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flappers 0  作者: さわきゆい
hunter's smile
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hunter's smile 9

父親との面談後、姿を見せなかった須藤がふらりと部屋に入ってきた。

ワタナベとアベは何か用向きがあるらしく、2人で外出していて、今は隼也しかいない。


「あ、いた、いた」

隼也を見るなり、須藤はいつも通りの軽い調子で話しかけてきた。

「ちょっと、ニックのところ、一緒に行ってみない?」

行ってみない?も何も、一緒に来いと言うことだろう。

「はい。…あの、お父さんの方は帰られたんですか?」


面談はあの後、とても続けられる状態ではなかった。いずれにせよ、強制的に処遇が決まったことで、これ以上の事情聴取も必要なくなったらしい。

須藤の横顔に、少し気怠げな翳りが浮かぶ。

「帰った、というか、一人で帰せる状態じゃないからね。先生に頼んで、市立病院に一晩入院させてもらうことにした」


先生というのは嘱託医のことだろう。

「ここ何日か、まともに食事もしてないようだよ。精神的にもかなり消耗してるって、先生も言ってたしね」

それは隼也の目にも、明らかだった。

気の毒だとも思った。だが、隼也には、かける言葉が見つからなかった。


ニックが滞在している五階の通称『宿泊エリア』は、銀行の金庫を思わせる、分厚い頑丈な扉を抜けた先にあった。

外から見れば窓はあるのだが、いわば、ダミーだ。宿泊エリア内から、外の様子を見ることは出来ない。


4つある個室は全てツインベッドで、小学生などを保護した場合、親も一緒に宿泊できるようになっていた。

監視の都合上、浴室はエリア内に一つだけだが、洗面台、冷蔵庫、テレビ、アクセス制限はあるもののネット環境完備。要するにホテルの部屋と変わらない。ドアが最新式の電子ロックで外側からロックされることを除けば。


ニックは暴れたりする危険性が少ないこと、翼のコントロールがほぼ出来ていると見なされたことから、部屋のロックをかけられているのは夜間だけだった。須藤と隼也が宿泊エリアを訪ねた時も小さな談話室で本を読んでいるところだった。


「よっ、お疲れ様」

須藤がフレンドリーに声をかけるとニックは小さく会釈をし、笑顔を見せた。

浅黒い、彫りの深い顔立ちに白い歯が映える。

笑顔はこちらのご機嫌をとるためのものではなさそうだった。なんとなく、須藤とニックの間にそれなりの信頼関係、とは言わないまでも、ある程度、打ち解けた雰囲気を隼也は感じた。

