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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
激戦と慟哭編
237/239

大樹が朽ち果てる日 其の伍

 近江国小谷城。

 小谷城は小谷山に築かれた山城で、完成したのは浅井長政の祖父の浅井亮政(すけまさ)とされている。小谷城麓は谷地形になっていて、そこに浅井家当主屋敷や浅井重臣の屋敷などが並んでいる。ここが入り口となり、攻め上がる事になる。

 この城はかなり特異な造りになっている。入口となる『出丸』、防御機構である『金吾丸』『馬場』を越えて『本丸』の攻略を目指す訳だ。……早くないか、本丸が出て来るのが。まだ山腹なんだが。

 これが小谷城の罠である。実は本丸から山頂、向かい側の尾根にかけて『中丸』『京極丸』『小丸』『山王丸』『月所丸』『大嶽(山頂の支城)』『福寿丸』『山崎丸』と谷を囲む様に曲輪が存在している。『大嶽』は一つの支城で福寿丸と山崎丸はその防御機構と見ても良いが。これらの曲輪が存在しているのは明らかに本丸を守る為ではない。本丸に敵を引き付けて、谷に来た敵将を強襲する為と思われる。つまり本丸そのものが囮の役割を持っている、かなり攻めた設計思想をしている。

 因みに浅井亮政の頃に落城済である。落城させたのは朝倉最強軍神爺さんこと朝倉宗滴である。朝倉家は六角家の要請で浅井家を攻撃した。その指揮官は当たり前だが朝倉宗滴だ。浅井亮政を野戦でバチコリぶっ飛ばし、亮政が篭城した小谷城を速攻で攻略した。「ワシが谷に居なけりゃいいのだろうが!」という勢いで本丸までやってきたらしい。浅井亮政は降伏した。

 その後、朝倉宗滴は5か月程、小谷城に滞在し、浅井家と六角家の和平を調停。その間に『大嶽』や『金吾丸』などを築いて小谷城を超強化。浅井家兵士を鍛え、浅井家臣に軍事に関する薫陶を授けていたという。何しとんねん、爺さん。

 意図は理解出来る。朝倉家としては六角家が強くなり過ぎても嫌なのだ。彼等とて戦国大名、隣に居て安心出来る存在ではない。だから浅井家をある程度強くして対抗させておく方が、朝倉家は安泰という訳だ。

 浅井家と朝倉家の合作の様な堅牢な山城の麓に浅井家の政務所がある。ここに浅井家臣が集められて議論をしていた。


「織田家の圧力は日に日に高まっている。このままではジリ貧だ」


「織田家の者達が各所の豪族に声を掛けていると聞く。これは和平約定への違反ではないのか」


「公然と約定破りか!織田信長は何を考えている!」


 家臣達は次々と織田信長の不義を訴える。これを浅井長政は黙って聞いていた。彼にとって、これは予定調和である。ある程度、家臣達に織田信長への不満を吐き出させてから、対策はどうする?と議論を詰めていく予定なのだ。

 議論は長政の予定通りに進んでいた。闖入者(ちんにゅうしゃ)がいなければ、だが。


「そんなもの、あなた方を暴発させる為にやっているに決まっているではないですか」


「何者だ、お前は?」


 突然、入って来た男に長政は眉を顰める。明らかに浅井家臣ではないが、家臣の何人かは彼の為に道を空けている。取り押さえないところを見るに、浅井家臣には顔が周知済という事か。その男は真っ直ぐ進んで、長政の前に座り礼をする。


