二日目 (10) 代理戦争!
「さて、話の続きを聞こうかな」
一頻り笑い合って、僕たちは再び歩き始めた。
「ええと、サタンが地上へ堕ちたところまで話したよね。そのつづきから。天界はたしかにサタンを放りだしたけれど、決して見はなしたわけじゃなかった。ちゃんと保険はしてあった。また天界に被害を及ぼしては困るからね。
まず一つは、見張り。巡って来た世界が巡って行く世界になるまで、太陽がおわりそしてはじまるまで、いついかなるときでも常時三名の天使が、地上を遷ろうサタンを監視していたわ。目視じゃなくて、感覚としてだけどね」
感覚として、と言う意味が良く解からなかったが、ミカエルの話では何でも日がな一日中神殿の隅でジーッと瞑想して、地上でのサタンの動きをイメージとして見張る部署、なんてものがあったそうだ。美しく明快らしい天界で眠りもせずそんな地味な仕事を……僕なら御免こうむる。
「もう一つは、もっと直接的な方法。サタンのもつ『悪意』の概念に、言の葉で呪いをうちこんでおいたのよ」
「まじない?」
「力をもった言葉みたいなもの。相手は概念体だから直接物理的に縛ったりはできないんだけど、言霊ならほぼおなじ位相に存在するモノだし、そこそこの効果は望めるわ。だからその力を使って、サタンに“憑依の制御”と“悪魔祓い”をかけた」
「それはなに?」
「“憑依の制御”はサタンが何かにとり憑けないようにする言葉の縛りよ。これは鉄壁だし、かなりの効果があるわ。天使のなかでも群をぬいて呪いの力をもっていた天使たちが数人選抜されて、これでもかってくらい何重にもかけられたからね。
“悪魔祓い”はその名のとおり悪魔を撥ね退ける呪い。天界や地獄から地上に行くのは簡単じゃないんだけど、けっしてムリなわけじゃないからね。わたしがここにいるみたいに。だから、悪魔がサタンに易々と手をだせないようにしておいたの。
この二つの呪いがかかっていれば、理論的には悪魔とサタンは絶対に干渉出来ない。
そうそう、一応のフォローで人間もサタンに触れないように“人間祓い”の呪いもかけてあったんだけど、堕ちてから数か月で人間たちは遷ろうサタンを見つけて、人間ってかしこいわね。いくら殺してもいずれ復活する『悪意』が丁寧に天使の呪いで縛られているのに、わざわざ滅して解放するなんてことはしない方がいいだろう、ってあっという間に正解に気付いちゃったの。『悪意には触れず』。そういう統一見解が発見から数年でできあがったみたい」
そう言うコミュニケーションの素早さにはホント感心しちゃう、とミカエルは言った。
「監視はそれから七百年間以上、百年に一度監視役を交代しながらつづけられた。サタンは零体のままふわふわ漂っているばかりだったし、悪魔も何度かちょっかいだそうとしたみたいだけど、高度の呪いではじかれていたから、監視役はなにもおこらない地上をずうっとながめつづける単純作業だったわ」
「……でも何かあったんでしょ?」
だから天使が、ミカエルがここにいる。
ミカエルは重々しく頷いて、
「今から十年前、ずっと感知されつづけてきたサタンの存在が、とつぜん消えてしまったの」
「……なぜ?」
「解からない。時間経過とか魔術の類とか、何かの要因で呪いが緩んでだれかに寄生したのならたしかに反応は消えるんだけど、十年間『悪意』に因っていそうな事件は確認されていないし、じゃあ誰かが滅したのか、って言うとそんなことをする者に心当たりもなければ、復活の兆しもないし、自ら消滅を選んだのかって言えば、たんなる『悪意』でしかない概念体がそんな真似をするとも考えにくいのよ。つまり解からないの。なにが起きているのか全く解からない。なにも起こらないのもおかしい。
その沈黙が、天界はとても怖かったの」
天使。悪魔。サタン。憑依の制御。悪魔祓い。人間祓い。消えたサタン。騒がしい沈黙。そしてミカエル。
「わたしたちはそれを調べるために地上へきた」
ミカエルはそう言って長い説明を一先ず区切った。
僕はミカエルの言葉を咀嚼する。
