仏教に何が蔓延っているのか?
Gジェネエターナルにハマってしまいましたニャー。全員配布のジークアクスとマチュが強過ぎるニャー。書く時間が無くなるニャーwとなっていた先週ですニャー。今はボール作って解体する毎日ニャー。め・ん・ど・い・ニャー。
_(:3 」∠)
尾張国犬山。
池田恒興は母親である養徳院桂昌に報告していた。内容は尼寺に寄進する果物の苗木について。当初、予定していた桃と栗だけでは過剰になる事が予想されたので、商人の加藤図書助と大橋清兵衛に相談したのだ。その結果を養徳院に報告している。
「母上、尼寺に寄進する苗木の件ですが、桃栗に加え、甲州葡萄と関東梨を取り入れる運びとしましたニャー」
「葡萄とは楽しみですね。しかし、梨、ですか?梨は売れないでしょう」
梨と聞いて養徳院は渋い顔をする。当然だろう、戦国時代において梨は『果物』ではなく『救荒作物』に分類される。他に食べる物が乏しいから仕方なく食べる物だ。それが売り物になる筈がない。そう考えるのは普通である。
「それが関東には甘い梨が有るとの事ですニャー。甘い蜜水を豊潤に蓄えた果実であると」
「その様な梨が有るとは。日の本にはまだまだ知らない事があるものですね」
「手に入れましたら、母上にもご賞味頂きますニャー」
「それも楽しみに待ちましょう」
甘い梨が有ると聞いて、養徳院は珍しく驚いた表情をする。彼女でも驚くくらいの情報だったという事だ。しかし、息子である恒興が自信を持って話すのだから信じて待つ事にした。
梨の収穫時期は秋。今は初夏に差し掛かろうという時期なので4、5か月程、待つ事になる。その前に苗木は手に入れる予定だ。実際に味わった加藤図書助が売り物になると太鼓判を押したのだから問題は無い筈だ。
「それはそうとして。恒興、貴方に頼み事があります」
「はい、何でしょうニャー」
「実は今日、小見の方が来られる予定なのです。惟任殿の妻である妻木煕子さんと一緒に」
「はあ」(光秀の妻も?ああ、小見の方の甥だったか、光秀は)
小見の方は明智光秀の叔母に当たる。彼女は斎藤道三の側室であり、織田信長の正室である斎藤帰蝶の実母でもある。昔、斎藤義龍が父・道三に対し謀叛を起こした際に、小見の方は美濃国を逃れて娘の嫁ぎ先を頼った。それが織田家な訳だ。しかし小見の方は織田家に知り合いが居なかった。そこで養徳院桂昌が彼女の世話を焼き、二人は良き友人関係となった。現在は京の都に滞在しているが、近く息子である関城主・斎藤利治の所に住むつもりらしい。その下見も兼ねて、今回の犬山訪問となったらしい。
恒興にとっても養徳院の友人で義姉の母親なので、池田家の賓客対応をする必要がある。
その小見の方は明智光秀の妻である妻木煕子を帯同しているという。妻木煕子は今世では初見となるが、前世では会った事がある。と言っても、大人数での会食で見かけた程度だ。顔に天然痘の『痘痕』が残る女性。だが性格は明るく、奥ゆかしい感じを受けた。痘痕も化粧をしていれば大して目立たないのも幸いと言える。
妻木煕子は明智光秀と婚約したが、結婚式直前に天然痘に罹った。何とか回復したが、顔に痘痕が残った。もう光秀に合わす顔はないと煕子は悲しみ、養父の妻木広忠も煕子を家に留め置く事にした。しかし明智光秀との婚約は解消したくなかった。そこで煕子と歳が近く背格好の似た妹を出す事にした。妹を煕子として送り出したが、光秀は妹を見るなり「君は誰だ?」と一目で看破したという。妹は即座に送り返された。妻木広忠は光秀に恥をかかせたと、明智家と断絶したと嘆いた。しかし妹は光秀からの伝言を受け取っていた。それは「本当の煕子さんを待っています。私は容姿で貴女を選んだのではない」というものだった。光秀は痘痕の事など、とっくに知っていたのだ。それでも構わないと言う光秀に妻木広忠は感動し、煕子を盛大に送り出したという。
「食事会を開きたいので、風土古都の料理人を手配してくれませんか?」
「畏まりましたニャー。お任せ下さい」
養徳院は客人への対応として会食を提案した。犬山で評判となっている食事といえば、筒井順慶考案の風土古都である。そこの料理人を手配して欲しいと恒興に依頼する。
