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DECEMBER  作者: 竜月
二日目 天使
26/63

二日目 (16) 終わりの気配



「ゴミにしたんだよ穢れ無き闘争を! 錆びついたクソみてえな偽善で!

 ……生物にとって殺し合いは単なる会話だが、生存競争は本能だ。誰もが生きるために生きている。生きているから生きている。生きる理由なんていらない。殺されそうになれば人は全てを曝け出す。だから、どんな怪物相手だって、人は命を諦めない。――俺は、その全霊のぶつかり合いがしてえのに。

 ……興醒めだ。全く興醒めだ。折角、六年振りの精一杯楽しい戦いだったのに。もういいよ。もういい。終われよ。終わっちまえ。死ね」


 彼の姿が消えた。

 心臓の鼓動が一瞬で跳ね上がる。僕の眼は彼の姿を見失った。けれど、死の危険だけはひしひしと感じて、急いでより大きく距離を取ろうと後ろへ飛ぶ。

 熱を感じた。

 冬の寒さに負けないくらいの灼熱を、左手の甲に。


「ぐッ!」

『シノブ!?』


 思わぬ刺激に眼をやると、左手の甲が一筋切り裂かれていた。バックジャンプをした時に、最後にその場に残っていた左手だ。あと少しでも遅かったなら、僕は手とさようならをするところだ。


「ミカエル!」

『ダメ。わたしも見えなかった!』


 くそっ、一体どうやって斬られた?

 周りを見渡すけれど、小鳥遊の姿は見えない――いや、待て。風を感じる。冬に吹く筈のない、熱を持った風だ。それが僕の周りを縦横無尽に取り囲んで、そして渦巻くように舞っている。

 反射的に身を捩った時、僕の左太腿がまた熱を帯びた。手で触れると、ぬらりとした感触を覚える。見なくても解かった。立て付けの悪い蛇口のように、僕の生命がぽたぽたと溢れ出している。張り詰めた薄皮を食い破って。

 解かった。彼の姿が視えない理由は、単純なものと技巧的なものの二つがある。

 先ず速度が桁違いに上がっている。真っ直ぐ突っ込んできた彼は途轍もないパワーを誇っていたけれど、今の彼は眼で追い切れない程素早かった。黒い羽も夜空に紛れて、視認し辛さに一役買っている。

 そしてもう一つ。さっきまでの彼は真っ直ぐだったのだ。いつだって正面から、二次元的な方向からの攻撃しかしてこなかった。それに対して今は、主に斜め上からや斜め下、或いは背後から、そう言う三次元的方向から攻めて来ている。

 なるほど、これが空で羽を用いての戦いの特性か。

 そして、道場で地面に足をつけて戦っていた僕では、この戦いに満足に対応しきれなかった。


「――痛ゥ! くそっ」

『もう、もうダメ。何とかして逃げて! 逃げてよ! おねがいシノブ!』


 避けている。ぎりぎりで避けてはいる。

 けれど、理解の範疇外である頭上や真下からの度重なる攻撃で、躯中に細かい切り傷を負って、付随して制服もぼろぼろだった。ミカエルが慌てる気持ちも解かる。僕の傷はもしかしたら、傍目から見たらそれなりにヤバいんじゃないかって気がするから。

 けれど――ハハ。こんな状況なのに、この制服を見て明日の学校のことが一瞬心配になった自分が可笑しい。

 今はとにかく、早くこの戦いに対応するしかなかった。


 ――けれどそれは、意外な形で決着する。


「ダリい」


 そんな声が聞こえて、小鳥遊は一陣の風から人の姿となって僕の正面に現れた。手を伸ばしても届かない、けれど剣を伸ばせば届いてしまう、そんな距離だ。しかも、水斧を構えているわけでもない。気だるげに肩に背負っているだけだった。

