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DECEMBER  作者: 竜月
三日目 Bohemian Rhapsody
58/63

三日目 (20) 狂乱劇


 世界は一瞬で様相を変えていた。

 こんな体験も二度目だ。動揺を抑えながら、素早く辺りに目を向ける。

 先程よりもずっと暗く、そして狭い部屋だった。

 場所は恐らく変わらず九条家の地下だろう。剥き出しの岩の天井や壁は一緒だ。

 暗闇に浮かぶランプの灯りから推察するに、部屋は上が丸く下に四角い、鍵穴のような形をしているようだ。僕たちはそのちょうど真ん中にいた。

 そして、腕の中に梓はいなかった。


「梓は?」


 見回すが、近くに姿はない。

 焦燥が身を包む。

 その時、


「のう」


 あの老爺の声が聞こえた。

 部屋の奥からだ。

 徐々に眼が慣れてくる。

 暗闇の中に、老爺は背中を向けて立っていた。


「此れより教授するは九条家が伝承魔術、『赤』。世界に満ちる火の力を借り、任意に顕現せしめる魔術じゃ。貴様には、体感を以って学んでもらおうぞ」

「ですが、お爺様」


 その声は、老爺の背中の向こうから聞こえた。

 洞窟でうわんうわんと反響していても、その清廉としていて良く通る声はすぐに解かる。

 老爺の肩越しに覗き込んだ。

 梓だ。壁際に太い三本の棒が立っていて、それに両手首、そして躯と足を白い布で拘束されている。

 縛られたまま、梓は口を開く。


「私、『赤』は門弟の山下さんにたくさんご教授いただきました。世界にたゆたう火の力、その視覚化まで至っています」

「のう、幹善か……。視覚化とな?」

「はい!」


 自然と眉間に皺が寄った。

 梓の様子が変だ。と言うよりも――あまりに普通だ。

 梓は老爺を「お爺様」と呼んだ。つまりこの老爺は九条家の一員、梓にとって祖父か、或いは曽祖父か、とにかくその辺りの人物なのだろう。

 そこまでは良い。梓の過去なのだから、そう言う登場人物はいても不思議ではない。

 だが、時に笑顔さえも交えて、ハキハキと会話をする梓は――まるで、年相応の普通の女の子のように見えた。

 そしてあれだけ怯えていた老爺に対して、今や家族に対する親しみのようなものを表している。

 相手を油断させる作戦なのか?

 そもそもこの老爺は敵なのか?

 一体、何が起きているのか?


(どう思う? ミカエル)

『……解からない。解からないことだらけね』


 誓約の宝玉を使って、二人の間だけで会話をする。


『けど、今はバレないほうがいいと思うわ』

(そうだね)


 まだ、僕たちがここにいることは老爺に気付かれていないのかもしれない。けれど梓は気付いている筈だ。僕たちから梓の顔が見えたんだ。あちらから見えていない筈がない。

 もしもそうなら、いざと言う時の伏兵として役に立つだろう。

 今はとにかく、黙して様子を窺う。


「のう、ふうむ」


 老爺は木杖で地面をとんとんと突きながら唸った。


「……幹善なんぞにお主の指導を任じておったとは……とんだ失策じゃったのう」

「え……?」


 梓の笑顔が凍った。


「あ奴のような魔術具の扱いに於いてしか取り柄の無い者に、九条の第二継承者を預けておったとは」

「お、お爺様?」

「――あ奴は甘い。未だ、人間なんぞ保っておる」


 老爺の杖が強く地面を打つ。


「のう、梓。とくとれ。魔術師は――人間で在ってはならぬ。全てを捧げ、全てを委ね、究極的には魔術の一部でなければならぬ。

 そして貴様は、九条でなければならぬ。九条の矜持、九条の在り様、九条の全てを、体現する存在でなければならぬ。人の情なぞ捨てよ。人の在り様なぞほふれ。人の心なぞ鬼に喰わせてやれ。魔を討ち世界を正す事、其れが全にして一じゃ」


 老爺の言葉は、ぐらぐらと僕の脳を揺さぶった。

 狂気じみた魔術師観を朗々と語る。その声色と背中に、一片の疑いも揺らぎもない。

 これが魔術師か。

 毒気に当てられて、思わず壁面に手をつく。

 壁が崩れて、小さくざらり、と音が鳴った。


「―――ッ!」


 息を呑んだが、幸いなことに老爺は気が付かなかったようだった。安堵の息を噛み殺してそっと手を離す。

 ――そこで、圧倒的な違和感が駆け抜けた。

 ……気が付かなかった? 確かに小さい、けれど確かに鳴った今の物音に。狂った在り方を是とする恐ろしい魔術師が、気が付かなかったと? いや、そもそも、僕がここにいることそれ自体に気が付かないのか? 息を潜めて躯を丸めて、それだけで気が付かれないなんてことがあるのか? ほんの数メートル後ろの僕に。


