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DECEMBER  作者: 竜月
三日目 Bohemian Rhapsody
56/63

三日目 (18) 九条という少女


 即座に飛びかかって来る女を、先程までと同じように梓が風矢で牽制する。しかし空間が限られている分、部屋の中ならどこにいても殺鎌が届いてしまいそうに感じた。

 絶対に梓に届かせるわけにはいかない。


「……はああっ!」


 だから自ら前に出た。

 まだ人型を保っている女に向かって真っ直ぐ聖剣を振り下ろす。女は殺鎌の柄で受け止めた。まるで石を叩いたような感触に手が痺れる。

 一度攻撃し始めると手を止めるのが怖い。止めた途端に、今は防御に回している殺鎌が僕を喰い千切ろうとするから。

 可能な限り連続するような無駄のない太刀筋を意識して、上下左右から次々斬りかかった。

 女は時にかわし、時に大きな殺鎌を器用に操って、僕の攻撃を捌いて行く。さすがに笑みは浮かべていないが、余裕の気配が伝わってきた。部屋が狭いせいで梓が自由に動けず、射線上で女と僕が重なってしまって援護射撃がやり辛いからだ。

 女の手に碧のピンキーリングが輝いている。当然、今回も僕の標的はあの誓約の宝玉だ。あれを壊して代理戦争から脱落させると言う方針は変えていない。ただ、今回の戦いはそれを壊したからと言って「こまっている人をたすける」ことにはならない。なぜなら、彼女は代理戦争に関係なく、人間を含む全ての生物にとって危険な存在だから。

 ではどうするのか。

 その答えの見つからないまま、僕は戦っていた。


「ふっ!」


 十数度目の剣を、女は一歩後ろへ飛んでかわす。

 ――もう一歩下がるか、それとも柄で受けるか。

 そう言う動作を予想していたが、しかし突然、女の姿は消えた。


「―――ッ!?」


 横隔膜が吊り上がる。生死をかける戦いの最中、相手の姿を見失うのはとてつもない恐怖だ。

 眼の前にはいない。右でも左でもない。本能が、天井を見上げさせた。

 通常の民家よりもずっと高い天井に、女は両足と背中、そして殺鎌を持っていない方の左手をつけて張り付いていた。。大量の髪の毛が垂れ下がってきて、僕の鼻先まで届く。

 ――攻撃を、続けなければ! 

 咄嗟の判断で、左手を離して右手一本で聖剣を持ち、天井に向けて突いた。髪の毛の滝の中に聖剣が潜って見えなくなって、腕は伸び切って、しかし手応えは無い。届いていない。