恒興は承諾する。風土古都には順慶の弟子が多数働いている。そこで働きながら腕を磨き、風土古都で出店する事を目標にしている。そこから手の空いている者を借りてくればいい。養徳院の事だから、養女達も全員参加させるだろう。となると、作る食事は数人分とはいかない。料理人は10人くらい確保しないといけない、と恒興は考えた。
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その日の午後。侍の一団に護衛された籠が到着した。籠は貴人が乗るもので、大衆に姿を晒さない為の配慮である。籠から降りたのは女性で、池田邸へと進んで行く。護衛の侍達は招待を受けた客ではないので、一人を除いて池田邸の門前で待機となる。後に待機場所に移動する事になる。
「小見殿、ようこそ犬山へ」
「養徳院殿、此度の歓迎、痛み入ります」
先頭で入って来たのは小見の方。織田信長の正室である斎藤帰蝶の母親だ。それを迎えるのは池田恒興の母親である養徳院桂昌。多数の女中を引き連れて小見の方を出迎える。
そしてもう一組。明智光秀の妻である妻木煕子と池田恒興の妻である遠藤美代も久々の再会となる。二人はお互いの子供を連れて顔を合わせる。煕子は片手で2歳の娘と手を繋ぎ、もう片手で1歳の娘を抱きかかえている。美代は両手で池田家嫡男の幸鶴丸を抱えている。
「煕子姉様、お久し振りです」
「美代、久し振りですね。その子が嫡男の?」
「はい、幸鶴丸です」
「まあまあまあ、何と可愛らしい」
煕子は幸鶴丸を見て微笑む。そこには男の子が羨ましいという感情も見える。
「一人目が嫡男とは羨ましいわ。私は二人共、女の子で」
「とても愛らしい子達ではないですか」
「せやせや、ウチの娘ときたら。あ、ウチは側室の藤ですわ」
「よろしくお願いします、藤さん」
美代に控える様に、藤も挨拶する。藤は煕子にしがみついて人見知りしている女の子を羨ましそうに見ていた。可愛らしい子供だと。何故、自分の娘はこうではないのかと嘆いている。
「せんはお転婆で。……肘打ちが痛い」
「肘打ち!?」
「ウチなんか、ハイハイのまま頭突きで突撃されたわ」
「げ、元気ですね……」
藤の娘であるせんは赤ん坊でありながら既に暴れん坊である。美代が彼女をあやそうとしたら肘打ちが飛んできて悶絶した事がある。藤はハイハイしているせんが頭突きで突撃してきたという。池田せん、人呼んで『池田邸の暴君』、池田邸の女中達はせんをそう呼んで恐れているくらいだ。彼女を御せるのは養徳院桂昌だけだ。しかし養徳院は毎日、せんの世話を出来る訳ではない。最近、池田邸に来た加藤小雪が力技で彼女を抑え込めるので、二人は助かったと考えている。故に大人しい女の子を見るだけで可愛いと思ってしまう。
「煕子さん、何を思い悩む事がありましょうか。貴方が健康ならこれからも期待は持てますよ」
「養徳院様、ありがとうございます」
「さあ、こちらへ。昼食は風土古都の料理を堪能して頂きます」
「楽しみですね、煕子」
「はい、叔母上様」
そして女性達は皆、子供を連れて池田邸の奥へと進む。その場には二人の男性のみ残された。特に紹介される事は無く。今回の客は小見の方と妻木煕子であり、迎える側は養徳院桂昌と美代、藤な訳だ。
恒興は紹介すらされない。もう一人の男もだ。二人はとりあえず奥へ歩き去る女性陣を見送る。この程度、池田邸では日常なのだ。
「ニャー達はこっちだ。奥は未婚の娘が多いから立ち入り禁止だニャー」
「あ、はい」
女性陣が歩き去る後に残されたのは恒興と付き添いで来た明智光秀である。とりあえず恒興は光秀を茶室へと案内する。
池田邸の奥には恒興の養女達が居る。全員、未婚の娘なので、男性の前には基本的に出ないし、男性である光秀が立ち入るのも禁止である。なので恒興と光秀は別の部屋で過ごす事になる。
恒興は光秀を連れて自分の茶室に招く。襖を開ければ木曽川が見える広い茶室で恒興は淡々と茶を点てる。それを黙って見守る光秀。作り終えた恒興は抹茶を光秀に差し出す。光秀は茶碗を受け取り、お茶を一飲みし一息吐く。
「ふぅ、落ち着く茶室ですね」
「何でニャァァァー!!」
「うわっ、びっくりした!」
一息吐いた光秀に突然、恒興は叫び出す。何を叫んでいるのか、あまりの脈絡の無さに光秀が吃驚する。
「お前は何をしとんのニャー!」
