槍の又左vs剣鬼黄門
べ「剣術の解釈についてはべくのすけの『妄想』であります。ツッコミどころ満載だろうけどお許しくださいニャ」
恒「自信満々に書いといて何言ってんだニャー。ていうか『秘剣・富嶽』って何よ?」
べ「昔読んだ漫画でそんなのがあった気がするんだけど覚えてないんだよねー」
恒「適当かニャー!?」
肥田軍の大手門突破の報告を受けて佐々衆及び前田衆は城門から少し部隊を下げる。
城門周辺は乱戦になるので巻き込まれるのを避けるのと、城門突破を受けて後続の部隊が進むので道を空けておこうという事だ。
そして彼等の読み通り二番手の部隊である柴田衆と飯尾隊が姿を現す。
「おっ、権六のオッサンじゃないか。進むのか」
「二人共ご苦労だな。って誰がオッサンか」
「気を付けてくれよ。佐々衆は多分後退の指示が出るから援護できない」
「わかっとるさ、内蔵助。信長様の虎の子部隊をキズモノにしたら、如何に勝三と言えど叱られるだろうからな」
いずれは佐々衆にも前進命令は出る。
だがそれは三の丸門の前まで制圧して射撃陣地を構築してからの話である。
つまり鉄砲隊は安全を確保してからという事になる。
「張り切っているじゃねえか。流石、大手柄挙げたヤツは言う事が違うな」
「フッ、勝三のおかげでお市様をお待たせせずに済みそうだしな。ここは一つ、勝三の役に立って来るとしよう」
「無茶はしないでくれよ。陣を構築出来る場所さえ確保してくれればいいからさ」
「任せておけ。三の丸門前までキレイに掃除して呼んでやるとも。ではな」
そう言って勝家は笑顔で進んでいった。
そしてしばらくして部隊を纏めていた土居清良が成政の元に報告に来る。
「佐々様、本陣の殿から後退命令が来ました」
「ご苦労、清良。では撤収するぞ!」
本陣に居る恒興から後退命令が出た事で佐々衆と前田衆は本陣前に戻り暫しの休息となる。
予定通りの命令なので特に混乱も無く行動を開始する。
成政も清良も本陣へ行こうとしていたが、ただ一人利家だけが何か考え込む様に動かなかった。
「どうしたんだ、又左?本陣に戻らないのか」
「スマン、ちょっと行って来るわ」
成政が怪訝な顔をして利家に尋ねると、彼はハッと思い出した様に走り出す。
「は?ちょ、又左!?おま、何言って・・・」
「勝三には適当に言っといてくれー」
そして利家はそのまま反対方向に走り、城門に向かって行った。
成政にはどう考えても三の丸門に向かったとしか思えなかった。
「え?えー、・・・どう言えばいいんだよ、コレ」
「・・・部隊置いて行ったなんて、ウチの殿が聞いたら大激怒しそうなんですけど」
「だよねー」
基本的に部隊は部隊長が動かさなければならない。
当然なのだが部隊長が不在だと部隊自体が動かないのである。
つまり前田衆を戦わせるなら前田利家の存在は必須であり、上位の存在である総大将の恒興でも前田衆を動かす事が出来ないのだ。
これが家単位で物事を考える『武家』の弊害というもので、前田衆を動かすなら前田家当主か当主名代でなければならない。
あくまで恒興は利家を介して前田衆を動かせているに過ぎないのだ。
今はまだ本陣に戻るだけなのでいいのだが、現段階では前田衆は戦闘不能部隊と化した。
これを聞いて総大将の恒興がどう思うかなど考えるまでもなかった。
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柴田衆は三の丸門に逃げて行く敵兵を追い掛けて討ち取っていく。
逃げる相手というのは殆ど無抵抗となるため面白い様に討ち取れる、正に首刈時と言うべきだろう。
一般兵にとっても褒美の多少を決める大事な時である。
どんなに偉くて強そうな侍でも人数をかけて槍を突き出せば討ち取れるものだ。
一人の侍相手に5、6人で一斉にかかっていく。
こういう場合は褒美が良くなりそうな兜頸を積極的に狙って、農民と思われる雑兵はあまり狙わない。
稼げる時は稼げる頸が欲しいと言う事だろう。
そして三の丸門に向かう登り坂へ先行した柴田衆の兵は、坂の途中で刀を構える煌びやかな鎧兜を身にまとう侍を見付ける。
「お、見るからに良い鎧兜でねえか!」
「オラ達の手柄首にするべ!」
あれは良い手柄頸に違いないと兵士達は挙って侍に襲い掛かる。
一斉に十本くらいの槍を突き出され、躱す間など無い筈であった。
その侍は突き出された槍群に刀の切先を差し出すと、そっと左に受け流す。
