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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
濃尾勢攻略編
55/239

千子村正

 伊勢国桑名。

 湊は完成し多数の船が発着を繰り返す。商人達は船と湊を行き交い、荷運びの人足は忙しそうに荷物を揚げ下ろす。

 昔の『十楽の津』の賑わいは蘇りつつあった。


 そんな湊にほど近い場所に天王寺屋桑名支店は鎮座している。

 恒興は美代と藤を連れてこの天王寺屋を訪れた。藤にとっては実家と言ってもいいし、二人共気分転換になると思って連れてきた。

 妊娠中のストレスを鑑みての事だ。


「まあまあ、よう来ぃはったな」


「お母さん、久し振りやな」


「お、お邪魔します」


 二人を出迎えた藤の母親はそれは嬉しそうに応対していた。

 贔屓にしている池田家の嫡子誕生の期待と初孫の期待で二重に嬉しい様だ。


 恒興はその様子を見て安心し、護衛の飯尾敏宗を連れて目的地へ行く準備をする。

 今回の目的は信長から頂戴した松倉江の修復なのだから。


「そういう訳でちょっと刀直しに行ってきますニャ」


「暇が出来たんか?ワテはてっきり直ぐに美濃攻めかと思うとったんやけど」


「そこは信長様のお優しさが()()出てきたのですニャー。龍興が自発的に稲葉山城を明け渡してくれないかニャーって」


 信長は前の犬山城の時の様に、龍興が稲葉山城を捨てて逃げる、或いは降伏する事を願っていた。

 一応龍興は信長にとって甥でもあるし、舅・道三殺害の罪は義龍のもので龍興に問う気は無かった。


 これは甘い考えである。

 大体元犬山城主・織田信清は城を取り囲まれてから逃げ出している。


 城という利点を保持しているのだから、囲まれない内から捨てて逃げるという選択肢は中々選べないだろう。

 結局は取り囲まれない限り気付く事はないのである。

 城の中こそが一番安全と人は思ってしまうからだ。


「そら甘いやろ。津島会合衆としては早う美濃を完全に抑えて欲しいんやけど」


「義父殿は伊勢より美濃に興味がお有りですかニャ」


「美濃もそやけど、その先の信州や飛州にも興味はあるで」


「何故にそんな山国をですニャ?」


「馬や、馬を商いたいんや」


「馬ですかニャ?」


「馬は畿内じゃ細々としか生産されてへん、安定供給は難しいんや。かと言って馬商人が連れてくるのを待つっちゅうのもまどろっこしい訳や」


 助五郎が欲しているのは馬であった。

 馬くらいそこら中にいると思うかも知れないが、日の本の馬産地は甲信越、関東、東北と東に偏る。

 これは日の本の(いにしえ)の政策によるもので、『東山道』という陸路を中心として整備された流通システムの一環なのだ。


 東山道とは近江国から始まり美濃国、信濃国、上野国、下野国、陸奥国、出羽国と伸びる街道で、天武帝の時代から整備された。

 この街道の周りに馬産地が設けられ陸路流通の要となっていた。


 畿内から西は瀬戸内海という穏やかな海を流通路に使い、東は東山道という陸路を使っていた訳だ。

 それは昔の造船技術が低く外海の海路を使う事が出来なかったのと、東の湊整備が全く進んでいなかったからなのだ。


 では戦国時代になるとどうなっているか。

 伊勢湾から関東への『東国水運』と敦賀から東北の北端まで伸びる『北陸水運』が存在しており、東の流通はこの2本に集約される。

 このため『東山道』は廃れていき、馬産地だけが残ってしまったのである。


「ワテとしてはな、注文を取ってから買い付けて運ぶ、そういう図式を作りたいんや。現状やとな、馬は京の都辺りで完売や。天王寺屋(ウチ)としては馬欲しがっとる毛利はんと商売を拡大させたくてやな。銀の取引にも関わるし」


 馬は非常に必要とされる家畜である。

 まず荷運びなどの流通の要であるし、情報伝達にも馬が欠かせない。

 農繁期には田起こしなどの力仕事に能力を発揮する。

 池田家でも各所に合計5百頭ほど馬を保有しており、農繁期には農村に貸し出している。


 だが馬という生き物はとても食費が掛かるので、貧しい農村だと飼えない。

 故に恒興から貸し出す形を取っているのだが、おそらく毛利家でも同じなのだろう。

 これも民政の一部である。


「成る程ですニャー」(義父殿は毛利との繋ぎを持っているのか。覚えておくニャ)