「お茶を頂いてますが!?」
「客が来たら茶くらい出すだろニャー!」
「じゃあ、いいじゃないですか!」
恒興は今更、光秀が此処に居る事を糾弾する。最早、何を言っているんだ状態である。光秀には恒興が何を言いたいのか分からない。
「そうじゃニャい!お前は山科卿の所に行ったのかって聞いてんだニャー!」
「い、いやぁ、山科卿とは顔を合わせ辛いというか……」
どうやら恒興は光秀が山科権大納言言継の所を訪問したのかと聞きたい様だ。しかし、山科言継は光秀が失礼を働いた張本人である。その為、光秀は会うのを避けている様だ。その答えを聞いて、恒興は更に激昂する。
「舐めとんのか、テメエ。何の為に500貫文も払ったんだニャー!」
「え?500貫文ってアレは迷惑料では?」
「アホかっ!500貫文は迷惑料取り成し料工作料手数料、そんでお前の教育料も入っとんだニャー!!」
「わ、私の教育料!?」
「当たり前だろニャー!御禁料押領なんてやらかしたお前が朝廷でどんな面目が有るってんだ!?それを山科卿が取り成す事で、朝廷内で奇異の目で見られない様にするんだろがっ!」
「そんな意味が!?」
恒興は山科言継に500貫文を支払った。それは御禁料押領の騒動に対する謝罪、朝廷内への根回し、織田家への悪評の払拭などを依頼料である。それに加えて朝廷と折衝を担当する明智光秀が朝廷内で立場を回復する為に、山科言継が取り成すという教育料が含まれている。当然、山科言継は理解しているので、光秀はいつ来るのかと待っている状態だ。大物公卿を待たせておいて、茶しばいてんじゃねー!と恒興は言いたいのだ。
「ニャんでこの程度が理解らないんだ。このポンコツめ」
「私にとっては全てが初めてなんですよ!水軍の事だって理解らなくて当然じゃないですか!あと、ポンコツ呼び、止めてくれます!」
「だったら誰かに聞けニャー」
「私は織田家の新参ですよ。いい顔はされませんし。友達も上野殿くらいしか居ませんし」
恒興は光秀の分からずや加減に呆れてポンコツ呼ばわりする。光秀は光秀で最近の事は全て自分にとって初めての事ばかりだと反論する。初めてなんだから分からないし上手くいかないと。それなら誰かに聞けと恒興は言うが、光秀に聞けるような人物は織田家内に居ない。というか、恒興以外の誰に聞けば水軍から朝廷の事まで答えられるというのか。
光秀の友人関係が貧しいのは別にいいとして、聞き捨てならない言葉があった。恒興自身が何故か唯一の友人に設定されている事だ。
「ちょっと待て!何でニャーがお前の友達になっとんニャー!?」
「500貫文を立て替えてくれたじゃないですかっ!」
「お前が払えねーからだろニャー!」
恒興が光秀の友人になっているのは、500貫文を立て替えたかららしい。恒興は光秀が払えないから、仕方なく借金という形で出しただけだ。しかし考えてみれば、友達であっても500貫文なんて大金をポンと貸す者は居ない。
「だからって無利子無担保無期限で貸さないでしょうが、普通!」
「……ニャんで無利子無担保無期限だと知っとるんだニャー?」
「煕子が。利子などは先に言わないと騒動にしかならないから、と。まさか、利子や期限があったりするんですか?」
「ある訳ねーだろ。ニャーは金貸しでも守銭奴でもねーし。……そうか、煕子殿が、ニャー。お前には勿体無い嫁だ」
「そうでしょう、そうでしょう。煕子は私には勿体……いや、お似合いと言って下さいよ!」
500貫文もの大金、それを恒興は無利子無担保無期限で貸した。ちゃんと伝えてはいない筈だが、何故か光秀はその筈だと確信している様だ。聞いてみれば、光秀の妻である煕子が借金の利子や期限などは貸す前に言わないと騒動になるからだと言っていたらしい。これはその通りで、借金は昔から刃傷沙汰が絶えない案件である。なので、貸付条件は先に伝えて、証文を交わす事が暗黙の了解となる。煕子は知っていた様だ。彼女が借金を作る訳がないので、おそらくは誰かから聞いていたのだろう。こういう世間話から情報を得て、正しいものを選別し自分の知識を増やす。煕子は賢い女性なのだと理解る。対して、この明智家のお坊ちゃんからいきなり住所不定無職になった男は知らない様だ。借金は最低でも住所がないと出来ないし仕方がない……のか?