そしてスペースの空いた右側の空間に自らの体を入れ、一息に雑兵との間合いを詰める。
「雑魚共が、身の程を知るが良い」
槍の間合いでは対処出来ない距離に詰め、侍は太刀を振るう。
突く、斬る、打つ、瞬きをする間に5人が殺傷される。
その太刀筋は美しい弧を描きつつも、全く無駄なく最速で刻む餓狼の剣。
一振り一断ちではない、点で打たず線で継ぐ。
その線上にある者は一様に斬られていく。
弧を描いて見えるものは赤い糸の如く拡がり、やがて兵の体と共に地面に崩れ落ちていく。
「ギャア!?腕がぁ!!」
「痛え!た、助けてくれぇ!」
侍は更に一息で五人を斬り刻む。
喉を突かれた者は即死だが腕や足を斬られた者達は逃げ果せる事が出来た。
それはこの三の丸門に続く道が登り坂だからだ。
つまりそのまま転がり落ちていけば助かるという事だ。
この侍にしてもそれを利用している、敵が有象無象にいるため一々トドメを刺していられないのだ。
そして北畠家の武者を討ち取ろうとしている織田兵の中に割って入り10人近く殺傷する。
助けられた北畠家の武者は顔を上げ、侍の姿を見て驚く。
その侍は彼等の主君、北畠具教その人であったからだ。
「お、御屋形様!申し訳ありません、何とお礼を申せば・・・」
「礼など不要。早く三の丸門まで退がれ」
「御屋形様、我等もここで共に戦います!」
「要らん、邪魔だ。今の私は手加減が出来ん、巻き込まれるのがオチだ。早く行け!」
「はっ、御武運を!」
足手まといだとキッパリ言われ家臣達は少し悔しそうな表情をするが、主君の強さを考え一礼してその場を立ち去った。
この主君には自分達が束になって掛かっても勝てない、それ程に強く自分達では援護にすらならないのだと。
「さて、逝くか。どれ程、道連れにしてやるか」
既に具教は死を覚悟していた。
大手門が大した苦もなく落とされてしまったのだ、同じ戦法を採られたら落城など当然だろう。
だからこそ前に出る気になった。
自分が討ち死にしたら降伏しろと嫡子の具房にも言ってある。
彼が考えているのは北畠の意地を見せる事、未来のためなるべく味方を救う事だけだった。
それはかつて幕府の大軍相手に一歩も退かず、意地を貫き通して討ち死にした先祖に倣おうと思ったのだ。
直ぐに煌びやかな鎧兜を着た具教目掛けて雑兵が殺到する。
たかが数十人斬ったくらいでは織田軍の勢いは止まらない。
「我、この身は剣鬼と為らん」
具教は静かに刀を構えて呟く。
そして多数の刀と槍の合間に身を踊らせ、赤い吹雪が吹き荒れる。
「血河に沈むが良い!」
次々と兵士達が多勢を武器に具教に襲い掛かるも、具教は動せず躱す、斬る、躱す、斬るを繰り返していく。
基本一人に対して一斬りのみで対応していく。
追撃は考えず、トドメは二の次である。
戦闘不能或いは手傷を負わせれば、坂道を利用して勝手に逃げて行くのだから。
具教にとってもその方が都合がいい。
トドメなどどうでもいい上に、自分の周りに死体が積み上がると動けなくなってしまう。
それに傷ついて戻った者達は具教の強さを吹聴するだろうから、織田軍の士気を減じる事にも繋がる。
具教は己に掛かって来る意気軒昂な兵士を斬っては転がしていった。
そうすることで彼は己に敵を引き付け、三の丸門に逃げ込む味方を助けていたのである。
そしてこの隊を統率する柴田勝家もその尋常でない強さを目の当たりにし、即座に部隊を退げようと大声で号令を出す。
「いかん!お前達の敵う相手では無い!全員退がれ!」
だがこれは失敗であった。
号令に気付いた具教は群がる雑兵を斬り捨てながら、指揮官である勝家に向かってきたのだ。
約十間(およそ18m)の間合いを飛んできたかの様に一、二足で詰め、勝家は逃げる隙もなかった。
「お前がこの隊の長か」
「いつの間に!?ガッ!?」
向かってきた具教を迎え討つべく勝家が振るった太刀は、下段から斬り上げてきた具教の太刀によって弾き飛ばされる。
勝家は自分の方が速く刀を振り下ろしたのに具教の方が先に命中した事に驚き、相手が相当な達人であると認識した。
「死ぬがよいっ!!」
斬り上げたはずの具教の刀は肩の高さ辺りで突然方向を変えて横薙ぎとなり勝家の首に迫る。
達人の剣に寸分の狂いも無く、勝家も迫り来る刃に自分の死を直感した。
(いかん!これは躱せん!?・・・そんな、ワシはここまでなのか?お市様、済みませぬ!!)
