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DECEMBER  作者: 竜月
二日目 天使
13/63

二日目 (3) 傲慢と悪徳


 ネオンが煌めく夜の街。

 その中でも最も輝いているのは、並ぶタクシーのヘッドライトや天気予報とCMを流す大型ヴィジョンなどが目映い狭神駅前だった。

 硝子張りのエスカレーターに改札前の幅広のコンコース、街全体を見渡せる展望フロアまであってかなり大きな造りなのだが、合流している線路は七線とそれほど多くなく、利用者も見込まれていた数には届かなかった不遇の駅だ。狭神の街にはちょっと背伸びしている印象が強い。

 それでも日が沈んだばかりの今の時間、会社帰りのサラリーマンや遊ぶ若者で駅前は賑わっていた。


 道場から帰宅している時、駅前で篠原準也を見かけた。向こうもこちらに気づいたようで、僕は片手を上げて挨拶をする。すると篠原は、信じられないものを見たように驚いて、次いで憎しみのこもった表情を浮かべた。

 どうしてそんな表情を浮かべるのか。

 その表情の意味が僕には解からない。

 篠原は周りの友達――良く見れば、放課後に出逢ったニット帽と金髪もいた――に何か一言言うと、僕の方へとやってきた。

 僕から声を掛けた。


「やあ、こんばんは」

「…………」


 篠原は制服姿のままだった。放課後に別れた後、あのまま街で遊んでいたのだろうか。


「ごめん呼び止めて。別に用事があったわけじゃないんだ」


 だからもう友人たちのところに戻ってくれていいよ。そう言外に込めたつもりだった。しかし、準也は僕を睨みつけたまま動こうとしなかった。何か用事があるのだろうかとも思ったけれど、それでいて、何か話しかけてくるわけでもない。

 僕はとりあえず黙って準也の行動を待った。

 暫くの沈黙の後、


「どうして」

「え」


 静寂を破った声は、まるで自分に問いかけるかのように小さな声だった。


「どうしてお前は、俺に話しかける」


 準也の表情は変わらない。強い視線で僕を睨んでいる。


「今日の放課後、あんなことがあったばかりだろう。なのに何故お前は」


 しかしそれとは対照的に、声は脆弱だった。薄く細く、吹けば飛びそうなタイトロープ。視覚と聴覚のイメージの差異は、僕に虚構の夜の摩天楼ナイトビルディングを幻視させた。真円の月が光り、影絵のように街は出来、スポットライトが輝くような、ハリボテの街。

 僕は普通に答えた。


「だってクラスメイトだから」


 それだけ。

 だってそうだろう。

 それ以上もそれ以下も、ある筈がなかった。話したのも今日の放課後が初めてなんだから。

 何故篠原はそんなことを聞くのか?

 ただただ不思議だった。


「…………ッ!」


 歯軋りの音が聞こえた気がした。

 僕は驚いてしまった。

 篠原の表情が、あまりに、左右非対称に歪んでいたから。


「な……なんなんだよてめえは!」


 人混みに怒声が響き渡る。多くの人がこちらに眼をやったけれど、立ち止まる人はほとんどいなかった。


「落ち着き払ってふざけた眼ぇしやがって! くそっ、気持ち悪りぃんだよ!」

[お、落ち着いて」


 近付いて、肩に置こうとした手を――強く撥ね除けられる。

 僕はその豹変にまた驚いて、絶句し数歩下がる。

 叩かれた手首の骨が、じんじんと痛んだ。

 その頃には異変に気付いた篠原の友人がこちらにやってきていた。その内の二人――金髪とニット帽は僕を見て躯を仰け反らせる。

 篠原の友人たちは事態を把握しかねているようで、篠原を見たり僕を見たり、「どうした?」と声をかけたり、混乱している様子だった。

 しかし、篠原はその全てを無視して。


「この――偽善者が!」


 周りの友人たちを振り払って身を翻すと、早足で雑踏の中へと消えて行ってしまった。「おい、準也!」友人たちは戸惑いながらも急いでその姿を追う。その友人たちも、すぐに見えなくなった。

 そして後には、僕だけが残された。

 人が行き交う道の真ん中で、僕は篠原が消えて行った方向を見つめたまま、考えていた。


 ――今日は一日に二度も偽善者と呼ばれた。

 篠原は、敵対していた痩駆の男と同じことを言った。

 だけど解からない。

 何が偽善なのか?