ウィンガー同士、何か通じるものがあるのか、須藤の人柄なのか。


「差し入れ、持ってきたよ」

そう言う須藤に促され、隼也は持ってきたビニール袋の中身をテーブルの上に出した。一階のコンビニにから買ってきたものだ。

スナック菓子に炭酸飲料、マンガ週刊誌…この年頃の子の好みそうなものだ。

ここら辺も須藤の作戦なんだろうな、と隼也は思いつつ、二本入っていた缶コーヒーの一本を受け取った。


「ありがとうございます」

遠慮がちにそう言いながらもニックは飲み物に手を伸ばす。

「さっき、室長さんが来ました」

ニックは自分から切り出した。

「ボク、送り返されることになったって、言ってました」

父親とは対照的に落ち着いている。自重気味な笑みを浮かべる様子は悟りを開いた僧侶かと思わせるほどだった。


「落ち着いてるねー」

流石の須藤も感心したように呟く。

「こうなるかな、とは思ってたから」

隼也がよほど驚いた顔をしていたのか、ニックが面白そうに笑った。


「そっか、多分1週間以内には出発することになるだろうから、早めに家に帰って荷物まとめられるように手続きするって言ってたよ。忙しくなるね」

須藤の言葉にニックは頷きながら、少し表情を曇らせた。

「でも、あの、お父さん、どうなりますか?」

「ああ、それなんだけど、今日はお父さんに会えてないよね」

須藤は前に身を乗り出し、続けた。

「お父さん、だいぶ疲れてるよね。今日は、君が送り返されることが決まったって聞いて、さらにショックだったようだから。ちょっと病院で検査受けてもらってる」

「検査?お父さん、具合悪いの?」

須藤はニックの目を見て首を振った。

「君もこの間、言ってたでしょ。お父さん、ちゃんとゴハン食べてるかなって。多分、ほとんど食べてないと思うんだ。だから、体調が心配だからさ、病院で検査受けて、ゴハンもちゃんと食べてもらおうと思ってね。今日だけだよ」

「本当?お父さん、元気?」

不安そうなニックに、須藤は苦笑を浮かべた。

「元気、とは言えないだろうけど。大丈夫、病気じゃないよ」

不安そうな表情を残しながらも、ニックは頷いた。

「お父さんも強制送還されるの?」

「いや、お父さんの方はビザも残っているから…日本に残ろうと思えば残れるよ。ただ、残る理由はないだろうね。君を守ることがお父さんの目的なんだから」

ニックは思慮深そうな眼差しで、宙を見たまま、少し黙り込んだ。


「…うん、今のまま仕事続けるのは大変だと思う。でも、帰ってもきっと大変だよ。ボクのお母さんも、妹もきっと大変。…仕方ないけど」

須藤や自分を恨む気持ちはきっとあるのだろう、と隼也は思った。穏やかに話してはいるが、父親も友人もそばにいない今、そうしていないとやりきれないのかもしれない。いずれにしろ、大した自制心だ。


「ニック、正直いうとさ」

須藤の口調からふっと軽さが消え、真顔になった。

「君を国に帰すのは残念だ。誰にも教わらずに、それだけ翼をコントロールできるなんてね、すごいことなんだよ。アディがあの不安定な状態で今まで隠してこれたのも、君がいたからだろ。このまま日本で、後輩の子を指導する立場になって欲しかったね。僕の個人的な希望だけど」

思いがけない言葉だったらしく、ニックは戸惑った様子で顔を赤らめた。

「悪いね、そうは言っても何にも君の役には立てなくてさ。ただ、帰ってからも自信持ってウィンガーですって、胸張っていけよ。引け目を感じる必要はないんだから」

そこまで言って、須藤はちょっと首を傾げた。

「あ、引け目って意味、分かる?」

「…わかる…」

ぽそっと言ってニックは大きな目をしばたいた。

「わかった」

もう一度言って、ニックは大きく深呼吸してから頷いた。


その後、須藤は特別に送ってもらったという画像をニックに見せた。

タブレットの画面に映し出されたのは、アディだった。トレーニングの様子を撮影したものらしい。背中には白い翼。

ピッチングマシンから打ち出されるボールを取るという、単純なゲームのようなトレーニングだが、ボールは相当早く、打ち出される方向はランダムだ。アディは見事なというより、隼也から見ればありえない俊敏さで、乱れ打ちされるボールに反応している。と、取り損なったボールが後ろの壁に跳ね返り、とんでもない方向からアディに向かってきた。同時に次のボールも打ち出される。

