小豪族哀歌
1563年夏。尾張国犬山。
犬山池田家侍見習いの藤堂高虎は出掛けようとしていた。今日は池田家の家老である土居宗珊の屋敷で勉強をしようと思っていた。家を出ようとしていた時、高虎は呼び止められる。
「高虎、少しいいか?」
「はい、何でしょうか、兄上?」
呼び止めたのは高虎の兄である藤堂高則だった。何かの書状を片手に、彼は少々切羽詰まった表情をしている。
「実は浅井家に徴兵の動きがあると諌谷義親殿から連絡があったんだ」
高則が焦っているのは、浅井家が徴兵を始めたという情報が入ったからだった。浅井家が徴兵を始めて狙うとすれば織田家以外は有り得ないだろう。
この情報に高虎も驚く。池田恒興と対峙した姉川の戦いから一年も経っていない。これ程早く立て直したのかと、高虎は驚愕した。
「なんと!?……それで兄上、諌谷殿とは何方で?」
「いや、私も知らないんだがな。一応、親戚らしい。何でも3代前の藤堂家当主に嫁を出した、とか何とか」
「それ、もう他人じゃないですか」
「まあ、そうなんだが」
もう一つ、高虎は気になる事がある。兄に報せて来た人物は誰だ?という事だ。それ次第で情報の信憑性が問われる。
報せて来たのは、どうやら3代前の藤堂家当主に嫁を出した武家らしい。親戚だと言っているらしいが、それはもう他人で親戚付き合いもしていない筈だ。というか、高虎も高則も知らない。
縁戚という関係は結婚した本人同士が存在して成立する。相手は高虎の曾祖母に当たる様だが、既に他界しているので縁戚関係は解消されている。それに伴い、親戚関係も徐々に失われる。子供が居たり、家臣だったりすると継続する事もあるが、それでも孫の代まで続く事は稀である。
「はあ、これが『有名税』というヤツですかね」
「どういう事だ?」
「小豪族の生き残りに利用されているって事です」
「ああ、そういう。他にも何人かから同じ報告を受けた。親戚かどうか微妙な者ばかりだが」
「頭が痛いですね」
高虎は察した。こんな有るのかも分からない親戚関係を持ち出す武家の事情を。彼等は己の生き残りを賭けて行動しているのだと。
浅井家が戦うなら相手は織田家となるだろう。となれば、織田家との講和約定は破られる事になる。浅井家が勝利すれば、今の日常が保障される。しかし、織田家が勝てば?織田家は約定を破った浅井家を決して許さない。約定破りを許せば、織田信長は周りから弱腰と侮られるからだ。絶対に浅井家を滅亡させるまで攻撃する。
だから小豪族の武家達は考えた。織田家は強勢だ、このままでは小豪族に過ぎない自分達は踏み潰される。美濃国や南近江に縁が有る者は幸運だ。そちらの親戚から取り成しを貰えばいい。しかし、それが無い者はどうしたらいいのか?織田家に仕官した藤堂家みたいに出て行かないといけないのか。嫌だ、生き残りたい!……ん?藤堂?そういえば昔にウチからあの辺りに嫁を出したんだっけ?あの辺りだから藤堂家かなー?いや、きっとそうだろ。藤堂家くらいしかないって、絶対そうだ!よし、連絡を取ってみよう。と、こんな感じである。
「だが気になる情報がある。今回の徴兵は厳密に隠されている点だ。これは『野良田の戦い』の時と同じだ」
「『野良田の戦い』……。兄上、詳しく教えてくれませんか?」
「ああ、お前はまだ幼かったから知らないだろうな。あの戦いの時、浅井長政は特殊な徴兵方法を試していたんだ」
「特殊?」
高則は徴兵を報せて来た者達の情報の中に、気になる事柄が含まれていると言う。それは今回の徴兵が厳密に隠匿されている点だ。それを高則は『野良田の戦い』と同じだと指摘した。
野良田の戦いは3年程前にあった浅井家と六角家の戦いで、高虎は当時で4、5歳。詳しい話までは知らなかった。
なので高則は当時の事を弟に語る。
「あの時、先手を取っていたのは六角家だ」
野良田の戦いの経緯は、浅井長政が六角承禎に紹介された嫁を送り返した事から始まる。これで浅井家と六角家は手切れとなり、六角承禎は浅井家懲罰を決定する。そして肥田城主・高野備前守が浅井家に寝返った。この事で六角承禎の怒りは頂点に達し、25000もの軍勢を集めて肥田城に攻め込んだ。これが始まりとなる。
