大望を支える柱
「フム」
パチッと小気味良い音を立てて土居宗珊が碁盤に碁石を打つ。
「成る程、成る程なぁ。そう来るかい」
「・・・細かすぎてさっぱり解らんニャー」
「そうですな、某がやや劣勢かと」
「そうは言っても1目も負けちゃいねぇでしょ。気ぃ抜くと何時やられるやら」
宗珊と対局しているのは新しく碁の教師として池田家に来た白井入道浄三である。
恒興は年の功か池田家では宗珊が一番碁が強いので浄三と対局させてみた。
「くぅ、先生負かしてあの情報を聞き出そうと思ったのにニャー」
「おいおい、自分で勝てよ。情報って言うのは三好家の内情の事かい?」
あの情報とは浄三が桑名で言っていた三好家の侍減少対策である。
どの武家でもそうだが侍の数は統治の要である。
大半の戦国の大名の様に奪って焼けばいい、統治は恐怖のみでやる、統治出来ない人数なら強制的に減らすでやるのなら大した問題もない。
まあ、だから恨みばかり買って戦乱が終わらない訳だが。
ここから脱却出来た大名が大きく成長していると言える。
毛利家、北条家、そして新たに織田家も加わる。
三好家もそうであったが重要な柱を全部失い現在崩壊中である。
これを食い止める三好三人衆の方策とは何かを恒興は知りたいのである。
「そうだよ、答えが気になるんだニャ」
「別にそんなに難しい話じゃないさ。三好家の侍が減った。じゃあ侍以外で民衆を統治出来るのは誰だい?」
「寺社衆でしょうな」
宗珊が即座に答える。
「流石、流石は宗珊殿。正解だぁな。さて摂津国を中心とした畿内に広く勢力を持つ寺社衆と言えば?」
「そうか、『石山本願寺』だニャ」
寺社衆と聞いて恒興も即座に石山本願寺の名にたどり着く。
前世の記憶を持っていれば当たり前の様に出てくる名前だ。
「その通りだぁな。ワシが長慶様に仕える前は三好三人衆の三好長逸に仕えていたんだが、あの御仁は本願寺の顕如法主や下間の坊官達と親友関係なんだぜ。知ってたかい?」
(そういう事か、三好三人衆と本願寺は最初から繋がっていたんだニャ。・・・あの動きは全て計画済みだったというわけか)
恒興の前世において石山本願寺は突然織田軍に襲いかかった。
想定していなかった敵の出現に野田城・福島城攻略戦は苦戦し撤退。
この戦いでは佐々成政が負傷する程の大苦戦であった。
同時期に浅井朝倉延暦寺連合軍が朽木領を南下、宇佐山城の戦いにて信長の弟・織田信治と寵臣・森可成が討ち死に。
更に2ヶ月後には長島一向一揆が決起、滝川一益を撃退し小木江城を落城させた。
この時に小木江城主で信長の弟・織田信興は城に火を放って自刃した。
この本願寺の一連の動きで信長は弟二人に寵臣を失ってしまった。
だからこの報復は苛烈を極める事になる。
「しかし本願寺も三好家が当てにならなければ乗り換えるだけではないかな」
「かも知れん。そこら辺は織田家と本願寺の仲次第とも言えるわな」
「スイマセン、ご先代が本願寺の座(市場)を押領してるので無理だニャー。長島が要塞化しとります」
「おいおい、一番やっちゃならねえ事をサラリとやってんな。こりゃ覚悟しといた方がいいぜ」
織田家先代・織田信秀は尾張に点在していた寺の座を、津島の利益拡大のために押領した。
それは他の武家から座を奪っていたら主家である織田大和守家が怒って戦争になったからだ。
この点在していた寺というのが大体長島を中心に西尾張に勢力を持っていた『浄土真宗本願寺派』である。
