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DECEMBER  作者: 竜月
二日目 天使
11/63

二日目 (1) 偽善と偽悪

      ☨


ココロは硝子に似ている

彼の者はうたうように脆く、ねむるように幼い

垂れた一滴の血液で、その運命を滲ませる

では、此処で問う

其れは、不必要と云う結論に帰結するだろうか

――答えは勿論、否である


      ☨

 

     2



 放課後。

 昨日と同じように悠はバンド活動、奈月は弓道部に行き、僕も用事があるので帰り支度をして昇降口に向かっていた。まだ授業が終わったばかりで、通り過ぎながら横目で見る教室には多くの生徒たちが残っていた。窓から望む校庭にも部活動に打ち込む生徒たちが見える。寒空の中、情熱の青春とでも言おうか。何かに熱中出来ると言うことはそれだけで一定の尊敬に値すると僕は思う。

 下駄箱で靴を取り出し、暖かい室内から寒空の下に出た。小さく震えて身を縮める。


「ん?」


 その時、視界の端の生徒たちが眼に留まった。

 遠くから見ても解かるような派手な色の頭をした生徒が一人と、他にも何人かが、体育棟の裏へと入って行った。

 ――特別なことではないけれど、何かが気に掛かった。

 僕は足の向きを変えた。



「おい、黙ってんじゃねえぞ!」


 林を抜けながら後を追いかけて、僕はそんな声を聞いた。声のした方に近付いて林の影から覗き見る。木々の向こう、体育棟の壁際に四人の男の姿が見えた。


「だからさ、とーっても貧乏で可哀相な僕たちに少し援助をしてくれって言ってるだけじゃないの」


 今、気持ち悪いくらいの猫撫で声を発したのがニット帽の男。その前に怒鳴ったのが見るも鮮やかな金髪の男だった。どちらも壁に手を付いて、その真ん中にいる誰かを囲んでいる。その誰かは金髪の男に隠れて詳しくは見えなかった。制服から、男であることは窺える。


「まあまあ。そんなに大きな声を出しちゃ、優等生くんが怯えちゃってるじゃないか」


 そしてもう一人。独りだけ三人から少し離れた、まるで指揮者のような位置に男がいた。

 えーと、名前は……そう、篠原準也だ。

 茶色の長髪に指に光るアクセサリー。しかし、教室で見た人の良い笑顔とは全く違う、弱者をいたぶる嗜虐の笑みを浮かべていた。

 なるほど。あれが悠の言っていた、篠原の「本当の顔」か。

 準也は三人に近づく。


「悪い悪い。コイツすっげえ短気でさあ、ちょっとしたことですぐキレちゃうんだよね。もし次キレちゃったら俺でも止められないかも」


 準也は金髪の男を見やる。金髪の男はニヤニヤと笑いながらポケットから刃物を取り出して、見せびらかすように掲げた。

 ……刃物か。少し、対策が必要かな。

 僕はポケットからある物を取り出す。

 囲まれている男の右腕が、震える左腕を押さえるのが見えた。

 準也も目敏くそれに気づき、口の端を吊り上げる。


「素直に財布だけ渡してくれれば、コイツも気を鎮めるだろうしさ。だからほら……おい、なんだよその眼は」


 準也が更に男たちに近付く。

 ――そろそろ行くか。

 僕が林から身を乗り出そうとした――その時。

 囲まれていた男が、自ら一歩前に踏み出した。

 僕の瞳が、初めてその姿全てを捉える。

 夜のような黒髪に静謐な瞳、身長はそれほど高くはなかったがその躯は鍛え上げた一振りの日本刀のような痩躯だった。

 彼は眼の前の人間もナイフも恐れていない。一目でそう感じた。先ず纏っている空気が違う。ちょうど知り合いに、これに近い空気を持った人がいる。彼は強く気高いが、男の纏う空気はより一層冷たく刺々しかった。


