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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
激戦と慟哭編
231/239

三河者はつらいよ

べくのすけはちょっとスランプ状態に入っている感じがしますニャー。しかし、何とか頑張りたいと思いますニャー。もう少しで『仏教理に則らない仏陀と親鸞聖人の悟り』について書けるのですから。『仏教理に則らない』とは何か?それはこの偉人達を一切褒めず冷静に評価する、というお坊さんが助走を付けて殴って来そうな事をべくのすけは書きたいのですニャー。前に仏陀が悪徳領主に捕まった夫人の所にテレポートして来て、「ガンバレガンバレ」と励ましてテレポートで消えた、という逸話を書きました。現代人からすれば「テレポート出来るんなら夫人を助けろよ!ガンバレだけとかウザいだろ!」って思いませんかニャ?仏教理に則るなら「テレポート出来るとか仏陀スゲエ!ガンバレとか仏陀優しー!流石は仏陀!神業だろ!いや、仏業かっ!?」って言わなきゃいけないんですよ。まあ、宗教とはこういうものですがニャー。次に下間頼照さんが登場した時に書くつもりです。

 犬山。加藤家。

 加藤孫六7歳の朝は早い。(うまや)で馬達の世話をする為にも、彼は日の出前から支度をして出掛けるのだ。馬は道具ではない、生き物だ。出来る限り世話をしてやらねば、出せる力も出なくなる。朝が非常に早い為、孫六は日が落ちるとさっさと寝る生活を心掛けている。孫六が厩でやる事は主に餌やりと馬の散歩だ。馬の肌磨きもたまにやるが、力仕事になるので回数は少ない。馬房掃除も力仕事なので、他の者がやる事になっている。なので馬の散歩こそが孫六の主な仕事となる。散歩は重要だ。馬の体重は人の優に6、7倍以上有る。それでいて心臓は人並みでしかない。つまり、馬は心臓の力だけで血を全身に巡らせる事が出来ない。その為、馬は走る事で筋肉を動かして血を巡らせる手助けをせねばならないのだ。これが馬の散歩が毎日必要な理由であり、歩けない馬は殺さなければならない理由でもある。歩けなくなった馬は血行障害を引き起こし、身体の端部から腐っていくからだ。ただ苦しみが続くだけで、大して生きられない。それを防ぐ為にも、孫六は毎日の散歩を欠かさない。最近は厩で働く人も増えたので、休みは簡単に取れる様にはなったが。

 厩から戻った孫六は自宅で朝食を食べる。今日は池田邸で幸鶴丸の世話役の仕事がある。孫六も一端の武士を志す者、将来の主君となるであろう幸鶴丸とは親密になっておきたい。腕が立つから、頭が良いから、だけで立身出世出来る者など一握りの幸運者だけだ。確実に出世するなら第一に『主君の信頼』を勝ち取る事だ。孫六はそれを意識しているし、目の前にその機会も有る。自分も幸運者なのかも知れない、とすら思える。父親の教明と共に三河国を出た時には、こんな幸運は考えられなかった。もっと苦難に満ちていると、幼いながらに覚悟したものだ。

 だから孫六は日々を大切に過ごすのだ。この幸運を手放しはしない。しかし、そんな彼の決意を知ってか知らずか、今日も今日とて邪魔が入るのだ。


「兄上ぇー」

「遊んでよー」

「今日もダメなのー」


 孫六にとっての邪魔者。弟の佐七4歳、弟の紀八3歳、妹の紗千5歳だ。孫六が池田邸に向かおうと庭先に出ると、遊んでいた三人に見付かり捕まった。

 加藤教明は三河国を出国する際、単身で家を出た。妻や子供達を残して。しかし孫六は密やかに教明を尾行しており、結局、教明は孫六と旅に出る事になった。とはいえ、4歳の孫六が長旅に堪える事は出来ないと判断した教明は、彼を知り合いの厩の主人に預ける。その後、教明は犬山で行き倒れて、恒興に拾われた。

 恒興に仕えた教明は直ぐに孫六を迎えに行った。そして教明と同じ様な三河出奔者を集めて犬山三河衆を組織。落ち着いた頃に、教明は三河国に残した妻や孫六以外の子供達を呼び寄せた。

 孫六のは6人兄弟である。上から紗那10歳、紗世8歳、孫六7歳、紗千5歳、佐七4歳、紀八3歳となっている。つまり孫六には姉2人、妹1人、弟2人居る。なかなかの子沢山家族である。