 誰が偽善なのか?

 善とは何を以って善なのか?

 偽とは何を以って偽なのか?


 どれだけ考えても解からない。

 答えは出ない。何せ心当たりがないのだから。

 だけど、骨の痛みはしぶとく残留している。

 心の奥に、暗い錘のようなものを感じたのは、確かだった。

 見て見ない振りは、出来そうにない。


      ☨


「くそっ、くそくそくそくそくそくそくそぉ!」


 夜の公園に、怒声と何かが倒れ散らかるような音が響いた。

 騒音の主は篠原準也。彼が罵声を吐きながら金属製のゴミ箱を蹴り飛ばしたのだ。ゴミが周囲に散乱し、中身が残っていたアルミ缶から紫色のジュースが零れる。液体は垂れて流れて、遊歩道に黒いシミを広げていく。

 近くのベンチに座って愛を語らっていたカップルが、そそくさとその場から逃げ出す。準也はその二人なんて気にもかけずに、結果空いたベンチのど真ん中に乱暴に座った。


「くそったれ」


 ポケットから煙草を取り出して、火を点け、深く吸い込む。しかし、準也の心は一向に落ち着かなかった。

 原因は、つい先程の藤川忍との邂逅。

 そもそも準也は、藤川忍と言う人間について、随分と前から計りかねていた。


      ■


 篠原準也は、祖父は文部省官僚、父は会社社長と言うエリート一家の次男坊として生まれ育った。

幼い頃からの英才教育で、勉強をやらせれば常にトップ5に入り、部活のサッカーでは原動力として県大会優勝に導き、ピアノや絵画と言った芸術方面にも長ける、そんな優秀な人間に育っていった。

 しかし、それは単に努力と時間と金の賜物であった。

 彼自身の才能は、望まれたような天才ではなかった。

 それは奇しくも、兄が証明することとなる。

 兄は、勉強は全国トップクラス、部活でも準也と同じサッカーで全国ベスト4、芸術も全般に長けたが、中でもバイオリンにはとびきり非凡な才能を発揮した。

 優秀だった父親はその才の差にすぐに気が付き、兄に自分の次を担う者として全幅の期待を寄せた。そしてそのことに、準也自身もすぐに気が付いてしまった。

 準也が非凡だったのは、ただ一つ。

 それは場の空気を読む眼。人の心を推測する眼。

 その観察眼だけは、厳しい社会で揉まれた父親にも天才の兄にも勝るものを持っていた。

 目の前の人間は何を求めているのか。

 この場ではどんな行動を取るのが相応しいのか。

 そう言ったことを、準也は幼い頃から考えながら行動していたのだ。それは彼が家族から見放されるのが怖かったから。落ちこぼれとして放逐されたくなかったから。そんな童心の必死さから身に付いた哀しい力だったのかもしれない。

 そんな素晴らしい観察眼を持ったからこそ、父の信頼が自分から離れていくのを敏感に感じ取ってしまい、深く絶望してしまったのは皮肉である。

 そうして準也はエリートコースから外れ、進学校とは言え、ただの公立の高校に入学した。

 道を外れたとは言え、英才教育を受けてきた元エリート。公立高校の中では彼は全てにおいてトップクラスだった。

 クラスの面々は皆彼を尊敬し、崇め、集った。準也もそんな彼らの気持ちを敏感に察して気を良くしながら、完璧な人気者の“演技”を披露し続けた。

 しかし、ほんの数人だけ、彼の演技で踊らない人間がいた。


 一人は、利根川悠。

 準也は暫く知らなかったが、彼は優良企業の社長の息子だった。それしちゃああの恰好は、とも思ったけれど。

 彼は準也と同じように街で遊んでいるらしいし、こちらを睨むような目線を向けられたこともあった。もしかしたら正体を把握しているのかもしれない。そう考えて、準也は自らあまり近付かないようにしていた。