「余裕!」

アディが叫び、仰け反りながら右手で一つ、更にそのまま身体を反転させ、床を蹴ると左手でもう一つのボールをキャッチした。顔には得意げな笑みが浮かんでいる…


2分ほどの短い動画だったが、ニックは

「元気そうだ。よかった」

と、安堵の笑みを見せた。

「トレーニングって、あんななの?ゲームみたいだ。ボクでも余裕だよ」

「だろうねー、まあ、彼は体を使うトレーニングより、座学の方が辛いんじゃないかな」

「ザガク?」

「机に座って勉強することだよ。ウィンガーの今の状況とか、歴史とか、本を見ながら授業を受ける時間があるんだ」

「それ、アディ絶対寝てるよ」

ニックは須藤と顔を見合わせて、声を出して笑った。

隼也はなんとなく、居心地の悪さを感じながら、2人のやりとりを見守っていた。


なぜ、須藤は自分までここに連れてきたのだろう?そう思っていると、不意に須藤が隼也の方を見た。

「そういえばさ、猿の話してたおじいちゃんがいたでしょ」

「え?あ、ああ、あの団地の」

妙に熱心に、猿の話をしていた老人を思い出す。

「この間、アディを自宅まで送った時に途中であそこに寄ってみたんだよ」

「え、そうだったんですか」

ニックは何の話かと怪訝そうに2人を見比べていた。

「君たち、市営住宅から崖のぼって帰る時に、見てる人がいたの、知らなかっただろ」

「がけ?あ…」

ニックはまだキョトンとしている。

「おじいちゃんなんだけどね、夜ベランダに出てる時とかあったらしくて。夜だし、目もあまり良くないみたいだから、人間だと思わなかったんだろうね。時々、猿が崖を登っていくんだって、話してくれたんだ」

ニックがしまった、という顔をする。

「知らなかった。気をつけてたはずだけど。見てた人、いたんだ」

「アディを連れて行って、あのおじいちゃんに崖登るの見せたら…すっごい喜んでくれてさ。はしゃいでるの、可愛かったよ。アディも得意げでね」

須藤はすっかりいつもの軽い調子に戻っている。得意げに語る様子はおそらくアディにも劣らないだろう。

「あの、須藤さん…あのおじいさんにそれ見せるためだけにアディ、連れて行ったんですか?」

思わず、隼也は口にしてしまった。

「いや、あのおじいちゃんに崖登るとこ、見せてあげたいのもあったけど、一応本人実演で可能なことを証明してもらおうと思って、だよ」

「あ、なるほど…」

とは言ったものの、どうも後半の方が後付けの理由に思える。

ニックと目が合うと、ニヤッと笑った。隼也と同じことを思っていたようだ。


「あ、そうそう、帰る日程が決まったら、彼が空港まで送るよ。空港でアイロウの職員に引き継ぐまでのボディガードだ」

不意に須藤は隼也の肩を叩きながら、相変わらずのすまし顔でそう言った。

「え、あ、そうなんですか」

突然の業務命令に隼也は思わず声をうわずらせた。

(そのために一緒にここへ連れてきたのか。それにしても、相変わらず、唐突な…)