「信州はヤバイので難しいですが、飛州なら何とかなりそうですニャー」


「ホンマか!?」


「飛騨の大名・姉小路良頼の嫡男・自綱(よりつな)は妻が斎藤道三の娘ニャんです。つまり信長様と自綱は相婿の関係ですニャ。使者さえ送れば挨拶くらいはするでしょう。時間は掛かるかもですが」


 姉小路左衛門佐自綱。

 元々は飛騨守護京極家の一族で家臣だった三木家の人間である。

 父親の姉小路良頼(元・三木良頼)が飛騨の支配権を手に入れるため飛騨国司・姉小路家の名跡を奪った形である。

 この頃の姉小路家は吹けば飛ぶ程度の勢力しか無かったので抵抗出来なかった。

 更に朝廷工作の結果、姉小路家を継ぐ事を認められたという経緯だ。

 やり方はどうあれ朝廷が認めている以上、正式な飛騨国司・姉小路家である。


 この姉小路自綱は正室に斎藤道三の娘(帰蝶の妹)を迎えており、信長とは相婿の関係となっている。

 だが今のところ交流は無く、信長も使者を送ってはいない。


 恒興は知っている。

 この自綱は信長が上洛後に呼び出すとホイホイやって来て、いつの間にか信長と一緒に能楽を楽しむくらい仲良くなる事を。

 だから使者を出せばいいだけだ、上洛後ではあるが。


「それは楽しみやな。よろしゅう頼むで、婿殿」


「ええ、覚えておきますニャ。二人の事、よろしくお願いします。敏宗、行くぞ」


「はっ!お伴(つかまつ)ります」


 ----------------------------------------------------------------


 湊から一刻も歩けば沢山の煙が見えてくる。

 それが村正の鍛治村で、鍛冶職人が集まって一つの集落を形成している。


 現代における場所は確定はされていないが『馬道駅』の辺りだという。

 因みに屋敷跡の看板以外は何も無い。


「ここがあの村正の鍛治村ですか。湊からさほど離れてないのですな」


「ああ、歩いても高が知れてるからニャー。美代と藤、預けて来るなら最適と思ってニャ」


 村正の鍛治村が湊から近くにあったのは彼等が開明的な人物で、湊を利用して色んな鍛冶職人と交流していたからだという。おそらく室町中期の『十楽の津』と呼ばれた桑名の賑わいを利用したのだろう。


 とは言え最近まで桑名はボロボロだったので交流どころではなかっただろうなと恒興は思う。

 ただそれを差し引いても閑散としている、関の鍛治村の賑わいを知っている恒興は余計にそう感じた。


「後で見て回ってもよろしいでしょうか?」


「構わんニャ。刀か?」


「はっ、先の大河内攻めで我が村正が欠けましたので代わりをと」


「お前も村正だったのか。まあ、質が良くて安いとなれば村正一択かニャ」


 村正は質が良くて安いと評判なので、織田家の村正率は結構高かったりする。

 ただ大名が持つ刀としては不適格で信長は持っていない。

 村正を沢山持っていた大名は後にも先にも『徳川家康』一人である。


「直すか買うかは迷うところですが。流石に良い太刀は値が張りますので」


「ニャんだったらニャーの村正の太刀をやろうか?」


「よ、よろしいので?」


「構わん。ニャーはこの松倉江を直して使うから」


「しかし松倉江は実戦刀ではないのでは?」


 刀はこの当時でも名刀は美術品、実戦刀は数打ちという考え方が存在する。

 普段は名刀を腰に付け見せびらかし、合戦の時は実戦刀を持っていくのが一般的である。

 まあ、名刀を所持する金持ちくらいではあるが。


 村正が安いというのは名刀に比べればの話で、数打ちとしては高い部類に入る。

 だがそれに見合った質があるので愛好家は多い。


 故に恒興が実戦刀の村正を手放し松倉江に代えるというのは、敏宗にはおかしく聞こえる。

 普通は両方持っておくべき物で、松倉江の様な美術品は戦場で使う刀ではないからだ。


「そうだけどニャ。でもニャーが刀抜いて戦うとすれば、それはもう負ける寸前って事だ。つまりあってはならん事だニャ。だったら腰に付ける刀は実戦刀ではなく美術品でも構わんって事だニャ」


