14話
月曜の朝、南條蓮はトレーニングセンターへ送致されることになっていた。迎えのアイロウ職員が到着するのを待つ間、須藤は蓮と話をしていた。
対策室の休憩スペース。職員が昼食を取ったりするための場所だ。たまに応接室としても利用されたりしている。
長机2つに椅子が8脚。それだけで部屋はいっぱいになっているが、大きな窓があるおかげで圧迫感はない。
職員たちの不安そうな視線を意に介さず、須藤が蓮をここへ連れてきたのは、宿泊施設の部屋より開放感があるこの部屋の方が蓮を落ち着かせると思ったからだった。
「ああ、ありがとう」
お茶を運んできたアイに須藤はいつも通り、眩しい笑顔を見せる。
憮然とした表情のまま、蓮は椅子に座っていた。
『不安定な』状態のウィンガーに近づくことに及び腰になる事務員たちを見て、ちょっとイラついたアイがお茶出しを自ら買って出たことを須藤は知る由もなかったが、驚いた様子も見せなかった。
「彼女さ、何人か登録されたウィンガーを知っているんだよ」
アイを差しながら、蓮に向かってあっさりとそんなことを言うので、ちょっとドキリとした。
蓮が顔を上げてアイを見る。幼さの残る顔立ちに、憔悴の色が見えた。
どう応じたらいいか分からず、軽く頭を下げて出て行こうとした時、
「冷たいヤツがいいんだけど」
ぶっきらぼうな声で蓮が言い放った。
「は?水くらいしかありませんが?」
その言い方にカチンときて、思わずキツイ口調で言い返してからハッとした。須藤の前だ。
ふと、蓮の口元が緩んだように見えた。
「あんた…ウィンガーと付き合ってたの?」
明らかに人を小バカにした口調。だが、それでいて何か無理をしているような顔つきに気付いて、アイは感情的にならずに済んだ。
自分に気を引きたくて、わざと乱暴な言葉を使う子供を思わせる。
思わず須藤に目を向けると、彼は静かに頷いた。アイの好きなように答えていいということらしい。
「付き合ってませんよ。よくうちに遊びに来てた人とその友達とか、私の同級生とか…今でもいい友達ですから」
出来るだけ穏やかに返したつもりだが、後半は嘘だ。遊びに来ていた兄の同級生達は今は海人とも連絡をとっていないし、アイの同級生だった不動典光とは高校で再会したものの、アイが高校を退学して以来、会っていない。知っているウィンガーが女性ともとれるような言い方をしたのもわざとだ。
微かに後ろめたい気持ちはあるが、兄のことを含めて、自分のことはなるべく話したくないという思いの方が強かった。
「友達なんだ」
だから、蓮にそう確認されて、ちょっとギクリとする。
「友達ですよ」
平静を装って答えた。
「ふうん、殺されそうになったこととかないの?」
さらりと発せられたのは、予想外の質問だった。何を聞かれたのか理解するために、頭の中で何度も蓮の言葉を繰り返す。
「え…なんで?」
ほぼ無意識に、質問に質問で返していた。
「翼、見たことないの?」
「何回もあるけど…それでヤバそうなことになったこともないし。いつも…綺麗だなって、思って見てたけど」
今度は蓮が意表を突かれた顔になる。
クスクスと須藤が笑い出した。
「ああ、ごめん。なんか…その言い方、嬉しいね」
最初にアイを、それから同意を求めるように蓮を見ながら須藤は言った。
「君、お母さんにしか翼は見せてないんだっけ?」
蓮はまだキョトンとしている。その表情はあどけない少年のものだった。
「うん、あ、牧師さんにも一回見られた。すっごい怯えてるように見えたのに、自分もウィンガーとかって、ふざけんなよ…」
「案外、同級生なんかに見せてたら、みんな喜んだかもな。中学生とかって、そういうのに憧れてる子、結構いるんじゃない?」
「中学生、そこまでアホじゃねえって。びびって騒ぐに決まってるだろ」
言葉遣いはひどいが、蓮はそれほど須藤に反感を持っている様子はなかった。
椅子から立ち上がったりすることもなく、口の端に微かに笑みさえ見える。
「高校生くらいでも…見せてくれって騒いでる男子、いましたよ。怖がるどころか、興味津々で」
アイが口を挟むと、蓮の目が大きくなった。途端に愛くるしい顔立ちになった少年に思わずアイは笑ってしまう。
「悪い印象ばっか吹き込まれてたんじゃない?僕もウィンガーだけどさ、そう悪いヤツに見える?」
「いや…悪いとか、そんなのには見えない…けど…チャラいヤツには見える」
思わずアイは息を飲んだ。須藤にそんなことを言う人間はここでは見たことない。
当の須藤はおかしくさを堪えている様子がありありだった。
「マジか。いたって真面目な大人なんだけどな。これでも後に続くウィンガーのために体はって仕事してるんだ」
体をはって、というところで蓮の瞳が須藤の右腕をとらえ、それから床を這った。
須藤としては噛み付かれたことを根に持った言葉ではなかったのだろうが、