「対して浅井家は徴兵が間に合わず、肥田城は囲まれ、救援は散々に討ち破られた」
これに対して浅井長政の対応は遅く、徴兵が間に合っていなかった。肥田城は包囲され、長政は家臣に1000~2000の軍勢規模で救援を任せ、肥田城に出したが、25000の六角軍に敵わず散々に打ち破られる。
「浅井家はもう終わりだ。六角承禎はそう思っただろう。それが浅井長政の狙いだった」
「どういう事です?」
救援軍を簡単に撃破した事で、六角承禎は気を良くしていた。明日には浅井長政が土下座で謝りに来るに違いないと。自分が紹介した嫁を送り返して来たツケをどう支払って貰おうか、と考える段階にあった。六角軍は既に戦勝に浮かれていた。
それこそが浅井長政の狙いだったのだ。
「終わっていたんだ、徴兵は。それに六角承禎は気付けなかった。故に野良田にて、六角軍は突如として浅井長政率いる8000余りの軍勢の猛突撃に遭い、敗走を余儀なくされたんだ」
その時は直ぐに来た。戦勝に浮かれる六角軍の直ぐ側、野良田に突如、8000を率いる浅井長政が現れたのだ。
ここで両軍の配置を考えて欲しい。六角軍は肥田城を包囲中。という事は、肥田城に沿って全方位(8方向)に部隊を配しており、一方面の割り当ては多くて4000が限界となる。城を包囲しているだけなので、陣形はただの横陣となる。
対して浅井軍は8000が一丸となって魚鱗の陣形で突撃姿勢。しかも六角軍は肥田城を見ているので、後方襲撃という絶好の機会。そして救援軍が六角承禎の位置を特定していたので、総大将本陣ダイレクトアタックである。
この時の六角承禎の気持ちは「この状況から入れる保険って無いの!?」だったとか。
「正面撃破と聞いていましたが、それでは奇襲に近いですね」
「もう抵抗出来ないと思っていたら、目の前にいきなり八千の軍勢が居て突撃してきたんだ。そりゃ、驚くだろうな」
こうして野良田の戦いは浅井長政の劇的勝利に終わった。死者は両軍合わせて1500人以下。25000vs10000の衝突にしては少ない。これは六角軍が直ぐに総崩れになって敗走した事を示している。
「それで兄上、特殊な徴兵とは?」
「それはこの書面に書いてあるから読んでおけ」
「書面?」
「実は殿にこれを見せて報告したかったんだが、出掛けられてしまわれてな。このままでは報告が間に合わない。これを持ってお前から土居宗珊様に報告を上げてくれないか?」
問題は浅井長政が如何にして徴兵を隠していたか、だ。六角承禎は甲賀衆を動員していた筈だ。彼等の諜報力まで欺いてみせた特殊な徴兵方法とは何か?
その徴兵方法の詳細を高則は書状に書き記していた。彼が持っていた書状はそれだった。高則はこれを主君である恒興に見せたかったのだが、既に彼は宇佐山城に向かってしまった。それで高虎から家老の土居宗珊に伝えて欲しいと、彼を呼び止めた訳だ。
「成程、了解しました。お任せください」
「頼むぞ」
兄の依頼を受けて、高虎は土居宗珊の屋敷に向かう。するとまたしても彼は呼び止められる。
「おーい、高虎ー!」
「ん?安治か。何か用か?」
今度は幼馴染の脇坂安治だった。今日はよく呼び止められるなと、高虎は嘆息した。
「実は私の親戚が報せて来たんだ!浅井家が徴兵を始めたと!」
「お前もか。それは本当に親戚か?」
「いやぁ、私は知らないんだが、4代前にうちから養子を貰ったとか何とか、先々代と義兄弟だったとか」
「だから、それは他人だ」
安治の用件は兄の高則と同じだった。彼の所にも似非親族から浅井家の徴兵開始が報されたらしい。だからそれはただの他人だ、と高虎は思った。いや、口に出ていた。
「え?じゃあ何で報せなんかして来たんだ?」
「決まってるさ。戦後、織田家が勝った場合に生き残る為だ」
「?」
「浅井家が勝てば問題は無い。だが、織田家が勝った場合は近江国を完全占領する。そうなった時に、小豪族が生き残る為に、俺達の取り成しが欲しいのさ。だから無理矢理にでも親戚親戚って言ってるんだ」
「そういう事か」
なら何故、他人なのに報せてきたのか?安治は首を傾げる。