そう思いつつもどこか須藤のペースに慣れてきている自分がいる。

ニックはそのやりとりを面白そうに見ていた。

小馬鹿にされるのも気にくわないので、隼也はすぐにポーカーフェイスを装って、

「分かりました」

と頷いた。




実際にその役目を果たすことになったのは、それから5日後のことだった。

絵洲空港からニックたちの国まで、週に一度チャーター便が出ている。成田まで移動するよりも、絵洲空港からの便を利用した方が移動時のリスクが少ないと判断されたらしい。

フライトは夕方だから、前日と、当日の午前中でニックは荷物をまとめるよう、命じられた。


男親との二人暮らし。一般的な家庭よりも荷物はずっと少なかったが、3年分の生活の跡を2日でまとめろとは酷な話だ。

内心、隼也は気の毒に思っていたが、異国で暮らす者同士の絆なのだろう、社員寮の住人たちがこぞって手伝いに来ていた。

彼らに声をかけられ、励まされ、ニックの父親もこの間よりだいぶ元気そうに見える。

須藤と隼也がニックを連れて現れると、深々と頭を下げた。


「この間より、顔色良くなりましたね。食事はちゃんと取ってますか?」

須藤が声をかけると、ぎこちないながらも笑顔を見せた。

「病院、ありがとうございます。注射と薬のせいで元気です。ゴハンも食べてます」

そう言いながら、自分の腕を指差してみせる。おそらく、点滴のことだろう。

それから、ニックのことをしっかりと抱きしめ、母国語で語りかけた。

さすがにニックも涙ぐんでいる。須藤と隼也は少し離れて見守っていた。

父親は相変わらずやつれてはいるものの、どこかスッキリしたような顔をしていた。

諦めなのかもしれないし、開き直っただけかもしれないが、何か吹っ切れたようだった。


1日目の片付けを終え、ニック親子を宿泊施設に送り届けたところで、その日の隼也の勤務は終了だった。

最後の夜もニックは外泊は許されなかったが、父親も宿泊施設に一緒に泊まることが許可されたのだ。

明日の日程を確認しておこうと、対策室に立ち寄ると、あかりが帰り仕度をしているところだった。


「お疲れ様。なんだか桜木くん、ここに来てから引越しの手伝いばかりじゃない?」

冷やかすような言い方だが、隼也が不本意な仕事に腐ってないか、気にかけてくれているのは分かる。

「大丈夫です。体力自慢ですから。じゃあ、お疲れ様です」

そう言って脇を通り過ぎようとして、

「あ、」

と、立ち止まった。

あかりが怪訝そうに振り向く。

「あの、明日須藤さんが空港まで同行しないのって、何かあるんですか?」

隼也が見る限り、途中でニックが逃亡するなどなさそうだが、不測の事態に備えてウィンガーが付き添っている方がいいのは確かだろう。何か用事があって付き添えないのかと思っていたのだが、どうも違うらしい。


「ああ、それ、マスコミ対策でしょ」

あっさりと、あかりは言った。

「窃盗事件なんかも絡んでたから、中学生2人が逮捕、って報道出ちゃったでしょう。ウィンガーのことは公にならないようにしてたんだけど、嗅ぎつける人はいるのよ。最近、このビルの周り、ウロついてる人たち気が付かなかった?」

テレビ局や新聞記者などは目に付かなかったが…

「ああ、そういういわゆる公的なマスコミじゃない、ない。テレビとか雑誌で出るウィンガーの話題については、全部出していい、って許可されたものだけ。でも、今時はフリーの記者、って名乗る人たちがどこにでもいるでしょ。ネットの裏記事サイトなんか、好き放題書けるし、ウィンガーの話題なんか刺激的だもの。対策室に滞在していた、イコール、ウィンガーに関係あり。出来るだけ目立たないように移動させてはいるんだけど…これまでもトレーニングセンターに送ったり、強制送還する時に一般人のフリして近づいてきた人に、突然バシバシ写真撮られたりしたことあってね」

当初はほぼ毎回、須藤が付き添っていたが、そのためネットの世界ではすっかり顔が知られてしまった。

彼がウィンガーであることも拡散してしまい、一次は氏名を入力しただけで顔写真が出てきていたという。


「すぐに対策は取ったけど、一度広まってしまったものをなかったことにするのは、ほぼ無理。ネットの監視も強化しているけど、写真撮られたり、尾行されたりするような場所には、今は出来るだけ行かないようにしてるの」