「…噛み付いたのは…ごめんなさい。よく…覚えてないけど」
風船が萎むように、今までの生意気な様子がかすみ、ボソボソと蓮は言った。視線は合わないが、それは今までで一番、蓮の本心が感じられた言葉だった。
「ああ、気にしてくれてたんだ。大丈夫、傷の治りは早いんだ。ウィンガーだからね」
「え、そうなの?」
「そうなんですか?」
アイと蓮は同時にそう言って顔を見合わせる。
「あ、やっぱり知らないか。1、2年前に論文出たんだよ。昔から言われてたことなんだけど、ずっと噂の域を出ない話でね。それをちゃんと研究した人がいて、やっと公式見解として認められた。ウィンガーは新陳代謝がよくて、病気に対する抵抗力も強いです、と」
本人達は気付いていないが、同じ表情で頷きながら聞いている若者2人が、須藤には可愛らしく思えた。
「そういえば…そうですね。風邪ひいたとか聞いたこと、ないかも」
思い出すようにしながら、アイが呟く。
「ね?こういう情報も、登録者の方が入りやすい。国際的にパイプができてるんだから。僕はアイロウに関わる仕事をしているから余計にだけど、知識は大事だよ。それも正しい知識、ね。これから行くところでは、それを教えてもらえるはずだ」
須藤にまっすぐ見つめてそう言われ、蓮は椅子の中でモゾモゾと体を動かした。
「周りの人に怖がられるのが嫌?」
余計な口は挟まない方がいいかも、と思いつつも、アイはそう聞いていた。
「怖がられるっていうか…まともに人付き合いもできなくなるし、学校とか仕事行くのも大変になるって…」
「マリーが言った」
須藤が最後を引き受けた。
「正しい知識ってのはさ、そういうことも含めてだよ。僕はウィンガーだけど、集団生活の場で君が心配しているような目にあったことはそう、多くない。まあ、どこにでも凝り固まった考えの人はいるし、不愉快な思いをしたことも確かにあるけどね。普通の人より優れた能力を持つ代償だと思ってる。妬まれるのも、憎まれるのも普通の人にはない能力を持っているから。だったらその能力で自分を守るしかない。さあ、そのためには力をコントロールしないとな〜」
深く息を吐いて、蓮は天井を仰いだ。
「分かってるよ。真面目にトレーニングっての、受けるって」
しばしの沈黙。アイが、退室した方がいいだろうかとドアへ向かおうとした時、
「…君は、もっと早く保護してやりたかったな。変な連中に利用される前に」
ため息混じりに須藤が言った。
「結局、ご両親は付き添わなかったんですね」
蓮をアイロウの職員に無事引き渡し、エルプロテクトのオフィスへ戻る廊下で、アイは言った。
「うん、彼の希望でね…というか、完全に両親のことは拒絶してる。親子でカウンセリング必要だと思うなあ。向こうでもそこら辺は考えてくれるはずだけど」
「そういう家族も含めたフォローって、大事ですよね」
須藤がアイを横目で見やる。
「家族も…やっぱり大変?」
「え…ええ、まあ、いろいろ…ありますね」
思わず、兄の失踪ことを須藤に話してしまいたい衝動に駆られる。が、両親を含めた家族に与える影響を考えて思い直した。
もう少しーもう少し待ったら、海人から連絡があるかもしれない。その時、話が大きくなってしまっていたら、兄にとっても好ましい状況にはならない…
「アイロウからそういうサポートって、うちではありませんでした。もう高校生だから、っていうのもあったんでしょうけど。お兄ちゃんが、高校ずっと向こうで通ってたのも、向こうの方が居心地よかったからだと思うんです」
アイロウのサポート体制とか、政府の対応が、と文句を言う気はない。海人が家族と距離を置くことになったのは、自分たち家族の問題が大きいのは分かっている。
それでも、就職する前までは頻繁に連絡を取っていたし、翼があろうがなかろうが、アイにとってはちょっとおちゃらけた、シスコン気味の兄に変わりはなかった。
「そっか…まぁ、小中学生のウィンガーには特にメンタルのサポートを、って言われるようになったのも、ホント最近だからね。とっくにわかってたことなんだけど、そういう対応の遅さに関しては世界トップクラスなんだ。この国は」
だが、須藤はあまりそれを気にかけている様子はなかった。
「うちの両親、僕が翼を発現した時はもう亡くなっていたからね。その点、自分のことだけ考えればよかったから、楽だったんだよ。こういう言い方もなんだけど…身内に関するストレスがないのは僕には良かった」
アイが言葉を探して言い淀んでいると、須藤は優しく笑った。
「うちの親は翼がキレイなんて言ってくれそうになかったからね。アイさんのお兄さんは恵まれてるよ」
自国へ送還されたサントーロ牧師の消息が分からなくなった、と情報が入ったのは、牧師が出国した翌々日のことだった。
トレーニング施設への乗り継ぎの小型機は、離陸して30分後にエンジントラブルのため、近くの空港へ緊急着陸する、との連絡を最後に消息を断った。
