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DECEMBER  作者: 竜月
二日目 天使
14/63

二日目 (4) 運命

      ☨


 運命が呼んでいる。


 駅前でいきなり篠原に罵倒されて、そしていなくなって、僕は考え込んだまま家路を辿っていた。

 まだ駅からそれほど離れていないけれど、人通りはぐっと減った。車はまだ走っているけれど、矢張りこの街はこんなもんだなと思う。店も次々ネオンを落としていた。

 そんな静かな街で、僕は考える。どうやら答えが見つかりそうにないことは解かっていたけれど、それでも、考え続けることが必要だと根拠もなく感じていた。いつか答えと、そして問いに出会えるような予感があったから。

 考えに没頭している僕の耳に、


「……いいじゃんか。ねえ」


 風に乗って、男の声が届いた。

 そちらを見ると、ビルとビルの間の路地裏で四人の人間がたむろしていた。姿は暗くてよく見えないけれど、


「遊ぼうよ。暇なんでしょ?」

「…………」


 あまりいい雰囲気ではなさそうだ。

 暫く注視していると、どうやら壁に寄り掛かる女の子を囲むように男三人が立ち、そして真ん中の男が女の子を再三に亘って誘っているようだった。女の子は囲まれていて姿は確認出来ないけれど、何も喋らない。怯えているのだろうか。

 何とかしなきゃ、と一歩踏み出して、思わず苦笑を漏らした。

 ――昼間と全く同じシチュエーションだ。もしかしたらこれが『偽善』ってやつなのかな、と思って。

 だとしたら、確かに僕は偽善者なのかもしれない。

 男たちまで後四メートル。

 その時、真ん中のサングラスの男が何も喋らない彼女に痺れを切らして、「ねえ!」と手を伸ばした。

 その手が肩に触れて。

 僕が一歩踏み出して。

 ――甲高い音が僕の耳朶を叩いた。

 僕も周りの男たちも、驚きを表情に浮かべる。

 肩に置かれた男の手を、女の子が打ち払ったのだ。それも男が顔をしかめてうずくまる程、強烈に。

 そして、呆ける僕たちを尻目に、彼女は壁から背を離して、堂々と胸を張って言い放った。


「下がれ下朗」


 綺麗な声だった。

 夜明のような。

 月夜のような。

 深遠の水面のような声。

 彼女を月明かりが照らし出す。

 そして、僕は彼女の姿を見た。


「貴様たちのような者がこの私に触れることは許さない。早々に立ち去れ。それなら今の無礼は見逃してやろう、下賤の者よ」


 彼女は街には場違いな空色のドレスを着ていた。胸の白薔薇のコサージュが暗闇の中で浮かび上がるように映える。とても繊細な金髪はさらさらと揺らぐ光のようだった。

 とても美しい人だ。

 そして僕は、気が付くと走っていた。

 ものの二秒で路地裏へ。


「うわっ」

「なんだ!?」

「キャッ!」


 一人目の男の肩を突き、うずくまる男を蹴り倒して、奥の男を右手で退ける。そして彼女の手をしっかりと掴んだ。長手袋に包まれた手は、すべすべで冷たかった。

 僕は彼女を連れて路地裏の奥へと走り出した。

 暗く細い路地裏を障害物を避けながら走る。

 もうすぐ抜ける、と言うところで後ろから「な、なんなの!?」「待てこらあ!」と、二つの声が聞こえた。僕はそのどちらにも答えずに、彼女を先へと誘ってから路地裏に積んであった段ボールの山を思いっ切り突いて崩す。狭い通路を覆うように崩れたそれは、男たちを少しくらいは足止めしてくれるだろう。

 大通りへ出て、僕はまた走り出す。

 右に行こうか左に行こうか悩んで、僕は結局右へと走り出した。左は僕の家の方向だが、人通りも少なく、それに家まで付いて来られたら面倒なことになる。再び駅前へと戻る道を駆け出した。


