二日目 (23) 正しいこと
その後、楓に背中から降りてくれないかとお願いしている内に、説教を終えたラファエルとしょぼくれたミカエルが戻って来た。散々絞られたようだけど、負ぶさっている楓を見て羨ましそうに眼を輝かせる姿を見るにまだ全然反省してないな。
ラファエルがやってきた
「申し訳有りませんでしたっ!」
「ちょっと!?」
いきなりの謝罪。深々と膝にくっつくほどに頭を下げるラファエルに戸惑い焦る。
「止めてください! 頭を上げてくださいって」
彼女の肩を支えて躯を起こさせたけれど、深く俯いたままだ。
「……ミカエルから契約の一部始終をお聞きしましたが、何とお詫びを申し上げたら良いか、何とも申し上げられない程に適当と言いますか、ウリエルならまだしもまさかミカエルがこんな問題を起こすなんて思いもせず……。こんなにも雑な契約をした天使はきっと後にも先にもいないと思います。本当に申し訳有りません!」
「い、いいんですいいんです! そりゃ確かに大迷惑でしたけど、最終的に契約を決めたのは僕ですから」
「うう、こんな良い方に。本当に申し訳ありません」
いいんです。
すいません。
しばらくこの繰り返し。
ミカエルが僕らのやり取りを見ながらぽけーっとしてるのが、とても納得いかなかった。
「と、とにかく! ラファエルさんに聞きたいことがあるんです」
「すいま――ハイ、なんでしょう?」
ラファエルさんがぱっと顔を上げる。私がお役に立てることならなんでも! と言う意識がもう一目で解かる。眼の端で滲んだ涙の残滓がきらきらっとして綺麗だった。
「代理戦争のことを教えてほしいんです。話を聞いてると、どうやら僕の知らない事情や契約がたくさんあるみたいなので」
「そうですね。任せてください。今度は私がしっかりとお教えします」
「……ちょっと待って貰えますか」
話始めようとしたラファエルを、梓が止めた。
「……いつまでもこんな所で会話しているのは目立ち過ぎます。場所を移しましょう」
「そうよー。寒いじゃない」
「はいはーい。あちし賛成」
梓の言葉に、ミカエルと楓も同調する。後の二人の意見は置いといて、確かにそうかもしれない。男子高校生と、変わった格好の金髪女性二人+変わった格好の少女二人って言う組み合わせはかなり悪目立ちする気がする。
しかも、そう言えば幾ら人気が無いとは言え、さっきの大騒ぎを誰かが聞いていない、見ていないとも限らない。もしそうならそろそろ公権力が駆けつけて来る可能性もある。……工場一戸倒壊とかどう説明すればいいんだ? あれ? もしかして、今すぐ走って逃げた方がいい状況じゃなかろうか。
「それもそうですね。移動しましょう」
僕も全面的に賛成だった。
石楠花の橋を渡る。
昨日も道場帰りの同じ夜中にこの橋を渡った。
あの時とは全く違う心境と、全く違う面子で、今この橋を渡っている。
人生何があるか解からない。
ずり落ちる背中の楓を背負い直しながら、強くそう思った。この子眠ってないか?
「歩きながら説明していきましょう」
僕の横を歩くラファエルが言う。
僕たちは先頭に僕とラファエル(と背負われた楓)、後ろにキョロキョロと街も見回しながら元気に跳ねるミカエル、一番後ろに梓の隊形で歩いていた。やはりこの面子は悪目立ちするらしい。通行人はちらちらと怪訝な眼を向けてくるし、車とすれ違う度に運転手からも奇異の視線を向けられている気がした。夜中とは言えこれから街中に入るかと思うとドキドキする。
「先ずは特異魔法のことをお話します。……思い当たることは何も?」
「はい」
「では最初から」
ラファエルは振り返って、梓を眼で示した。
「梓さんの特異魔法【半月】のように、それぞれの契約武器には必ず一つ能力が備わっています。それは本来人が使うことの出来ない魔法の力。けれど本人、存在に根付いた魔法とは違って、あくまで武器に宿った魔法なので、“特別に異なった魔法”として、特異魔法と呼ばれています。
契約武器も特異魔法も、契約者の個性が色濃く出ると言われています。超弓と【半月】はとてもいい例で、弓道を嗜んでいた梓さんと風の魔術を使えた楓さんがいたからこそ、ああ言った形になったのでしょう」
つまり僕の個性が剣になったと言うことだろうか。
全く心当たりのない個性だ。
「もうひとつ。特異魔法には『常時型』と『限定型』と言うふたつの特性があるとされています。
『常時型』は、契約武器を顕現させた状態ならば常に発動し続ける特異魔法。
『限定型』は、発動に条件が設定されている代わりに強力なことが多い特異魔法。
【半月】は『常時型』となります」
もしかしたら、忍さんは『限定型』なのかも、とラファエルは呟く。
「発動の条件を満たしていないから、特異魔法が解からないのかもしれません。そんな事象は聞いたことがありませんが……何せ天使と人間の誓約自体、そもそも前例が少ないもので」
「はあ、なるほど」
「……しかし本当に特異魔法が解からなかったとは。ただでさえ甘いのに、それでは戦力になりません」
振り返ると、梓が僕たちのすぐ後ろまで来ていた。
着物で地面を滑るように歩く姿はとても様になっていて、本当の年齢よりも随分と大人びて見える。しゃなりしゃなり。
「梓さん!」
ラファエルが眉を吊り上げるが、梓は一瞥して突き放す。
「……使えないものを使えないと言っているだけです」
「梓さん――!」
「いいんです、ラファエルさん」
二人の間に割って入る。
「間違ってないですよ。梓の言っていることは」
ラファエルは困ったように僕と梓の顔を見て、梓は「……せめて盾くらいはお願いします」と呟いて早々に離れて行った。
「ごめんなさい」
「いえいえ。ラファエルさんが謝ることじゃないですし。それに、本当に気にしてませんから」
真実だ。
梓の言葉に腹を立てている自分はいない。
さっきから感じていたのだが、梓の立ち居振る舞いやその言葉は、不思議と道場での白禅師匠を想起させた。風貌や年齢は全く違うと言うのに。
それはきっと、彼らの心が似ているからだ。
冷静でいて、緊張でいて、非情でいて、専心でいて。
道場での白禅師匠の在り方を、梓は日常から為している。
人としては歪な、武人としては十全な、精神構造。
そんな梓から言わせれば、僕は到底戦力にならないのだ。子どもなんて関係ない。納得出来るし、否定は出来ない。
――今はまだ。
せめてそんな言葉を末尾につけたいと思うのは、僕には過ぎたる願いだろうか。
「正しいことが、良いこととは限りません」
ラファエルは小さくそんな言葉を呟いた。
思えば彼女も、僕なんかでは想像も出来ない長い年月を生きたであろう、人生の先達だ。梓の在り方に何かしら忠言があるのかもしれない。
いずれ、ゆっくり話を聞いてみたいと思った。
石楠花橋を渡り切って、足は止まらずに、僕たちは街へと向かう。