この時代の寺は腐敗して私腹を肥やしていると認識されがちではあるが、それは総本山の様な大きい寺くらいである。
地方の末寺はそこまで大きく稼げる訳でもないし、持っている座の権利も精々一つくらいだ。
一応本部への送金という看板料の様な義務もあるが、大体の稼ぎの使い道は『子供達』のためである。
そう、この時代の寺は『孤児院』の役割がある。
また、家督争いを防ぐ目的で武家の子供が寺に預けられる事も頻繁にある。
この子供達をお布施だけで養うのは現実的とは言えない。
だから寺を作る→寺を中心に寺内町が形成される→寺の門前に市場が出来る→市場を寺が仕切り見返りを貰う→この稼ぎから本部への送金と孤児の養育費を捻出という構図が出来上がった。
信秀が押領したのはこれである。
それで末寺は本部への送金が出来なくなって発覚、その時の本願寺法主にバレて大激怒されたということである。
「ううむ、ここまでか。投了だ」
「いい勝負だったぜ、宗珊殿。流石、流石だぁな」
「ウチで一番碁が強い宗珊でも勝てんとは。まあ、教師にした甲斐はあったニャー」
宗珊の碁の強さは恒興よりも上なので、浄三はそれと同等以上である事を証明してみせた。
負けた宗珊にしても久し振りに良い勝負だったと満足気であった。
そこに滝川一盛が報告にやって来た。
現在彼は南伊勢の豪族達との連絡役になっている。
南伊勢と地縁のある彼が一番適任だからだ。
「殿、只今戻りました」
「おお、一盛か。ニャにか動きはあったか」
「はい、分部殿から長野家先代当主の娘を匿う事に成功したとのことです」
その報告に恒興は漸く時が来た事を悟る。
今回の作戦の柱の一つとなるのが長野家先代の娘で、これを分部光嘉に確保させた。
光嘉は長野家先代の娘はお家再興や家督奪還の旗頭にされかねないので、今の内に小さな豪族に払い下げようと長野家当主・具藤に提案した。
具藤は一理あるとし家老の光嘉の提案を受け入れ、娘の払い下げ先も彼に委ねたとのこと。
主君から信用されている様で、素晴らしい面従腹背である。
「いよいよですな、殿」
「ああ、宗珊は中濃軍団全軍の出陣準備を頼むニャー。一盛、一度分部と会いたいから場所を設定してくれ。出来れば桑名で、ダメなら船上でもいいニャ」
「はっ、お任せくだされ」
「直ちに」
ここからは速さが重要になる。
もしも娘の払い下げに時間が掛かると具藤が光嘉に疑念を抱く可能性が高まる。
なるべく南伊勢に損害を出さず制圧するには、今動くのが最良となるだろう。
「ニャーは信長様に報告、その後は桑名城の滝川殿の所に行くニャー。えーと先生はどうする?」
「弟子が出掛けちまうんなら、ワシはちと長島見てくるわ。何か思いついたら教えてやるよ」
「よろしく頼むニャー」
恒興は浄三を束縛する気はない。
元々碁の教師だし、彼の活躍の場所はおそらく三好家との戦いになるだろう。
ただ彼自身は積極的に動いてくれる様なので、恒興は好きに任せる事にした。
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この日、恒興は小牧山城に登城し信長に南伊勢攻略の報告に来た。
南伊勢長野家制圧の件で信長の許可が必要な事案があるからだ。
前々から打診はしているので返事を聞くだけで終わるが。
「お兄様、お待ち下さいな」