ウィンガーに関しては、いたずらに不安を煽らないため、対象者が子供の場合は特に、報道規制をかけることが認められている。

『報道の自由』訴えるマスコミと、政府や当事者との間で、意見の相違のためにもめることも少なくない。


「なんか、芸能人並みですね。悪い意味で…」

珍しく、須藤に対して気の毒な気持ちを感じた。隼也の反応にあかりは苦笑した。

「ご本人は慣れっこになってるみたいだけどね。でも、内心は、ね…」

いつも飄々としている須藤が思い悩んでいる姿は想像つかなかったが、ウィンガーとして一般人には思いもつかない感情を抱えている時もあるだろう。


ーただ突然背中に翼が現れて、早く走ったり高く跳べるだけじゃないんだよ。僕らは…

ふと、須藤の言葉を思い出した。

「桜木くんもあまり写真なんか、撮られないように気をつけてね。不用意に話しかけてくる人なんか、要注意よ」

「ええ、もちろん」

隼也は素直に頷いた。


しかし実際に当日の仕事は、というと実にあっさりと終了した。

トラブルもなく、交通渋滞もなく、予定よりも早めに空港へ到着。

打ち合わせ通り、業務用の荷物搬入口へ車を入れ、そこから職員用通路を通り特別に用意された待機室へ。

空港職員の対応もスムーズで、待機室へ到着してすぐ、ニックの国のアイロウ職員が現れた。


ニックと父親が緊張の面持ちでパスポートや本人確認の様々な手続きを進める間、隼也と同行したワタナベが書類の受け渡しを済ませる。

とは言っても、書類のほとんどはネットでやり取りが済んでいるから、紙媒体でやり取りするものなど限られている。

ニック親子の手続きや身体検査、荷物チェックの方がはるかに時間がかかった。


担当のアイロウ職員たちは積極的に親子に話しかけていた。当然、母国語の会話で、内容は分からないが、時折冗談でも言うのか、3人の間に笑みがこぼれる。

到着した時より、はるかにリラックスした表情になってきた頃、

「確認、終了しました」

と、荷物の検査官が告げた。

「ブジ、カクニンデキマシタ。ヒキワタシ、アリガトゴザイマス」

一番年長と思われる職員が進み出て、父親よりはるかにカタコト感の強い日本語でそう言いながら、ワタナベと隼也に握手を求めた。

握手をするのにふさわしいシーンかどうかは分からなかったが、求められるままに手を出す。

ふと、顔を向けると、複雑な表情わしたニックと目が合った。

国へ帰れる安堵感と、これからの不安と、寂しさとが入り混じって、どんな顔をしたらいいのかわからないようだった。

「思ったより優しそうな人たちでよかったな」

隼也は率直に思ったことを言ってみた。

ニックの顔が一瞬、泣きそうなシワを刻んで、それから目一杯の笑顔になった。

その顔になんだか隼也の方がぐっときたが、もちろん、平静を装った。

「ありがとうございました。須藤さんにも、ありがとうって伝えて下さい」

一礼する親子を後に、隼也とワタナベは部屋を出た。


ニック親子を送り届ける間、ワタナベはほとんど喋らず、終始不機嫌そうな顔で、むっすりとしていたが、部屋を出ると、

「上に行くぞ」

と一言だけ言って、一般ロビーへ続くドアへ向かった。慌てて、隼也も後を追う。

「飛行機が出るまで確認する。受け渡しは完了したんだから、ここから先、何があっても俺らの責任ではないがな」


3階の展望ロビーは平日とあってさほど人はいなかった。

ニックたちの飛行機の離陸予定はまだ30分以上先だ。

「一服してきていいぞ。おっさん2人で飛行機眺めてる必要もない」

ぶっきらぼうに言って、ワタナベがレストランエリアの方に顎をしゃくる。

おっさん呼ばわりには、ちょっとカチンときたが、ワタナベとこのまま一緒にいるのも気詰まりだった。

「あ、じゃあ、一回りしてきていいですか?自分、ここの空港には初めて来たので」

「ああ。俺はここら辺にいる」

ワタナベは窓際に置かれたソファの方へ向かい、隼也はとりあえず、エスカレーターで二階へ降りた。


出発ロビーになっている二階は平日の夕方近いこの時間でもそれなりに人が行き来していた。