「ちょっと!」


 このまま駅前まで行って人の波に紛れ込めば逃げ切れるだろう。それとも今すぐまた横道に逸れた方が良いだろうか? それはそれで彼らは見失う気がするけれど、矢張り人の多い所に行こうと思った。周りに人がいる状況では、たとえ追い付かれたとしても揉め事は起こしにくいだろう。

 よし、じゃあこのまま――


「だから、ちょっと!」


 行こうとしたところで左手を強く引っ張られて、僕はがくんと動きを止めた。振り返ると、左手の先の彼女が両手で懸命に僕の手を掴んで引き止めていた。

 僕は少し荒れた息を整えながら問う。


「なに? 急がないとあいつら追って来ちゃうよ」

「そうじゃなくて! なんなのよ貴方」


 彼女はそう言って僕の手を振り払うと、腰に手を当てて怒った表情と素振りを見せた。

 初めて彼女と向き合った。彼女は僕と同じくらいの身長でとてもスタイルが良く、そしてむっとした顔でもやっぱり息を呑む程綺麗だった。ドレスは見たこともない鮮やかな空色をしていた。初めて見る色だ。群青と純白が混じり合って、時々ゆらゆらと揺らいで、風に流れているように見えた。

 僕は首を傾げた。


「なにって……どういうこと?」

「だから、貴方は何者でいきなりどういうつもりってこと!」


 言われて考える。そう言えば、已むを得なかったとは言え何も告げずに乱暴に連れ去ったのだから、彼女は僕も警戒して然るべきだった。


「ええと、僕は藤川忍。怪しい者じゃありません。君がさっきの男たちと何かトラブルみたいだったから一応助けようと思ってるんだけど」

「……ああ!」


 彼女は少し考えた後、納得したように手を打った。


「そっかそっか、助けてくれたんだ。ありがとうね、シノブ」


 彼女は笑顔で僕の手を握り締めて、上に下にぶんぶん振って感謝の言葉を述べた。僕は彼女のくるくる変わる表情に何だか圧倒されっ放しだ。


「わたしはミカエル。よろしくね」


 それを聞いて思ったことは二つ。いい名前だなってことと、外見で解かっていたけれど外国人ってのがこれではっきりした、ってことだった。どちらもどうでもいい。


「それにしても……凄い格好してるね」

「そうかな?」


 彼女はスカートの裾を摘まみながらくるりと回る。空色のドレスの裾がふわりと膨らんで、本当に青空のように見えた。こんなドレスで街中を歩いていたらそれは目立つだろう。しかも金髪で、そして美人だ。絡まれるのも無理はない。……さっきから綺麗だの美人だの、心の中でとはいえ言い過ぎて恥ずかしくなってきた。

 場を濁すために質問する。


「ミカエルさんはこんな所で何をしてるの?」

「さんなんていらないよ。わたしはね――」

「待てやこらあっ!」


 怒声に僕とミカエルは振り返る。あの三人組がこっちへ走って来ているのが見えた。サングラスの一人が他の二人に比べて足が速いらしく、突出している。

 僕はミカエルを背にして、身構えた。

 後三歩。

 かなりのスピードだ。接近してきても減速は軽微である。

 後二歩。

 両腕を伸ばしてきた。勢いそのままで掴みかかって来る気か。男に武道の心得はなさそうだ。順当な選択だろう。

 後一歩。

 袖を取って、袖釣り込み腰……いや、却下。背中にミカエルがいる。同様の理由でスピードを利用するような投げ技は全部NGだ。

 後零歩――。

 両手が目前まで迫る。そのタイミングで男が最後に踏み出した、否、踏み出すべきだった足を、足払いで刈り取った。放課後にやったことと同じだ。争わず、怪我も負わさずに無力化するにはこれ以上ない技術だ。ついでに言うと実は僕のお気に入りでもある。