恒興は後ろから女性の声で意外な言葉を聞いた。
今までに恒興の事を『お兄様』と呼ぶ者など存在しない。
何しろ実の妹は『兄』だけだし、新しい妹は『お兄ちゃん』である。
とりわけ新しい妹の方が可愛らしいなと恒興は思う。
では『お兄様』は別の人間だという可能性が高いと思うのだが、生憎とここには恒興以外いない。
という訳で恒興は振り向く事にした、その女性が何か勘違いをしているのなら正してやればいいだけだと。
そして振り向いた先には・・・信長の妹、『市姫』がいた。
「・・・お市様?これは失礼致しましたニャ」
「ああ、良かった。最近お忙しそうで声を掛け辛かったのですが、どうしてもお聞きしたい事がありまして」
綺麗な着物を着て上品な立ち居振舞いの正に大名家の姫という感じの少女。
顔立ちも整い、長い髪を少しも乱さず歩く様は美人だという感想を恒興は持った。
彼女がここまで姫様然としているのは、やはり信長の過保護の賜物だろう。
恒興の妹でもある信長の妹・栄は何故ああなったと差を感じずにはいられなかった。
多分信長の過保護によって箱入りに育ったのか、我が儘に育ったのかの違いであると思われる。
「はぁ、何でしょうかニャ?」
「・・・姉上様から伺ってはいましたが、本当に他人行儀に話されるのですね。前は『お市』とお呼びくださいましたのに」
とりあえず恒興に市から呼び止められる覚えは無いが用件は聞いてみる。
その態度が他人行儀に過ぎたのか非難されてしまうが、そこは置いておく。
とりわけ問題なのは以前の恒興が市を呼び捨てにしていた件だ。
(またお前か、桶狭間以前のニャー!主君の妹を呼び捨てにしてんじゃねーギャ!)
とりあえず恒興は桶狭間以前のノーマル恒興を見付けたら殴る事にした。
信長の妻・帰蝶の時の件も含めて。
「さ、流石にニャーも城主という立場になって弁えようと思った訳でして。どうかご寛恕頂きたく」
「そうなのですか。城主って大変ですね」
(良かった。お市様は箱入り娘だから素直に納得してくれるニャー)
恒興の言い訳に市は素直に納得する。
箱入りなだけあって彼女は恒興が苦し紛れの言い訳をしているとは思わない様だ。
「それでお兄様がお薦め下さっている縁談なのですが」
「はい!?」
恒興はその言葉の有り得なさに素っ頓狂な声を上げてしまう。
お薦め下さっているも何も恒興は初耳である。
大体一家臣である恒興が何故主君信長の妹の縁談を世話しなければならないというのか。
もしも世話するなら家老の林佐渡であろう。
「ですから私と柴田様の婚姻の件ですが」
(待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て・・・ニャんの話?コレ?)
恒興には何故そんな話が出ているのか、さっぱり解らなかった。
そしてそのさっぱり解らない話が何故に恒興推薦なのかさっぱり理解出来なかった。
だが恒興にさっぱり心当たりが無い訳ではない。
市に問題無く会えて、その上で恒興に責任を振ってくる人間などそう何人もいる訳ではない。
一人は義兄にして主君の織田信長、そして今一人は最近よく出掛けていて行動が見えない人。
それも全て市から聞けば早い話だ。
「あの、その話は誰から?」
「お義母様からです。いつも恋文を持ってきてくださいますし」
(やっぱりアンタかーい!!最近ちょくちょく出掛けてると思ったら何しとるニャー!!)