勝家の胸に後悔が木霊する。
手柄に焦り前に出過ぎた事、しっかり周りを制圧してから進むべきだったのだ。
何より自分の帰りを待っているであろうお市に対する謝罪の念が一番強かった。
だがその後悔も後ろから挙がった雄叫びに邪魔される。
「おぉぉりゃぁっ!!」
「何ぃ!?」
具教は驚きの声を上げる。
勝家の後ろから突如繰り出された朱い槍に自分の斬撃が弾かれてしまったからだ。
具教は手加減などしていない、戦場で手加減するほど思い上がってはいない。
だから斬撃が弾かれた事に驚いたのだ、生半可な力では自分の斬撃を弾く事は出来ないと。
それは具教に強者の到来を予感させた。
「退いてな!権六のオッサン!」
「又左か!?って、だから誰がオッサンだ!」
「『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』みたいな事はさせねえよ」
利家は母衣衆で聞いた噂話の中に戦場で家族や結婚の約束などの話をした奴は帰って来なくなるというものがあった。
故に利家は勝家が帰って来なくなる言葉を発したと思い追いかけてきたのだ。
そして間一髪で間に合った。
他には『無事に帰ったら1杯おごれよ』とか『先に行け!後から必ず行く!』とか『ちょっと田んぼの様子見に行ってくる』とかも言葉に発した者は帰って来れなくなると母衣衆で噂されていたりする。
「え?ワシ、そんな事言ったっけ?」
「いいから退がれよ!!」
「スマン、又左!」
既に自分の太刀も失っていた勝家は利家に任せ後退した。
利家は朱色の槍を構えて具教と相対する。
「悪ぃな、こっからは相手交代だ」
「気にするな、別に一騎討ちでもあるまいに」
「そうかい。じゃ、『槍の又左』こと前田又左衛門利家、罷り通るぜ!」
「我が名は北畠権中納言具教。北畠黄門とは私の事だ!」
権中納言の唐名は『黄門侍郎』である。
ここから権中納言の官位を持つ者は『黄門』と名乗る事がある。
他にも唐名で官位を名乗る者もおり、太政大臣を『相国』、内大臣を『内府』、右大臣を『右府』、衛門府を『金吾』、参議を『宰相』、左馬助や右馬助を『典厩』と呼ばせる者もいる。
自ら黄門を名乗った具教は静かに刀を中段に構え、利家と向かい合った。
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「勝三、佐々衆及び前田衆の後退は完了したよ」
成政は佐々衆と前田衆の後退完了を恒興に報告した。
本陣内には総大将の恒興と軍目付の加藤政盛と何故か暇そうにしている肥田玄蕃が居た。
「ご苦労様ニャ。ん?あれ、又左は?ニャんで内蔵助だけで報告に来るんだ?」
「あ、いや、又左のヤツはちょっと野暮用で・・・後で来るから、えーと」
恒興の疑問は当たり前で、この場合は成政と利家が二人で報告に来る義務がある。
基本として部隊長は戦闘の無い時は大体本陣に居て、不測の事態に備えるものだからだ。
だから恒興は二人で報告に来ると思っていた。
いきなりストレートに言いにくい事を聞かれてしまった成政は目を泳がせながら言い訳を試みる。
そして一発で恒興に看破される事になる。
「嘘の下手な男だニャー、ホントに。・・・言え、あのアホは何処ニャ」
「ゴメン、勝三。実は又左のヤツは多分、三の丸門に行ったんだと思う」
多分も何も戦場に向かって行ったのなら、目的地はそこ以外ないだろう。
その成政の説明に恒興は見る見る間に顔が赤くなり、顔付きも険しくなっていった。
恒興は激怒していたのだ。
「あぁぁんのアホがあぁぁ!何時まで武人気取りニャんだよっ!おい、誰か!あのアホを連れ戻せ!」
「ならば俺に任せてくれ!」
「何者だ?」
成政の後ろに控えていた若い男が前に出て名乗りを挙げる。
見知る顔では無かったので、政盛は反射的に恒興を庇う様な位置に立つ。
万が一刺客であった場合を考えての行動である。
成政が何も言わないところを見るに佐々衆の者でもない様なので政盛は名を尋ねる。
「俺は美濃国可児に生を受けし可児才蔵吉長と申す武辺者。・・・今は、そのー、前田家の陣借者(傭兵)をしてる、じゃなくて、してます」
(えっ、可児才蔵だと!?ソイツは婿殿の槍の師匠じゃニャいか!)
