二日目 (26) 九条
梓は語る。
「……魔術は近代科学よりも発展する可能性を秘めている便利で効率的な技術体系ですが、数百年と言う歴史を経ても決して世には広がりませんでした。……その理由は、魔術一家の在り方と習得の難しさにあります」
「ふむ」
「……一言で表すならば――秘密主義。殆どの魔術一家はその構成、人数、魔術、系譜、本拠地、理由、果ては在るという事実すらも、悉く秘匿しています。なので幾つの魔術一家が存在しているのかを把握している者は誰一人おりませんし、そもそも魔術一家と名乗っているだけで一家の誰も魔術を使えないと言う俄か魔術一家も存在します。正確な数など解かろう筈がありません。
……私からすればそんなものは魔術一家ではありませんが、そんな風に堕落してしまうことにも、閉鎖的で悉く秘匿する体質にも、共通の理由があるのです」
一度言葉を切る。
バスがやってきた。
変わった五人組を不思議そうに見ながら運転手はバスを止めたが、僕たちが乗らないのを確認して扉を閉め、再び走って行った。バスには見える範囲でも何人か乗っていたが、このバス停では誰も降りることはなかった。
見送って、梓は口を開く。
「……それが、魔術の習得の難しさです」
先ほど火を灯した手のひらを見て、
「……一口に魔術師、魔術一家と言いますが、魔術の習得には人生の全てを捧げる覚悟と犠牲が必要です。しかもそれだけの苦難を経ても尚、魔術師になれる――つまり魔術を一つ習得出来る人間は、約0・14%ほどと言われています」
――約千人に一人ですね。梓はさらりと言ってのけたけれど、その数字は、何だか凄いことのような気がしてならない。
「……現在の平均的な魔術一家の構成員人数は約四十人ほどと言われています。しかし魔術の修得人数は千人に一人ですから、割合から見れば解かるように、一つでも魔術を習得している者は皆例外なく首領・当主と言った重役を与えられ、系譜に名が刻まれる傑出した天才なのです。
……長年魔術を研究している魔術一家でも、系譜に魔術を習得した者がいる魔術一家でも、現在魔術を使える者がいる一家など極めて稀。そうして、『魔術を使えない魔術一家』が乱立する事態となるのです」
僕は説明を懸命に聞く。
正直理解出来ているとは言い難い、知らない世界の話だ。百聞は一見に如かず、幾ら言葉を聞いても、眼前で捉えたあの火の赤ほどに真っ直ぐには呑み込めない。
ただそんな僕にも一つだけ解かったのは、眼の前の少女は、魔術を習得しているこの少女は、どうやら天才と呼ばれる存在らしいと言うことだった。
梓の言葉を黙って待つ。
「……習得の難しさは、同時に魔術一家の秘匿性を高めることにも繋がりました。とある魔術一家に入り魔術師になろうと考えた人間がどんな魔術から覚え始めるのか、実はほぼ決まっているのです。
……――それは、その一家に代々継承されている魔術です。
……どの家にも、深く研究されている得意な魔術分野と言うのがあります。手広くやらずとにかく一つに特化して研究することで、各家は魔術習得に到ろうと考えているからです。そうして深く研究され、長く継承されて来た魔術は、先人の積み重ねた研鑽・研究によって言霊・呪文が築かれつつあり、他の魔術を一から学ぶのに比して習得の可能性が遥かに高い。なので、最初は皆その一家に引き継がれてきた魔術を学ぶ訳です。
……そうなると一家の考えることは皆一緒――継承魔術が他家に知れるのを防がなければならない、と言う思考に行き着きます。なぜなら、殆どの魔術一家は魔術的財産として価値のある魔術をその分野一つしか持っていないのですから。
……例えばAと言う魔術一家があったとしましょう。そのAの継承魔術がaとします。もしもそのaのことが敵に知られていた場合、Aで研鑽を積んできた魔術師なら少なくともaは修得しているだろう、と敵は推察することが出来ます。知られてしまえば対策を練られて、研究内容を奪われてしまえば今までの歴史の全てを失う。
……だから彼らは語らないのです。構成も、人数も、魔術も、系譜も、本拠地も、理由も、果ては在るという事実すらも」
故に、誰も魔術を知らない。
つまりはそう言うことらしかった。
便利な魔術が、世界に広まらない理由。
僕は、初めての知識への感心と、同時に小さな悔恨もあった。
どうにかしてもっと早くから魔術のことを知っていれば、『こまっている人がいたら、たすける』為の力になったかもしれないのに。今の彼女の話からすると、現在からでは中々難しそうだった。
もう少し話を聞いてみてもいい。けれどやっぱり武術を頑張ろう。中途半端な気持ちにならないように。そう思った。
「聞きたいんだけど」
「……?」
「梓のところはどうなの? 秘密にしているの?」
すると、梓はふっと小さく笑みを浮かべた。
「……貴方が質問していることが答えじゃありませんか?」
「?」
「……秘密主義の魔術師ならば、そもそも『自分は魔術師だ』とは名乗りませんよ」
「あ――」
そうか。言われてみれば確かに。
「……とは言え、別に此方から積極的に晒しているわけではありませんが。『九条』の一家は巨大故、どうあっても本拠地や存在などは隠しようがないのです」
「巨大って、どのくらい?」
「……詳しくは申し上げられませんが、構成員は四桁は見てもらって構いません」
「よ、よん?」
そんなにいるのか。
「……継承魔術や魔術的財産の情報は流石に第一級の秘匿ですけれど、それも小さな一家のように一つ二つじゃありませんから、奪われても即滅亡とはなりません。それに、そもそも『九条』の家から情報を盗むなんて真似は誰にも出来ないと私は誇ります。業界で言えば特級指定に値する程の任務になるでしょうから。
……そして、私はその誇り高き『九条』の次期当主。その身分は誇り高く掲げるもの。決して、隠すことは致しません」
彼女から自負と自信が伝わってくる。
羨ましい。僕には信念はあるけれど、まだそれを支える自信や実力はないから。