それに対し高虎は、織田家が勝った場合に備える小豪族の生存戦略だと教えた。つまり高虎や安治と繋がりを持っておく事で、織田家に潰されない様に取り成しを貰う目的なのだと。
これを聞いて、安治は呆れた様に笑った。
「何だ、小豪族の悲哀に巻き込まれただけか。ただの笑い話にしかならないな、ハハハ」
「……」
「どうした、高虎?」
「俺は笑えないけどな」
「ん?」
緊張の糸が切れたのか、安治は面白く笑うが、高虎は少しも笑わず黙って彼を見ていた。その事が気になり、安治は高虎に問う。
高虎は尚も笑わない。それは小豪族である彼等の気持ちが痛い程、理解出来るからだ。
「俺達だって同じだったろう。近江国を出る時、俺達はどうだった?「生き残りたい、崖っぷちでもいい」って想いだっただろ」
「それは……」
自分達だって同じ想いだった筈だ。そう高虎は話す。領地相続を認められず、藤堂家も脇坂家も取り潰し寸前だった。彼等は生き残りを賭けて、犬山に来たのだ。池田恒興が気紛れに発した口約束という、か細い糸に縋って。
「俺達が今の立場にいるのは、決して自分の実力や功績、評価じゃない。お藤様が俺達の顔を覚えていた。殿は口約束を覚えていた。ただ、これだけの幸運だ。その俺達が彼等を笑えるのか?」
高虎と安治は幸運に恵まれた。二人の顔を偶然通りかかった側室の藤が覚えていた。それで池田邸に入れて、恒興と面会出来た。池田恒興は口約束の事を覚えていた。故に侍見習いとして50石を貰う事が出来た。
これは自分達の実力で貰ったものではない。その自分達が生き残りを図る小豪族を笑えるのか。高虎はそう考えている。
「そうか、みんな生き残りたいんだよな。まあ、似非親族だけじゃなくて本物の親戚達まで報せて来たけど」
それを聞いて安治もしんみりしてしまう。自分も周りも状況は同じなんだな、と。生き残りを賭けて、どんな手段も打てるだけ打つ。これを笑うのは失礼でしかないと理解した。
そういう状況になっているのは似非親族だけではなく、安治の本物の親戚も一緒であった。なので彼等からも連絡が来ていた。
「安治、一つ聞きたかったんだが、お前の家は親戚多いよな」
「何だ藪から棒に。まあ、自慢じゃないが、藤堂家の倍以上は居るな」
「いや、そうじゃなくて。あれだけの親戚が居て、何でお前の脇坂本家はたったの3石なんだ?」
脇坂家は親戚が多い。全てを纏めると土豪ではなく豪族という規模になる。
だから謎なのだ。何故、安治の脇坂本家がたったの3石しかないのか。
それに対して安治はプイッと顔を背ける。
「……言いたくない」
「まさかとは思うが」
「ああ!そうだよ!『田分け』だよ!爺ちゃんより前から兄弟に領地の田分けをしてて、結果的に残ったのが3石なんだよ!笑えよ!」
「いや、まったく笑えない。本物の『田分け者』がいようとは」
何故、豪族規模だった脇坂家が今はたったの3石だったのか?安治は白状した、『田分け』を行い続けたからだと。かなり前からなので、安治のせいではないのだが。
『田分け』を行う者を世間では『たわけ者』と呼ぶが、意味は『大馬鹿者』に変化する。それくらい田分けは武家の禁忌と言える。田分けを行う度に規模が縮小して、外敵に対する抵抗力が減っていくからだ。
だから武家では田分けを防ぐ為にあらゆる方策が取られる。要らない男子を寺に送るなど一般的。養子に出す事もよくあるし、そのまま追い出されるケースもある。他には、与えた領地を確実に返還させる為に、結婚を許さなかったり。鎌倉時代に甲斐武田家の十一男がそういう目に遭わされている。彼は本家から貰った領地は返還した上で、自分の武功で得た領地に自身の家を立てているが。因みに戦国時代でも存在している。
「本家がこんなに田分けしたのに、私には誰も付いて来てくれなかった。母ちゃんと弟、使用人のじいやとばあやだけだ。みんな、酷えよ。ううう……」
(使用人、居たのか。3石で)
高虎と安治は犬山で50石を得ると家族親戚縁者に声を掛けた。高虎は兄の高則をはじめとする家族と他親戚が3家族が犬山に移った。家臣として働けそうな者も5人居る。まずまずの人数が高虎に付いて来た訳だ。
しかし脇坂家の親戚は全員、移住を断った。結局、安治に付いて来たのは母親と弟、あとは使用人の老人が二人だけらしい。