可児才蔵吉長。
恒興の前世において娘婿だった森武蔵守長可の槍の師匠と目される宝蔵院流槍術の達人である。
また非常に気難しい人物であり、同僚相手に乱闘騒ぎを起こしては出奔する。
既にこの時斎藤家をクビになっている。
「陣借者ごときが出しゃばるな!殿、こんな無礼者は直ぐに摘まみ出します」
本来陣借者は本陣に入っていい訳がない。
陣借者とは金で雇われる傭兵なので、金次第で敵になると認識されているからだ。
故に政盛は才蔵を即座に追い出そうとする。
これは当然の行為で自分の主君を危険からなるべく遠ざけるためだ。
「よし、才蔵に任せるニャー!必ず又左を連れ帰ってくれ。お前の槍の冴え、期待してるニャ」
「え?あれ?殿?」
そんな政盛の配慮とは裏腹に恒興は才蔵に利家回収の命令を出す。
先程までの怒りは何処へやら、恒興は面白い事が有った様に少し笑顔であった。
一方で政盛は呆気に取られていた。
(あの池田恒興が俺の槍の腕を買っているだと!?何故俺が槍に自信がある事を知ってるんだ?まさか陣借者でしかない俺を見ていたというのか?)
そして才蔵も驚いていた。
普通なら政盛が言った様に追い出されるのがいつものオチではある。
ただ傭兵暮らしで金が無く、褒美が出そうな仕事にダメ元で飛び付いてみただけだった。
そのために密かに成政の部下に混ざって本陣に入った。
ここなら色んな情報が入り仕事がありそうだったからだ。
だが驚いたことに総大将の恒興は前田家の陣借者で『足軽組頭』でしかない才蔵の事を知っている様だ。
『足軽組頭』とは足軽を20人程統率する足軽大将の下の位となる、一兵卒よりは上程度でしかない。
恒興など雲の上の人間であり、普通は見てすら貰えない。
なのに恒興は才蔵の槍の腕前をも知っているという。
才蔵は見てくれる人は見てくれているんだなと思った。
「頼んだニャー」
「ああ、任せてくれ!じゃなくて、お任せくだされ!」
そして才蔵はこの任務だけは絶対に失敗出来ないと自らを奮起させた。
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その頃、三の丸門に向かう坂道で強者同士の闘いが繰り広げられていた。
坂の真ん中はその二人しか居らず、争っていたはずの両陣営は戦いを止め二人を見ていた。
この二人に迂闊に近寄ると敵味方関係なく巻き込まれてしまうため、自然と他の戦いが止まってしまったのである。
そしていつしかこれは織田家代表と北畠家代表による一騎討ちと認識され、両陣営の兵から歓声が送られていた。
そんな事は全く気にせず利家は具教を攻め立てる。
相手に反撃の隙を与えないとばかりに攻撃を繰り出していく。
利家の朱槍が突き出される。
それを具教は右足を半歩下げて、体を反らし槍を躱す。
だが躱されたはずの槍は利家の力によって無理やり横薙ぎに変化する。
槍という武器は突くと叩くが主な攻撃方法となる。
雑兵の長柄槍になると材質、長さから良くしなるため、突く攻撃にすら向かない。
だが武将や騎馬隊が使う手持ち槍は大体一間槍(1m~2mで人によって違う)が多くしなることはない。
具教はその槍の穂先に刀の切先を合わせると下段から上に斬り上げる。
穂先を合わされた槍は刀の動きと共に跳ね上げられ、具教の頭上を通過する。
槍を受け流され態勢を崩した利家に、今度は具教が襲い掛かる。
斬り上げた刀を返し、更に踏み込んで上段『唐竹割り』へと変化する。
その変化に澱みはなく、まるで最初からそうするつもりだったと言わんばかりの速さで利家に襲い掛かる。
対して利家は己の強力で態勢を無理やり立て直し、槍の『石突き』の方で受け止める。
攻撃を受け止められた具教は感心した様な顔をして、一度離れた。
当てたと思った斬撃を防がれたので、間合いを仕切り直したのである。
「フム、我流の槍でよくぞここまでの実力を。私もお前の認識を改めるとしよう、お前は武人だ」
「そりゃどうも!」
利家は間合いを詰める。
これまでの闘いから刀の届かない安全圏からの槍は全て当たらない。
ならワザと相手の間合いに入って攻撃を誘発する。
またはそのまま突撃してパワーで圧倒する作戦に出る。
相手が後の先、つまりカウンターを得意としているなら、その逆をやってやろうと思ったのだ。
単純な力だけならこちらの方が上と見た利家は、相手を吹き飛ばす勢いで間合いを詰める。