「贋者が」


 痩躯の男はそう言った。

 男たちに空白の思考が流れる。人間、予想していなかった言動や事態には、それが予想外であればあるだけ思考も行動も停止するものだ。


「疾うに飽いた。消え失せろ屑」


 痩躯の男はその空白に言葉を差し込む。

 その声、矢張り怯えてなんていなかった。威風堂々と、腕を組んで背後の壁に寄り掛かる。

 その姿に、男たちが黙っている筈がなかった。


「あぁ!? なに言ってんだテメェ」

「調子にノってくれちゃってるじゃないの」


 一触即発の空気。

 二人は許可を求めるように篠原を見る。

 篠原は愉しげに表情を歪めて、


「……やっちゃえよ」


 軽く手で合図をした。

 男たちが待ってましたと獰猛に笑う。

 篠原は横目でつまらなそうに見やる。

 痩躯の男がポケットに両手を入れる。

 こんな風にひりついた空気は苦手だ。

 だから、


「あっれえ?」


 彼らに背を向けて、間抜けな大声を上げて立ち上がった。


「―――っ!?」


 驚いた表情でこちらを振り返る男たち。否、痩躯の男だけはまるで知っていたかのように静かにこちらに視線をよこした。

 僕は視線を意識しながら、気付かない振りで男たちに近付いて行く。このまま何かを探す振りでもしつつ、程よき所で気付いて見せようと思っていたのだが、


「おい」


 向こうから声を掛けられたのなら仕方ないか。

 僕に声を掛けたのは篠原だった。金髪とニット帽をそのままに、篠原だけが僕に近付いて来る。他二人は痩躯の男を隠すように僕の視界を遮った。成程、篠原がいち早く声を掛けた上にわざわざ近付いてきたのは現場とあの男に近づけさせない為か。雰囲気でどんなことが行われていたのか察せられない為に。


「藤川。こんな所に何の用だい」


 その表情や口調は、先程までのものとは違い教室で見たソレに近い。爽やかで、気障だった。


「ああ。実は昼に此処に来たんだけど、さっき財布を失くしたことに気が付いて。もしかしたら此処じゃないかと思って探しているんだ」


 僕は嘘が大の得意だ。

 相手を意識的に騙そうと思って露見したことは只の一度もない。

 篠原は一瞬怪訝そうに眉を寄せたものの――それだけでも僕としては驚いた――納得したのか明るい表情を見せた。


「災難だね。でもここらへんで財布は見なかったと思うよ」

「そっか……何処いっちゃったのかなぁ。ところで、篠原たちはこんな所で何を?」


 現状に気付いている素振りなんておくびにも出さない。ただ何となく聞いてみた、と言う態度で質問する。

 これで多少揺さぶってみようと思ったのだが、


「んー? わ・る・いことだよ」


 篠原は一切の動揺を見せず、冗談めかして言い放った。

 ――こいつめ。抜け抜けと。

 僕は慎重に発言を考えて、


「……そう。それじゃ、さっきのは聞き間違いじゃなかったんだね」

「え?」

「財布を出せとかどうとか、さ」

「…………」


 篠原の表情が変わる。

 どうやら後ろの男たちにも聞こえたらしい。顔を見合せて、次にこちらを見た時にはナイフみたいな眼になっていた。


「……ふうん」


 一瞬表情を強張らせた篠原だったが、すぐに余裕の笑みを浮かべると両手を大きく広げた。


「それで? 俺たちがもしもそんなことをしていたとして、藤川はどうするって言うんだい? 教師にチクる? 尻尾巻いて逃げる? それとも俺たちを倒してアイツを助けるって? ハッ、美しい正義感だね。けれどダメさ。どれも許さない。お前は今ここで喋る気が無くなるまで痛めつけて――」

「喋り過ぎると底が知れるよ」


 篠原の表情が歪む。


「この野郎っ!」


 上がった大声に反応して視線をずらす。僕の挑発に、金髪の男が憤怒の表情で走って来るのが見えた。これも聞こえてたのか。耳が良い。まだ。まだ距離は遠い。大量の思考を巡らせる時間がある。

 同じように声に反応した篠原は、すっとその場を退いて金髪の男に場所を空けた。嗤っている。

 足元、上空、周囲に障害物はなし。此処にいる者以外の声は聞こえない。先程の対策は間に合わないようだ。

 ニット帽の男に動く様子はなし。嗤っている。

 痩躯の男に動く様子はなし。無表情。

 十八もの思考の末に、やっと金髪が射程まで辿り着く。

 特に構えることはしない。

 金髪が走りながら右拳を振りかぶる。

 あれを何処にぶつけるつもりだろう――顔――腹――顔と判断。


「おらぁっ!」


 正解。

 躯ごと左――金髪の男の躯の外側へと避け第二撃を遅らせて、再び距離を取る。


「チッ!」


 金髪はまた走って来る。

 右拳から上腕にかけて力が籠もるのを確認。先程と同じ攻撃? ――同じと判断。

 正解。

 右拳が振りかぶられる。

 この攻撃は二度目だ。

 一度目から、容易に位置を予測出来る。

 目測。

 行動。


「おら――っお?」


 金髪の男が最後に着く左足。その足が地面に着くギリギリで、僕の右足がそっとそれを払った。

 空振りするエネルギーは行き場をなくして。


「がっ!」


 金髪の男は倒れて強かに背中を地面に打ち付けた。苦しそうに呻いているがそこまでのダメージはないだろう。きっとすぐに起き上がって来る。

 追い打ち――それは否。

 僕は、誰かを助ける為にいるんだから。

 視線を巡らせる。

 篠原は茫然としていた。痩躯の男は静かに見ていた。ニット帽の男はポケットからナイフを取り出して、こちらに走ってきた。

 次はこっちか。しかも学校で凶器とは。

 射程まで接近、右手に握ったナイフが僕の胸目掛けて突き出される。――しかし不思議だ。彼は自分の行為が齎しかねない結果に覚悟があるんだろうか? そんな関係ない思考が一瞬巡る。

 さっきと同じように腕の外側、左側へぐるりと回転しながら回避し、ニット帽の男と背中を合わせるように同じ方向を向いて手首を取る。

 その手首を掴んでほんの少し前に押し出して態勢を崩させ――一気にしゃがみ込んだ!