「お前は……仰祇屋仁兵衛!?何故ここに居るんじゃ!?」


 浅井長政の傅役である海北綱親はその男の正体に気付く。その男の名は仰祇屋仁兵衛。近江商人の首魁と言うべき者。

 激昂する海北綱親を余所に、長政は感心していた。仰祇屋仁兵衛がかなりの商人だとは聞いている。だが、武士の集まりに堂々と来る程の剛胆さまで持っているとは予想外だ。


「なに、いろいろと伝手がありましてね」


「くぬぅ、何処の痴れ者が!?必ず探し出してやるわい!」


 何故と問う綱親に、仁兵衛は事も無げに返す。伝手があると。それは仁兵衛に逆らえない者が家臣の中にいるという意味だ。綱親は必ず、その者を探し出してやると息巻く。


「よい、爺」


「しかし、長政様……」


「一度、仰祇屋仁兵衛という男に会って見たかった」


 今にも怒りで狂いそうになっている傅役を長政は止める。彼は少し楽しいのだ。この仰祇屋仁兵衛は武士ではないが、傑物には違いない。こういう者とは議論のし甲斐があると感じている。

 そういう意味でも長政は池田恒興とも会見した。結局は物別れに終わったが、議論自体は相手の考えも理解出来たので収穫はあった。敵の考えでも良い物は取り入れる。そうして浅井家は朝倉宗滴の教えも取り入れてきたのだと、長政は考えている。


「そういえば、お初で御座いましたな。敦賀の商人、仰祇屋仁兵衛と申します」


「浅井備前守長政だ。それで何の用だ?」


「はい。共に織田信長を倒そうという相談に来ました」


 浅井長政は仰祇屋仁兵衛とは初顔合わせになる。普段は商人専属家臣である台所奉行くらいしか関わらないからだ。長政は武家の当主の常識として、商人とは会わなかったが、彼は少し勿体無いと感じた。

 その仰祇屋仁兵衛は共に織田信長を倒そうと話を持ち掛けてきた。


「という事は、こちらの評定内容も筒抜けか。大した諜報能力だ」


「恐縮で御座います」


 織田信長を打倒する。それは今回の評定内容そのものだ。つまり、仰祇屋仁兵衛は浅井家の内情も話し合い内容も知った上で乗り込んで来た訳だ。

 浅井家を内偵させていたな、と少し皮肉混じりに言ってやったが、仁兵衛は悪怯れもしない。その態度も面白いと長政は感じる。


「長政様、これは由々しき事態ですぞ!」


「だからよいと言っている、爺。仁兵衛、お前はその調子で他大名も探っているのだろう?」


「ええ、まあ」


 一人、長政に危険だと騒ぐ傅役がいるが、長政は宥める。この男が危険なのは、既に理解している。その上で知的好奇心の方が勝る。いったいどんな戦略を披露してくれるのか。


「浅井家単独で動け、と言いに来た訳ではないだろう。他に何処が動く?」


「現在までに朝倉家、三好三人衆、本願寺です」


「本願寺まで動くのか。かなり大規模になるな」


 流石に長政でも驚く。三好三人衆は畿内奪回の機会なのだから動かし易いだろう。朝倉家は加賀国の一向一揆がどうにかなれば動ける。しかし、本願寺は最早、意外と言うしかない。

 本願寺は武家ではない、寺なのだ。武家の争いの様な俗事に係わらないのが仏教の鉄則と言える。そうでなくとも、本願寺は天文の乱でかなり痛い目を見ている。武家の争いなど絶対に係わりたくない筈だ。それを説得したというのだから、この仰祇屋仁兵衛は何れ程の謀略力を持っているというのか。

 浅井長政は仰祇屋仁兵衛に対する警戒心を引き上げる。


「それで、我々は朝倉家と同道する訳か」


「いえ、個別で動いて頂きたく」


「何故だ?朝倉家が通れるのは琵琶湖東岸、我々の領地の筈だ。琵琶湖西岸の高島家や朽木家が通すとは思えんが」


「そちらには私から圧力を掛けましたので。我等と織田信長を天秤に掛けている状態ですが、何方にせよ朝倉軍2万余りを相手になど出来ませんよ」


「2万余り……。朝倉家は本気じゃな」


「ええ、私も本気で御座います。朝倉家に本願寺まで動かしたのですから」


 朝倉家が南下するという事で、浅井軍もそれに同道するのだと長政は考えた。琵琶湖西岸路には織田家側の幕臣である朽木家や高島家が存在している。ならば、朝倉家が通るのは浅井家の領地だと思った訳だ。