「佐七、紀八、紗千、付いて来るなよ。俺はこれから若様の世話に行くんだから」


「「「うわーん」」」


 自分にせがむ弟妹を見て、孫六は露骨にマズそうな顔をする。そして即座に彼等の提案を断った。孫六にそんな暇は無いのだ。

 子供は我が儘だ。自分の要求が叶えて貰えないと、直ぐに泣く。孫六も子供ではあるが、自分の目標と努力方法を知る者だ。我が儘が叶えて貰えないと泣く子供ではない。自分にしがみついてまで泣きじゃくる弟妹に、孫六はイライラしてくる。相手の都合の良し悪しくらいは確認しろ、と。

 そんな遣り取りとしていると、家の中から少女が二人、駆け寄って来た。


「ちょっと孫六」


「たまには弟や妹と遊んで上げなさいよ」


 孫六の姉である紗那と紗世だった。彼女等は泣きじゃくる弟妹を抱えると、孫六を糾弾する。


「いや、姉ちゃん達がやってくれよ」


「やってるわよ」


「あなたも、って話」


「ええ〜」


 姉達は弟妹の味方の様だ。いや、自分はこれから若様の世話をしなくてはならないのだが、何故に理解してもらえないのだろうか。と孫六は心の中で愚痴る。

 池田家嫡子である幸鶴丸の世話をサボろうものなら、あの(・・)勝がどの様な行動に出るのか。彼女は幸鶴丸を蔑ろにする行為には容赦をしないだろう。それくらいは容易に想像出来る。その様な事になれば、孫六の将来は真っ暗になってしまう。それくらい理解してくれと、孫六は溜め息が出てしまう。


 加藤教明は自宅でくつろいでいた。今日は任務も無いので、犬山三河衆は解散していた。しかし彼は部屋で思案に暮れていた。どう手を打ったものか、と。


「あなた、白湯です」


「ああ、済まないな、多鶴(たず)


 静かに考え込む教明に妻の多鶴が湯呑に淹れた白湯を持って来る。それを受け取り礼を言う教明。丁度、思考が行き詰って、教明も一息つきたいところだった。


「いつも苦労ばかり掛けて済まない」


「いいえ、夫婦ですもの。それに織田家で禄を得るなど、なかなか出来ない事ですよ」


 多鶴は1年前くらいに三河国から犬山に子供達を連れて来た。教明が恒興に拾われた時は末っ子の紀八がまだ赤ん坊だったので動けなかった。それで彼女の実家に支援を貰って凌いでいた。それから2年程して、準備を整えた彼女は子供達と犬山へ移る。実家の父親は当初、反対していた。それはそうだろう、教明は三河一向一揆に参加して主家に歯向かった。それだけでも一族郎党皆殺しレベルの大罪だ。それは徳川家康本人の温情措置で回避された訳だが、妻の実家が不快に思うなど当たり前だ。結局は織田家と徳川家の同盟が成ったので、強硬な反対まではされなかったが。教明としては一度、妻の実家へ謝罪に行かねば、とは思っている。

 まあ、それももう少し落ち着いてからだと考えている。さしあたっては喫緊の課題を解決しなければと思う。そう、彼は少々困った問題に直面している。その考察に戻ろうとした時、庭の方で子供達の騒ぐ声が聞こえる。

 何かが起こったのか?と教明は庭まで出た。


「何だ?何の騒ぎだ?」


「あ、父上……」


「父上ぇー」


「兄上が遊んでくれないよー」


 教明が庭に出ると紗千、佐七、紀八の三人が駆け寄って足にしがみつく。そして泣きながら孫六が遊んでくれないと訴える。一方の孫六は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。


「孫六、あまり弟妹達を苛めるなよ」


「いや、俺はそんなつもりじゃ。今から若様の世話に行くんだから無理だって」


 教明は孫六に注意するが、孫六とて御役目が有る。遊びに行く訳でもないのだから、おいそれと時間は割けない。孫六が幸鶴丸の世話をしに行くと聞いて、教明も少し言葉に詰まる。その御役目はサボリが許されるものではないからだ。


「若様の?そ、そうか、それは大事だ。しかしな、何とかしてやれんものか?弟妹も一緒に連れて行く、とか」


「池田邸に?」


「む、むう。無理か?」


「まあ、聞いてみるけど」


 言葉に詰まった教明だが、一応の提案はしてみる。例えば、孫六と一緒に弟妹も連れて行く、など。とは言っても、行く場所は池田邸だ。そう簡単に許可が下りるかは、教明も自信が無い。とりあえず孫六は聞いてみる、とだけ返した。