「くぅ、私が500貫文もの借金をする破目になったのは、全て比叡山延暦寺のせいですよ。いつか焼いてやります」
「お前はどんだけ比叡山を憎んどるんだニャー」
「だって、比叡山が悪僧を飼ってるせいで、どれだけの民草が苦しんでいるのか。知らない訳じゃないでしょう」
何故か光秀はいきなり比叡山延暦寺の糾弾を始める。どうやら彼が500貫文もの借金を作る事になったのは、全て延暦寺のせいらしい。恒興はお前が御禁料を制圧したからだろと思いながら、光秀を宥める事にした。しかし、光秀のヒートアップは止まらない。今度は悪僧の所業を持ち出して責め立てる。更に盛り上がる光秀を見て、恒興は溜め息しか出ない。
「悪僧を比叡山延暦寺の僧侶だと思うのは止めろニャー。アレは僧侶じゃねーよ」
「ん?どういう事ですか?」
「悪僧は僧侶の格好をした犯罪者集団だニャ。僧侶になる為の勉強も修行もした事が無い。得度もしてない」
「え?」
「だから悪僧は比叡山に入れない。麓で屯してる理由はソレだニャ。で、延暦寺の看板を勝手に振りかざして暴れる」
「悪僧は犯罪者集団、だったのですか?」
「そうだニャ」
恒興ははっきりと言う事にした。『悪僧』と呼ばれる者達の正体を。悪僧とは一言で言うと『犯罪者集団』。だいたいが人殺しか詐欺師で構成されている。悪僧の上位に居る者達は確実にそう。人殺しを容易に行える者や人を騙す事に長けた者でないと上位など取れないからだ。他は村八分になって追い出された者とか、組織のはみ出し者となるだろう。彼等が比叡山の麓で暮らしているのは、比叡山に入る事が出来ないからだ。悪僧が僧侶ではない証左となっている。
「では何故、延暦寺はそんな輩を飼っているのですか?」
「それには『伝教大師の理念』が関係しているニャー」
「伝教大師……最澄の理念」
「伝教大師は『仏教で全ての人を救う』という理念を掲げていた。それを体現する為に比叡山延暦寺を開山したんだニャー。彼の死後も、延暦寺はその理念の下に活動をしている」
伝教大師・最澄上人は遣唐使での経験から『仏教で全ての人を救う』という理念に辿り着いた。彼なりの悟り(理想)だったのだろう。それを実現する為に、彼は比叡山に延暦寺を造り上げた。この伝教大師の理念は後にいろいろな高僧に影響を与える。日の本で一番の影響があった理念であると断言出来る程だ。
そして延暦寺は伝教大師の理念の下、様々な者達に救いの手を差し伸べた。それは伝教大師の死後もずっと続けていた。戦国時代の今も。
それを聞いた光秀は心底「はあ??」と言いた気な表情をする。比叡山がそんな慈善事業をしている筈はないと思っているのだ。
「はあ?そんなバカな。何処からどう見ても悪徳の……」
「まずは聞けニャー。問題は『救われる人間』側に有る。真面目に頑張る者と不真面目でよくサボる者。どちらが先に助けを求めると思うニャー」
「そりゃ、不真面目な者でしょう。自分が楽をしたくて他人任せにしたいでしょうね」
「そうだニャー。そして悪人はだいたい不真面目でサボる者だ。つまり伝教大師の理念に縋る者は悪人が圧倒的に多い。真面目に頑張る悪人とか一番怖いしニャ。だから人殺しの悪人が罪や討伐から逃れて、比叡山に匿われた。罪を償わず逃げたヤツが、心入れ換えると思うかニャ?」
「ある訳ないですよ。罪から逃げてるんですから」
人間には善人と悪人が居るのは当たり前だ。伝教大師は『全て』の人々を救うと言った。それならば、善人と悪人のどちらが救われるだろうか?平等だと思うだろうか?否、悪人ばかり先んじて救われる事になる。何故なら悪人は不真面目であり、自分が楽する為なら誰かを利用する事に躊躇いが無い。善人より早く救いにあり付いて、救いの席を埋めてしまう。
悪僧が人殺しか詐欺師で構成されていると言ったのは、武家から追討を受けるなど、この2者が圧倒的に多いからだ。巨大な詐欺で武家に損害を与えた詐欺師、或いは、一村を滅ぼすレベルの強盗殺人犯という事だ。こういうヤツが生き残る為に、罪から逃れる為に、比叡山に行った。流石に比叡山に部隊を送る事は、そこら辺の武家には出来ない事だからだ。
