二日目 (7) 天使
『はい、そんな感じ。力まずに、りらーっくすりらーっくす。いいよいいよ』
みるみる地表が近付いて来る。
速すぎると感じた僕は少しだけ強く羽ばたいて勢いを殺すと、立ち並ぶ禿げた木々を避けながらゆるやかに着地した。
踏み締めた落ち葉と地面の感触に、心休まる。矢張り人間は大地を二本脚で歩く生き物だな、と強く感じた。空はあくまで非日常の世界なのだ。
だけど、心休まることばかりではない。最大の懸案事項が僕の背中に乗っかっている。比喩ではなく。
「さて」
『う…………』
「黙ってないで出てきなさい」
僕は腕を組んで、左手の指輪に話しかける。
暫くの沈黙の後に宝石がぱあっと光輝いて、思わずそむけた眼を戻すと、そこにミカエルは立っていた。
少し俯いて気まずそうに、ちらちらとこちらの様子を窺う彼女はさっきと同じ空色のドレス姿。この寂れた森にはそぐわない格好だ。白薔薇のコサージュは、この森唯一の花だろう。
そこで、ふと気付く。
背中に感じていた異質な気配がすっかり消え失せている。
振り返ると、先程まで威風堂々とその存在を主張していた六翼の羽がすっかりなくなっていた。まるで、純白溶け失せる初雪のように。
まるで夢と錯覚するような消失。
けれど、それが確かにそこに在った、と言うことは僕のブレザーの背中の穴が証明していた。
ますますミカエルに聞かなければならないことが増えた。
「ミカエル」
ドレスの裾をイジイジやっていたミカエルは僕の言葉にビクッと震える。
「説明して貰うよ。何で僕の背中に羽が生えたのか。あの契約は何だったのか。この指輪は何なのか。そして――、君は一体何者なのか」
「ええっと、やっぱり説明しなきゃダメ?」
「だめ。当たり前」
「わたしあんまり説明って得意じゃないんだけど」
「……説明してくれないんだったらすごいことするよ?」
「そ、それって?」
「この指輪を全力で放り投げる」
「…………」
小さくミカエルが「せ、せこい」と呟いたのを僕は見逃しはしない。
ミカエルは大きく溜め息を吐いた。
「解かったわよ。ぜんぶ説明する。でも長くなるから歩きながらにしましょう」
そう言って彼女は僕に背中を向けて歩き出した、けれど、すぐに立ち止まって振り返った。
「最後の質問だけは、いま答えておくね」
――彼女の先に黒い影の木立ちが、その先に夜空と、三日月が見える。
「――――――」
言葉を失う。
形容出来ない、解からない感情が、僕を戒めている。
清輝を背負って影を抱いた彼女は、とても美しくて、とても妖しくて、とても清らかで、とても怖くて、とても神々しくて。
だから。
きっと。
「わたしは熾天使ミカエル。“神の御前の姫君”。天界より遣わされた、運命の守護者よ」
彼女の言葉も、すんなり心に入ったのかもしれない。