勢いそのままに槍の柄をぶつけられた具教は、刀で受け止めるも後ろへ下がる。
明らかに力勝負を嫌っていた。
そして苦し紛れに袈裟斬りを放って牽制する。
だがそれこそ利家が求めていた隙であった。
「その隙貰ったっ!」
更に踏み込んで間を詰める利家。
斬撃を放った具教に躱す術は無い・・・はずであった。
「返し刃、『逆風の太刀』!!」
「つぁっ!?」
利家の背中に冷たいものが走る、それは本能の危険信号の様であった。
途端に危険を察知した利家は反射的に槍の石突きを地面に立てる。
上段から打ち下ろされた袈裟斬りが地面スレスレで軌道を変え、横薙ぎに変化していた。
その軌道の先にあるものは利家の太腿である。
間一髪で石突きを立てる方が速く、足の切断は防いだ。
だが防ぎきれなかった斬撃により、利家は太腿に裂傷を負う事になった。
『逆風の太刀』は上段から打ち下ろしを放った後、更に踏み込んで太刀の軌道を横薙ぎに変えるもの。
その軌道は『L字』を描き、足や腕を狙うものが多い。
「テメエぇ、今足狙いやがったな!」
「当たり前だ。ここは戦場、一々頭など割ってられるか。だが良く躱した、大した野生の勘だと褒めてやろう」
「ほざきやがれっ!」
利家に先程までの勢いを出す事は出来なかった。
まず一つは具教の構えが中段から下段へと変化した事。
下段からの斬撃は上段から程の威力が出る訳ではないが速いのである。
少し斬り上げるだけで相手の体に届く上に、人間の腰より下というのは防御もやりにくい。
もう一つは具教の狙いだ。
明らかに利家の腕や足を狙う様になってきたのだ。
これにより間合いが拡がっており、利家の対応が遅れたのである。
(くそっ、さっきから足や腕ばかり狙ってきやがる)
「苛立っているな」
「へっ、高名な剣豪大名様がセコイとこばっか狙ってくるんでガッカリしてんのさ」
「お前を武人と認めての事だ。言っておくが戦場で上段からの斬り下ろしや中段の胴断ちを行う者はただの素人だ。面打ちや胴断ちといった技は戦場では使い物にならん」
実戦剣術というものは『相手に手傷を負わせる』技が多い。
つまり相手の命を奪わなくても少しの手傷で不利を悟らせる、又は戦闘不能に追い込む方が重視されている。
相手を一撃で死に到らしめる技は少ないという事は、相手へのトドメは最初から重視されていないのだ。
面打ちや胴断ちといった動作が剣術に組み込まれるのは、あくまで竹刀が開発され剣術が武士の嗜みになっていく慶長年間以降の話である。
「初めは斬り下ろしも横薙ぎも使ってきたじゃねえかよ」
「お前を意気がっているだけの素人と思っていたからな」
人を恐れさせるなら見せる技は派手なのがいい。
具教が素人相手には上段や中段で構えていたのもそういう事だ。
刃を向けていた方がより恐怖を叩き込めるからである。
下段は刀を退いている様に見えるため、大多数に恐怖を叩き込むのに適していない。
故に利家の様な強者専用であり、具教が本気になった証でもある。
「お前は刀で鎧兜を断てると思うか?」
「それが出来るのが達人なんじゃねえのか」
「馬鹿な事を。私であっても鎧兜を断つならば、適切な間合いに固定し精神を極度に集中させねばならん。それが戦場で出来ると思うか。そしてもう一つ、一度でも鉄を叩いた太刀は切れ味が格段に落ちる。刃が潰れるからな。故に長く戦うなら鉄甲の比較的少ない腕、腿、喉が狙い目となる」
『兜割り』というものがある。
これは相当の達人にしか出来ず、鹿島新当流を極めたという具教であってもかなり難しい。
それが戦場の混戦の中で出来る訳もなく、彼の斬り下ろしは全て見せかけの脅しという事だ。
何しろそれで兜を叩いてしまったら刀など直ぐに使えなくなるからだ。
当然体にも鎧があり、胴に刀を当てるのも厳禁だ。
だから達人は比較的に鉄甲が少ない腕、腿、喉を狙っていく。
剣術とは戦場で生き残るために生まれたモノ、勝つ事は二の次でしかない。
「刀は七人斬ったら使い物にならなくなると聞いたんだが?」
「くだらん戯言だ。お前の家の台所包丁は七回使ったら切れなくなるのか?肉を斬ったくらいで鈍る物は『なまくら』と言うのだ。だが如何な名刀と言えど硬い物を打てば1回で使えなくなる事もある。要は鎧兜や骨に当てなければよい。そういう戦い方をしているからこそ、私は既に百人以上斬っているのだ。・・・どれくらい死んだかは知らんがな」