「ありえない」


 小さく呟いて、立ち上がった。


『シノブ!』


 ミカエルが慌てているが関係ない。

 足音が鳴って、空気が動いて、手を伸ばせば触れられるほどの距離に近付いて。それでも老爺は振り返らなかった。

 まるで、そう、僕なんて存在しないかのように。


「やっぱり」

『ど、どう言うこと?』


 さっきまでは抑えていた金色の光が煌めく。

 ミカエルの問いに明確に答えられるほど、僕の考えが固まっているわけではなかった。

 けれど、幾つかの傍証からある答えが推測される。

 老爺は僕たちに全く興味がないか。

 それとも――本当に僕たちに気が付いていないかだ。


「この世界は梓の精神世界、言い換えれば過去、歴史、記憶、思い出を基に創られているんだったよね」

『う、うん』



「それが、きっと答えだ。

 目の前の光景は、梓の過去の記憶の表出。これは……現在起きていることじゃないんだ」


 

 老爺は僕たちに気が付いていない。当たり前だ。僕たちはこの過去に存在しなかったのだから。存在しないものに眼を向ける者はいない。

 そして梓が取り乱した理由も、大雑把に推察出来る。

 きっと梓は、梓の知る今の九条家とは異なる部分を見つけた時に取り乱したのだ。例えば地下に降りた時、例えば老爺と出会った時。

 恐らくどちらも現在の九条家にはないものなのだろう。地下は改装されたのか、老爺は亡くなっているのか、少なくとも梓とは会わなくなっているのかだ。


「つまり、僕たちは過去の映像を見ているようなものなんだ。こちらからもあちらからも干渉出来ない、最早過ぎ去った光景。梓の言葉を借りるなら、これはそう言う世界式なんだ」

『で、でも。じゃあ梓は何をやっているのよ』


 それが疑問だった。

 これが過去だとするのなら、梓は何故あのような態度で老爺に接しているのか。そして、何故会話が成立しているのか。


「とにかく、梓を連れて移動しよう」


 囚われの梓の方へ一歩踏み出そうとして、

 ――ドン、と。

 老爺が地面に突いた杖の音によって、機先を制された。

 勿論それは全くの偶然の筈だ。だが自然と躯が竦み、足が止まってしまう。

 老爺は、その隙を突くかのように、再び口を開いた。


「のう、貴様は識らねばならぬ。九条と魔術の、果てより深き深遠を。其の為には視覚化なんぞと言うまどろっこしい事はしれおれぬのだ。体感に依って――知覚化せよ」


 そう言って、杖の先で地面に円を描き始めた。

 ゆったりとした速度から、次第に速く。硬い床になぞった痕が出来るほどに、何度も何度も。

 そして、声が聞こえた。


「『九条』が魔術の尖兵が捧ぐ。『赤』き炎よ踊れ。奇なる調べを待たずして、放蕩ほうとう奉灯ほうとうを捧げ賜え――」

「―――」


 内臓が持ち上がった。

 待て。

 それは、待て。

 僕は知っている。

 その言葉が何か。

 待て。

 やめろ。

 やめろ。

 やめろ。


「やめろおおっ!」

「『赤』き炎よ踊れ。奇なる調べを待たずして、放蕩に奉灯を捧げ賜え!」


 梓の足元から、赫灼かくしゃくたる炎が立ち昇った。


「――――――」


 包み込む。

 炎が梓の全身を。

 耳をつんざく。

 梓の悲鳴が。


『なんて、ことを……』

「―――ッ!」


 自失したのはほんの一瞬、次の瞬間には、背後から老爺に飛びかかっていた。

 肩を掴んで――と思ったが、飛びかかった勢いのままつんのめって地面に倒れる。混乱しながら振り返ると、老爺はこちらには眼もくれず、鈍色の瞳で一心に燃え上がる梓を見つめていた。

 ――そうか、これは過去。僕は、彼に触れない。彼も、僕に触れない。

 ……でも、それなら何故梓は苦しむ?

 今は疑問を無視して立ち上がる。

 老爺に触れないならば、梓を直接助けるしかない。

 赤く赤く、燃え上がる炎に相対する。

 躊躇はしない。

 決意して炎に飛びこもうとした瞬間――、逆に炎の向こうから何かが僕の胸に飛び込んできた。


「うわっ!」


 再び、今度は後ろ向きに倒れる。

 痛みに顔をしかめながら眼を開けると、最初に見えたのは金色の頭で、次に見えたのは白い肌と衣装だった。


「ラファエルさん!」

「あ……シノブさん!」


 ラファエルは躯を起こす。彼女は僕の上に跨ったまま、肩を掴み揺すぶってきた。


「梓さんが、梓さんがっ!」

「解かってます! どうしてラファエルさんは外に?」

「解かりません。誓約の宝玉から弾き出されてしまったんです!」


 弾き出された? 何故だ。

 ……くそっ、訳が解からないのに、考えてる暇がない。


「とにかくどいて!」


 ラファエルを押し退ける。

 そこで初めてラファエルは背後を振り返った。


「あ、あ、あ……なんてこと」


 呆然とするラファエルは、地面に座ったまま炎を見上げている。

 僕は大きく息を吸い込んでから、炎に飛び込む。

 だが。

 ……――熱くない?

