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DECEMBER  作者: 竜月
二日目 天使
22/63

二日目 (12) 猛る、そして

 まずどうにかして、ミカエルを逃がさなければならない。彼女は天使だけど今は力は使えないそうだし、あんな化け物相手では勝負にならないだろう。……まあ僕もなんだけど。

 だから僕がその時間を稼ぐ必要がある。

 その為には武器だ。

 あの凶暴な水斧に対抗出来るだけの強力な武器がいる。

 僕はゆったりとした舞を続ける小鳥遊を警戒しながら、注意深く辺りを観察する。

 木材、話にならない。触れるだけでもイカれてしまう。

 鉄管、重すぎて太すぎる。せめて鉄パイプだったなら。

 どこかの工場に押し入ればちょっとした刃物くらいはあるだろうか。いや、あっても小物が精々、後は大型の工具だろう。

 どうやら選択肢はとても少ない。大体こんな工場街で、あんな化け物相手に満足のいく武器などあろう筈もなかった。

 ならば矢張り木材だろうか。軽さと短さで懐に入って攻める。鉄管にしたところでどうせ水斧の攻撃を受け止めることなんて一度も出来っこないのだから、木でも然程変わりはない。


「…………」


 ほんの僅か視線をずらして、右の小鳥遊の立っている工場の外、彼の死角になる位置に木材が積まれているのを見る。角ばっているので持ち辛そうだが、贅沢は言ってられない。

 工業トラック用の広い道路の真ん中にいるのが悔やまれる。あそこまで目算で八メートル五十、取って構えるまで時間にして三秒から四秒掛かるだろう。

 震えるな脚。

 溺れるな体。

 臆するな心。

 ――行くしかない!


「ミカエル、僕が動いたら全力で逃げて」

「え? ちょっと待っ――」

「GO!」


 地面を蹴り飛ばして駆ける。

 辿り着くまでに相応の時間は掛かるけれど、小鳥遊の位置的には僕の姿はすぐに死角になる筈だ。跳びかかられても、その動線を遮って二回に分けてやれば間に合う筈。

 しかし、予想に反して小鳥遊は動かなかった。

 理由は解からないけれど、これならいける! と思った。

 ――いや、勘違いした。

 死角に飛び込む、その直前の刹那。

 僕は強烈に膨れ上がる殺意と、水斧を振り上げる小鳥遊と、そして自らの失敗を悟った。

 得物まであと数メートル。

 けれど獲物まであと数秒。

 耳が痛い、鼓膜を劈く金切るような音が鳴って、次の瞬間、工場上部が弾け飛んだ。


「なっ!?」


 信じられない、

 まさかただの一撃で工場を倒壊させたのか!

 ばらばらと空を踊る破片。ぐにゃりと拉げてこちらに倒れてくる工場全体。煙や埃を舞い上げて、それらはちょうど工場横に滑り込もうとしていた僕に殺到した。


「シノブ!」


 ミカエルの声が聞こえる。全く、逃げろって言ったのに。

 スロウ映像のようにゆっくりと、眼の前の景色が流れる。

 トタン。硝子。漆喰。危険なものとそうでないもの。木材。漆喰。工具。トタン。目前に迫る脅威に、防衛本能が躯を丸くしろと言う指令を全身に飛ばす。しかし――ダメだ! 防衛よりも強い生存への本能が、指令への従属を強く拒んだ。

 目前の脅威を超えて、空の向こうの脅威を透かし見る。

 鉄骨と木材の隙間、透明硝子の向こう側に。

 空を飛ぶ百獣が見えた。


「――――――」


 頭脳より先に、反射で四肢の筋肉が動きだす。

 保身より先に、反射で破片の海へ身を投げる。

 硝子が頬や服を傷付けることも厭わずに。

 数瞬後、僕がいた地面に、流星のように降って来た水斧の石突きが深々と突き刺さった。小鳥遊は水斧の上に立っていた。元々の超重量と小鳥遊の体重、そして重力を用いた乱暴な一撃は、土の地面なんて易々と爆砕した。