刀は七人斬ったら斬れなくなると言われているが、何故そう言われるのかはよくわからない。
曰く、人の血脂が付いて切れ味が鈍ると言われる。
だが血脂はどの動物でも有り、肉を捌いたくらいで包丁の切れ味は大して落ちないはずである。
それよりは鎧兜や骨を叩いたら切れ味は格段に落ちる。
切れ味を出している刃は非常に薄いため潰れやすい上に欠けやすい。
だから勝家の様に刀は殴る道具として使うのが一般的なのだ。
何しろ素人剣技で鎧兜や骨に当てずに相手を斬れるかという事だ。
「化物が」
「そろそろ終わりにしよう」
具教は膝をバネの様に使って柔らかく跳ぶ。
そのゆったりとした動きに虚を突かれて、利家の動きは一瞬遅れる。
だがあまりにゆったりとした動きであり対応など大して難しいものではなかった。
利家は槍を横に構えて上段からのゆったりとした斬り下ろしを受け止める。
こんな遅い動作の剣を受け止めるなど、利家にとっては造作もない事だ。
・・・そのはずだった。
(バカな、防いだ手応えがねえ!?)
信じられない事が起こった。
利家の槍と具教の刀がぶつかった時に起こるであろう衝撃が全く感じられず、事もあろうか刀の切先が槍をすり抜けてきたのだ。
利家は目の前で起こった事が理解できず、そして具教の刀はそのまま利家の右太腿を大きく斬りつける。
「秘剣・『富嶽』。私にこれを使わせるとは大した漢だ」
「ガアアァァァ!?チクショーがっ!!」
痛みに堪える利家だが流血が酷く、右足に力を入れる事も出来なかった。
そしてその隙を見逃してくれる程、目の前にいる男は生易しく無かった。
既に具教は利家の喉を目掛けて突きを繰り出す体勢に入っていた。
「我流でここまでの実力を身に付けたお前の才能は惜しいが、これも宿命よ。死ぬがよい!!」
(ダメだ、躱せねえ!足が動いてくれねえ!ここまでなのか、チクショー!!)
覚悟を決めて両腕で喉及び顔をガードする利家。
もしも防げたのなら左足で地面を蹴って離脱しようくらいには考えていたのだが、傍で「ガギッ」という金属音しか聞こえて来なかった。
「・・・ん?あれ?」
「くっ!?」
顔を上げた利家が見たものは、自分に対して突きを繰り出した体勢で固まっている具教だ。
そして自分の頭の横から伸びて具教の刀を絡めて止めている鎌槍であった。
「わりぃな。邪魔させてもらうわ」
「何奴っ!?」
「敵だ、見たら判るだろう」
利家と具教の勝負に乱入してきた鎌槍の主は可児才蔵吉長。
恒興が利家救出(連れ戻し)のために派遣した前田家の陣借者であった。
具教は絡められている己の刀を引き抜き、一旦間合いを取る。
「テメエ、才蔵か!何、邪魔してんだ!」
「悪いが大将の命令は聞けないんだわ、これが」
「んだとぉ!?」
「いや、何しろ総大将の命令なんでね」
蹲って文句を言う利家を才蔵は総大将の命令だと言い黙らせる。
今の才蔵は前田家の陣借者ではない、総大将・池田恒興の任務を受けた武将なのだ。
才蔵は自分の槍を水平に構え具教と相対する。
一方の具教は才蔵をただの武辺者ではない事を見破っていた。
(この男、出来る。雑兵などではない。構えといい、立ち居振る舞いといい、立ち上る闘気は達人のものだ。しかも手に持つ槍は『十文字鎌槍』)
「宝蔵院、か」
「よくご存知で。宝蔵院覚禅房胤栄の弟子、可児才蔵吉長。悪いがウチの大将は回収させてもらうぜ」
『覚禅房胤栄』とは宝蔵院流槍術の創始者で興福寺子院の宝蔵院(寶藏院)の院主でもある。
彼が考案した十文字鎌槍は宝蔵院流槍術の代名詞といっていい程の代物で、攻防一体の優れた槍である。
特徴的な十文字の穂先は刀を受け止められるだけではなく、その状態で穂先を回転させれば相手から刀を奪うことも可能なのである。
才蔵は幼い頃に興福寺に入りこの胤栄に槍を学んだ。
その腕前を見込まれて斎藤家で働き始めたが、1年もしない内に同僚をボコボコにして放逐された。
(ここにきて宝蔵院流槍術の使い手が相手か。相手にとって不足はない、と言いたいところだが不利だな)
北畠具教が問題としているのは自分と刀の疲労である。
既に数え切れない程の相手を斬った上に、利家の様な強者を相手にして具教はかなり疲れていた。
更には消耗しないように使ってきたとは言え、刀の方も限界が近いと思われる。
この状態から才蔵の様な宝蔵院流槍術を学んだ達人を相手にするのである。
具教の不利は否めなかった。
(だが!退く訳にはいかぬ!)