つまり天界は地上へ放逐したサタンの様子がおかしくなったので確認にきたと言う訳だ。それ以上のことは考えても解からない。問題は解かるところだけ汲み上げて、シンプルにまとめる。
そこで幾つか引っかかった点に気付く。
「わたし……たち?」
「ええそう。いま地上にはわたしふくめ五人の天使が降りてきているわ。彼らもそれぞれ契約者をみつけているはずよ」
「五人……」
それが多いのか少ないのかは、何となく微妙なところ。
「それともう一つ疑問が。サタンの反応が消えたのは十年前なんだよね? どうして今頃になってやってきたの?」
ミカエルは思考をまとめるように、指を一本立ててくるくる回した。
「それは五人って言う人数にも関係するんだけど、天界から地上に来るって言うのはとても大変なのよ。月齢や星の配置、その他諸々の事情がたくさんからんできて、自由には行き来できないの。それで、十年前から数えて最も早く地上に来れる日がいまだったの」
「ふうん」
解からないってことが解かった。
辺りは未だ工場街。
説明しながらされながらで歩みが極端に遅かったため、まだ石楠花橋にも着いていない。大型トラックがすれ違えるように広く造られた道路の両側は、大きなシャッターを持つトタン屋根の工場がずっと続いていた。積まれた資材や何かの工具、鉄管の絡まったような機械を見ても、何の工場かは解からない。
静かな夜。
人のいない街。
獣の哭き声が聞こえた。
僕はふと眼を落として。
「ねえミカエル。もう一つ聞きたいんだけど」
「ん?」
ミカエルに左手の甲を向ける。
「この指輪、なんだっけ“誓約の宝玉”だったっけ? これをしていれば僕は天使の力が使えるんだよね?」
「うん。まあホントの天使みたいに、ってわけにはいかないんだけどね。本当の天使の力を人間が使おうとしたら、それこそ意識か肉体か狂っちゃうし。だからその“誓約の宝玉”でできるのは、羽で空を飛ぶことと、基礎身体能力のアップと、特別な武器を出すことくらい」
「武器って……なんでそんなもの」
「わたしとシノブはそんなことにならないようにするけれど――戦わなきゃいけないこともあるから」
静かな夜。
「戦うって、誰と?」
「オレとだよ――天使サマ」
獣の哭き声が聞こえた。
しゃらんと鎖の擦れる音。
「――――――ッ!?」
誰もいないと思っていた。
誰もいない筈だったのに。
心臓を掴まれたような感覚に、声のした方向、右の工場のトタン屋根の上を見上げる。
そこに、一匹の獣が座っていた。
年の頃は十三、四くらいだろうか。癖っ毛の茶髪にカーキ色のファー付きジャケット、片膝を立てて座る彼のジーンズにはパッチワークで継ぎはぎがなされていて、ウォレットチェーンがじゃらじゃらとぶら下がっていた。
彼は肉食獣のような鮮烈な笑みを浮かべて。
「オレの名前は小鳥遊真人。十四歳。性別男。身長はまだまだ伸びるから今は秘密。猛禽類に憧れる現人間だ。アンタの自己紹介はいらねえよ。殺す奴の名前はバラストにしかならねえからな」
「……なんだ、君」
声を出して、気が付いた。
喉がひりついてくっついている。声が上手く出ない。躯も強張って思うように動かない。何故? なんだこれは。なんだこれは。殺す? 誰が? 誰を?
ミカエルが叫ぶ。
「下がってシノブ!」
呆然としている僕を、ミカエルが押しやって後ろに下がらせた。彼女は僕を背中に庇ったまま、少年――小鳥遊真人を睨み付けている。
僕は喉を無理やり広げて大声で尋ねた。
「ミカエル! 彼は誰?」
「……はやすぎる」
ミカエルは答えない。
ただ、何かに焦っていることは伝わる。
小鳥遊は不満げに口を尖らせる。
「んー? あんだよ、知んねえの? しゃあねえな。んじゃあ殺す前に説明してやるから鼓膜存分に振るわせて、聞け」
薄いトタン屋根の上で立ち上がった。
その後ろに大きな三日月が見える。
まるで、夜を背負っているようだ。
「アンタが天使の契約者なら、オレは悪魔の契約者さ。『悪意』サタンと三角関係で殺し合うのがオレらの決まり事だそうだ。お互い天魔の代理人として、いざ尋常に“代理戦争”を始めようじゃねえか」