とりあえず、館内案内が表示されている大型モニターへ近づいてみる。モニター脇には案内パンフレットやイベントのチラシが置いてあった。

今いるのは国際線の出発ロビー。東側が国内線のロビーになっていた。国際線ロビーと国内線ロビーの間にお土産売り場とカフェスペースがあるらしい。

そんなことを見ていると、

「初仕事、お疲れ様」

不意に横に立った男性から声をかけられ、ぎょっとした。

「えっ…あ…」

相手の顔を見て隼也は驚いた。

「お久しぶりです。…驚きました。どうしてここに?」

隼也が最初に面接で会った男、研修の最終日にも現れた、笠松だった。

「仕事ですよ。ニック・サムリット引き渡しの立会い。何事もなく済んで良かったよ。君も滞りなく、初の捕獲任務完了というわけだ」

相変わらず、にこやかだが言い回しや笑顔の陰に何か裏を感じさせる男だ。

どこが、とはっきり言えるわけではないが、隼也はこの男が苦手だった。自分の弱味を確実に知っている相手だから、というのはもちろんあるが…

「どう?須藤氏に振り回されてない?」

以前より、だいぶ砕けた感じで話しかけてくるが、どんな調子で応じたらいいのか隼也は戸惑った。

「いえ、別に振り回されてることは…あ、笠松さん、須藤さんとお知り合いですか?」

笠松はニヤッと笑った。これは、本心の笑みだな、と思う。

「アイロウの東京本部で以前、一緒に仕事してたんですよ。彼、なかなか食えない男でねぇ。こっちはフォローが大変で」

隼也が納得した顔で頷くのを見て、笠松は声を出して笑った。

「はは、相変わらずみたいだね。まあ、仕事はできる人間だから。勉強になると思って、頑張ってください」

「はい、慣れないことが多くて正直大変ですが、なんとか」

殊勝にそういう隼也の肩をポン、と叩き、笠松は脇に置いていたスーツケースに手をかけた。

「もう、お帰りですか?」

東京まで飛行機を使うのだろうかと思いながら隼也が訊ねると、笠松は肩をすくめて大げさにため息をついて見せた。

「これから名古屋まで行くんですよ。明日は朝イチで東京まで戻らなきゃならないし」

「お忙しいんですね」

いったい、この男の仕事は何なのだろうと考えたが、聞いてまともな答えを返してもらえる気はしなかった。

(根本的な性格は須藤さんと似てる気がする…)

自分のような人間をスカウトしたり、身辺調査をしたりする担当者かと思っていたのだが、ウィンガーの身柄引き渡しに立ち会ったりすることもあるなら、かなり幅広い業務を手掛けているということなのだろうか。

「人使いの荒い職場でね。君は?飛行機が出るまで確認して行くんですか?」

「ええ、少し時間があったんで空港の中見学してたんです。ここ、自分は初めて来たもので」

笠松は頷いた。

「僕は国内線の出発ロビーから見届けることにしますよ。それじゃ」

軽く会釈して笠松が立ち去ると、隼也は正直ほっとした。


三階へ戻ると、ワタナベは一面ガラス張りの展望ロビーのソファーに座り、ペットボトルのお茶を飲んでいた。

日は傾いて来ているが、まだまだ外は明るい。

ニック親子が搭乗する予定の飛行機はここから見ると、少し左手の方に待機している。

黙ってそばにいるのも気詰まりで、

「さっき、アイロウのスカウトマンに会いました」

と、ワタナベに話しかけてみた。

「スカウトマン?」

ちらっとワタナベが顔を上げる。

「俺をこの仕事に誘った人です。ニックの引き渡しの確認に来てたみたいです」

ワタナベの眉間にシワが寄る。

「笠松、とかいう男か?」

「はい、ご存知ですか」

ワタナベは首を振った。

「会ったことはないが、うわさは聞いてる。何でも屋みたいな仕事してるらしいな。アベもその笠松の紹介でうちに来たはずだ」

「あ、そうだったんですか」

それは聞いてなかった。

「いろいろ聞いてはいるが、得体の知れない人間みたいだからな。付き合うのは注意しろよ」

「え、あ…はい」

唐突な忠告に戸惑いつつも、やはりな、と思っている自分もいた。「いろいろ聞いている」内容が気になるところだが、聞いていいのか逡巡しているうちに、ワタナベが搭乗用タラップの方を指差した。

