ラノベ文学論争
私がなろうに投稿したてのとき、一更新につき10~20PVぐらいだったのに、PVが100近くついていて恐怖。
論説文じゃないのでマジレスはしないでください。
Q.ラノベ文学論争って何ですか?
A.私が今考えた言葉です。
攻撃側「ラノベは低俗な読み物」「最近のラノベは質が低下している」「なろうはテンプレチーレムで小説の質を低下させている」
防御側「源氏物語だって平安時代は今のラノベ的な立ち位置だったから」「質がどうこうというかお前の好き嫌いだけ」
みたいな論争です。
攻撃側は小説に統一的な物差しで「質」や「高低」があるかのような物言いをし、防御側は「そんなのねえよ(時代や好みによって移り変わる)」みたいな主張する論争のことを何となく名付けました。
この論争をちょっと見たから書くのですが、面倒くさいので「ラノベ」「一般文芸」「文学」の定義はしません。大体、
ラノベ=萌えイラストがついてる
文学=文豪とかが書いたやつ
一般文芸=上以外
ぐらいの意味で使います。最近はラノベと一般文芸の境界が曖昧になっているとかありますが、その辺は今回触れません。
まず防御側の主張なんですが、「昔は違う価値観だった」「流行は移り変わる」的な意見を聞くと「多分攻撃側はそういうことを聞きたいんじゃないんだろうな」て思うんですよ。攻撃側はおそらく「今」目の前で『質の低い』小説が溢れているのに文句があるのであって、昔がどうとかそう言う答えを聞きたい訳ではないと思うんです。
ではようやく私の意見を述べます。ざっくり言えば
文学→高級和菓子(別に洋菓子でもいい)
一般文芸→ハーゲンダッツ
ラノベ→ポテトチップス
なろう→砂糖
ぐらいだと思ってます。高級和菓子のラノベとかもあるにはあると思うんですが、それぞれ平均だと思ってください。
何が言いたいかというと、店頭に並んでいるポテトチップスを見て「最近のお菓子は劣化している」とケチをつけるのはどうかということです。ただ、「ポテトチップスと高級和菓子なんて好み以外に差はないから」とまで言われると「さすがにそれは違くない?」と思います。
ちなみに私はポテトチップス好きです。
ところでこの例え、それぞれの値段というのが「価値」に対応していると思っています。私の好き嫌い以外に何かそれぞれの価値を決める尺度があるのか。ポテトチップスと高級和菓子の差は何か。
これは厳密な評論ではないということを思い出しつつこの先を読んで欲しいです。
文字が読める日本人を過去から現在まで無作為に100人選んだとします。そいつらに文学の中から無作為に選んだ一冊と、一般文芸から無作為に選んだ一冊と、ラノベから無作為に選んだ一冊と、なろう小説(書籍化されているもののみ)から無作為に選んだ一冊をそれぞれ読ませていきます。で、その四冊の中で一番「救われた」と感じる小説を選んでもらいます(最近の私「救う」「救われる」て言葉好きだな)。
そうするとおそらく、
文学>一般文芸>ラノベ>なろう
になると私は思うんですよね。左の方が普遍性が高いのかなあと。
まあ、「そもそも”救われた”ていうのが個人ごとによって解釈が違う」「完全無作為に選ぶということは人口が多い現代人がほとんどになるのでは」「現代の文章を平安時代の人が読めるのか」「そもそもそれはお前がそう思っているだけでそうなるという確証はない」など反論は色々思いつくんですけどね。