二日目 (25) 魔術と魔法
「……大変不本意な流れではありますが、説明するには丁度良かったでしょう。先程私が唱えた呪文、あれが魔術です。
……魔術とは、世界に満ちる理の力に言霊で語りかけ、その力を借りていわゆる『奇跡』を顕現する技術体系です。ただし世界の力を借りるので、あくまで世界の常識、理に沿った奇跡しか起こせません。
……つまり、温度を上げる下げる、肉体を強化する、電気を発生させると言った通常の世界でも過程を経て起こり得ることを、自らの言霊で起こす。それが魔術です」
梓は喋りながら、落としたおはじきを回収して、袂に戻す。
「……対して魔法とは、世界の理に縛られることのない、正に言葉通りの奇跡を起こす――才能です。
……躯一つで空を飛ぶ、多数に分裂する、書いた文字に命を与える、ケモノに変化する。そう言う在り得ない事象を準備や前提なくして起こして見せる。それが魔法です」
梓は辺りを見回して、近くにあった誰もいないバス停のベンチに腰掛けた。本腰を入れて話すことにしたようだ。僕も隣に座る。ラファエルは梓の横に立って、楓はまたフラフラと徘徊を始めて、ミカエルは「えー、帰るんじゃないの?」と口を尖らせた。ちょっと黙っていような。
僕はさっきの言葉を思い出す。
「魔術は魔法より優れてる、んだよね?」
桜色の頬をした梓はこちらを見て、
「……忘れなさいと言っているのに」
大きく白い溜め息を吐き出した。
「……少なくとも人間にとってどちらが優れているかと言う話ならば、一切の議論を待ちません。結論は魔術です。
――なぜなら、人間は、魔法を使えないからです」
梓はラファエルとミカエルに視線を向ける。
「……先程も言ったように、魔法とは才能。先天的に宿る奇跡の力。故に使うことの出来る種は初めから決まっているのです。人間と言う種は、魔法を覚えるカタチには創られませんでした。……それが喜ぶべきことか、嘆くべきことかは、人によりけりでしょうけど」
「もちろん、梓は喜んでいるんだよね?」
「……ええ」
それは口振りからも明らかだった。
梓自身は気づいていないだろうが、彼女の言葉の調子は魔術のことを話す時は強い自負に満ちていて、魔法のことを話す時はどことなく棘々しい毒を持っていた。
「……ともかく、人間は人間のままではどうしても魔法を越えられません。辿り着けない理想なのです。――だから、その代替として考案された仮初の奇跡が、魔術と言う技術体系でした」
実演して見せましょう、と梓は立ち上がった。
辺りに誰もいないことを確かめてから、小さな手の平を、宙に向けて差し出す。
しん、と緊張と静寂が満ちて。
唱える言霊は先程と同じ。
「……いと貴き『九条』の名において六大に命じ、太虚に命ずる。『赤』き炎よ踊れ」
瞬間、蝋燭のような炎が掌に灯った。
「――う、わ」
息を呑む。
ゆらゆらり。
赤色が眼の中で踊る。
――奇跡。
それは正に奇跡の体現だった。
天使の羽や、巨躯の竜や、荒れ狂う人間を見た今日でも、尚驚きに包まれる、間近の奇跡。
掌で燃える、炎。
「……これが魔術です。今は世界に満ちる火の力を借りました」
梓が手を閉じると、炎は酸欠になったのか(そもそもそんな科学に基づいているのかも解からないけれど)跡形もなく消失してしまった。
けれど僕の眼には、鮮やかな赤がまだ焼き付いている。
心臓が強く脈打つ。
彼女は見た目にはただの幼い少女だ。容姿で衆目を集めるのは確かだが、特別ではあっても特殊とはならない。実際僕も、彼女自身に少しだけ触れて話して、それなりに変わってはいるけれど、なんだ普通の女の子じゃないかとそう思っていた。
だが。
言葉だけで起こして見せた、あの奇跡は。
――魔術師。
どう形容したらいいか、とにかく梓と言う少女を、凄い存在だと感じた。
そこで気が付いた。
「ちょっと待って。今の言葉ってさっきの途中で止めたやつと同じだよね?」
「……言葉ではなく言霊であり呪文ですが、そうです」
「それってさ、もしも止めてなかったら――」
「……燃えてましたね」
はじきで囲んだ領域が広過ぎたので時間が掛かってしまいました。梓は事も無げにそう言ってのけた。
……怒らせるのは絶対に止めよう。
普通の女の子って評価を少し疑いながら、心に決めた。
梓は一顧だにせずに話を戻す。
「……最初は代替に過ぎなかった魔術も、長い歴史と研鑽によって、近年では魔法に近しい領域にまで辿り着くことが可能になりました。しかし、それではあくまで魔法の代替。劣化品。魔術が真に優れているのは、そこではありません。
……魔術の利点であり真髄、それは『術者の思い通りの奇跡を起こせること』です。
……魔法はあくまで生まれつきの才能。つまりこの世に生を受けた瞬間に既に決まっている。故に、役に立ち嗜好に合い常識を超えた能力を授かることなど極めて稀で、『一度眠ると一週間起きない』とか、『口から洋菓子が出る』とか、完全なる役立たずの魔法も数多存在します。
……対して魔術は、習得に圧倒的な時間と才能と苦難を伴いますが、自らの意図した奇跡を実現することが出来ます。
……言うならば、魔法は高威力の固定砲台で、魔術は万能軽快の機関銃と言ったところでしょうか」
「ほ、ほお」
その例えは何となく理解出来たけれど、着物姿の少女の口から「砲台」とか「機関銃」とかそんな言葉が出てくると戸惑ってしまう。
「……そんな訳で、魔術と魔法は全くの別物と言うことが解かって頂けたかと思います」
「うん。一応言葉としては理解出来たよ」
「……では、もう少し魔術の話を」
梓はどうやらノってきたらしい。表情には出ないけれど、語り口滑らかだ。
僕ももっと話を聞いてみたかった。
もしかしたら、もしかしたらだけど。
『こまっている人がいたら、たすける』為の力になるかもしれないから。
あの火は、あの赤は。
武術や精神とはまた違う、もっと純粋でもっと乱暴な、力そのものの顕現に見えた。