 女の口元がニヤリと嗤った。

 天井を蹴り、空中を滑るように僕の背後へと飛んでいく。

 振り返る。その先には、


「梓っ!」

「…………」


 彼女は超弓を構え無言で立っている。


「くそっ」


 追いつけない。

 梓が危ない。

 しかし、


「……ふう」

「え?」


 迫る女を前にして、梓は何故か超弓を降ろしてしまった。

 女に対して半身になり、何も持たぬ右手を前に突き出す。


「……先にこちらからと言う訳ですか」


 黒い塊となった女が迫る。


「……侮るなかれ『殺人鬼』。――『赤』き炎よ踊れ!」


 突然、床から火柱が上がった。


「ッ!?」


 丁度真上にいた女に炎が炸裂する。

 女は急激に進行方向を変え、勢いよく壁に衝突して床に落ちた。

 倒れた女の荒い息遣いが聞こえる。女はゆらりと顔を上げた。

 梓はつまらなそうに、


「……どうしました『殺人鬼』。私のイノチはここでしょう?」


 そう言って、胸の真ん中を指差す。


「…………」


 ゆっくりと立ち上がった女の躯から、再び黒いもやが滲み始めた。じくじくじくじく。形を呑み込んでいく。既に女の口元から表情が消えていた。

 女がトントン、と小さく跳ね始めた。

 羽のように軽くリズミカルに。跳ねる。跳ねる。やがて少しずつ跳躍が高くなり、大量の髪の毛がそれにワンテンポ遅れて波打つ。

 もう少しで女の頭が天井に着いてしまう程の高さになった時に。

 女は跳躍の最中で側転して上下反転した。


「――えッ!」


 驚きに眼を見開く。

 女はそのまま天井を蹴り、回転して今度は地面へ着地。再び地面を蹴り、回転して天井へ着地を繰り返した。

 黒い塊の乱反射だ。天井を蹴る音と、カーペットを蹴る音が交互に響く。

 僕は身構えているが、それでも梓は自然体で立っていた。

 そして幾度目かの天井への着地。

 女は、再び梓に向かって跳んできた。

 眼で追うのがやっとな程に速い。しかも女は飛んでいる途中で真横に跳ねて、急激な変化をつけた。女の狙い通り、僕はその不規則な動きを眼で追えなかった。

 では、梓はどうか。

 梓はそんな動きをそもそも追っていなかった。

 ただ、だらりと下げていた右手を、掌を上にして、空気を掬うように頭上まで上げただけ。

 そして一言、呟いた。


「……――『赤』き炎よ踊れ」


 部屋の約半分、僕と梓の立つ周囲以外が、炎上した。

 凄まじい熱風に思わず顔を腕で覆って背ける。眼には鮮烈な赤色が焼き付いた。

 一瞬の灼熱で、すぐに熱は消える。

 顔を戻した時、既に世界は薄暗い世界に戻っていた。

 カーペットには直径五十センチ程の円形の焼け穴が幾つも開いており、天井はそれに従って焦げていた。あの部分だけに、火柱が上がったと言うことだろうか。

 そして女は、完璧だった黒の衣装に幾つもの綻びと焦げを作りながら、再び壁際で片膝をついていた。ついさっきまでの余裕の態度と比べれば憔悴著しい。しかし、確かにダメージは与えたようだが、 致命傷にはなっていない。

 驚嘆に値する。かわしたのか。穴から推察するに、三十センチ間隔で全方位に立ち昇った火柱を。

 梓は無感動に呟く。


「……しぶといですね」

「フ、フフ。貴女は随分したたかねえ」


 女は右手を上げる。何かを持っている。


「たった一音節の詠唱で此れ程の威力、何か魔術具の類のタネがあるとはあ思ったけれど、まさかこんなモノとはねえ」


 女の指先には、二つに割れたおはじきがあった。

 あれは――昨日、梓が袂から取り出したもの。


「ミカエルの契約者を派手に戦わせて、その間にこっそり捲いていたのねえ? こんなに小さい魔術具じゃ見逃しちゃうわあ」


 床に目線を落とすと、僕の周囲にも幾つか規則的におはじきが捲かれていた。よくよく注視しなければカーペットに埋もれてしまって気付けないサイズだ。

 これが火柱を上げたのか。


「魔術具の大小はそのまま籠められる魔力容量に繋がり、即ち威力にも繋がる、って聞いているんだけどお、その筈よねえ? ……それなのにこんな小ささで私を焼き殺す程の火を生んだ。これは一体、どう言うトリックかしらあ、ミス・ローゼンクロイツ?」

「……酷い有様ですね」


 問いには答えずに、梓は鷹揚おうようとした足取りで女に近付く。


「ちょ、ちょっと!」


 僕の制止の声も全く聞こえていない素振り。超弓も構えずに女のすぐ傍まで歩み寄ってしまった。どう見ても殺鎌の射程内だ。幾ら憔悴していようとも、膝立ちであろうとも、女はまだ殺鎌はしっかり握っていると言うのに。

 女も驚いている。

 梓は、女を見下ろして言った。


「……其れが貴女の敗因です」


 女は動かない。


「……火柱をトリックと疑い、私を支援兵と侮った。わざわざ『九条』と名乗って差し上げたのに。……何故、私の実力だと思わなかったのですか。何故、前衛と後衛ではなく――盾と砲塔だと考えなかったのですか」