 しかし仁兵衛はそれを否定し、浅井家は個別で動いて欲しいと言う。その理由として、朝倉家は琵琶湖西岸路を進むからだ。既に朽木家や高島家には脅しを入れたらしい。

 一応の名目として、朝倉家は幕府を支える為の上洛と言っているので、朽木家や高島家は悩ましいところだ。幕府から距離を置く織田信長を支持するのか、新たに足利義昭を支えるという朝倉義景を支持するのか。彼等はどちらが保身に繋がるか、熟考している事だろう。

 まあ、その間に2万の軍勢が押し通るので、何も出来ないだろうが。

 朝倉軍の到来に浅井家臣達は少し明るい表情になる。海北綱親も朝倉家の軍勢2万と聞いて驚く。自分と同じく、軍神・朝倉宗滴の薫陶を受けし者達が2万も率いて来るのか、と。


「……見えてこないな」


「何がで御座いましょう?」


 皆が希望に沸いている中、浅井長政は表情固く、仁兵衛をジッと見ていた。その視線も仁兵衛はあっさり受け止める。


「お前の目的だ。何の為にこの提案をしている?」


「私は私を守る事に全力を出しているだけです。不自然ですか?」


「……」


 長政は仰祇屋仁兵衛の目的を問うも、彼はあっさり答える。『自分を守る』為である、と。

 それはそうだろう、生命を持つ者が自分の生命を守る為に戦うなど当たり前の話だ。それ自体はおかしい話ではない。

 要はやり方が極端なのだ。織田信長が迎合しないなら、朝倉家や本願寺をけしかけるなどやり過ぎだ。下手を打つと『天文の乱』の再来となる。他にも取れる手段はあった筈だ。


「貴方も、ここに居並ぶ家臣の方々も一緒でしょう。浅井家の為と嘯きながら、その実は自分の為。『忠誠』などという綺麗事だけで、雁首揃えてはいない筈」


「き、貴様あぁぁ!仁兵衛ぇぇ!!」


「座れ、爺!」


「むうう」


 仁兵衛は『忠誠』など綺麗事だと言い切る。彼は人間は『利害』でしか繋がらないと考えている。自分にとって、その人間は『利』か『害』か。仁兵衛に興味があるのはそれだけなのだ。

 流石にこの言動には海北綱親が激昂、他の家臣達も立ち上がろうとする。自分達の忠勤をバカにされて、黙っていられる武士はいない。

 すかさず長政は綱親を抑え、家臣にも睨みを利かせる。


「各々方がここに居るのは、織田信長が自分にとって都合が悪いからでしょう。奴を排除すれば浅井家の為にもなる。私も一緒です。織田信長の排除が私を守る事になるのです」


 浅井家臣全員から睨まれても、仁兵衛はまったく動じない。そして自分の論を続ける。

 浅井家臣にとって織田信長の存在は都合が悪いから、ここで話しているのだろうと。織田信長の排除が浅井家を守る事になる。それは仁兵衛も同じで、織田信長の排除が彼を守る事になる。つまり『利害』が一致しているのだと、仁兵衛は主張する。


「自分を守る為に死力を尽くすなど、獣でも虫でも同じ事をしていますよ。人である私がやるのは可笑しい事ですかな?」


 自分を守る為に死力を尽くすなど生命として当たり前だ。それこそ獣でも虫でも同じだ。彼等は生命を繋ぐ為なら闘争を行う。牙の鋭い獣なら牙で戦い、爪が強力な獣は爪を振るい、足が速い獣は逃走して生き延びる。翅有る虫ならば空を飛び、地を這う虫は数を頼みに糧を得、又は強力な毒を武器にする。どんな生命も日々の糧を得るのに必死なのだ。

 人であっても基本は変わらない。日々の糧を得る為にあらゆる手段を取る事を求められる。生命は怠ける事を良しとはしない。仁兵衛はその基本を忠実に沿っているだけだと言う。