 一人は、麻生奈月。

 クラスの中で男子の人気者は準也、では女子は誰かと言えば間違いなく奈月だった。

 当然準也はすぐに声をかけた。彼女と仲良くなれば自分の評価ももっと上がると思ったし、付き合う相手としては顔も性格も悪くないなとも思った。

 最初から付き合えるもんだと考えている辺り、彼は矢張り入学以来のちやほやで、相当の天狗になっていたのだろう。

 しかし、実際話しかけてみると彼女の対応はとても素っ気なかった。準也はそれを照れているもんだと判断して、より積極的に話しかけ続けたのだが――ある日。


「いい加減にしなさいお坊ちゃん」


 特別教室の片づけを二人きりでやっていた時、ちょっとしたスキンシップ、と肩に手を触れて、返ってきた言葉がそれだった。

 準也は絶句し、硬直した。

 その間に、奈月は今まで付きまとわれたことに対する文句や説教を散々ぶちまけて、あっという間に教室を出て行ってしまった。

 こんな性格の女だったのか、と。準也が自慢の観察眼で読み違えた人間は、彼女が初めてだった。

 それ以来、逃げたと思われぬように声は掛けつつも、心中では一定の距離を置いていた。


 そして最後の一人。藤川忍。

 クラスメイトだった忍に対して、準也は特に何とも思っていなかった。気付いていなかったと言ってもいい。それほど、準也はクラスの中心にいて、忍はクラスの外にいた。

 しかしある日。奈月に手酷い扱いを受けた後。

 いつでも奈月の傍にいる男は一体何なのかと気になって、奈月がいないタイミングを見計らって、準也は初めて忍に話しかけた。


「なあお前」

「ん?」


 少し眼にかかるくらいの黒髪に中背の身体、遠くから見た印象通り特に目立つ部分のない男だった。彼の驕り高ぶった精神は、自然と彼を見下げ始める。

 より深く観察しようと、忍の眼を覗き込んで。


 ――墜ちて終いそうになった。


 準也の観察眼は非凡である。

 その優秀な観察眼は、扉を開けて、表層を潜って、暗がりを舞い踊って、大地を駆け抜けて、そして忍の深層を目指す。

 どこだ。

 どれだ。

 お前の本当の姿は――。

 そしてようやく大地の終わりを見つけて、準也はその先に忍の正体があると思って飛び込んで――しかし、大地はそこで唐突に終わっていた。

 大地の突端から臨む景色は、昏闇しかなかった。

 眼下を覗き込んだ準也は、その闇に魅入られて。

 そのまま、深淵に墜ちて終いそうに――


「うわあっ!」


 声を上げて後ずさる。

 ガタガタッと後ろの机に当たったことも、それでクラス中の眼を集めていることも気にせずに、準也はらしからぬ怯えた瞳を忍に向けた。

 それは、初めての経験だった。

 今まで準也の観察眼は、ありとあらゆる感情を捉えてきた。父に向けられた諦観、兄に向けられた嫌悪、男の嫉妬、女の求愛、悠の疑念、奈月の侮蔑。

 しかし忍は。

 準也が声を掛けた時。

 黙って眼を合わせた時。

 そして今、うるさく後ずさった時。

 どれにも薄く表情を動かしはしたけれど、その本質を映す眼は、如何なる感情も映してはいなかった。

 つまり、自分のことを何とも思っていないのだ。

 空っぽ。

 空虚。

 失われた伽藍。

 そんな人間を、準也は初めて見た。


「なに?」


 忍に話しかけられても、もう準也に語る言葉はなかった。

 ――アイツはとびきり変人だ。

 準也はそう言う風に結論付けて、すぐにその場を離れた。

 けれどもそれは、恐らく得体のしれないモノへの、根元的な恐怖だったのだろう。

 プライドの高い準也は、そんなことには気付かない。


      ■


「くそ……」


 火を点けた煙草を一本吸い切る頃になっても、準也の心は波立っていた。

 ――放課後あんなふざけた真似をしておいて、更にその日のうちにもう一度のうのうと姿を見せるなんて、ナメているとしか思えない。もしかしたらわざと姿を見せて挑発してきたのかもしれない。

 準也はそんな風に感じていた。

 加えて、どちらの時も準也から先に――まるで逃げ出すように――現場からいなくなっていたことが、より一層プライドを傷付けていた。

 チリチリと何かが準也を焦がしている。

 準也は、忍が自分を見下し、嗤っている幻覚を視る。

 ――あそこを離れたのは、アイツがくだらないことばかり言うからだ!