これが田分けの罪だ。全員、分けられた領地が大切で本家の言う事を聞かなくなる。世代を重ねる毎に独立心が養われて、本家から離れてしまう。だからこそ、田分けしたとしても、本家は大きく強く保つ事は必須となる。
高虎はたった3石で使用人が居た事に驚愕する。
「まあまあ、そう嘆くな。だからこそ今回は良い機会なんじゃないか」
「どういう意味だ?」
「俺達には現在、家臣が居ない。これでは見習いが終わっても、大して働けないだろ」
嘆く安治を高虎は励ます。この浅井家の徴兵話は自分達にとってチャンスであると。
自分達には家臣が居ないと言う高虎に、安治は首を傾げる。たしか高虎は兄をはじめ、何人か連れて来た筈だと。
「ん?私はそうだが、高虎は兄の高則さんが居るだろ?」
「兄上なら殿に取られた。親族達も一緒にな」
「うわぁ……」
高虎には家臣になれる者が居ない。いや、居なくなった。
高則は14歳で既に侍として働ける。家臣となれる者も5人付いている。
さて、小牧の開発事業を開始し、侍不足だと嘆く猫城主が居る。労働力は流民で確保すればいい。彼等を留める、呼び込む為に風土古都もある。問題は彼等を指揮する侍が枯渇してきている事だ。
最近に飯尾家が家臣を増やしているが、ここから引き抜く事は出来ない。飯尾家も仕事が拡大しているし、新たに仕官したのは尾張侍だ。小牧開発は大谷休伯や土居清良によって計画指揮されているので、尾張侍が言う事を聞く訳がない。
そこに侍として働ける年齢、高虎の兄、家臣が付いている。この条件の藤堂高則を恒興が見逃すだろうか?答えは『秒で勧誘した』である。こうして藤堂高虎は家臣が一人も居なくなった。一応、弟がいるので将来的には……、高則の方に行く可能性が高いか。
「兄上は働ける侍なのだから仕方がない。俺は俺独自の藤堂家を立てると決めたんだ」
「おお、燃えているな」
もう高虎は分家を立てるしかない。というのも、高虎と高則では仕える主君が違うのだ。高則の主君は当然ながら池田恒興だ。しかし高虎の主君は池田幸鶴丸(1歳)なのである。
仕える主君が違うのに、同じ家という訳にはいかない。高虎は自分の家を立てるのだと気合を入れる。
「話を戻すぞ。俺達には家臣が居ない。だから今回、声を掛けて来た親族から似非親族まで、全員を家臣として取り込むんだ。家臣でもない者を取り成せないな、と言ってやれば簡単さ」
「おおっ!」
「これで俺達は侍として働けるって訳さ。安治だって分家全てを家臣化出来るぞ」
「脇坂家復活!脇坂家再興!夢が広がるなあ!」
今回の話は家臣が居ない二人にとってチャンスとなる。それは二人に声を掛けて来た者達を家臣として取り込む事が可能だからだ。家臣でもないのに取り成せないな、家臣なら取り成すけどさ、とでも言ってやれば簡単な筈だ。
これで安治は独立してしまった分家を全て家臣に戻す事も現実的となる。他の取り成しを不利な条件で受けるより、元の鞘の脇坂本家に戻った方が良い筈だ。その未来を思い描いて、安治は笑顔になる。
「その為にも織田家には勝って貰わねば、俺達が困る。さあ、土居宗珊様に報告するぞ。対策して貰わないとな」
「おう!」
現状を確認し合った二人は意気揚々と歩きだした。浅井家の徴兵の件を、家老の土居宗珊に報告する為である。
懐かしくなって、信〇の野望創造 戦国立志伝で遊んでましたニャー。あれは麻薬ですニャ。しかしですが、おかげで大切な事を学べました。それは『人口は力』だという事です。このゲームは人口+民忠+開発で兵力が決まります。しかしゲーム開始直後は民忠と開発は全国一律なため、人口が差を生みます。南関東1万2千人以上、甲斐信濃7、8千人(山国だし)、駿河遠江8、9千人(マジで?)北関東1万人前後。そりゃ北条さん無双ですニャー。そして初期から6万人も居る都にて始まる幕府将軍無双……ニャんでやねん!?
『人口は力』は大切ですニャー。そういえばローマ帝国の滅亡原因の一つは少子化だそうです。少子化で戦士が足らん。せや、ゲルマン人を傭兵に雇ったろ→国、乗っ取られてもうた。こんな感じになったとか。五胡十六国も同じパターンでしたニャー。