「確かに」


「で、村正は要るのかニャ?」


「有り難く頂戴致します!」


「帰ったらニャ」


 恒興は敏宗に村正を与える約束をする。

 あの、土居宗珊に取り上げられた刀ではあるが。


 ----------------------------------------------------------------


 長屋の様な家並びを眺めながら恒興と敏宗は指定された場所に来た。

 予め天王寺屋助五郎に取引のある村正鍛冶屋を紹介して貰っていたのだ。


 敏宗が戸を開き中に入ると、まるで空気の壁にぶつかった気がする程の熱気が感じられた。

 どうやら作刀の最中で三人が炉の中に鉄を入れ焼き色を見ていた。


「御免!刀の打ち直しを依頼したい!」


「はい、どちら様で?」


 三人の中で一番若そうな男が敏宗を応対する。


「天王寺屋助五郎殿の紹介で来た、池田勝三郎恒興だニャ。頼めるか?」


「い、池田恒興……様、あの、犬山城主の?」


「その通りだ!頭が高い、控えおろう!」


「「「ははーっ」」」


 どうやら恒興の名前はここまで知れて来ている様で、敏宗の呼び掛けに反応しなかった残り二人も炉から離れて土下座してしまう。

 恒興はその様子を見て、危ないと思い敏宗を止める事にした。

 何しろ彼等の仕事は火を扱うのだから。


「やめろ、敏宗。仕事が進まニャいだろが」


「はっ、申し訳御座いませぬ」


 恒興は三人を立たせて松倉江を渡す。

 どうやら最初に応対した二十代の若者がこの工房の主の様で、勘三郎と名乗った。

 彼が恒興の刀を見てくれる事になった。

 他二人はまた炉に戻っていった。


「では刀を拝見……ん?ぬ、抜けない!?」


 勘三郎は頑張ってギシギシ鳴る刀を抜こうと頑張る。

 恒興も抜くのに苦労したのだ、当然こうなる。

 そして抜けた刀の刀身を見て勘三郎は絶句する。刀身が歪んでいる上に、刃が大きく潰れているのだから。

 最早折れていないのが奇跡に近かった。


「あの、コレ、直すんですか?」


「うん、言いたい事は分かるニャ。でも主君からの頂戴品なので是が非にでも直したいんだニャ」


「……申し訳ないのですが、これは私の手に負える仕事ではありません」


「そうか、では出来そうな職人を紹介してくれニャいか」


「そうですね、親父ならもしかすると」


「親父?」


「『四代目』千子村正ですよ」


 勘三郎の父親は今の千子村正を襲名しており四代目との事。

 恒興は勘三郎の紹介で四代目千子村正を訪ねる事にした。

 彼の工房からほど近い場所に大きめの工房があり、勘三郎は戸を開けて中に居る者に声を掛ける。


「親父、客だよ」


「ん?誰だ?」


「犬山城主の池田勝三郎恒興だニャ。刀の打ち直しを依頼したい」


 恒興はサッと名乗って件の刀を差し出す。

 工房の親方は恒興を気にする風も無く、刀を受け取って一息に引き抜く。

 そしてとても苦い顔をする。


「……おいおい、一体どうすりゃこんなヒデェ姿になるんだ」


「武者兜を渾身の力で上段唐竹割だニャ」


「アホか!刀を粗末にする奴の依頼なんか受けられるか!」


「やったのはニャーじゃねーよ!やられた側ニャんだよ!」


 そう、武者兜を渾身の力で上段唐竹割にしてくれたのは今川義元である。


「何だ、分捕り品か?」


「分捕って主君に献上して、ニャーが褒美に貰った」


「直さずに褒美って……」


「そこは言わないで欲しいニャ」


 多分面白がってやっただけだから、()()()家臣にはこんな事しないからと恒興は心の中で付け加えた。


 親方はとりあえず見てみると炉の準備を始める。

 そしてカシンッカシンッと小気味良い音で松倉江を打ち始める。

 打ち始めたという事は直るのだろうか、よしんば直らずともその時は短刀に打ち直してもらおうと恒興は思う。

 流石に主君からの頂戴品をおいそれと捨てることは出来ないのだから。


 勘三郎も自分の仕事に戻り、親方が一休みする頃には空が朱み始めていた。

 そろそろ戻らねばなと感じ始めた恒興は同時に寂しさも感じていた。それはこの鍛治村の静けさであった。


「ニャーは関の工房にも行った事がある。関の鍛治村ではそこら中で鉄を打つ音が聞こえたものだが、ここは少し寂しいニャー」


「あまり儲からねえからな。先月も一人、工房を閉めた。食っていけないってな」


 親方は腰掛けにドカッと座り恒興の問いに答える。


「村正の刀はよく斬れると評判なのにか」


「アンタは団子の串に大金を払うのか?実戦刀ってのはそういう扱いだろ、戦場の使い捨て品だ。アンタの殿さんだってこの『松倉江』を戦場で振るいたいとは思わねえだろ」


 団子の串は言い過ぎだろうと敏宗は思うが、実戦刀とはそういう扱いで使い終わったら捨てるのである。

 名刀を持たない敏宗には少し分からない感覚であったが、村正とは名刀を傷つけたくないから代わりに戦場に持って行く程度の価値しかないのである。


 今川義元が戦場に自慢の名刀を持ってきていたのは、自分が戦う破目になるとは予想できなかったからだ。


「まあニャ。使わない事が前提の名刀ってもんだからニャ。そうか、一振りの値段が安いから生活が難しいのか。だが村正にも芸術品の域まで高めた物も存在するんだろ」


「ある。だがそういう意味じゃ三河の文殊派の方が良い物作ってるかもな」


「ああ、三河にも居るんだったニャ、村正一派」


 千子村正一派には別れて三河に移住した者達がいる。

 それを三河文珠派という。

 こちらは三河松平家と結び付き繁栄している。

 特に藤原正真は有名で本多忠勝の愛槍『蜻蛉切』や酒井忠次の愛刀『猪切』などを作成している。

 だが彼等の名前は徳川家の繁栄と共に上がるものなので、この時点ではまだ無名の存在である。


 故に彼等は有名になるまで『村正』の看板で刀を作っており、三河に村正所有者が多いのは当たり前である。

 余談だが家康も多数の村正を所有しており、彼の死後形見分けされた品には村正の名刀が二振りあったという。(尾張徳川家に渡され1本は美術館へ、もう1本は行方不明である)