具教は気合を入れ直した。
最初から彼に退転の道など無いのだから。
だが目の前で相対する才蔵からはやる気が感じられなかった。
「一つ、提案があるんだがね」
「何だ?」
「俺は総大将からウチの大将の回収を命じられただけなんだわ。なんでお互い仕切り直さないかい?」
「・・・」
「あんたの様な武人とは万全な状態で死合いたいもんだ。そんな折れかけの刀と疲れた体ではなくな、どうだい?」
才蔵には見抜かれていた。
自分の疲労と刀の状態を。
特に刀はもうダメかも知れない。
流石に利家の槍を受け続けたため大分斬れ味が鈍っている。
あの利家の右太腿を大きく斬り付けた斬撃にしても、本来なら足を切断出来た一撃なのだ。
つまり具教の刀はもう斬れ味を殆ど失っている上に十文字槍を受ければ折れるかも知れないほど疲労していた。
「・・・フゥ、よかろう。斬り過ぎて疲れたわ」
具教はここまでかと諦め、才蔵の案を飲んだ。
そして刀を鞘に納め、味方の待つ三の丸門へ歩いて行った。
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具教が三の丸門に着くと北畠家の将兵から歓声が揚がる。
彼の奮戦に勇気付けられ士気が上がっていたのである。
嫡子の北畠具房も父親である具教を笑顔で出迎える。
「父上、よくぞお帰り下さいました。この具房、父上の強さに感動致しました!」
具房は感涙といった感じで喜び、これからの籠城戦を戦い抜く意思を固めていた。
他の将兵も同じ気持ちであり、戦いはまだこれからだと意気を入れる。
「このまま織田軍を追い返しましょう!」
「馬鹿を言うな、この戦いはもう終わりだ」
だがその中で具教だけが冷めた顔をしていた。
そもそも彼は最後の戦いをするために出たのだ。
結果生きて帰っただけで、既に最後の戦いは終わってしまっていたのである。
「え、何故で御座いますか?」
「弱すぎる、兵が面白い様に逃げていく」
「それ故『弱卒の尾張』と呼ばれるのでしょう」
「違う。奴等は『督戦』を置いておらん。だから兵が好きなだけ逃げるのだ」
『督戦』部隊。
これを一言で言うなら『味方討ち部隊』である。
戦場で一番困るのは兵士が前に進まない事である。
故に進まなければ殺すぞと脅す部隊が各大名家に必ず居る。
織田家において本来その任務を負うのは馬廻り衆や母衣衆のはずではあるが、信長自身があまり使いたがらないのか督戦していない。
だから織田家の兵士は簡単に逃げていくのである。
これが『弱卒の尾張者』という悪評に繋がっている。
だが信長はそれでも督戦部隊を置かない。
何故か兵を逃げさせず追い込む『督戦』を選ばず、兵が逃げずに戦える『武器』と『訓練』に重点を置いている。
この点も織田家が他の大名と一線を画しているところだろう。
「故に奴等からはこの大河内城を何が何でも落とそうという意志が感じられん。直ぐに和議の使者が来るだろう」
具教は恒興の思惑を見抜いた、恒興は督戦部隊を置いてまで大河内城を落とす意志はないのだと。
そこに北畠家の存続の道を具教は見出した。
「受けるのですか、和議を?」
「・・・かつて我等の父祖は親族を見捨ててまで幕府に尻尾を振り生き延びた事がある。北畠の名跡を残すためなら、私も苦渋を飲まねばならん」
具教が言っているのは足利6代目将軍義教が赤松満祐に暗殺された『嘉吉の乱』の事だ。
この時の北畠当主教具は縁者であった赤松家の者を見捨て自害に追い込み、首を幕府に差し出したのである。
先代が討ち取られる程の甚大な被害を幕府軍から被って、まだ立ち直っていなかった北畠家は幕府に逆らえなかったのである。
「・・・父上・・・」
「奴等が督戦を置いた時が我らの滅びの時だ。故にその前に決着させる」
いくら恒興が督戦部隊を置いてまで大河内城を落とす意志はないとは言っても、意地を張られ続ければ覚悟を決めるだろう。
それこそ大手門を攻めた好戦的な部隊が先頭に来るはずだ。
大量の鉄砲隊も出てくるだろう。
結局、自分一人の奮戦でどうにか出来る戦いではない事を具教は認識したのだった。