「…………」


「……私の名前をお教えしましょうか? 私は世界一の魔術一家『九条』家の次期当主――九条梓です。そして、其れが貴女の敗因です」


「ッ!」


 女が振るった鎌を、梓はふわりと浮かぶようなバック宙でかわした。着地するより早く羽が顕れて、着地せずに羽ばたいて退いてくる。


「……『殺人鬼』を留め置きなさい!」

「了解!」


 彼女の言葉に、考えるよりも躯が反応した。梓の六翼を潜って、すれ違いに飛び出して行く。

 すれ違い様、梓が懐から銀の受け皿や鋏に似た手術用具などを幾つか取り出すのが見えた。

 そんなものいつの間に拾っていたんだ? どうするつもりだろうとは思ったが、僕が考えるべきことじゃない。

 『殺人鬼』は深く俯いて立っていた。


「フ、フフ。幼いナリに騙されちゃったあ。次期当主。そんな大物だったのねえ。……次期当主のイノチは、どんな風に輝くのかしらあ!」


 叫び、風車のようにくるくると殺鎌を振り回してくる。

 女と僕では実力の差がある。

 受け止めた拍子に刃先で皮膚を薄く斬られたり、ブーツで蹴り飛ばされたりと防戦一方だ。しかし、それで良かった。僕の使命はここに留め置き梓に届かせないこと。

 その内に、後ろから静かな声が聞こえた。


「……いと貴き『九条』の名において六大に命じ、太虚に命ずる」


 魔術の詠唱だ。


「……『青』き魂の救済を。

 ……『橙』もれ。『橙』もれ。『橙』もれ。『橙』もれ」


 朗々と響く二種類の詠唱に、反応したのは『殺人鬼』だった。

 攻撃の手を緩めて、眼を見開く。


「まだ、二つも違う魔術を……! フ、凄いわねえ。三つも魔術を使える魔術師なんて、初めて見たわあ」

「……勘違いされているようですね」


 梓の言葉は僕のすぐ後ろから聞こえた。


「……私が修得している魔術は――七つです」


 その言葉と同時に、僕の左右を二つの物体がゆっくり通り過ぎて行った。

 拳大の強烈に赤熱している物体と、小指の先くらいの水滴だ。どう言う仕組みかふわふわと浮いて『殺人鬼』の方へ――


「うわっ!?」


 そこまで認識したところで、襟を掴まれて思い切り後ろに引っ張られた。躯が床と水平になるほどの勢いで、首が締まって苦しい。引っ張っているのは間違いなく梓だ。

 為す術なく引き摺られた僕は、そのまま割れた窓を抜けて、院長室を飛び出した。

 最後に見た光景は、灼熱の固まりが水滴を包み込むところ。

 そして、闇に似た女が立ち尽くす姿。


 瞬き。

 轟音。

 爆発。


 病院の角にある院長室の一角全てが、爆発した。

 鼓膜を劈く音が聴こえた瞬間に聞こえなくなる。

 圧倒的な風圧に煽られる。

 飛び散る破片に襲われぬように、梓はずうっと上空へ舞い上がった。

 病院を俯瞰で見下ろす。

 崩壊の余波で埃が舞い上がり、壁の残骸が辺りに散らばり、静かな森はざわざわと梢を揺らしていた。

 襟首を掴まれたまま、言葉を失う。

 何だ? 一体、何が起きたんだ?


「……水蒸気爆発です」


 僕の疑問に、頭上から梓の声が答えた。


「……水の温度を急速に上げ一気に気化させると、体積が凄まじく膨らみ爆発を起こします。今回は病院の器具を『橙』で溶かし、『青』で水を生み出して、水蒸気爆発を誘発しました」