「アンタら侍が派手に合戦してくれなきゃ生活していけねえとか、我ながら因果な商売だと思う」


「……」


 これに関しては自分にも一因はあるなと恒興は思う。

 最近の織田家の合戦は互角以下の戦いをすることがない。

 恒興が戦場の状況を整える事が多く、結果激しい戦闘が少ない。


 激しい戦闘が少ないという事は、刀の損耗も少なく、刀鍛冶が儲からないという事だ。

 別に同情する話にはならないが。


「今更ワシらが農民になれる訳ねえ。畑くらいはやってるがな」


「刀鍛冶辞めたヤツらは、今何してんだニャ?」


「大半は傭兵さ。アンタら織田家の」


 親方は吐き捨てる様に話す。

 鍛冶屋である彼等は畑はあるが家庭菜園の規模である。とても農家としてやっていけるものではない。

 そもそも農家とは専門職であり、素人が簡単に出来る物ではない。


 故に稼ぐなら傭兵が一番簡単な仕事になる。


「そりゃ、勿体ねーニャ」


「はっ、それじゃアンタが雇ってくれるとでも言うのか」


「ああ、そうしようと思うニャ」


「……?はい?」


 親方は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をしてしまう。

 冗談半分皮肉半分で言っただけなのにいきなり真顔で雇うと言われてしまったからだ。


「親方、そいつら全員、ニャーに紹介してくれニャいか」


「な、何人いると思ってんだ……」


「50人か?100人かニャ?どちらにしても全員欲しいニャ」


「そ、そんなに鍛冶屋集めて何する気だ?」


「鉄砲作らすニャ」


 恒興は前々から考えていた事がある。それが犬山で鉄砲生産をするという事だ。鍛冶屋が余っているという話を聞き、丁度良いと感じたのだ。


「無理だ!鉄砲なんて作った事もねえ!」


「織田家には鉄砲鍛冶職人が居るニャ。鉄の扱いは出来るんだから、作り方は学べばいい」


 この頃には既に織田信長は鉄砲鍛冶を高禄で連れてきており、織田領内でも鉄砲作りが始まっていた。

 だが鍛冶職人の数が足らず生産状況は芳しくなかった。

 恒興はその状況改善と犬山を鉄砲生産の拠点にしようと思案していたのである。


「鉄砲はいいぞ。作れば作っただけ織田家が買い上げるからニャ。ニャーもそろそろ犬山で鉄砲製造に取り掛かりたかったんだ」


 信長は商人から鉄砲を有るだけ買っている状況なので、作った鉄砲も残らず買い上げている。

 その方が商人から買うよりも安く済むので当然だ。


 恒興が犬山城主になった時に天王寺屋助五郎が無理して100丁集めてくれたが、それ以降はあまり手に入らず、1年で50丁も増えなかった。


 犬山の商業規模はかなり拡大し、利益も清州に次ぐほどになった。

 恒興は産業の育成の第一弾として鉄砲生産を育て、同時に織田家の鉄砲供給量を増やそうと考えたのだ。


「因みに織田家の鉄砲鍛冶工房の給料は……約400石だニャ」


「400……石……だと……」


 1000石で億万長者とされる戦国の世においてはかなりの高禄であるだろう。


 ただ鉄砲は部品が多様で一人では作らない。

 そのため分業となり職人は数人の補助を雇う必要があるので400石は1工房あたりの給料となる。


「ニャーは別に強制する気はニャい。希望者だけでいいんだ。紹介してくれニャ」


「わ、分かった。……若いヤツラには話してみる」


「犬山に着いたら池田邸を訪ねればいいニャ。場所は……犬山の人間なら誰でも知ってるニャ」


「伝えておこう」


「じゃ、ニャーの松倉江の直しと声掛けの件は頼むニャ。帰るぞ、敏宗」


「はっ!」


 恒興は親方に職人紹介の依頼をして立ち去る。

 松倉江も打ち直しを始めたという事は直るのだろう。そちらも親方に任せる事にした。