さて、悪事を働いてまんまと逃げ果せた者が、明日から心を入れ換えて真面目になる、罪を償うと思うだろうか?答えは中指を突き立てて「やーい、こっちまで来てみろや!比叡山が怖くないならよぉ!」と調子に乗った、である。これが悪僧と呼ばれる者達の正体だ。
「その悪人は僧侶ではニャい故に比叡山に入れない。だが、比叡山から離れれば武家の追討が来る。だから比叡山の麓に屯した」
「それが悪僧になった、と」
「そういう事だ。長い年月が経ち、そうなった感じだニャー。伝教大師も居ないし、理想には悪人が群がり続けた」
「延暦寺は是正しなかったんですか?」
「したよ。しかし、自分達が何れ排除される事くらい、悪僧の方が察知していたニャー。だから悪僧はある派閥と結び付いた」
延暦寺の僧侶達もこのままではマズイ事は理解していた。悪僧は延暦寺の看板を勝手に使って暴虐を働いている。阿漕に金を稼いでいる。悪僧が暴れれば暴れる程に、延暦寺の名前にキズが付いていく。ならば悪僧は比叡山から追放すべきだと考える僧侶が多く居た。
しかし、そんな事は悪僧側の方がよく理解っていた。だから彼等は比叡山のある派閥と結び付く事で生き残りを図った。
「比叡山延暦寺の派閥は大きく分けて2つ有るニャ」
「2つ?100程有るって聞いた事がありますが?」
「それは僧侶の所属だニャ。何とか房とか何々院とか。そうじゃなくて、意見の流れが二つに集約されるんだ。これは珍しいものじゃニャい。武家もだいたいそんな感じだろ」
「それは?」
「『文治派』と『武断派』だニャ」
恒興は比叡山には二つの派閥があるという。比叡山延暦寺は一般的に数百もの派閥があり、何処と交渉したらいいのか分からない状態だという。しかし、それは僧侶の所属であり、房や院などで分かれているだけだ。
恒興が言いたいのは、意見の流れだ。これが二つに集約されている。即ち、文治派と武断派である。
この形態は珍しい物ではなく、武家もだいたいこの二つで分かれている。織田家も昔は文治派・林佐渡と武断派・佐久間出羽で分かれていた。今は第三勢力『革新派・織田信長』が台頭しているので、二分されてはいない。三分されている。もちろん、恒興は革新派・織田信長のメンバーである。
「仏教の勉強、研究、修行に励む僧侶が文治派。対外的強硬姿勢で武家の要らない子息で寺に行くしかなかった僧侶が武断派。文治派は問題ないが、武断派は自分の境遇に不満しかない奴らだ。悪僧はこの武断派と結びついたんだニャー。排除されない為にな」
文治派は仏教の勉強、研究、修行に励む僧侶となる。こちらは本来の僧侶像と言って良いだろう。
武断派は公家や武家の息子が寺に押し込まれ、僧侶になるしかなかった者達。御家騒動をさせない為に、庶子や次男以下の男子を寺に押し込む事はよくある事だ。そんな者達が立派な僧侶になろうとするだろうか?八割方はならない。「あんな嫡男より俺の方が優秀なのに」とか毎日愚痴っている感じで、心の中は不満と憎悪に満たされている。こういう僧侶達と悪僧は結び付いたのだ。
「延暦寺の最上位は座主だが、権力者は座主ではニャい。どの組織、どの家庭でもそうだが、『飯を食わせてくれるヤツが一番偉い』。これは獣ですら通じる理論だニャ。『誰のおかげで飯を食えるんだ?』って言葉は強えからな。つまり金をより多く稼ぐヤツが偉い。悪人は暴虐で金が稼げる。その金を武断派に渡す。武断派は金の力で延暦寺内の権力を握り、悪僧を匿う。悪僧は武断派に守られ排除されず、延暦寺の看板でやりたい放題。こういう図式ニャんだ」
「おおう……、何というか、もう……」
「ここまで完成されると、座主をはじめとする文治派がいくら頑張っても無駄な抵抗に終わる。これが比叡山延暦寺の現状だ。いくら賢い僧侶が文治派に居ても、狡猾さで悪僧には勝てん。悪僧は『狡賢い』に特化しているからニャ」