恒興の予感は的中した、というより母親の養徳院くらいしかいないと恒興は思っていた。
というか勝家を嫌っている信長がこんな縁談を薦める訳がないし、家格の差から言っても有り得ない。
市から「お義母様」とまで呼ばれ慕われている養徳院だからこそ出来る話だ。
(マ、マズイニャー、あの用意周到な母上の事だから信長様にも話が行ってるんじゃなかろうか。・・・報告止めて帰りてぇ)
養徳院は市に何の許可も必要とせず会えるが、それは信長に対しても同じである。
何しろ彼女は信長の乳母なのだから。
母親に等しい人が会いに来て、許可を取れと言う息子はそうそういないだろう。
「あ、あのですね、お市様。冷静になってくださいニャー。相手が柴田勝家でよろしいのですかニャ?」
「それは好きかどうかというお話ですか?」
「そうですニャ」
「そう言われましても、私は柴田様を拝見した事が無いので分かりません」
市はそもそも柴田勝家と会う機会は無いだろう。
この場合は紹介されていないという意味で護衛のモブ侍としては会ったことはあると思われる。
つまり勝家は護衛対象の市は知っているが、市は護衛の一人に過ぎない勝家を知らない訳である。
後は信勝の附家老時代に勝家が一方的に見初めたという事かも知れない。
(ですよねー。今の勝家って家臣としても小身だし、信長様からも遠ざけられてるから普通に会う機会なんて無いわニャ)
柴田家はそもそも土豪レベルである。
勝家が己の身一つで立身したと言っても過言ではなく、信秀の馬廻衆に抜擢され戦場で功を立てて大きくしたのだ。
とはいえ、まだ小豪族程度で小身と言わざるを得ない。
「でも手紙の文面からとても情熱的な方だと言うことは解ります。お義母様も愛するより愛された方が幸せになれるとお教えいただきましたし」
手紙の文面と聞いて恒興は少し引っかかる。
あの無骨な柴田勝家が恋文を上手く書けるのだろうかと。
もしかしたら養徳院が出かけているのは手紙の受け渡しだけではなく、文章指導も行っているのではないだろうか。
だがいくら本人同士(+1)で盛り上がっても、この縁談は絶対に成功しない。
その最たる問題が家格である。
「そ、そうニャんですか・・・でもその結婚には問題がありまして。柴田家が小身過ぎるのですニャー」
「はぁ、でもその問題はお兄様が解決してくださるとお義母様が仰っておりましたよ。ですのでその進捗が聞きたくてお呼び止めしましたの」
(おいぃぃぃーー!!どんな無茶振りだニャァァァー!!母上ぇぇぇ!!)
そしてその最たる問題が母親によって恒興にぶん投げられていた。
一応武家同士の話なので家格自体は上げる事は可能である。
現に織田家では何人か大身に成り上がっている、恒興もその一人だ。
「あとですニャー、信長様の許可が出るかという問題が一番大きくてですニャー」
「はい、そうですね。兄上様もお兄様が何時来られるのか楽しみだと仰っておりましたよ」
どうやら市は信長を兄上様と呼び、恒興をお兄様で分けている様だが問題はそこではない。
やはりというべきか、この話が信長の元まで届いている。
(マジで帰りたいニャー。誰か助けてー)
「の、信長様の所に行ってきます・・・ニャー」
「頑張ってくださいね、お兄様」
ここで恒興は信長の元に行くと言って市と別れた。
市は恒興が信長の許可を取りに行くのだと思ったのか応援してくれた。
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恒興は市と別れ、信長への面会を申し込む。
許可は直ぐに出たが通された部屋は大広間ではなく、信長の私室であった。
別に恒興はここに入るのが初めてという訳ではない。
ただ、ここを使うという事は他の家臣に知られたくない話をするという信長の意思表示である。
恒興は中に居る信長の許可を得て、覚悟を決めてから部屋の中に入る。
「よぉ、恒興。・・・会いたかったぜぇ。さあて、どんな話をしてくれるんだ?」
その部屋の上座で座っている信長は恒興を確認すると嗤った。
ようやく会えたなぁと言わんばかりの笑みであった。
(ヤベエエェェェー!!?これ怒ってる時の信長様だニャー!!)
