冴えない陰キャボッチ系主人公を救う ”ボッチ主人公のジレンマ”
久しぶりに更新します。別に読まれたい訳ではないけど文章にして気持ちを整理したくなったので更新します。
先日別のエッセイを書いていて思ったことなんですが、主人公が救われて自分も救われる気分にならないんです。
なろうでは特に冴えない主人公が転生してチートを得てハーレムしたり、追放された後ざまあしたり、陰キャボッチでも学園のアイドル系ヒロインにモテたりと色んな主人公の救済パターンがあります。
おそらく正しい読み方としては主人公に自己投影して一緒に救われたり、もしくはクソみたいな奴にざまあしたりすることなんですが、個人的にあまり救われた気分にならなかったので何でだろうと思いまして。
最初は単に人物描写が浅いからとか展開が唐突だからとか思ったんですが、色々考えてみると結局好みの問題に行きつきまして。私は自己評価が低いタイプの人間なので、別に周囲の人間に復讐したいとか、持ち上げられたいとかは思ってないんですよ。そのため、主人公が他登場人物に賞賛を受けても私自身は特に嬉しくないです(物語の展開としてカタルシスを得ることはありますが)。
では私のような人(そもそも似たような人がいるのか不明ですが)はどうやったら救われるのかというと、ダメなところとか醜いところを肯定して欲しいんです。主人公のいいところを好きになってくれるヒロインはいても、だめなところを受け入れてくれるヒロインはあんまりいません。
私が言うだめなところを受け入れるというのは、「主人公君陰キャだけどいいところあるから好きだよ」ではなく「主人公君陰キャでいいところもないけど一緒にいよう」ということです。それだけ聞くと探したらいそうですが。
ですがそれをクリアしても次のジレンマがあります。いわゆる”ボッチ主人公のジレンマ”です(今名付けた)。ボッチ主人公に自己投影して読んでいて、主人公に仲のいい(もしくは恋人の)女友達が出来た瞬間、そいつはボッチでなくなるため自己投影が解除されるというジレンマです。そんなの気にしないという人も、「僕は友達が少ない」を読んでいて「主人公リア充じゃん」と思う人もいるでしょう。
この現象と「マイナーバンドを応援していたらメジャーになったのでなんか醒めた」という現象には関係があるのかもしれません。一般的にそういうファンは「所詮にわかだった」「バンドを自分のものと勘違いしている厄介」と思われがちですが私は結構その気持ちは分かります。
そんな訳で、「不遇陰キャボッチ系主人公が特に救われないけどヒロインだけは側にいてくれるものの恋人や友人といったリア充的な関係にはならない」という小説が読みたいです。
ちなみに自分で書こうとして失敗したのが「苦しまずに死ねる薬」だったりします。何で失敗だったかというと、薬回収のために救うというのが真の救いではない、という問題です。救う、ていう表現がまずくて、側にいてくれるヒロインは上から主人公を救うのではなく同じ位置まで降りてきて欲しいんですよね。
もしかしたら今後書くかもしれないですが、そこまでピンポイントな作品だと書くのに成功しても誰も読まないんだろうなという気はします。