武断派の僧侶は性格的に武家と同じである。その為に人より上位に成りたがる、権力を欲する。その性格に目を付けた悪僧は彼等に稼いだ金を渡す事にしたのだ。武断派の僧侶は金の力で延暦寺の主導権を得る事に成功した。年月が経過する毎に、延暦寺の荘園は押領されていき、残りの荘園だけでは経営出来なくなっていた。その窮地を救ったのが武断派の資金力という訳だ。お堂一つ建てるにも武断派が資金を出さないと難しい。こうなると延暦寺において武断派の権力は誰も何も言えない程になる。武断派はその権力を使って悪僧を庇い続けた訳だ。武断派の援護を得た悪僧は、更に金を稼ぐ為に比叡山の看板を振り回して、阿漕な稼ぎを多数生み出していった。
武断派僧侶と悪僧の関係は正に『アリとアブラムシ』という事だ。そしてアブラムシは周りの作物をどんどんと枯らしていく。
「延暦寺に自浄は期待出来そうにないですね。ならば他の寺と手を結んで対抗してみては?」
「あ?ニャんだって?」
「本願寺ですよ。本願寺は延暦寺と争っていると聞きますから協力出来るのでは?」
ここで光秀は意外な提案をする。彼は延暦寺と敵対している宗派と手を結ぶ事を提案しているのだ。その対象は浄土真宗本願寺。その名前を聞いて、恒興は物凄く渋い顔をする。
「延暦寺が本願寺と争っているのは、法華宗の様に教義どうこうじゃないニャ。もっと別だ。つか、浄土真宗は元々、比叡山延暦寺から派生したんだから」
「え、そうなんですか?」
たしかに延暦寺と本願寺は敵対している。しかし内容的には延暦寺が一方的に本願寺を敵視している感じだ。なので本願寺側はあまり反抗していない。延暦寺と敵対していると言えば法華宗もそうだが、こちらは内容が違って仏教の教義で衝突している。それだけ日蓮上人の教えは従来の物と違っている訳だ。それで宗論まで行った結果、延暦寺は法華宗の『撃滅』を採択するに至る。だから天文の乱で延暦寺は全国の僧兵に集合を掛けたのだ。
「浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鸞。二人は師弟関係で延暦寺出身の僧侶だニャー」
「じゃあ、延暦寺にとっては息子みたいなものではないですか」
浄土宗の開祖・法然上人と浄土真宗の開祖・親鸞聖人は元々、比叡山延暦寺の僧侶で師弟関係だった。彼等は堕落を続ける延暦寺を出て、自分なりの仏教を求めた。その結果、彼等は……『流罪』に処された。
「法然が問題でニャ。彼は伝教大師の理念に最も影響を受けたみたいだ」
「伝教大師の理念?あの『仏教で全ての人々を救う』っヤツですか?」
「ああ、法然はその理念を更に進化させた『概念』を生み出した。それを『一念』という。今は『念仏』と呼んでいるニャ」
念仏とは現代では珍しくも何ともないものだ。ただ「南無阿弥陀仏」と口にすれば成立してしまう。念を込めるかは人次第だ。
しかし時代は平安末期から鎌倉初期。農村の人々はこの「南無阿弥陀仏」すら知らなかった。僧侶が時折、口にする言葉が何なのかすら分からずに畏れ敬っていた。
「『念仏』……。念仏って法然が生み出したのですか!?」
「念仏自体は平安中期にはあったニャ。しかし僧侶が唱えるだけで、民衆はよく理解ってなかった。それまで寺では多数の僧侶が伽藍に集まって唱える『多念』が主流だったニャ。多念によって世の安寧を願う。しかし法然は人々を救うなら『一念』で足りるとした。一人が『南無阿弥陀仏』と唱えれば、その人は救われる筈だとニャ」
「ふむ、成る程。おかしくはないですね。その人が救われるかどうかは、唱われるより自分で唱えよ、と」
最初の日の本仏教はお寺の伽藍という大きな建物に僧侶が数十人集まって、護摩壇を囲んでお経を唱えるスタイル『多念』が主流であった。これで世の中の安寧を祈願するのだ。それが朝廷からの命令だからだ。遣唐使まで派遣して仏教を持ち帰らせたのは、この為だ。仏教の不思議なパワーで国家を守護しようという訳だ。
「問題はそれを民衆に布教した事だニャー」
「?それが問題なんですか?」