 その時、外から男が一人、教明の所に駆け寄って来る。その男は犬山三河衆の者で教明の部下だった。男の表情には焦りの様なものがあり、教明も只事ではないと感じた。


「隊長、少し問題が」


「ん?何だ?」


「それが……三河衆の者が酒に酔って、喧嘩沙汰になっていると」


「またか!分かった、今行く」


 報告は犬山三河衆の者達が酒に酔って暴れている、というものだった。教明は「またか!」と即座に吐き捨てる。この事案は最近の教明を悩まし続けているからだ。


「孫六、頼むぞ」


「はあ、父上」


 教明は三河衆の男と現場へ走り出した。孫六には頼むとだけ言い残して。返事をする前に教明は走り去ったので、孫六は生返事をしてしまう。


「兄上ー」


「とりあえず待てって。一緒に池田邸に行ってもいいか、殿様に聞いてみるから」


「うん……」


(まあ、若様と会わせるのは弟達の将来に良い事かも知れないな)


 心配そうに見上げる弟妹に、孫六は聞いてみると答える。とはいえ考えてみれば、この件は弟達の出世が有利に働くかも知れないと思う。

 孫六は既に三河国に帰る気が無い。帰って徳川家に仕えるなど、もう出来ないのだ。最下級の下っ端なら可能だが、出世は見込めないと思った方がよい。何故なら、出世するなら、幼い頃から有力武家へ奉公に行って、上司の評価や人脈を作らねばならないからだ。つまり大きな派閥に入らないといけない訳だ。以前に藤堂高虎や脇坂安治が阿閉家に奉公していたのも同様の理由だ。これが上手くいかないと、家中で余所者扱いとなる。今の孫六の年齢だと、有力武家に仕える事が出来るかは瀬戸際だろう。教明の人脈と経歴を考えれば、まず無理だ。つまり徳川家に戻っても、孫六の将来は下っ端侍確定と言って良い。

 それに比べれば、孫六は主君である池田恒興の評価が高いし、池田家臣はだいたい顔見知り。池田邸に出入りして池田家嫡男の幸鶴丸の世話をしていて、養徳院や美代からも評価されている。そして家老の土居宗珊の下で勉学にも励んでいて、将来を嘱望されている。さて、徳川家に戻るのと、池田家に居るのと、何方が彼の将来に有益なのだろうか?という話だ。

 そしてこの話は弟である佐七と紀八にも当て嵌まる。というか、三河国の出奔者である加藤教明が、息子のまともな奉公先を見付けられるか、という事だ。それなら孫六が弟達を連れて行って、恒興や幸鶴丸と顔合わせしておく事は有益に思える。恒興も幸鶴丸の家臣団形成を気にしており、信頼の置ける子供は集めている感じがある。池田家を大きく育てた恒興は剛腕経営でも許されるが、その池田家を継ぐ予定の幸鶴丸はそうはいかない。強権的に振る舞えば、必ず外様の重臣達は反発するだろう。それに迎合ばかりしていては弱腰、傀儡という様な状態になる。だからこそ幸鶴丸には強力な家臣団が必要不可欠となる筈だ。何方が良い、という訳ではない。要はバランスだ。

 孫六はそう考えて、恒興に打診してみる事にした。


 その頃、犬山の居酒屋に教明は到着した。散乱した机、椅子、箸、徳利や猪口などが見える。顔を殴られたと思しき男が三人。三人とも犬山三河衆で教明の部下だ。三人以外に怪我人は居らず、店主店員は無事。設備の弁償のみで済みそうで、教明は少しホッとする。喧嘩は既に収まっている。周りに5、6人の三河衆の者が居るので、彼等が止めたのだろう。


「何故、喧嘩などしたんだ!」


「「「……」」」


 教明は三人を問い詰める。だが、三人は苦虫を噛みつぶした様に顔を顰めるも、何も言わない。「毎度、こうだ」と教明は心の中で嘆息した。こういった喧嘩が最近の三河衆内で何件か起きていて、教明は頭を悩ませていた。だいたいが酒の席でのいざこざで、本人達も明確な理由を言えないでいる。又は、些細な事なので酒の勢いみたいなところもあると思われる。


「何がそんなに不満なんだ……」


 黙り込む三人に教明は頭を抱えて愚痴る。このままでは三河衆に対し禁酒令でも出るのではないか、とさえ思う。流石に主君である恒興がそこまでするとは思えないが、改善命令は絶対に出る。