離陸10分前。出発ロビーと直結したタラップの小窓から先ほど見たアイロウ職員の顔が見えた。その後ろにニックと父親の姿も一瞬ながら確認できた。

「時間通りだな」

ワタナベが呟く。

あの子に会うことは二度とないんだろうなと、今更ながらに思った。

やがて飛行機はややオレンジ色が混じり始めた空へ、時間通りに飛び立った。


隼也が仕事の達成感と共に、珍しくセンチメンタルな気分になったのも、ニック親子を見送ったその日ぐらいだった。

翌日からはまた、最終報告書の作成に追われ、一方で須藤からは新たな調査を命じられた。

「外国人中心のイベントサークルを主催してる人物なんだけどね、周辺で行方不明者が何人か出てる。警察では資金繰りの方も調べてるようなんだけど…ああ、本人は日本人だよ」

サークルを紹介しているSNSでその代表者の顔を見せながら、須藤は続けた。

「最近、テニスサークルの運営も始めたみたいでね。桜木くん、テニスできるでしょ。ちょっと、潜入調査して来てくれるかな?」

「はっ?!」

また、唐突にそんなことを言われ、言葉に詰まった。が、もう隼也の意思に関わらず、決定事項のようだ。

あかりが集めたそのサークルの資料や代表者の調査書を受け取ったのは、ちょうどニック親子を見送ってから1週間後のことだった。

ふと、気になって

「あの親子のその後とかって、情報、入るんですか?」

と聞いてみた。

向こうの国で保護されたウィンガーとなれば、情報は入るはずもないか、と思ってはいたのだが、あかりはすぐに反応した。ただ、表情は曇っている。

「私も桜木くんに教えようと思ってたとこ。実はね…あの人たち、向こうに着いて保護施設まで移動する間に行方不明になったそうなの」

あまりに予想外の話に隼也は言葉も出ず、目を見開いた。

「はっきりはしないんだけど、どこかの組織に拉致された可能性が高いみたい。ウィンガーが関係したテロ事件がちょくちょくあるから…そういう人達の手に身柄が渡ることを向こうの政府も恐れてね、大規模に捜索活動してるらしいんだけど。手がかりはないって」

「なんか、それって…やりきれないんですけど」

あかりのせいではないことは充分わかっているが、口調がキツくなってしまう。隼也の脳裏に最後に見たニックの笑顔が浮かんだ。

「そうよね…初仕事の結末がコレって、いい気分じゃないわよね」

あかりが隼也の顔を心配そうに伺いながら、ため息をついた。

「でもね、外国人ウィンガーを送還した時には、たまにあるのよ…」


隼也が夕方近くにオフィスに戻ると、須藤が一人でパソコンに向かっていた。

自分でも何を言いたいのか、聞きたいのかよく分からなかったが、須藤とニックの話がしたかった。

「ああ、聞いた?うん、ひどい目に合ってなきゃいいんだけどね」

あかりから話を聞いたことを須藤に告げると、そう言ってすぐに顔を上げた。

「あかりさんが、こういうことはたまにあるんだって言ってましたが」

須藤は眉間にシワを寄せて自分のパソコンの画面を指差した。

隼也が須藤の隣に回り込んで画面を覗くと、ネットのニュース画面だった。

全て英語で書かれた記事だが、見出しの英語でニック親子が行方不明になったことを報じる内容だとなんとかわかった。

「ここの国、5年…6年くらい前になるかな、クーデターで軍が政権のトップについたでしょ。軍部が政権を取ったなんていうとあんまりよく言われないけど、前の政権が独裁でひどかったからね。今は前より国民の生活もよくなっているらしいよ。…ウィンガーもね、その能力を守るのが国益になるって、以前よりきちんと保護されるようになってきた。社会の底辺に追いやられて、テロリストの仲間に取り込まれたりしたら、国にとっても社会にとっても害にしかならないからね」