「利益など、私を守り切れば、幾らでも稼げます」


「成程な」


 仁兵衛は自分さえ守れば、利益は後から幾らでも取り返せると話す。

 その話は長政も理解出来る。自分とて自分自身たる浅井家の存続に死力を尽くしているからだ。その先に理想とする自由で豊かな近江国があると信じている。

 だが仁兵衛に対する疑念はまだ尽きない。


「お前は妻もいなければ、子もいないと聞いた。そして養子もいないと」


「その通りで御座います」


「ではお前はその果てに何を望むのだ?受け継ぐ者が居ないのに、財産を築き、勢力を大きくしている。それは何故だ?」


 それは仁兵衛が何故、仰祇屋の勢力を強大にしているのか?子供も養子も居ないのに、自分が居なくなった先をどう考えているのか?それが皆目見当もつかない。

 その問いに仁兵衛は少し首を傾げる。何故、そんな事を聞くのか?と言いた気だ。


「望み?……特に御座いませんが」


「何?」


「自分の財産勢力を自分の子供に受け継がせる事は、そんなに意味がある事なのですか?自分の子供は自分ではありません、他人ですよ」


「……」


 仁兵衛は自分の子供であっても、それは『自分』ではないと言い切る。確かにそうだ。子供だからといって、その思考に自分の意思は介在しない。他人というか『別人』なのだ。

 そう言い切る仁兵衛に長政は驚愕する。自分の目の前に居るのは本当に人間か?と。


「貴方の仰りたい事は分かりますよ、長政様。子供がいないままでは財産や勢力を築いても他人の物になる、という事でしょう?言いましたが、子供は自分ではありません。他人です。ならば私が築いた財産や勢力は誰の物になるにせよ、他人の物ではないですか。何が違うのです?」


「……正気か、お前は?」


 つまり仁兵衛は自分以外は他人なのだから、自分の財産勢力が誰の物になるにせよ、それは他人の物でしかないと言っている。だから子供養子を得て、受け継がせる事に何の価値も見出していない。自分の死後なら勝手にすればいいと事も無げに言う。

 あまりの発言に長政さえ、仁兵衛の正気を疑う。この男は冷静に狂気に憑りつかれていないかとさえ思う。


「ええ、正気です。あと財産や勢力を大きくしている理由でしたか。私は守っただけです。敵は勝手に湧いて来ますのでね」


「……成る程、お前とは理解り合える気がしないな」


「それは残念です」


 仁兵衛が財産や勢力を大きくしている理由は、勝手に敵が攻撃してくるからだ。それから守る為に反撃して、相手を呑み込んできた、という事だろう。

 聞きたい事を聞いて、長政から出た感想は「理解り合えない」である。浅井長政とて祖父・亮政が大きくし、父・久政が維持した浅井家を託された身だ。子孫に意味無しと言われても承服しかねる。