流石に付き合いの長い恒興にはその嗤い顔が何を意味しているのか直ぐに理解出来た。
こうなれば恒興の取るべき手段はただ一つであった。
「えー、まず長野家制圧の件ですが準備が整いまして。で、ですニャー」
「ああ、その件な。こちらからは弟の信包を長野家の養子に出す。本人も了承済みだから話を進めろ」
「はっ、了解いたしましたニャー。ではこれにてっ!」
恒興の取るべき手段、それは『必要な会話だけして戦略的撤退』である。
という訳で急いで退室しようとした恒興であったが、それを察知した信長に首根っこを掴まれ動けなくなった。
「待て、恒興。お前、まだ報告し足りないだろう?」
信長が言っている件は確実に市の件であろう。
恒興は自分が冷や汗をかいているのを感じながら、何とか弁明を試みる。
とりあえず恒興は知らなかった路線で説得する。
「はい、あ、あのー、お市様の件は母上が勝手にですニャー、えーと」
「・・・養徳院はお前が最初にやり始めたって言ってたぞ。猿啄城攻略の頃からなんだろ、勝家に脱出口の場所教えたのはお前だろうが」
恒興は即座に切り返され撃沈する。
何しろ信長は恒興から龍ヶ洞の場所を教えられた事を勝家から聞き出しているのだから。
こうなるとどちらの話に信憑性が出るかは自明の理である。
(バレてるぅぅぅ!!こうなったら正面から言って否定してもらうニャー。これで二人共(+1人)諦めがつくだろ)
「あの、信長様的にはどうなんですニャー。そのぉ、お市様の柴田家への嫁入りは・・・ダメですよね?」
「うん?そんなもの普通に有りだと思ってるぜ」
「え!?そうニャんですか?」
否定してもらおうと思ったのに、信長からは意外な答えが帰ってくる。
その答えからしても既に勝家への意趣は感じられない。
意外な顔をしている恒興に信長は当然だろうという感じで話していく。
「そりゃ、お前。大名家の姫は有力家臣や手懐けたい豪族の嫁にするのが普通じゃねぇか」
「いえ、ニャんと言いますか、一度浅井家との婚姻同盟に出すと仰せだったので」
「まあな、でも他大名家への嫁にはあまり出したくねぇんだよ」
信長は家族への情愛は深い方なので、他大名家に嫁や養子を出すことは殆どない。
出すにしてもキッチリと従わせてからの話だ。
この例外となってしまったのが娘の徳と妹の市(恒興の前世ver)だろう。
これについてはまだ信長の勢力が小さく、他家の助力を欲したからだ。
なので美濃攻略以降は家臣豪族を従わせるか他家を乗っ取るための養子縁組政策に切り替えている。
「肩身狭い想いをするからな。お濃も義龍が謀反して舅殿が死んだ後、そういう想いをしてたみたいだ。オレは気にするなと言ったんだがな」
斎藤道三の娘である帰蝶の嫁入りは信長が斎藤家の後援を受けている証でもあった。
そのため道三が義龍の謀反で討たれると斎藤家との同盟が切れてしまい居る意味を無くしてしまったのである。
更に彼女は子供も産んでいないため、織田家中における立場も脆かった。
実際追い詰められたのか帰蝶は側室との立場交換を願い出た事もある。
信長はもちろん美濃が欲しかったのだろうが、これに拘ったのは帰蝶の為もあるのかも知れない。
「舅殿が上手くやっていたからオレもと思って言っただけだ。よくよく考えてみりゃ、他大名家に嫁入りなんて良いことじゃねぇ。それ人質に等しいしな」
「そうですニャー。家臣や支配下豪族なら主家の娘としての立場がありますからね」
斎藤道三は織田家に嫁を出すだけではなく、飛騨の姉小路家にも嫁を出して美濃の安定を図っている。
そして嫁を出してからは両国に対し軍事行動を行っておらず、国内の土岐残党を掃討していた程度である。
このため斎藤道三という人物は美濃だけで満足している様に見える。
「だからだ、勝家の嫁にお市は別に無しじゃねぇ。ただ絶対条件がある、功績だ」
なので信長としては身近な家臣や豪族に出したいとは考えている。
だがそれにしても家格の差は重要である。
信長としても織田家の娘を安売りしているなどと思われては堪らないのだ。