 そんなことより早く自分で飛んでください、と言われて、ようやく僕は自分で羽を出した。

 埃も治まり、一時的に低下した耳の機能も戻ってきた。


「……降りましょう」


 どこまでも静かな、梓の後に続いた。



 女は部屋の中ではなく、屋上にうつ伏せで倒れていた。

 死んではいない。それどころか意識もあるようだ。動けないようで苦しげに呻いているけれど、手で躯を起こそうとしている。

 さっきまでは出していなかった羽が背中に在る。飛び上がって回避しようとしたから、部屋の中ではなくここに倒れているのかもしれない。

 黒い羽を力なく地面に横たえ、黒い羽根を辺りに散らし、黒い髪を扇のように広げたその姿は、一輪の黒い華のようだった。

 梓は近付き過ぎず、三メートルは距離を取って着地した。まだ油断するなと言うことだろう。僕も聖剣を構えたままだ。

 梓は先ず辺りを警戒した。誰か解からぬ第三者のこと、或いは更に別のことを考えているのかもしれない。僕は眼の前の女を警戒するだけだ。


「……良し」


 小さく呟き、そして超弓を構えた。

 弦を引き絞る。彼女の手に風が巻いている。

 梓の眼がすっと細まったのを見て、


「ちょっと待って!」


 僕は彼女を止めた。

 獲物を射る瞬間そのままの眼が、僕に向く。


「……何ですか」


 どう言う反応が返って来るのかは解かっているけれど、それでも言うしかなかった。


「もう、いいんじゃないかな? 彼女はもう戦えないよ」

「……巫山戯ないで下さい。殺されそうになりながら、貴方はまだそんな事を言うのですか」

「でも」

「……黙りなさい。此れは戦争で、あの女は『殺人鬼』なのです。敵であり人間である私たちとの間に、微温湯ぬるまゆの解決案なんて存在しない。始まった時から、『どちらかの死』しかないのです。此れはそう言う戦いです」

「それでも!」


 強く声を張り上げた。


「どうにかしたいんだ」


 僕はそう言う風に生きてきたから。

 梓は大きく溜め息を吐いた。


「……もう良いです。こちらで処理します」


 超弓を構え直そうとする、その腕を掴む。

 梓が殺気を籠めて僕を睨むけれど。

 それでも、


「ダメだ」


 僕は僕を翻せない。

 睨み合うこと数秒、


「……ふう。仕方ありませんね」


 梓の眼がついと遠くへ逸れて、手から力が抜けた。

 僕も追随して力を抜いた、瞬間に。


「――ぐあッ!?」


 鳩尾に超弓の弓弭ゆはずが喰い込んだ。息が止まり、声が出なくなる。遅れて痛みがやってくる。お腹を押さえて後ろへ数歩下がった僕へ、梓は更に踏み込んで胸の真ん中に向けて右の掌底を放った。かわそうと身を捻って、かわし切れずに左肩にもらう。衝撃にもんどりうって倒れた。


『梓さん!』

『なにするのよ!』


 ラファエルとミカエルが宝玉を光らせて抗議の声を上げたが、当事者の僕は喋れない。お腹の痛みと後頭部の痛みで、呼吸をするのがやっとだ。

 梓は僕らから眼を切り、超弓を強く振ってミカエルとラファエルの意見を黙殺した。

 再び超弓を構え、風矢を番える。

 ダメだ。止めろ。

 その声は喉で詰まって消える。

 そして、彼女は一切の躊躇なく風を放った。

 弦が鋭く跳ねて、僕の視線は視えない風矢の軌跡を追う。たったの三メートル。風はあっという間に女に至り――、

 生々しい肉の音。

 飛び散った鮮血。


「…………」

「…………」


 僕は女を見ていた。

 梓も女を見ていた。

 そして女は、


「……フ、フフフ」


 風矢を防ぐ為に突き出した右手をズタズタにされて、尚嗤った。


「あぶないあぶない。宝玉が壊れなくて良かったわあ」

「…………」


 沈黙する梓に向かい、語りかける。


「容赦ない爆破と言い、とどめを刺す姿勢と言い、まあったく惚れ惚れしちゃう程魔術師然としてるわねえ。子どもの癖に。そんな子、私は大っ嫌いよお」


 女は両膝と左手で躯を支え、右手からとめどなく血を滴らせている。

 それでも彼女は笑みの形に口元を歪めていた。黒の衣装と真白の肌と赤い鮮血が、壮絶なコントラストを描く。


「……『殺人鬼』から嫌われる。最高の褒め言葉ですね」


 涼しい顔の梓を見て、女は心底愉快そうに嗤った。


「フフフ――いつだって闇はそこに。フルカに吊られた木偶人形。プルガトリウムの扉を開けて。閉じたとこしえの夢を視る」


 ―――?

 何を、言っているんだ?

 僕と梓は同じ疑問を抱き、そしてソレに気が付いたのも同時だった。

 『殺人鬼』の躯の下、髪のベールに隠れるように、何やら模様が描かれていた。赤色。血で描いたような。精緻な模様。

 あれは、何だ?


「……――貴女!」


 梓が叫んだ。

 超弓に新たな風矢を番える。

 しかし発射よりほんの少し早く。


「無間の世界へいらっしゃい。【幻想と幻影の零落ステンドステンドグラシリア】!」


 女が血に塗れた右手を模様に叩きつけて。

 ピンクに近い赤色の強烈な発光を最後に、僕の世界はぐるりと廻った。


      ■□■


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