「理解り合えないと理解出来た。ならば、お互いに利用する関係が良いだろうな」


「こちらも異存御座いません」


 という訳で、長政は思考を切り替える。理解り合えないならそれでいい。自分の為に利用するだけだ。それは仁兵衛も浅井家を利用しに来たのだから、お互い様と言える。


「朝倉家は琵琶湖西岸路を南下するのだったな。我々はそのまま南下して今浜、いや今は長浜だったか」


「いえ、長浜ではなく」


「む?ならば何処だ?」


 琵琶湖西岸路を進む朝倉家とは同道しないという話なので、浅井家はそのまま南下し、長浜城に行くと長政は言う。しかし仁兵衛は長浜ではないと止める。


「安土の南、長光寺城です。ここには治安任務で織田家の猛将と名高い、柴田勝家が居ります。ここを押さえて頂きたく」


「どうやってだ?菅浦衆が離れた今となっては、琵琶湖は渡れない。近江豪族なら説得も出来ようが、長浜城主の羽柴秀吉、佐和山城主の丹羽長秀は無理だ。避けては通れんぞ」


 仁兵衛が示したのは安土から南西にある長光寺城という場所。ここは現在、京の都の治安任務で柴田勝家の部隊が駐留している。

 流石に長政は眉を顰める。そこまで行くまでにどれ程の城を攻略しなければならないのか。だいたい第一目標は長浜城になるのは確定だ。

 琵琶湖を渡れれば可能にはなる。しかし既に琵琶湖水軍である菅浦衆は羽柴秀吉に付いてしまった。彼等は浅井家より羽柴秀吉の方が稼げるので、あっさり離れて行った。この辺り、水軍衆というのはかなりドライだ。彼等を取り戻すにしても、やはり長浜城の攻略が必須となる。

 つまり、現状では安土の南に行くのは不可能としか言えない。


「堅田衆がおります」


 しかし仁兵衛はあっさりと代案を出す。菅浦衆がダメなら堅田衆が居ると。それはそうだろうが、浅井家と堅田衆は何も関係が無い。それどころか、菅浦衆と手を結んでいたので、敵視されている可能性すらある。


「それこそ無理じゃ。まだ菅浦衆を説得した方が可能性があるわい!」


「堅田衆は既に説得済みです。今回に限り、動いてくれます」


「な、なんじゃとっ!?」


「何故かは分かりませんが、織田家は堅田衆の手当てを怠りましてね。不満に感じていた者達がかなり居ましたから、説得は容易でした」


 海北綱親は無理だと断じるが、仁兵衛は既に説得したと返す。驚愕する綱親に仁兵衛は事情を説明する。

 最近の話だが、織田家の担当が堅田衆の手当てを怠り、彼等に不利益を与えていたと。その事が不満となっていた者が多数居た為、仁兵衛の説得は非常に上手くいった。それなりの賄賂で簡単に靡いたのである。


「意外と隙が有るものだな」


「そうですね。既に手当てを改めた様ですが、甘い。不満とは現れて消える物ではなく、降り積もるもの。解消には時間が掛かるものです」


 人間の不満とは有る無いで計るものではない。不満とは降り積もる雪の如し。雪解けには時間が掛かるものである。

 この件は既に池田恒興が介入して雪解けに向かっているものの、直ぐに消えたりはしない。こんな時代だ、結構根に持つ人間も多い。

 手当てを改めたので、不満は解消に向かうだろう。仁兵衛は堅田衆が動くのは今回限りと見ている。


「長光寺城なのは何故だ?」


「信長の逃走路を塞ぐ為です。摂津国からは三好三人衆と本願寺、琵琶湖西岸路から朝倉家。そして東山道を塞ぐのがあなた方、浅井家という訳です」


「残るのは大和路か」


「そちらにも何かしら手を打ちます」


 仁兵衛が長光寺を指定したのは織田信長の逃走路を塞ぐ為である。今回の戦いは大名の勢力争いではない。『織田信長の殺害』が第一目標である。彼を殺さなければ、全て失敗する。

 たとえ幕府を押さえ、京の都を押さえ、摂津国や近江国から織田家を追い出しても、信長が濃尾勢に逃げ込めば御破算となる。仁兵衛とて濃尾勢まで手が伸ばせる訳ではないからだ。

 そして濃尾勢は豊かな土地であり、商人組織も強い。信長は必ず反抗作戦に出るだろう。そうなると大名の自力勝負となる。

 本願寺は事が終われば、さっさと手を退くと思われる。三好三人衆に畿内を統治する力が有るとは思えない。越前国大事な朝倉家は領国に帰るだろう。そうなると信長はまた上洛してくるだけだ。だから瞬発的に攻撃して信長の殺害が絶対なのだ。


「正に一大決戦となる訳か。いいだろう、仰祇屋仁兵衛。お前の策に乗ろう。何れにしても織田信長は倒さねばならないからな」


「祝着至極に存じます。では、商人である私はこの辺りで消えると致します。何卒、よしなに」


 長政は仁兵衛の提案を受け入れる事にした。彼にとっても千載一遇の機会である事は間違いない。それに信長を逃がして再上洛となれば、真っ先に標的となるのは浅井家の可能性が高い。