「うわあっ!」


 強烈な爆風が辺りの破片もろとも爆心地から僕を吹き飛ばす。

 体勢を整えられない。辺り一面真っ白で上下が解からない。無様にごろごろと転がって行った先で、僕は何か柔らかい感触に顔を埋めるように受け止められた。

 躯中に奔る痛みと鼓膜の痺れに耐えながら、埃塗れの世界で薄く眼を開く。


「大丈夫?」

「……逃げろって言ったよ?」

「ごめんね。日本語ってむつかしくて」


 埃の中でも一際眩い金色の天使は、悪戯っぽい笑みを浮かべて僕を見た。

 彼女は膝立ちになって僕を正面から受け止めてくれたらしい。一瞬、すべてひっくるめて包まれるようなあまりに優しい感覚に忘我しそうになったけれど、すぐに緊張感を取り戻して立ち上がる。

 小鳥遊は、深く刺さってしまった水斧を抜くのに悪戦苦闘していた。がしがしと頭をかきながら、墓標のようになった水斧の周りをぐるぐる回っている。

 少し時間が取れそうだ。


「今のうちにミカエルは逃げるんだ」


 僕がそう言うと、ミカエルは何故か肩を落として大きく溜息を吐いた。


「あのね、シノブ。わたしの説明聞いてた?」

「は?」

「わたしたちは契約したのよ。協力者なの。シノブはわたしのなんだったっけ?」


 それは、最初に交わしたあの不思議な言葉の話だろうか。


「えっと……、器だっけ」

「そう。そしてわたしは貴方の剣。わたしたちは二人でひとつなの」


 ミカエルはどんと胸を叩く。


「わたしが力を貸す。だからシノブはそれを使って」

「それって――」

「だらああああっ!」


 叫び声が響いて振り返る。視線の先、小鳥遊は水斧の両刃を両手で握って、頭上に掲げていた。深く埋まった水斧を無理矢理地面から引き抜いたようだ。それにしても……掴むところが酷過ぎる。

 再び肉食獣の嗤いを浮かべた小鳥遊の掌からは、鮮烈な血液が滴っていた。


「さあ、続きだ」


 水斧の柄の脈動を伝って、石突きから血が垂れる。けれど小鳥遊はそんなこと気にもかけていなかった。


「たらたらたーたらたーたー」


 上機嫌に寂しげなメロディを口ずさみながら、ぶんぶんと頭上で水斧を振り回す。強烈な風圧と、それに乗って飛ばされてきた血液が頬を叩いた。拭った手の甲が赤く染まる。

 赤。

 なんて鮮やかな。

 赤。

 麻痺させろ。

 愚鈍にしろ。

 僕は瞼の裏の叫び出しそうな自分を殺し続けている。そいつは強くて、不死身で、大きくて。

 す、と背中に手が触れた。


「――――――」

「大丈夫」


 柔らかい、てのひらの感触。

 僕は後ろを振り向けない。だから彼女とはほんの少しも眼を合せていないのに、どうしてだろう、触れあった先から彼女の慈しみが十全に伝わってきて、僕を包んだ。

 ミカエルは耳元で囁く。


「わたしを信じて。貴方は一言――って言ってくれればいい」


 大丈夫。シノブはわたしが守るから。


「行くぜ! 頼むから簡単に喰われてくれるなよ!」


 大きく膝を曲げて身を屈め、四つん這いに近い体勢になった小鳥遊は、愉快だと言うかのように嗤う。

 きりきりと張り詰める緊張。

 僕と小鳥遊の視線が交わって。

 ――ああ。

 ああなんて愉しそうな。

 血液の匂いのする笑顔。

 眼に痛い。

 羨望。

 耳に痛い。

 静寂。

 心に痛い。

 何か。


「ァアアアッ!」


 ――来る、と思って僕が身構えたその数瞬前に、彼は動いていた。

 小鳥遊の両脚に力が籠もって、地面に反発するように凶暴な兵器は放たれる。

 地面を滑るように一直線で獲物――僕の元へ。

 掲げた鋼が三日月を食して、黒い月が昇った。

 無防備な僕へ、振り下ろされる水斧。

 それでも、僕はその場を動かなかった。

 さっきまで感じていた背中の温もりはもう感じない。手のひらの感触は残っていない。けれど一人じゃない。

 やるべきことは、きっと一つ。

 言うべき言葉は、きっと一つ。

 左手の指輪に、あの温もりは宿っている――!



聖剣ミカエル!」



 黄金の光が世界に溢れた。

 食された月の代わりに、それ以上に、昏闇くらやみの街を照らしだす強烈な黄金。まるで満月が落ちてきたかのようで。

 やがて、緩やかに光が収まって。



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