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利家は退却後、斬られた足の手当を済ませ本陣に向かっていた。
とは言うものの才蔵の肩に掴まって歩くのがやっとではあったが。
「才蔵、テメエ、覚えてろよ」
「肩貸さなきゃ歩けないのに強気だねぇ、ウチの大将は」
担架を使えばいいのにと思う才蔵だったが、何故か利家が歩く事に拘ったため肩を貸す事になっていた。
人に弱っている姿を見られたくないという事らしい。
傾奇者はホント面倒くさいなと才蔵は思う。
「うるせえ、あのままやってたって俺は平気だったんだ!」
「はいはい、そういう事にしておきますよ。でも大将は俺に構うより自分の事を心配した方がいいと思いますがね」
「あ?そりゃどういう・・・」
言われて利家も才蔵の視線の先に誰かがいることを認識した。
そこにいたのは本陣に居るはずの総大将・池田恒興だった、彼が仁王立ちして待っていた。
「よう、又左。おかえりだニャー」
「お、おお。た、ただいま」
「楽しかったかニャ?部隊放っといて遊びに行った挙句、負傷して更にもう少しで死ぬところだったニャんて笑えもせんのだけど?」
恒興は皮肉をたっぷり塗り込んで利家を出迎える。
というか待ちきれずに本陣から出て来たのである。
「いや、あれは、そのー、柴田のオッサンを救うためでさ。戦場で家族や結婚の話をするヤツは帰ってこないという伝説が・・・」
「・・・一応、お前が権六を救ったという話は聞いたニャ。だから減刑してやる。この件を信長様とお松っちゃんに報告されるのと、今すぐニャーに拳骨落とされるのと、好きに選べニャー」
(・・・コレ、信長様に知られれば絶対怒られるよな。それよりヤバイのは松に知られることだ。アイツにこんなん知られたらジャンピングニーじゃ済まねえ!シャイニングウィザードが飛んでくるかも!)
後年、出陣は金が掛かると渋った利家に対し松は『その金に槍持たせて出撃させろ』とジャンピングニーパッド(両膝)で利家に向かって飛んできたという逸話があるとか。
という訳で利家に選択肢は一つしかなかった。
「拳骨でお願いします」
「ようし、歯ぁ食いしばれニャ。このアホンダラがぁぁぁっ!!」
「いでぇっ!」
本陣前の野原で炸裂した恒興の拳骨に、利家は悲鳴を上げるのだった。
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利家に拳骨を落とした後は、彼を休ませることにした。
本人は前田衆の指揮に出ると言い張ったが、恒興は佐々衆も前田衆も本陣待機だと言い渡して無理やり休ませた。
現在前衛には遠藤軍、佐藤軍、岸軍が出ているので問題は無いだろう。
そして退かせた柴田衆と飯尾隊の損害報告を受ける。
「殿、申し訳ございませぬ。我が隊が恐慌状態に陥り、士気が低下しております」
「こちらもだ、勝三。柴田衆もしばらく動けそうにない」
予想通りではあったが具教の恐ろしい暴れ方を目の当たりにして士気がかなり下がっていた。
一方で美濃者達は腕が鳴るわと言うくらいに意気軒昂だそうだ。
こういうところに兵の強さの差があるなと恒興は思う。
「ああ、分かったニャ。両隊には本陣待機を命じる。それで、どれくらい殺られたんだニャ?」
「死者26名、負傷者138名です。・・・全てあの北畠具教一人に」
「アイツ、マジで化物だニャー。兵はゆっくり休ませろ」
「はっ!」
(ふう、利家が具教を止めたおかげでこの程度で済んだというべきかニャー。・・・功績には数えといてやるか)
利家が具教を止めていなかったら勝家は死んでいたし、死傷者はもっと増えていただろう。
そして柴田衆は崩壊する、そうなれば一緒にいた飯尾隊も連鎖的に崩壊したはずだ。
結果論ではあるが利家は勝家を救い、味方を救い、隊の崩壊を食い止めたと言える。
その分はちゃんと功績として数えておこう。
そう恒興は思った。
可児才蔵吉長。
恒興の護衛になれそうな達人を探してチョイスしました。
でも不利になると主君を置いて逃げるので護衛としては微妙?
それとも羽柴秀次が尊敬されてなかっただけかニャ?
早生まれになってしまったけど、この時期で畿内の達人って石舟斎さんか胤栄さんくらいしか見当たらないんだよね。