「そういう連中に拉致られた可能性が高いってことですか」

隼也の口調にいつにない何かを感じたのか、須藤が覗き込むように見つめてくる。

「やっぱりどうにかして、日本に留まらせてやればよかったと思う?でも、現実問題として無理だよ」

「いえ、そうは思ってません」

そう答えながら、納得出来ていない自分も自覚していた。

「これ以上してやれることがないのもわかります。ただ…この先もこういうことが起こる可能性があるなら、どうにかならないのかとは、思います」

須藤はパソコン画面に視線を戻し、頬杖をついた。

「テロリストに拉致されるよりも最悪なパターン、てのもあってね」

隼也は軽く息を飲む。

「世界にはいろんな人がいるわけ。ウィンガーを悪魔の使者なんて言って、殺しちゃうカルト集団とか、研究と称して人体実験に利用する科学者崩れとか」

隼也の表情を見て、須藤は苦笑した。

「小説か、映画の世界みたいだけどね、実際あるんだよ。そんな連中に捕まってないことを祈るしかない。桜木くんの言う通り、ニックたちにこれ以上してやれることはないんだ。彼らの運と、能力に期待するしかない」

「運と能力、ですか」

須藤が椅子の背もたれに寄りかかる。軽く、軋む音がした。

「ウィンガーが狙われるのは、その能力ゆえ。ならばその能力で我が身を守れ、ってね。昔、言われたことがある。日本にいたからって、拉致や襲撃の危険が無いわけじゃないんだよ。ウィンガーは結構、危機意識を持ちながら生活しててね〜割と肩身は狭い」

隼也は返す言葉もなく、須藤の言葉を聞いていた。

「あの子は頭のいい子だ。冷静で、度胸もある。僕がわかる限りのいろんな情報は教えといた」

須藤が、ニッと笑う。

「あとは、あの子の運と能力で切り開くしかない。きびしいけどね」

そうあって欲しいと隼也は心から思った。それは今までの人生で一度も感じたことのない感情だった。

自分の感情に戸惑いつつ、須藤の達観したような笑みを見ていると、結局この男には敵わないな、と思ってしまう。

これから先もこんなことが繰り返されるのか、と思考の海に落ちそうになった瞬間、

「というわけだから、君は次の事案に集中してね」

いつもの飄々とした調子で須藤が肩を叩いてきた。いつもより、若干強くてよろめきそうになる。

「え、あ、はい!」

ハッとして踏ん張った。

「あの、でもテニスなんて、高校以来なんですが」

確かに高校ではテニス部に入っていたが、1年でやめてしまった。以来、ラケットにも触っていない。

「他の人じゃダメだったんですか?」

「ワタナベさんはテニス全くの未経験、アベくんもテニスって感じじゃないでしょ」

須藤が子供のように口を尖らせる。

「僕が行ってもいいけどさ、夢中になって羽出しちゃうとマズイから」

翼のコントロールなんて、完璧にできてるくせに、とは言えなかった。

「あ、羽有りの僕とテニス対決してみたい?なかなかのスピードサーブをご披露できるよ」

隼也の思っていることを察してか、ワザとらしくそんなことを言ってくる。

「やるなら"羽なし"でお願いします」

憮然と隼也が言い返した時、

「お疲れ様でしたぁ」

体育会系のノリでアベが入ってきた。

「もしかして、ギョウザの話ですか?」

いきなりそう聞かれて、隼也も須藤もキョトンとする。

「え…いや、羽付きとか無しとか言ってませんでした?」

説明するのもバカバカしく、隼也が天井を仰いでため息をついたのと対照的に、須藤は吹き出した。

(そっちの羽の話なら、気楽なもんだけどな)

まだ笑っている須藤を見ながら、その背中の翼を思い出す。

美しくも、恐ろしい翼だ。関わらずに済めば、その方がよかったのだと思う。だが、今まで見たこともない世界が覗き見られるような気もする。今は、その期待の方が膨らんできていた。

ーまあ、なるようになるか。

中華料理を食べに行こうかと話し始めた、須藤とアベを見比べながら、隼也は心の中で呟いた。



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