翌日、飛行機は現在では使われていない山間の小さな飛行場で発見されたものの、サントーロ牧師を含む、乗客乗員15名、全員が行方不明。状況からハイジャックされた後、誘拐された、との見方が有力だった。
報告を聞いた隼也は、軽く舌打ちし、椅子の背もたれに背を預けて天を仰いだ。
腹ただしさとやり切れなさがつのる。
原因は牧師が行方不明になったことだけではなかった。
前日、南條蓮に関する書類で、両親に渡すものがあったので、隼也は警察署を訪れていた。
窃盗事件に関して、両親も調書を取られている。警察署は対策室のビルから徒歩3分ほどだ。
少し待たされたが、聴取を終えて出てきた父親とすんなり会えた。夫婦は別々に呼び出されているらしい。
父親は憔悴した表情で、悲しげだった。
書類を渡し終えると、隼也は聞きたかったことを口にしてみた。
「奥さん、なんで携帯持たないんですか?アプリとか翻訳機能もあるし、便利だと思うんですが」
父親はチラッと隼也を見上げ、諦めたように口を開いた。
「持たせなかったんです。早く…国に帰したくて」
「え…」
「彼女、日本で暮らし始めて1年くらいなんですよ。それまでは年に1回程度、遊びに来ていたくらいで。ええ、10年前にこちらへ来た時も2人は…蓮と妻はすぐ向こうへ帰そうと思ってたんです。ただ、母が蓮のことをすごく可愛がって…蓮もとても懐いてしまって」
祖母に孫が懐いたのが不本意だとでも言いたげだった。
「彼女は言葉が分からないのが大きくて、すぐ帰りたいと言いました。私もそれでいいと言いましたよ。それからしばらくは、年に1回くらい、彼女が会いに来る生活を続けていたんです。そこで別れておくべきでした。」
呆れ気味の隼也に構わず、父親は続けた。
「母が入院して、店の手伝いも必要だし看護もあるんで呼び寄せたんですよ。うちの母は面倒見が良くてね、言葉の分からない嫁でもあの牧師さん紹介したり、蓮の学校へ一緒に連れて行ったり…世話を焼いてました。なのに、あの女ときたら…恩返しっていう概念がないんですかね。病院に着替えや荷物を持って行くぐらいしかしないんですから!」
そこまで言って、少し喋りすぎたと気付いたのか、父親は口をつぐんだ。
受け取った書類の封筒に目を落とす。一つ、深呼吸をしてから
「彼女…この間蓮に、ここにいても何の役にも立たないって言われて…国に帰る気になったようです。さすがに子供の言葉はこたえたんでしょう。…蓮は…私がみるしかないですが、仕方ありません」
淡々と続けた父親の言葉からは、妻に対しても、息子に対しても愛情は微塵も感じられなかった。
「桜木さん…あの…」
あからさまに不機嫌そうな隼也に、恐る恐るアイが声をかけてくる。
「これ、領収書と金額が合わないからもう一回計算し直して、書き直して下さいと…」
差し出された書類を隼也はため息だけついて受け取った。毛嫌いされているのか、経理のスタッフから隼也は直接書類などを渡されたことがほとんどない。いつも誰か経由だ。
アイの視線がパソコンの画面に吸い寄せられる。
『謎多きハイジャック』『乗員乗客全員と連絡取れず』『エンジントラブル報告後、方向転換か』など、ネットニュースの見出しが並んでいた。
隼也が体を起こすと、視線を逸らし、知らないふりで立ち去ろうとする。
(こいつの初仕事、だったな)
自分が最初に関わって保護したウィンガーの少年が、自国へ強制送還された直後に行方不明になったことは、隼也にとって心中に燻りを残す思い出だった。
14歳ー南條蓮も、あの少年も同じ歳だ。皮肉な偶然とも言えるが、ウィンガーの好発年齢を考えるとありえないことではない。
最初に翼を発現するのは一般には10歳から18歳にかけてが多いとされているが、その中でも12歳から15歳までが半数を超えている。つまり、日本でなら中学生時代にウィンガーとして確認されることが多いのだ。
(まあ、今回の件では行方不明者はガキの方じゃないが)
そう思いつつも、初めての仕事で自分が関わった人間が悲惨な運命を辿っていると考えたときの、いたたまれない気分は同じだろう、と隼也は感じた。
隼也の向かいに座っていたアベの携帯端末が鳴る。画面を見たアベのの額にシワがよる。
「はい。…ええ、え?どこですか?…わかりました」
不承不承と言った様子ながらも、さっさと立ち上がり、上着を掴む。
「ワタナベさんから?」
ムッスリとアベは頷いた。顔に出やすいアベは、見ていればだいたい誰となにを話しているか分かってしまう。
「ちょっと、手伝いに行ってきます」
なんだかんだ言って、人のいいアベがワタナベも使いやすいのだろう。仕事の助手を頼まれるのは隼也よりもアベの方が圧倒的に多かった。
「人使い、荒いんですよ、あの人」
そう呟きながら、大きな体を揺らしてアベが出ていくと部屋には隼也とアイの2人きりになった。