 どれだけ火が躯を包み込もうとも、その火はまるで存在しないかのように全く熱くなかった。

 そうか、存在しないんだ。矢張りこれは過去の出来事だから。

 燃え盛る火炎の中に、拘束された梓の姿が見えた。


「梓!」


 手を伸ばす。

 赤い炎を突き抜ける。

 そして、その手は、梓の胴体に吸い込まれて通り抜けた。


「あ―――」


 手を引いた。

 梓の目前に立つ。

 苦しむ彼女には、僕が見えていないかのようだ。

 もう一度、今度はゆっくり肩に手を伸ばした。

 その手は、矢張り何の感触もなく通り抜けた。


「…………ッ」


 梓の姿を見ながら、悲鳴を聞きながら、一歩、二歩と後ずさる。

 やがて僕の躯は炎から出てしまった。


「シノブさんっ、あ、梓さんは!?」


 ラファエルに服を引っ張られながら、僕は自らの手に視線を落とす。

 ――そうか。

 これは、そう言う特異魔法か。


「『殺人鬼』……ッ!」


 その手を握り締める。

 僕の中に膨れ上がる何かの感情があった。

 ラファエルを振り返る。


「特異魔法の正体が解かりました」

「え……?」

「二人とも聞いてください。梓を助けるためには、二人の協力が必要です」

「で、でも」

「今すぐには、助けられないんです。解かってください」


 戸惑っているのだろう、ラファエルは僕の顔と炎に慌ただしく視線を行き来させていたが、やがて大きく呼吸をして、一人の天使の表情となった。


「……解かりました」

『私も』


 悲鳴と炎の渦巻く環境で、冷静でいるのは生き物として狂った行為だ。

 けれど、僕の中の熱情が逆に暴走を許さない。

 何としても助ける。その思いが猛る。


「この特異魔法は梓の精神世界、過去を映し出しています。でも、どうやらそれだけじゃなくて、恐らく……梓にとって最も辛い体験、トラウマのような出来事を再生しているんじゃないでしょうか」


 それなら、梓があれほど怯えた理由が解かる。

 なくなった筈の地下、いなくなった筈の老爺を見て、梓は思い出したのだ。今のこの、地獄のような責苦を。


「そして、過去の記憶を思い出してしまった梓は、過去の自分に同調した。その結果、梓はこの世界の住人となってしまったんです。今、この老人に触れないように、僕らは梓にも触れません」

「そんな……」

「どうすれば、止められますか?」


 疑問に、誰もが口を噤む。

 黙ってしまうと、悲鳴が鮮明に耳朶じだに響く。

 麻痺させなければ耐えられない。けれど、感覚を鈍化させていては解決策を見出せない。二律背反の状況で、ただ震えばかりが込み上げる。

 だけど、梓に比べればこんなもの、なんてことない。唇を噛み締める。

 絶対に、助けるんだ。


「……梓さんを直接助けられない以上、この世界式をどうにかするしかありません」


 ラファエルがチラチラと梓を見ながら言った。


「どこかの境界――それを破壊すれば」

「でも、境界は梓ですら解からないって言ってた。二人は?」


 ラファエルは首を振る。

 ミカエルも幾度か指輪を点滅させて黙すことで返答した。

 落胆しかけるが、そんなことを考えている暇はない。


「だけど、その方向性は正しい気がする。確かに梓に触れないなら、この世界の方を壊すしかないんだ……」


 自分の内に潜り込む。

 答えはどこにある。

 彼女を救う術はどこにある。

 やがて、思考の海から、一つの可能性の泡が浮かび上がった。


「『殺人鬼』は?」

『え?』

「『殺人鬼』はどこにいるんだろう?」


 全員が考えこむ。

 ミカエルが言った。


『そりゃ……ここに私たちを閉じこめて、外から様子をうかがっているんじゃないの?』

「いや、違う」


 頭で考える前に断定していた。

 核心に近付いている確信がある。

 海から小さな粒を掬い集めて、一つの仮説を形作っていく。


「『殺人鬼』が発動した特異魔法、あの時彼女は自らの足元から発動させたんだ。そして僕たちはそこから発生した光に呑みこまれた。そして目覚めたらこの世界にいた。……と言うことは、彼女もこの世界の中にいるんじゃないのか?」


 顎に指を当てていたラファエルが、手応えを得た表情で顔を上げた。


「……成程。魔法陣の布設、呪文の詠唱、そして自らも中に取り込まれると言う条件付きの……『限定型』特異魔法! 十分考えられます!」

「ああ」


 視線を合わせ、頷く。

 この世界式の中にいる『殺人鬼』を見つけ、そしてこの世界式を止める。

 それが、梓を助ける唯一の解決策だ。


「行こう!」


 出口に向かい、全力で走る。

 燃える梓に、背を向けて。

 苦悶の悲鳴を背中に背負って。

 ……こんなことになったのは、全て僕の責任だ。

 必ず、助けてみせるから。

 だから梓、待っていて。

 僕たちは誰も振り返らなかった。




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