 驚きで、僕の躯は固まる。


「ちょこまかすんのもされんのもウンザリだ。どっちでもいいけどさっさと死んで済まそうぜ」


 そう言って小鳥遊は、ゆっくりと頭上に水斧を振りかぶった。

 きっと、その動作が余りに穏やかだったから。僕はのんびりと、自らの死を見送ってしまったんだろう。

 ゆっくりと、僕の眼が余すことなく追える程にゆっくりと。

 何の技巧もなく。裏をかくこともなく。ただ、どこまでも、普通に、掲げられた水斧が、夜空に昇った。


『シノブっ!』


 ――刹那、スロウになっていく視界認識をよそに、高速思考が廻り廻る。

 戦慄が奔る。

 二人の間は、剣を伸ばせば届いてしまう距離だ。

 だから、信じられない。

 だから、抑えられない。

 僕は全身に奔る震えを止められない。

 ――だって、斬れるんだ。斬れるんだよ。

 今なら間違いなく彼を斬ることが出来る。

 心得のない素人だって斬ることが出来る。

 僕ならきっと――殺すことだって出来る。

 だから、信じられない。

 小鳥遊はそれも全て承知の上で、今水斧を掲げていた。

 僕がどうせ斬れないだろうとか、死ぬことはないだろうとか、そんな打算で動いているわけじゃない。

 斬られも構わない。

 死んだって構わない。

 ただ、お前を殺したい。

 それだけで。

 確かに僕は小鳥遊の首でも胸でも胴体でも、好きなところを斬ることが出来る。けれど、僕が彼を斬ると言うことは――同時に僕の死をも意味していた。

 なぜなら、きっと止まらないから。

 喉笛を裂かれたくらいで、この獣は止まらない。

 たとえ命を絶たれても、この獣は残された躯で最後の一撃を振り下ろすだろう。

 そうすれば、僕は死ぬ。

 僕も死ぬ。

 水斧は頂点で、月影に揺らめく。


「――――――」


 どうする。どうするんだ。そもそも僕は彼を殺せないじゃないか。それならば考える余地はない。いや待て。本当に僕は殺せないのか。殺せるんじゃないのか。暗闇で眼を瞑っているだけじゃないのか。そんなはずはない。僕は殺せない。第一殺してどうなる。そうすれば殺されて、僕も死ぬんだ。死ぬ? 死ぬ。誰が、死ぬ? 

 誰が。

 死に至る隙。


「感じねえ殺し合いむつみあいだ」


 水斧が、振り下ろされた。


「ぐううううっ!」


 惑ってしまった愚かな僕は、既に進退窮まる状況で。取れる選択肢はもう、聖剣で受け止める外になかった。

 空より迫る鋼に、黄金が重なってクロスを描く。二振りは僕の頭上で衝突して、割れるような甲高い音を立てた。

 聖剣は劣らない。曲がらず怯まず、水斧を弾き返そうとする。

 けれど、僕のスペックが大きく劣っていた。


「――ッ!?」


 ほんの一瞬の圧し合い。

 聖剣を握る腕の筋肉が次々と断裂していく。

 羽が限界を超えて羽ばたいても及ばない。


「堕ちろォ!」


 小鳥遊の気合いとともに水斧は振り切られて、僕は地面に隕石のように墜落した。

 コンクリートに背中を強かに打ち付けた。

 息が、出来ない。

 躯が、動かない。

 手が、聖剣を上手く握れない。

 眼だけが、活きている。

 空には金の月と、鋼の月。

 金の月には兎が、鋼の月には獣が乗っていて、鋼の月はその尖端を真下に向けて、コンクリートに張り付けられて動けない僕へと、自由落下を開始していた。


『避けて! 避けてシノブ!』


 縋るような涙目で僕を見つめるミカエルが、視えた気がした。

 そうは言ってもさ、ミカエル。躯が言うことを聞いてくれないんだよ。まともに呼吸も出来ないんだ。

 ジャケットを風に翻しながら、小鳥遊が、つまらなそうな表情で、僕を見下ろしていた。


「BYEBYE。俺が死んだら、あの世で復讐にきな」


 僕も、唯一活きている眼で見返す以外、他になかった。




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