 その時、黙り込んでいた者が呟く様に言葉を吐いた。


「我等は……いつまでこうしているんですか?」


「何?」


 教明は聞き逃さなかった。他の二人もその言葉でハッと気付いた様な表情になった。言葉に出来なかった不満に、酒に逃げるしかなかった原因に、三人とも気付いたのだ。


「俺達は所詮、余所者だ。池田家でも特に役目を与えられてはいない」


「有っても飯尾衆の手伝い程度。我等は居ても居なくても良い存在なのだ、と」


「酒でも吞んでなきゃ、やってられませんよ」


「う……」


 そう、彼等の不満は『役目が無い』という事だ。自分達の存在意義すら疑い出す程に。

 彼等が余所者だから、池田恒興が差別して役目を与えていない、という話ではない。ただ、犬山三河衆に特殊な事情が有るからだ。それは三河衆の者達がいずれは三河国に帰りたいと言っているからだ。その件は恒興も承知しているし、認めてもいる。問題は、いつ居なくなるかも知れない者に専属の役目は与え辛い、という事だ。なので、三河衆は犬山の治安を預かる飯尾家の手伝いをしていた。飯尾家も人手不足なので助かっていた。しかし、最近に状況が変わる。飯尾敏宗は織田信長から評価され、一宮の新城を任される運びとなり、治安警備地域も尾張国西部全域に拡大した。つまり、仕事が増えてしまった。これにより犬山三河衆はお役御免となってしまった。


 ……何を言っているんだ、と思うだろう。この現象は『織田信長が評価した拡大中の尾張武家』と『織田家の派閥』が関係している。織田家の派閥は大まかに3つに分かれている。織田信長の『革新派』、林佐渡の『文治派』、佐久間出羽の『武断派』である。これは珍しい形となっている。普通は文治派と武断派が意見を戦わせ、主君はその仲裁というのが一般的だ。しかし、主君である信長が誰よりも矢面に立って主導した為、主君派閥が大きくなってしまった。普通の凡人なら当たり前の様に失敗する行為なのだが、織田信長は凡人などではなかった。彼の下には池田恒興をはじめ、勇将知将が集い、織田家の急成長を支える柱となる。その分、林佐渡と佐久間出羽の派閥はたいへん地味なものになってしまう。話がこれで終われば良かったのではあるが、そうはいかない。

 織田信長のやり方は革新的で身分出身問わず、成果を出せば出世が出来る。これに恩恵を受けて出世した者は多い。羽柴秀吉、滝川一益、明智光秀など。しかし余所者が出世する事は尾張武士からすれば『自分の席が奪われた』行為なのである。この為、織田信長は一般的な尾張武士からのウケが悪い。しかし織田家は拡大中、京の都も手中に収め、信長は天皇にすら拝謁した。誰が彼への文句を言えるのか。こうして尾張武士は黙って、林派閥や佐久間派閥に行くのだ。彼等は織田信長に付いて行けなかったのだ。

 堪らないのは林佐渡と佐久間出羽だ。何もしてないのに派閥が拡大していた。このままだと林派閥と佐久間派閥は反織田信長の巣窟になってしまう。彼等は手を打たなければならないと焦った。しかし佐久間出羽は早々に対策が打てた。池田恒興の家臣には急成長中の尾張武家がある。そう、飯尾敏宗だ。その仕事内容も治安警備に山賊討伐、野盗取締りと武士らしい内容。佐久間出羽はこれだ!と言わんばかりに、紹介状を持たせて飯尾家に行かせた。建前上は飯尾家を助ける為。その実は佐久間派閥の要らない者を追い出す為である。林佐渡もこれに便乗した。飯尾家が大きくなったのなら、内政や補給に長けた者も必要になる、と。飯尾家に仕官する者も信長には付いて行けないだけで、別に謀叛したい訳ではない。飯尾敏宗なら信長と適度に離れているので、仕官先としては魅力的であった。恒興だと信長に近過ぎると見られていた模様。まあ、敏宗は仕事が急拡大したので、受け入れるしかないのだが。

