二日目 (22) 甘き夢見し
そんな算段を立てながら二人の姿を眺めていると、
くいくい。
「……ん?」
右の袖口が引っ張られた。
振り返ると、楓が袖口を摘まんで、眼をくりくりさせて僕を見上げていた。
「ねー」
「えっと、なに?」
ちょっと驚いた。さっきからずうっと興味なさげに辺りをうろついていた彼女が話しかけてくるなんて。て言うかいつの間にこんな近くに。
楓は僕をじーっと見上げたまま、
「お兄ちゃんはお人好し?」
「は?」
「お人好しっぽいよね」
「え、えっと」
「……私から補足してお聞きします」
梓が楓の言葉を継いだ。
「……先程までの話を総合すると、貴方は天使も悪魔も魔術も代理戦争も、何も知らず、何も知らされず、今現在此の場所にいるんですね?」
頷く。
「……では、この代理戦争に勝利した時の特典も御存知ではないのですか?」
「そんなのあるのっ?」
まるっきり初耳だ。また一つミカエルの怠慢が増えたな、と心の中で文句の積木を乗せる。
梓は、その返答が何故かとても不満だったようだ。
「…………」
「えっと?」
「……改めてお聞きします。何故、天使と契約したんですか?」
固い詰問口調にちょっとたじろぐ。
梓の口は止まらなかった。
「……だっておかしいじゃないですか。唐突に現れた自称天使の話を聞いて、明らかに怪しげな契約をして、いきなり命の奪い合いをして、あまつさえまだ笑顔を浮かべている」
じろりと睨まれて、僕は慌てて苦笑を引っ込める。
「……私には、貴方が理の通じない異星人か微温湯に浸かった大馬鹿かのどちらかにしか見えません」
あんまりに歯に衣着せぬ物言いだったもんだから、怒るとか呆れるとかそんな想いを通り越して、笑ってしまった。
「そうじゃないよ。僕は十分現実主義者のつもりだよ?」
「……どこがですか」
「じゃあ逆に聞くけど、どうして君たちはラファエルと契約したの?」
「……私たちは貴方とは事情が異なりますから。天使も悪魔も魔術も何もかも、私たちは勿論知っていましたし、……そもそもこの町に来たのは天使の契約者となって悪魔を討つ為なんですから」
「そうなんだ」
驚いた。そんな目的で動いている人たちがいるなんて。しかも実際に動いてるのがこんなに幼い少女たちなんだから余計に。
――一体、彼女たちはどんな人生を生きて来たんだろう?
僕は、その時初めて、彼女たちのバックボーンが気になった。
「……聞きたいのは私たちのことではなく、貴方の話です。どうしてミカエルと契約したんですか?」
「うーん、そんなに知りたい? 今までの壮大な話から比べると大したことじゃないと言うか……どうでもいいことだと思うんだけど」
「……些細ことでも、疑問に感じたことや納得のいかないことはすっきりさせないと気が済まないんです」
生真面目な性分だ。きっと現代社会では生きにくいだろうに。
まあそこまで言うなら、と頷く。
「そうだなあ……」
改めてあの時のことを思い返して考えてみる。
だけど、深く考えるまでもなく、答えは一つしかなかった。
「僕の場合、ちょっと契約した状況が特殊でさ、詳しい説明を聞く暇も無く急ぎ足で契約することになったんだ。まあ、それでも契約しようって思ったのは……」
「……のは?」
「こまってたからかな」
「……はい?」
「ミカエルはこまってたんだ。だから契約した」
もういつものことだ。
――『こまっている人がいたら、たすける』
その誓いの元に。
「…………」
「すっきりした?」
「……いえ。些事に時間を取られた後悔と、脱力感で一杯です」
「えええええ」
「にゃおーっ!」
「うわわわっ」
突然背中に何かが衝突してきて、僕はつんのめって堪えた。全身の傷が痛む。
頬に触れるように肩越しに突き出してきたのは、笑いで糸眼になった楓の顔。それと同時に首に巻き付く細腕。背面に楓の躯がぎゅっと密着して、残念……と言うと大いに語弊が有るが、背中には板みたいな感触しかなかった。……いや、この言い方にも既に十分語弊があるような。
「ど、どうしたの?」
「にゃははは。重い? 重い? でもあちしは軽い! 重力を感じないぜ!」
「いや重くないけど……」
「すんごい面白い! お兄ちゃんはやっぱり――」
「――お人好し、ですね」
それも莫迦が付くほどの。梓はそう言って呆れたように僕に背を向けた。
彼女の考えていることは何となく解かる。
『なんて莫迦なんだ』か、それとも巻き込まれている代理戦争の危険さを考えたら『なんて考えが甘いんだ』だろうか。どちらにせよきっと『納得出来ない』と思っているんだろう。
僕はその思考を、全面的に肯定する。
正しいのは彼女で、正しいのは皆だ。
僕の考え方は、きっと理解はされるのだろう。けれど、納得はされまい。不合理だから。盲目だから。妄執に似ているから。
そう思われることにも、もう慣れてしまった。
――けれど、間違っているわけではないのだ。
ただ一柱譲れないものが僕を貫いているだけ。
合理性や盲目や妄執を超えた、信念。
だから、やっぱり僕が浮かべた表情は苦笑だった。