「当時は鎌倉時代ニャ。仏教の寺内教育は問題無いが、民衆への布教は禁止されている。元は奈良時代に朝廷から出された命令だが、寺院は積極的にずっと守っていた」
「寺が?」
「仏教の神秘性を高める為だニャー。朝廷の目論見も、寺院の目論見もソレだ。人々が御仏の名前だけで畏れ敬う様にしたかったんだ。『天皇』の様に。つまり統治の足しにしようとしたんだニャー」
仏教が国家の守護をする。この意味は『統治』である。民衆が反乱を起こさず、永遠に従い続ける様にしてくれ、という事を朝廷は仏教に託していたのだ。故に朝廷は仏教を布教禁止とした。仏教の存在は教えても、教義までは教えないという感じにした。こうして仏教の神秘性を高め、統治の力にしようとした。当然、寺院も積極的にこれを支持した。仏教を畏れ敬わせるには良い方法だったからだ。
しかし仏僧には時折、『ロック』な人物が現れる。その一人が道昭上人だ。彼は遣唐使に参加し、唐王朝で三蔵法師玄奘に学んだ。三蔵法師玄奘も唐王朝の命令は無視、皇帝に仕える事を断固拒否とかなりロックな人物だ。そんな道昭上人は朝廷の布教禁止命令を『ガン無視して布教』した。朝廷から注意を受けると「分かりました」と返事をして、次の日には布教に出掛けたとの事。聞いちゃいない。更に道昭上人は土木事業などにも積極的で、民衆への援助なども積極的だった。ある時、資金が尽きて貧民を助ける事が出来なかった。寺内を見ると仏像用の銅塊があった。道昭上人は銅塊を売って貧民を救おうとしたが、弟子がそれを止める。彼は言う「それは仏様の背中となる銅。仏の物を人に渡してはなりません」。これは『仏物私物法』という寺院が勝手に作った法律だ。意味は「一度、仏の物になったら、絶対に人の手に返してはならない」という事だ。これに対し、道昭上人は「人を救わず見殺しにして、仏様は褒めてくれますでしょうか。誰から糾弾されるとも、拙僧一人の破戒で人々が救われるなら安いものです。たとえ地獄に落ちるとも」と毅然と言い返したと言われている。
道昭上人の弟子である行基上人もロックな性格を引き継ぎ、朝廷の命令を『ガン無視して布教』した。道昭上人は遣唐使から帰還した有名な高僧だったので、朝廷も気を遣って注意しか出来なかった。しかし行基上人は容赦なく捕まえた。行基上人の行動はこんな感じだ。布教する「拙僧が仏教を教えてやるぜ☆」→捕まる「スンマセンっしたー。反省してます!」→釈放後、直ぐ布教「そんなの関係ねえ!布教の時間だ☆」→捕まる「反省してるっス。ホントホント!」→釈放後、懲りずに布教「みんな、ノッてるかーい!拙僧の説法を聴けー☆」→捕まる……以下ループ。
この様に有名な僧侶を調べてみると、割とロックスターみたいな行動をしているものだ。反抗的というか、反逆的というか。
「だから寺は民衆に仏教を教えないんだ。ふんわりとした認識のみで畏れ敬わせたかった。民衆はバカな方がやり易いしニャー」
「あ、悪辣なやり口ですね……」
「だが法然は人々を救う為に、一念の概念を民衆に伝えた。つまり仏教の教義が民衆に流出したんだニャー。法然は比叡山延暦寺の僧侶、延暦寺は余計に法然が許せなかった」
法然上人が生み出した一念を人々に浸透させるには、念とは何かを伝えねばならなかった。つまり寺が秘匿していた教義が民間に流出してしまったのだ。道昭上人や行基上人が布教しても仏教の教義が浸透しなかった事を考えると、法然上人の一念は民衆にかなり理解り易かったのだ。それで爆発的に普及し、浄土宗は民衆の支持を大きく獲得していった。しかし、それが法然上人の弟子達を増長させてしまった。そして延暦寺の逆鱗に触れる事になった。
「だから延暦寺と本願寺は争っているんですか」
「いや、それは違うニャ。教義流出は法然の罪であって、他は関係無い。理由は幾つか有るが、大きくは浄土宗及び浄土真宗の僧侶が調子に乗って延暦寺をバカにした事だニャ。『一念』は最先端の考えで『多念』は時代遅れってな感じでな。法然は弟子達を諫めたんだが、増長と曲解は止まらなかった」