「柴田勝家程の功臣ならお市が嫁入りするに相応しいと誰もが認めるくらいでないとな。解るよな、恒興」
「・・・ニャーにどうにかしろと仰いますか?」
「功績なんてな、そんなにポンポンと稼げるもんじゃねぇ。ウチなんて特に競争が激しい、どんな出身でも出世出来るからな。な・の・に・それをポンポンと稼いで他人に渡す珍しいのが一匹、ウチに存在しているんだよな」
その珍しい一匹は顔ごと横に目を逸らす。
だがその途中で信長に顔を両手で掴まれ引き戻される。
「おい、目を逸らすな」
引き戻された恒興が見たのはとても真剣な目をした信長だった。
恒興は直感的に話の趣旨、功績や勝家の話ではないことを感じ取った。
これは恒興自身への問い掛けなのだと。
「お前、ホント変わったな。昔は稼いだ功績は全部自分のものにしてたじゃねぇか。何がそんなにお前を変えたんだ?」
(信長様の目付きが変わった。これは疑っている目だニャ、つまりニャーの事が理解しきれなくなったということかも。ここでの返答は重要だニャー)
恒興は居住まいを正し、信長と正面から向き合う。
理解されるかどうかは判らないが正直に胸の内を明かそう、そう恒興は決意した。
「ニャーはただ気付いたのです。ニャーがどれ程功績を独り占めしたところで、一人では信長様の大望は支えきれないと」
「・・・」
恒興の言葉を信長は無言で聞く。
特に反応もせず、ただ恒興を見極めるかの如くじっと見ていた。
ここでの嘘は厳禁だと恒興は自分に言い聞かす。
この状態の信長は相手の目を見ただけで嘘か真か、正邪を判別出来るからだ。
なので恒興は己の思いをぶつけるしかないのである。
「だからニャーは信長様の大望を支えられる、力になる者を見付けては協力するのです。その者達が功績を挙げて力を着ければ、それがそのまま信長様の力になると信じているからですニャー」
恒興が今まで他者に功績を立てさせてきたのは全て信長の力となる者を揃えるためである。
濃尾勢を抑えれば織田家の、いや織田信長の本当の戦いが幕を開けるだろう。
そのためにも信長の手足となれる戦力を少しでも多く揃えたかったからなのだ。
恒興は最初からそれ以外は考えていない。
その覚悟を聞いた信長はフッと笑って表情を崩した。
そして先程までの厳しい態度とは打って変わって諭すような口調で恒興に問い掛ける。
「成る程な。で、そのお前から見て勝家は、オレの大望を支える柱になるのか?」
「必ずや、ですニャー」
「そうか、そうか、あははは」
その答えを聞くや信長は破顔して、いつもの調子に戻っていた。
恒興はその笑い声を聞いて、自分の説得は上手くいったのだと安堵した。
「よし、わかった。お前がそこまで言うなら、お市の件は許可をだそう。だが、功績は負からん。相応しいだけキッチリ稼いでこいよ」
「あのー、それ、ホントにニャーがやるんですか?」
「当たり前じゃねぇか。あの唐変木に任せておいたら、何時になるんだよ。恒興、お市が行き遅れたらお前をシバくからな。覚悟しろよ!」
信長がいつもの調子に戻ったのはいいのだが、大変な無茶振りをしてくるのもいつもの調子であった。
結局全てが養徳院の思惑通りになっている気がしないでもないが、恒興は既にこう返事をするしかなかった。
「が、頑張ります・・・ニャー・・・」
そして信長との接見が終わり恒興は一路桑名へ向かう。
今度の作戦は滝川軍と九鬼水軍との合同作戦となるからだ。
(そんニャー、今から一土豪レベルを織田家重臣レベルに引き上げろって無茶振りだニャー!?何でニャーばっかりこんな目にー・・・・・・。
・・・
・・・
・・・
と、嘘嘆きもここまでにしておくかニャ。何しろ南伊勢が刈り入れ時ですから。・・・こうなったら柴田衆には血反吐を吐いて貰うからニャ!)
恒興には既に南伊勢制圧の道筋が見えており、後は一気呵成に進める段階まで来ている。
なのでここに『柴田勝家』という存在を組み込んで発動させればいい。
恒興はそう考え、まずは柴田勝家に準備を促しに行くのだった。
ノーマル恒興・・・それは謎の存在。