 悲鳴を上げて、男は背中から地面にぶっ倒れる。その際頭だけは打たないように後頭部は手で支えてフォローしておいた。これで怪我の心配はない。


「行くよっ」

「へ? きゃあっ!」


 ミカエルの手を握って、もう一度走り出す。走りながら後ろを振り返ると、倒れた男が手を借りながら苦しそうに起き上がるところだった。まだ追い掛けて来るだろうか。

 それにしても、


「意外と根性のある不良だね」


 少し和ませようと、息を切らしながら話しかける。

 けれど、ミカエルから返答はなかった。

 疑問を感じて、僕は繋いだ手の先を振り返る。


 ――そして僕は、眼が離せなくなってしまった。


 彼女はじっと僕を見つめていた。

 喜んでいるわけでも、怒っているわけでも、哀しんでいるわけでも、楽しんでいるわけでもない。

 ただ、まるで仮面のような表情で。

 じっと僕を見つめていた。

 そして何だかそれが、少しだけ怖かったのだ。

 理性に反して感情が、その手を離そうとするほどに。


「ねえ」


 彼女が口を開く。


「どうして逃げるの?」

「え」

「貴方、もしかして格闘技とか武術とか習ってるんじゃない?」


 確かにその通り。僕は小さく頷く。

 この頃には、もう走っているとは言えない程度のスピードになっていた。


「だったら戦えばいい。倒しちゃえばいい。戦って倒して、彼らを乗り越えてこの場を去ればいいわ。貴方は彼らより強いんでしょう?」


 それは静かな恫喝に聞こえた。

 彼女は決して強い口調で言っている訳ではない。けれど、その言葉には託宣のような導きの力を感じた。まるで感情が籠もっておらず、問題文を読み上げているかのような冷徹さ。

 僕は息を呑み、そして遂には立ち止まる。

 辺りはシャッターの閉まった店の建ち並ぶ道で、この地域のこの時間としては良くあることなのだが、今は不気味と感じるほどに人通りはなかった。

 彼女に正対するには、何故か勇気が必要だった。

 彼女の突然の変貌に、思考は若干混乱していた。

 けれど――、


「どうしたの? ようやくやる気になった?」

「いいや」


 間髪入れずに否定の言葉を重ねる。

 質問への答えだけは、僕の中でクリアーだった。


「やらないよ。僕は、そんなこと、やらない」

「どうして?」

「戦って、良いことなんて本当は一つも無いんだよ」


 僕は『解かったようなこと』を言う。

 まるで世界の全てを知っているような、『解かったようなこと』を、平気で言う。

 だけど、たとえこれが理想でも妄想でも偽善でも、甘ったれの若輩者の夢物語でも、確乎たる僕の信念であることだけは強固で無垢で、確かだった。

 信念は、誰にもケチ付けさせない。


「僕の求めてきた力は、『誰かを護る為の力』だよ。『相手を倒す為の力』じゃない。だから僕はそんなことをしないんだ」

「それは単なる戯言遊び。どんな修飾布を付けたって、結局はどちらも同じ、破壊し撥ね付けることしか出来ない力でしょう?」

「違うよ。力を持っている者の、心が違う。心が違えば、それは違う力だ」


 握り合う手にぐっと力が籠もる。


「戦いは悲劇を生む。悲劇は感情を傷付ける代物だから、力では護れない。だったら、悲劇を生まないようにするのが僕に出来る最善の護り方だと思うんだ」

「じゃあ、相手が自分や大切な人を傷付けようとしていたら、貴方はどうするの?」


 それが一番難しい質問。

 僕が抱えるパラドックス。

 解かったようなつもりでも、解からない未来。

 だから。


「それはまだ解からない」


 けれど。


「誇れる自分で在りたいと思う」


 僕はそう、正直に応えた。

 ミカエルの瞳を見つめ返す。

 彼女は無表情で僕を見定める。

 その青い瞳が僕を射抜いて、


「あはははははっ!」


 大笑いした。

 …………。

 ――え?



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