 夕方で日が傾いて来ているので恒興は帰る事にした。

 さっさと美代と藤を回収して犬山に帰らねばと思った。

 春といっても夜はまだ肌寒いので二人の体が心配なのだから。


 ----------------------------------------------------------------


 一週間ほどしてある一団が犬山の池田邸を訪れた。

 その代表者である若者と恒興は面会した。

 その若者は恒興も見知っている者、最初に訪ねた四代目千子村正の息子・勘三郎であった。


「お久振りで御座います、千子村正の三男・勘三郎です。お目通りが叶い恐悦至極に存じます。鉄砲鍛冶職人希望者を集めて参りましたのでよろしくお願いします」


「勘三郎、ご苦労だニャ。それで鍛冶職人は何人来たんだ?」


「はっ、私も含め25名に御座います」


「まあまあの人数だニャ」


 もう少し人数が欲しかったなと恒興は思う。

 ただこの後も刀鍛冶を諦めた村正の弟子たちが来るかも知れないと言われ、それを待つ事にした。


 勘三郎は父親から預かってきた刀を恒興に差し出す。

 それを加藤政盛が受け取り、恒興の元に持ってくる。


「父よりこちらを預かってまいりました。ご検分の程を」


「おお、松倉江かニャー」


 恒興は受け取った太刀を抜いてみる。

 ギシギシ言って中々抜けなかった以前と違い、するりと鞘から抜ける。

 そして(あらわ)になった二尺三寸四分(約70cm)の刀身は歪み無く、見事な白刃であった。


「美しい刀身だ。見違える程に蘇ったニャ」


「それからこちらも池田様にと」


 勘三郎は更に短刀も差し出す。

 これも政盛が受け取って恒興の元まで持ってくる。


 恒興が抜いてみると一尺二分(約30cm)の刀身が露になる。

 その凄まじく練磨された刀身は名刀と呼ぶに相応しい物であった。


「ふーむ、この刃もとても美しいニャ。これは?」


「父の渾身の作『揚羽』に御座います。池田様に献上せよと」


「相当な名刀だと思うのだが貰ってもいいのかニャ」


「はっ、里の者達をよろしくと父が」


 どうやら親方が弟子たちを鉄砲鍛冶として面倒を見てくれる礼に、恒興に贈った品物の様だ。

 恒興は『揚羽』を仕舞い、有り難く貰う事にした。


「分かったニャ。安心しろ、まずは小牧山で指導だ。それが終わったら犬山に家と工房を用意してやるニャ」


「ははっ」


(ようし、これで鉄砲の量産体制を整えるニャ。上洛までに間に合うかは微妙だけどニャー)


 恒興は商業発展著しい犬山に更に産業を発展させようと目論んでいた。

 今回の鉄砲鍛冶養成は良い稼ぎになるだろう。

 鉄砲の需要はこれからも増え続けるし、現在だって全く足りていないのだから。

べくのすけが村正の妖刀伝説がおかしいと感じたのは「蜻蛉切」を知ってからですニャー。

だって「蜻蛉切」自体が村正で、本多さんにあげた人って家康さんじゃないですか、やだーってな具合です。

で、調べてみれば家康さんは多数の村正を所持していて、家臣に褒美として配っていました。

因みに家康形見の品の中に村正は二振り有り、尾張徳川家に伝来しました。

そんな家康さんが「村正は徳川を祟る」発言はしないと思いますニャー。


つまり捏造である可能性が高いのですが、風評被害は凄かった様で村正一派は消滅します。

活動記録は1668年まで確認出来るそうですニャー。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何周目になるか分からないくらい読み返してます。 ちょっと忘れかけてた小ネタ見つけるとニヤニヤしちゃいます。
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