 そういう事情があったので、犬山三河衆の仕事は減っていき、彼等は酒場で鬱屈する様になったという事だ。

 三河衆の者達は三河一向一揆で生国を離れる事になった者ばかり。苦難に満ちた旅にならず、犬山に落ち着けたのは幸いだったと言える。彼等もその点は池田恒興に恩義を感じている。しかし、2年近く経過し、その生活が当たり前となってくると、彼等は少しづつ不満を持つ様になった。人は不満を持つ生き物だ。満足は一瞬、不満は湧き出る泉の如し。一の不満を解消しても十の不満が湧き出る、それが人間というものだ。結局、不満という水は溜まり続けるので、堰を決壊させない様に水を汲み取る以外に方法が無い。今回は飯尾家の仕事が無くなった事が切っ掛けとなって、心の堰の決壊が表に出た訳だ。


「分かった。その件に関しては、殿と話してみる。だから少しは自重してくれ」


「「「……」」」


 これはマズイと教明は感じた。こういう思考は伝染する。下手を打つと犬山三河衆そのものが瓦解しかねない。教明は恒興に相談すると、彼等を宥めた。


「ふう」


「お疲れ様です、隊長」


「役目が無い、か。ここまで響くとはな」


「暇があれば考える時間が出来ますから。それで思考が悪い方へ悪い方へ行くのでしょうな」


 疲れた風に息を吐いた教明に部下の男が労う。仕事が忙しければ不満となり、無ければ無いで不満となる。世の中、難しいものだと教明は思う。部下の男は暇が有れば考える時間が増える為、将来を悲観する様になったのだろうと推測した。


「この件も含めて、殿に相談してくる」


「はっ」


 教明は早速、池田家政務所に出向く。今は恒興が居ないので、取次役の加藤政盛に尋ねる事にした。


「政盛殿」


「これは教明殿、どうかしましたか?」


 加藤教明と加藤政盛、二人はどちらも姓が加藤である為、両者は名前で呼び合う事にしている。


「殿に相談が御座ってな。取次を願いたい」


「申し訳ない。現在、殿は来客中でして」


 教明は恒興に面会を申し込むも、政盛は来客中だと答える。相手は明智惟任日向守光秀である。


「そうか。いつ頃、終わりそうか?」


「殿はこれから惟任様と『救龍』の視察に行かれます。それに」


「それに?」


「親衛隊が準備していますので、出立なさるのかも。私はまだ何も聞いていませんが」


 来客対応が終われば相談したいと考える教明だが、それについても政盛は顔を曇らせる。何故なら先程、恒興から救龍視察の旨と親衛隊の出立準備が報されたからだ。つまり恒興は視察の後、直ぐに出立する可能性がある。行き先についてはまだ、政盛にも報せられてはいない様だ。


「それはマズイな。何とか殿と話がしたいので御座るが」


「それなら教明殿も一緒に行きますか?殿の傍に侍る者としては申し分ないでしょうし」


「おお、是非、お願い致す」


 親衛隊が準備しなければならないとなると、割と遠方になると予想される。一番有りがちなのが京の都方面、織田信長に呼び出されるパターンだ。その場合1、2ヶ月くらい帰って来ないのも普通だ。それはマズイと教明は焦る。その表情を見た政盛は只事ではないと感じ、一緒に恒興の伴役に誘った。救龍の視察とはいえ、恒興が客と二人で行くという事はない。政盛と数人の親衛隊員も同行する予定なのだ。そこに教明を加えるという事だ。

 教明は政盛の意図を読み取り、即座に依頼した。

「政盛殿」

「これは教明殿、どうかしましたか?」

 このシーンは普通、『通称』で呼び合うのですが、そうすると。

「弥三郎殿」

「これは三之丞殿、どうかしましたか?」

 となります。いや、誰?ってなりますニャー。三之丞は柘植清広さんも居ます。リアリティより理解り易さ優先の為、本作は名前呼びを採用しておりますニャー。通称の方が通りが良い人は通称呼びを使います。例・柘植三之丞さん、島左近さん、可児才蔵さん等。

 しかし、加藤姓が何故か多いニャー……。羽柴さんちも加藤姓は多かったニャー。

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― 新着の感想 ―
諱呼び?いまさら気にすんなって! 林佐渡が金髪ツインテの時点で全てはファンタジーだ!
戦国時代に「加藤」姓が多い理由は、藤原氏の流れを汲む加藤氏が、特に東海地方を中心に広がったためですね。他に加藤光泰とかいますし。なお、この藤原さんは利仁さんなので、織田信長の祖先かもしれない人ですw
林佐渡と佐久間はなんでいきなり遠ざけられてんだって昔ふと思ったんだけど、そっかー派閥問題で頭を潰してたのね 派閥争いで側近衆が蹴落としあってたから信長が倒れたあと纏まれなかったのは勿体無いな
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