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過程の正しさと結果の正しさ

過程が間違っていても正しい結果が得られることがある。

正しい手順を踏んでも悪い結果になってしまうことがある。


そう言われると誰でも「それくらい分かってる」と思うのではないでしょうか。

もしかしたら「結果が悪ければ方法も正しくない」と思う方や「結果が正しければ何をやってもいい」と思う方もいるかもしれませんが。


ちなみにここで言う「正しさ」は功利主義的な正しさではなく義務論的な正しさだと思ってください(功利主義も義務論もよく分かっていないが一回言ってみたかった)。

例えるなら目の前で野良猫が弱っていたらとりあえず助けるみたいな正しさです。


何で突然こんなことを言いだしたのかというと、だいぶ前にバイトしていたときにバイト先であった出来事が少しだけわだかまっているからです。


そこでは十人ぐらいの人が働いていたのですが、私と新人(当時)以外は仲が良かったんです。私は陰キャなので最低限の人間関係でやっていました。が、新しく入った方がどうも他の方と揉めているようで、私はその人と特にかかわりもなかったので放置していました。ただ、だんだんエスカレートしてきてもう誰かやめないと収拾がつかない事態になったようです。というか下手すれば全員やめるかもしれない。


そこで店長がその新人をやめさせたらしいのです。一応「問題行動を注意したら結果辞めた」という体裁だったのですが、状況的に考えて99%やめさせたと思っています。私はその新人がどのくらい問題だったのか分かりませんが、本当にやめさせるほどやばかったのかは今でもよく分かりません。正直、他の人たちが辞めそうだったから店長が問題を収拾するために辞めさせたのではないかと思っています。


そんなことがあって、その結果、他の人たちはまたうまくやっていて、店はうまくいっていました。簡単に言うと、人を辞めさせるというあまり良くないことが行われたのに職場の雰囲気は良くなるといういい結果になったということです。いや、私が知らないだけでその人が辞めさせられて当然レベルのやべえ奴だった可能性も否定出来ませんが。


どっちかって言うと逆の話の方がありがちですよね。良かれと思ってしたことが結果的に悪くなったとか。野良猫にえさをやってはいけないとか。


個人的には結果の正しさを重視すれば隠蔽や悪事が横行するし、過程の正しさを重視すればはた迷惑な正義が横行すると思っています。


過程の正しさと結果の正しさが別にあることを知ったらどうすべきか。結果が正しくても過程が正しかったと妄信しないということが重要なのではないかと思います。


眠い。何かすごいことを思いついたような気がして書き始めたけど、すごい普通の内容になっていました。この流れからすごい価値ある結論に持っていくのは難しそうなので諦めます。

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