと瞬いて、刺さっていた殺鎌と一緒に残滓ざんしもなく消えた。

 その代わりに、ベルゼブブが顕れる。

 マントを翻して凛と立つ。


「ふむ。ここまでかな」


 ウィータが微笑んで小さく頷いた。

 ベルゼブブはハットを脱いで胸の前へ、上品な紳士の礼をすると、


「まずまず楽しかったさ。単純な地獄よりはよっぽど渾沌こんとんとしていたからね」


 今度はソドムの街を探しに来るよ、と言って、あっさりと消えてしまった。

 ウィータが僕を見る。


「……おめでとお。貴方たちの勝ちよ」


 胸が詰まった。


「なんで……どうしてこんなことを」

「あらあ、貴方のせいよ?」

「……え?」


 眉間に皺を寄せる僕を見て、ウィータは笑い、また夜空に視線を向ける。


「……貴方が私を助けた時。私、貴方のことを騙され易くて長生きの出来ないタイプねえ、って思ったって言ったでしょお? 実はねえ、もう一つ思ったことがあって……――私、嬉しかったのよ」


 穏やかな表情。今の彼女からはまるで血の匂いがしなかった。雨で流れてしまったのだろうか。


「あんな風に人間に助けられるなんて初めてで、莫迦みたいって思いながらあ……、フフ、私、嬉しくなっちゃったのよ。私も莫迦ねえ。そんな『殺人鬼』、もう終わりでしょお?

 だから、死ぬなら貴方に殺されようと思ったの。魔術師のあの子じゃなく、人間の貴方にねえ。そう思ってわざわざ特異魔法まで使って、貴方に殺されるのを待っていたのに。結局殺さないんだから、困った子だわ」

「……どうして、僕に?」


 ウィータは悪戯っぽく「フフ」と笑い、


「貴方の無垢な心を、最期に私のイノチで汚してやろうと思ったのよお。フフ。どお? 悪どい理由でしょお」


 雨が強くなり、彼女の白い頬を流れ、長い髪を濡らす。

 彼女の頭の下に腕を入れて抱え、雨を躯で遮った。


「フフ、まあ、その企みは失敗しちゃったけどお……、でも良いわあ。だってえ――」


 頭を支えていた僕の手を、ウィータは傷だらけの右手で掴んだ。痛みを感じる程強く握られて、離す。

 僕の手には、赤々とした血がついている。


「私の自殺の記憶も、貴方の純白を赤く染めるでしょうからあ」

「…………」


 ウィータは楽しそうに笑って脱力する。


「……ああ、イノチが抜けると言うのは、こう言う感覚、なのねえ。凄く、新鮮。……ねえ、私のイノチも、目映く、輝くの、かしらあ――」


 そうして。

 彼女は動かなくなった。

 僕の腕に抱かれたまま。

 耳元でごうごうと音が鳴っている。

 本降りになった雨が僕らを叩く。彼女から熱を奪っていく。

 躯の血は洗い流してくれるけれど、心の血は流してはくれない。


「……ああ。確かに、貴女の記憶は消えそうにないよ。ウィータさん」


 腕に重みを感じたまま、夜空を見上げた。

 暗く、重く、蓋をされているかのような空だ。

 最期。

 彼女の眼に、この空は白く輝いたのだろうか。

 彼女のイノチは、世界を照らしたのだろうか。

 僕には見えない。

 僕にはその輝きは見えない。

 どこまでも、昏闇だけだ。


「――――――」


 慟哭どうこくは厚い雲に吸い込まれた。

 涙は雨に紛れた。



      ■□■

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