二日目 (24) 頬紅
「とにかく、忍さんの特異魔法についてはいずれ解かるでしょう。忍さんからは、他に何か聞きたいことはありますか?」
「そうだな……魔法について聞いてみたいかな」
後ろを振り向く。
私はもう関係ありません、みたいな素振りでそっぽを向きながら歩いていた梓が、驚きの表情を向けた。
ラファエルも同じように驚いている。
何となく言いたいことは想像出来るが……まあ、悠に言わせると僕はとても空気が読めないらしい。読めないなら読めないらしく、余計なことを考えずに話をさせて貰おう。
「それはラファエルよりも梓に聞いた方がいいんだよね?」
「…………ええ。私以上に相応しい人間はこの国にはいません」
梓はむっと眉を顰めたまま、けれど歩み寄って来てくれた。
律儀な性格だ。少し笑顔が零れる。
「そもそもさ、魔法ってホントにあったんだね。すごいな。見てみたいよ」
「……私はあなたの評価を見誤っていたようです」
「なに?」
「……貴方は、甘いんじゃなくて莫迦なんですね」
「ははっ」
僕が笑うと梓は一層顔を顰めたが、その顔は少しだけ年相応の表情に近づいた気がした。
梓は大きく溜め息を吐き、隣に並ぶ。
「……他のことならいざ知らず、魔術のこととなれば『九条』が語るのは当然で必然。なので仕方ありません。教えて差し上げましょう。『九条』以上に語れるものはいないのですから」
梓の言葉と視線には強い自信と自負があった。
凛と前を向くその姿が、素直に羨ましいと思う。
「……魔術を語る前に先ず一つ、必ず胸に留めておいて頂きたいことがあります」
「うん。なに?」
「……貴方は先程から魔法魔法と再三口にしていますが、今から私がする話は魔術の話です。魔術は、魔法とは、違います」
「違うの?」
軽い気持ちで尋ねた僕に、
「……――全ッ然、違うッ、んですッ!」
初めて聞く梓の大声が突き刺さった。
「……人類が遥か長い年月を掛けて練り上げ壊しまた練り上げ、やがて確乎たる技術として体系化された歴史と知恵の粋の結晶が、魔術です。魔法などと言う役立たずで融通の利かない只の才能と一緒にしないで下さいッ! 大体魔法なんてものは――」
「ちょ、ちょっと待って」
両手を突き出す。
「せつめいっ、説明してくれないと」
「…………」
沈黙。
眼と眼が合う。
「ね?」
「……――ッ!」
梓はぱっと身を翻して、先に歩いて行ってしまう。小さな「……私としたことが」って呟きが聞こえた気がした。
ぐうぐう眠る(もう間違いない)楓を背負いなおし、歩調を速めて梓に追いつく。
ラファエルは説明を梓に任せたのか、後ろに残って付いて来なかった。
梓の横顔を見る。
大きくて綺麗な瞳はツンと前を見据えたまま。こちらを少しも見ようとしない。
すたすたすた。
すたすたすた。
暫く無言の時が続く。
暗い夜は、西から街の中心に近付くにつれて少しずつ明るくなってきている。しかし今はまだ外灯の明かりだけ。人影も光も遠い。道の両側は暗い建物だ。
「梓――」
「……先程の私は幻です」
「え?」
梓は歩調に合わせるように早口で言い放った。
「……あんな私は幻です。怒鳴り声など幻聴です。つまりは全部が幻覚なのです。なのですっかり忘れてください」
え、えっと?
「ど、どういうこと?」
「…………」
澄ました横顔で答える梓。
幻覚とか幻聴とか、言っていたけど。
だから、えーと、推察するに、
「……もしかして、恥ずかしかったり?」
途端に、梓の白い頬がポッと桜色に染まって、口元からは白い息がふうーっと吐かれた。
「……――ッ!」
振り向いた梓は、眉をぎゅうっと吊り上げて怒っていた。
「……貴方はッ、どうしてッ、そう言うことを、わざわざ口に出すんですかッ。空気を読みなさい空気をッ」
「ご、ごめん」
「……嗚呼なんてことでしょう。私としたことが」
両手で顔を覆って、深く俯いて嘆く。
大声を出して怒鳴ったことは、彼女にとってそんなにも大きな失態だったのか。
でも……なんだか。
「ぷぷっ」
背中で笑い声がした。
「ぷふー。妹がそんな風に慌てるところ、はじめて見たかもー。ぷぷぷ。あ、やべツボです」
眠っていた筈の楓がいつの間にか目覚めたらしく、明らかにニヤニヤしている声色で言った。
梓がキッと楓を睨みつける。
「……お姉さまは寝てなさいッ」
「寝てますよ? ちょっと寝言がアクロバチックなだけなんス」
「……このッ」
「ふふっ」
駄目だ、堪え切れない。
「はははははっ!」
「……あ、貴方までッ」
「ご、ごめん。けど、すごい可愛くて」
「……――ッッ! だからッ、考えなしに喋るのは止めなさいッ!」
怒鳴る梓と、追いついて来て不思議そうなラファエルとミカエルを尻目に、僕と楓の笑いは止まない。
梓は悔しそうに歯噛みして、
「……貴方たちがそう言う態度を取るならば、私にも考えがありますから」
着物の袂から何か取り出して、親指で弾いて地面に放った。四度、同じようにして放たれた何かは、僕と楓を菱形で取り囲む位置に落ちた。
あれは……おはじき?
扁平の硝子片だ。赤青紫緑。色彩は様々。
梓は眼を閉じて、朗々と何かを唱え始めた。
「……いと貴き『九条』の名において六大に命じ、太虚に命ずる。『赤』き炎よ踊れ。炎よ踊れ。炎よ――」
「うわわわわ。フニャー! ごめんごめんごめん、謝るから落ち着け妹よ!」
梓が言葉を発し始めた途端、楓が慌てふためいて僕の背中から飛び降りて、梓の肩を揺さぶって言葉を止めさせた。
渋々と言った表情で眼を開ける梓。
「……反省しましたか?」
ぶんぶん!
そんな音が聞こえる程頭を上下に振る楓。
「……では今回は良しとします」
梓は躯から力を抜いて、それを見て楓はほっと安堵の息を吐いた。よく解かっていないのは僕だけだ。
そんな僕に気づいた楓が説明らしきものをしてくれたが、
「危なかったにゃん。あっちあっちってなるところだよ」
全然意味が解からない。
こう言う時はやっぱり、とっつきにくそうなフリして実は説明が好きそうな彼女に聞くに限る。
梓に眼を向けると、
「……説明いたします」
期待通りに口火を切ってくれた。