“属性”と“人格” ~「キャラが立っている」の“キャラ”とは~
読書感想文以外も書くぞ……
今回は小説の感想や批評でよく見る、「キャラが立っている」という言葉の「キャラ」が何なのかについて。
まず、めっちゃ極端な例について考えてみます。以下のような小説があったとしてキャラが立っていると言えるでしょうか。
ストーリー:異世界転生してきた主人公は圧倒的なチート魔法で魔物を倒し、ヒロインたちを救っていく。
ヒロインA:最初の村で会う村娘。薬草を採っていたところをゴブリンに襲われ、主人公に助けられる。惚れる。
口癖は「~なのです」。主人公に献身的に尽くす。
ヒロインB:魔物討伐に来た騎士。最初は主人公を怪しんで決闘を挑むが圧倒的な力の差に敗れる。主人公がヒロインAを助けたことを知って惚れる。
口癖は「~のだ」。勝気でしばしば主人公に突っかかる。ツンデレ。
これ五分で考えたんですが、いかがでしょうか。正直本文を読まないと何とも言えない、という答えが多いのではないでしょうか。
それはこのAとBには「属性」は設定されていても「人格」は設定されていないからです。
ではAさんに人格を付与してみます(←すごいマッドサイエンティストみたいな台詞ですね)。
ヒロインA:幼いころに薬草を採りにいった母親が魔物に襲われて死んだ。その日、母親が出かける前に喧嘩しており、最後に言った言葉が「お母さんの馬鹿」だったことをとても悔やんでいる。そのため、大切だと思う人物には出来るだけ好意を表そうと考えている。
Bさんだと騎士としての責任感が強く、どこの誰か分からない主人公よりも自分が村人を守るべきという責任感はあるが、主人公の方が強くて葛藤を抱いている、とかでしょうか。
超雑設定ですが、ここまで来るとAさんには人格があると言えるのではないでしょうか。結局こういう設定があっても本文で生かされなければ意味がないのですが。
逆にきちんとした人格の設定があったとしても、登場人物の一人称と口調としゃべり方が全員一緒だと誰がどの台詞をしゃべっているか分からないみたいなこともあるので、属性も大事でしょう。
と言う訳で、キャラクターの設定を作る際は「人格」と「属性」の両方を意識しようという話でした。
雑記のつもりだったけど思いのほかいいことを書いた気もする。