「え――うわあっ!」


 ニット帽の男は前につんのめる。最後にフォローを加えて一回転させて地面に倒した。

 危険なので最中にナイフだけは取り上げておいた。刺さりでもしたら一大事だってのに、こんなもの持ち出すな。


「てめえ――」


 歯噛みしながら起き上がる二人。先程よりも遥かにギラついた瞳でこちらを睨んでいる。

 困った、余計にヒリついた空気になってしまっている。

 僕はナイフの刃をしまいながら思考。男たちを警戒しつつ、背後に耳を澄ませた。

 眼の良さと耳の良さにも自信がある。だから解かった。

 ……どうやら対策が間に合ったようだ。


「篠原」


 無言で返される。

 構わない。

 こちらは言うべきことを言うだけだ。


「このことは黙っておくから。もう行ってくれないか」

「…………なんだって?」

「だから、」


 ――おおい、どこー? 忍ーっ!


「早くこの場を離れろ、って言っているんだよ」


 奈月の声が聞こえた。僕の背後、まだ遠く木々に隠れて見えない所から。しかし、その声は徐々に大きさを増して近付いてくる。


「こんな場面と、それにこんなもの見られたらまずいんじゃないか」


 取り上げたナイフをひらひらと振ってみせる。


「お、おい!」

「ヤバいじゃないの」


 焦る金髪とニット帽の男たち。すぐに身を翻して逆方向へ逃げ始めた――が、途中で揃って立ち止まった。

 なぜなら、


「準也! 早くしろって」


 篠原が動こうとしなかったから。


「…………」


 仲間の呼び掛けにも篠原は沈黙を保ったまま、僕の顔をじっと憎悪の瞳で見ている。小さく舌打ち、揺れた長髪が片目を隠す。


「覚えてろよ……!」


 そんな捨て台詞を残して、背中を向けた篠原は仲間と共に木々の向こうへ消えて行った。何だか、ノスタルジーさえ感じる言葉だな、と場違いな苦笑を洩らす。

 そして、僕と痩躯の男が残された。

 奈月を呼ぶ前に少し話をしておこうと、僕は彼に近付いた。


「大丈夫ですか?」

「…………」


 彼は体育館の壁に寄り掛かったまま、静かに俯いている。両手はポケットに入ったままだ。

 黙ったまま返事を返してくれない。もしかして篠原の言葉通り、少しは動揺していたのだろうか。怖がっていたとか怯えていたとかは無いと思うけれど……。

 彼が顔を上げた。

 改めて彼と向かい合う――



 その瞬間、怖気立った。



 否。否。否。否。否。否定。否定したい。否定したい。否定したい。コレ。コレはいけない。コレは存在してはならない。コレは許してはならない。否定。否定。否定。もしも。それが叶わないのならば――いっそ


「偽善者」

「―――ッ!?」


 夢から醒めるように、思考の海から引きずり出された。

 眼の前には痩躯の男。辺りは校舎裏の森の中。

 風景は何も変わっていない。

 一体、何が起きたのか。

 さっきまでの意識は何だったのか。彼の言葉で打ち消されたそれらは、今では何を考えていたのかも、何処から湧き出でたものなのかも解からない。掴むことの出来ない霧のよう。最早不可解しか残っていなかった。

 それよりも――そう。今彼は何と言ったか。


「何だって?」

「偽善者と言ったんだ贋者め」


 静かだった彼の瞳から、何がしかの感情の迸りが見えた。


「押し付けの偽善を振り撒いて自己満足か贋者。愚かしいを通り越して嘆かわしい。それに自分で気付いていないのが更に酷い」


 やおら彼は壁から背を離し、篠原たちが消えて行った森の方へ歩いて行く。僕は、掛ける言葉も見つからずただそれを見送る。

 森の手前で彼は立ち止り、背中を向けたまま言葉を並べた。


「お前が偽善を旨とするのなら、俺は偽悪を旨としよう。そしてお前の偽善を否定する。――さようなら偽善者。またいつか、逢わないことを希う」


 そして、彼は姿を消した。

 と同時に、奈月が現れる。


「あ、いた。もう返事しなさいよ」


 文句を言う奈月は袴姿にポニーテールで、どうやら弓道部の練習中に抜けて来てくれたようだった。

 携帯片手に隣にやってくる。


「それで? この『緊急事態』ってお騒がせなメールはなんなの。先生と来てって書いてあったけれど、近くにいなかったから私しかいないわよ? ……って、ちょっと忍! なにぼうっとしてるの」

「ん? ああ、ごめん」


 全く、と怒る奈月の声を聞きながら、僕の瞳は痩躯の男が消えて行った方をじっと見ていた。

 彼の言葉の意味を考えながら。




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