 準也は幻視する忍に心の中で叫んだが、勿論誰にも届く筈はなかった。

 準也は幻視する。

 中学卒業の日、「好きな所へ行け」と言った父親を幻視する。

 自分を無視して通り過ぎた過日の兄を幻視する。

 おまけを見るような眼を向けた父の知り合いを幻視する。

 公立への進学を告げた時の担任の顔を幻視する。

 嫌悪の籠もった奈月の顔を幻視する。疑念の籠もった悠の顔を幻視する。

 

 そのどれもが、

 自分を指差して嗤っているように見えた――


「くそがああっ!」


 煙草を地面に叩き付ける。まだ灯っていた火が大地で弾けて、赤い火花が、暗闇に場違いな程美しく散った。

 準也は思う。

 こんなもんじゃない。

 俺はこんなもんじゃない。

 あんな屑共とは違う。

 生まれた時から違う。

 誰よりも気高い。

 誰よりも賢しい。

 誰よりも――強い。

 あいつらにそれを解からせないと、気が済まない!

 準也は知っていた。

 自らの力を知らしめる為にはどうすればいいか。

 父の姿を、よく見てきたから知っていた。


 ――力を知らしめる為には、

  矢張り力が必要なのだ。


「力……チカラだ」


 モノローグは遂には言葉になり零れ出す。

 それはとてもとても小さな声。

 暗闇すら震えない粘ついた声。

 此処は誰もいない公園だ。

 その声は誰にも届かない――その筈だった。

 しかし、



「チカラが欲しいのカ?」



 返答はあった。


「なっ!?」


 周りに誰もいないと思っていた準也は驚き、そして恥を掻いたような気がして辺りに怒声を投げかける。


「誰だこの野郎!」


 前後左右を見回すが、誰の姿も見えない。そもそも準也の周りはすぐ傍の外灯のお陰で明るかったが、夜に堕ちた公園全体は少ない外灯では照らし切れず、視界が著しく悪かった。隠れられたら見つけられない。

 準也はその闇を仇のように睨み付ける。


「何処だ。姿を見せろよ!」


 ぐるぐると回る視界。

 ぎらぎらと輝く両眼。

 誰も見つからない。

 しかし、そんな彼に再び声がかかり、


「こっちだヨ」


 その声は頭上から聞こえた。

 準也が見上げた、その先に。

 果たして、姿はあった。

 ――影。

 準也は最初そうとしか見えなかった。なぜならその人物は唯一光の届かない外灯の上に立っていたから。三日月を躯で隠してしまっていたことも、その理由に当たる。

 だがすぐに眼が慣れて、準也は、その異形を視認した。

 ――ソレは、外灯の上にしゃがみ込んでいた。

 顔半分を覆い隠すように分厚い前髪が垂れて、その髪は鉛のようなくすんだ色をしていた。覗く片方の顔は痩せ細り頬骨が浮き出ていて、眼はらんらんと輝き、唇は大きく裂けている。手脚も不自然に長いようで、しゃがんでいるソレはどう見ても四肢を持て余していた。

 躯は真っ黒。黒い塊のようにしか準也には見えなかったので服装は解からなかったけれど、ジャラジャラと全身に鎖が巻き付いているのは見えた。

 そして。そしてだ。

 どうしても眼を逸らせない事実。

 それを準也は見る。

 見たくなくても、視てしまう。

 ソレは、全長四メートルはありそうな、一対の黒い羽を背負っていた。


「う、うわああああっ!」


 悲鳴を上げて、尻餅をつく。準也は怯えた瞳でソレを見上げながら、懸命に後ずさる。


「オ? まあ待てヨ」


 ソレは外灯から飛び降りて、準也を跨ぐように着地した。


「ひっ!」


 準也は息を呑み、蛇に睨まれた蛙よろしく動けなくなってしまった。

 ソレはぐっと躯を前に倒すと、自分の貌をくっつくほどに準也の顔に近付けて、そして囁いた。


「ハナシくらい聞いていってくれヨ? 寂しいじゃないカ」


 そして、続ける。


「オレの名は悪魔ベリアル。“反基督アンチキリスト”。オマエがオレに協力してくれれバ、オレはオマエの望みを叶えることが出来ると思うゼ? 秩序を壊す形デ」


 キシキシキシキシッ!

 ベリアル、と名乗ったソレは、鋼を擦り合わせたような耳障りな声で笑った。

 準也の視界にはベリアルの貌。そして三日月。そしてひらひらと舞う黒い羽根。

 準也は、震える唇で、震える声を紡いだ。


「オ、オマエは……何だ?」


 べリアルは口を大きく裂いて嗤って――


「オレは―――」


      ☨



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