 長政は自分と浅井家を守る為にも、信長を殺害する事は理に適っていると判断した。その答えに仁兵衛は頷いて長政に一礼した。そして仁兵衛は速やかに退出した。

 仰祇屋仁兵衛が立ち去った後、広間は沈黙が支配した。


「爺、近う寄れ」


「はっ、長政様」


 長政は傅役である海北綱親を呼び寄せた。そして彼にしか聞こえない小声で話す。


「この戦いが終わった後でよい。仰祇屋仁兵衛と繋がっている者を探し出して捕らえよ」


「処断しますかな?」


「捕らえるに止めよ。私が仰祇屋を始末するまでの間だ」


 長政は綱親に仰祇屋仁兵衛と繋がっている家臣を捕える様に指示する。それは処断する為ではない。長政が仁兵衛を始末するのに、情報を漏らさない様にする為だ。彼に気取られない様に、一気呵成にやる気である。それが終われば、家臣は元に戻しても問題ない訳だ。


「長政様、本気ですか?」


「ああ、奴は危険だ。生かしては置けん」


 覚悟を問う綱親に、長政ははっきりと答える。「生かしては置けない」と。


「我々が子供に遺産を託すのは、後の世が少しでも良いものになって欲しいという願いだ。そうやって殺し合いと餓死者ばかりの世の中から、少しづつ良くしてきたのではないか」


「左様で御座いますな」


「しかし、奴は子供が自分ではないから他人だと言い切った。ならば財産も勢力も、自分の死後は他人が好きにすれば良いと。それはただの奪い合いにしかならない。日の本に昔に戻れ、と言っているに等しい」


「確かに」


 長政が危険視しているのは、仁兵衛が自分の子供でも他人と変わらない、と言った事だ。

 人は何故、財産を遺すのか?何故、子供に相続させたがるのか?それは未来への願いである。未来が少しでも良い世の中になります様に。子供が孫が豊かに暮らし、子孫が繁栄します様に。という願いなのだ。

 言葉も文字も無い時代から人々は財産を築いては子孫に受け継がせた。受け継ぐ度に、人は繁栄と衰退を繰り返し、文化や政治を少しづつ育ててきた。その過程には無数の骸が横たわっている。奪い合いと殺戮と飢餓と疫病の世界で這い回りながら、ようやくここまで来たのではないか。

 まだ人々は全てを克服した訳ではない。ならば、この先も弛まず受け継ぎ、世の中を少しづつ良くして行かねばならない。財産相続とはその為の祈りに他ならない。


「そんな奴が権力を握っているなど悪夢だ。故に仰祇屋仁兵衛を生かしてはおけん。しかし、今は織田信長だ。信長を倒してから考えるとしよう」


「はっ、お任せ下され」


 だから長政は仰祇屋仁兵衛が許せない。彼は自分の財産などどうなってもよいと言っているのだ。それは人々が奪い合い、殺戮に及ぶ事態になる。その過程で多数の者が飢餓と疫病に倒れることだろう。それは日の本を後退させるだけだ。連綿と受け継がれてきた祈りを踏みにじる行為だ。

 浅井長政は織田信長を討った後は、仰祇屋仁兵衛を倒す事を誓った。

暑い日々が続いておりますニャー。皆様もお気を付けて下さいニャー。

_(:3 」∠ )_

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― 新着の感想 ―
浅井長政、自ら滅亡のフラグを立てる。 半兵衛が大喜びだね。
現代でも引かれるでしょうに、この時代の価値観としては異質もいいとこですね…。 光秀のやらかしがこんなところまで。信長に知られたらえらいことになりそう。
長政さんやっぱり優秀ではある。致命的なのはその望みが織田家の方針と真逆なだけで。まぁ消えるべくして消える人物なんだね…
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