三日目 (14) 黒いカタマリ
「……破アッ!」
梓が超早撃ちで何本も風矢を放つ
視えないソレを、女はひらりひらりとかわしていく。右へ左へ、空へ大地へ。素早く不規則な動きで。
宙を舞う女は不定形な黒の塊となり、まるで生きている布か、或いは漆黒の蝶のようだった。それに単純に黒い服装のせいなのか、それとも体外を滲ませていた黒色のせいなのか解からないが、顔や四肢がどこなのかも掴めない不定形となっている。
矢を次々に放ちながら、梓は少しずつ下がって来て僕と並んだ。
「……貴方に前衛を任せます」
「え?」
「……志願兵でしょう。役に立ちなさい」
僕は眼の前の光景を見た。
――あんな速くて形も掴めないような不気味なものと、斬り合えって?
「…………」
……ああ、そのくらいの覚悟は決めてきたよちくしょう。震えが両手だけで済むくらいには。
「解かった。やるよ」
負けてたまるか。自分にも相手にも。
梓は僕の顔を見ながら、
「……別に貴方に倒せとは言っていませんから。前衛を保ってくれれば充分です。それ以上は期待していません」
それはもしかして気を遣ってくれているのかな。
「……来ます」
梓が素早く後ろへ下がって行く。
矢衾が途絶えて、女は近くにいた僕に風のような速さで向かって来た。
……怖い。
それが偽らざる、正直な感想だ。
不定形な布から右腕と殺鎌が飛び出す。一体さっきまで何処へしまっていたのか、不思議だが考えている暇はない。
右から胴への横薙ぎ。
――震えを飲み込め!
僕は敢えて一歩踏み出して、柄の部分を聖剣で受け止めた。背中を通り抜ける刃を肌で感じる。刃と柄の付け根に聖剣を当てて、引く行動を抑えた。
『――殺してやる――』
ぞくりと、寒気が背筋を走った。
小鳥遊の荒く巨大な殺意とは違う。
もっと静かで、そして鋭く突き刺さるような殺意。
発していないのに、言葉として届いてしまうような殺意。
一瞬、恐怖に縫い付けられて動きを止めてしまった。
その隙を突いて、布から足が突き出て蹴りが飛んできた。
避けることは出来ない。下手に動けば殺鎌に殺される。
剣を片手に持ち替えて、右腕を固めてガードした。ブーツの踵がめり込む。声には出さないがとても痛い。皮膚が捩じられて骨がきしむ。けれど一歩たりとも退く訳にはいかなかった。
相手からすればチャンスの状態だった筈だが、女は風に吹かれるように後ろへ飛び退って行った。
どうして? そんな疑問を、顔の横を通り過ぎる突風が晴らす。
「――――――」
振り返りはしない。
けれど解かる。
これは梓の援護射撃だ。
女は風矢を避けるために後ろへ下がったのだ。
視えない風矢を女がどうやって認識して回避しているのかは解からないが、小鳥遊のように動物的な勘にしろ、目視で発射するところを確認しているにしろ、相当の意識があちらに割かれているのだろう。
その分、僕は助かっているわけだ。
心が強くなる。
僕は一人で立ち向かっているわけじゃない。
『大丈夫?』
「ああ」
ミカエルだっている。
僕は僕の出来ることをやるしかない。
つまり――。
唐突に女が目標を変えて、梓へと向かう。先に遠距離武器の援護から叩こうと言う考えだろう。
読めていた。定石だから。
僕は僕のやるべきことを。
「おおおおおっ!」
「ッ!?」
女の横から接近して、思いっ切り聖剣を振り下ろした。形がないから何処を斬れば良いか解からない。だからとにかく中心に思いっ切り斬り下ろす。
攻撃は黒い塊から突き出た殺鎌の柄で止められたが、女は空中でステップを踏むようにして再び退いていく。
僕は女と梓の間で聖剣を構えた。
僕の役割は、梓に女を近づけないことだ。それが僕の出来ることでやるべきこと。
そんな僕のすぐ傍を、風矢が通り抜けていった。