民衆の支持を大きく獲得した事で、法然上人の弟子達はかなり調子に乗った。多念なんて時代遅れな考えで、一念あれば事足りる。延暦寺のやっている事は無意味とかなり吹聴していた様だ。これに対し法然上人は「一念が良くて、多念がダメとか言ってない!曲解しない様に!」と弟子達を叱り付けたそうだ。しかし、時は既に遅し。延暦寺は怒って朝廷に告訴した。そして法然上人は四国へ、親鸞聖人は越後国に流罪となった。
人間の大半は都合の良い事しか聞かない。自分の都合の良い様に曲解する生き物だ。この手の話は法華宗にもある。法華宗開祖の日蓮上人は法華宗の教義が曲解されるのを特に嫌っていた。その為、彼は書いた書物にこれでもかと注釈を付けた。まあ、日蓮上人の死後、弟子達によってガッツリと曲解されたそうだ。自分に都合の悪い事は目に入らないという訳だ。
「もう一つ有って、これが大きい。『一念』は『武家坊主』の発生源となった事だニャ」
「武家坊主?そんなの幾らでも居ますが」
「武家坊主にも種類がある。池田家でも家老の土居宗珊が武家坊主だし、大名にもたくさん居る。隠居の理由だったり、自分のケジメだったりで出家した武家坊主は別にいい。問題は『念仏』さえ唱えりゃ、どんな罪も赦されるとか勘違いした山賊紛いの連中だ。コイツラが鎌倉末期に大量発生した」
最も問題とされたのが、武家坊主の発生である。大名や高級武士が出家するのは問題ない。ただ仏教は布教禁止である為、出家も鎌倉幕府の許可制になっている。だから下級武士は相当な伝手がないと出家も出来なかった。だが、法然の一念が広まると僧侶になるハードルが下がってしまった。僧侶らしい格好と「南無阿弥陀仏」と口にしていれば僧侶らしく見えてしまう。こういうファッション僧侶が流行った結果、布教禁止も出家許可制も意味が無くなってしまった。
更に世が乱れると、別タイプの武家坊主が現れる。それが「南無阿弥陀仏って言えば、何でも許されるんだよね?」と思っている輩だ。
「鎌倉末期……。まさか『悪党』の発生ですか?」
「解ってるじゃニャいか。最近だって起こってるぞ。『山城土一揆』とか『加賀一向一揆』とか言うんだがニャ。『念仏』さえ唱えてりゃ、寺を燃やしても赦される。仏罰は無いってな具合にニャ。まあ、仏罰は最初から存在せんから一揆側の完全勝利だニャ」
「人々を救う為の念仏が完全に暴走してますね……」
一念の概念は曲解と暴走を続け、鎌倉末期に有る者達を生み出す。それが『悪党』である。悪党は主に生活が苦しい者が中心だった。日の本は元寇が終わった頃で、鎌倉幕府は元寇で戦った者達に十分な恩賞を出せなかった。戦えば恩賞が貰えると、借金をしてまで戦った者達を中心に破産していった。それを防ぐ為に、鎌倉幕府は借金を帳消しに出来る『徳政令』を出した。これが武士を更に追い詰めた。何故なら、金貸し業者が金を貸さなくなったからだ。当たり前だろう、徳政令で帳消しにされるのに、金を貸す訳がない。故に破産者は増え、暴虐に走る者が後を絶たなくなった。この時に主に狙われたのが金貸し業者や富裕層となる。そして、その両方の条件を満たしていたのが寺院である。実は金貸しは寺の重要産業でもあった。何しろ寺の借金回収率は凄まじく高かった。「御仏の慈悲を返さぬ不信心者め!仏罰が降るぞ!」と言っておけば、民衆は仏罰を恐れて自ら返そうとしたからだ。
しかし鎌倉末期はそうはいかなかった。これまでは仏罰を恐れていた人々が寺を襲い出したのだ。僧侶が仏罰が降るぞと脅しても、彼等は鼻で笑う様になった。そして「南無阿弥陀仏」と書かれた旗を掲げ、唱えさえすれば御仏は何でも赦してくれるんだと、殺し奪い犯し、暴虐の限りを尽くす様になった。そう、彼等は『一念』を何でも赦される免罪符だと曲解したのである。法然上人の理想は見事に曲解され、暴虐の理由に利用されたのである。
そしてこの流れは現在でも続いている。それが『山城土一揆』や『加賀一向一揆』である。一揆と名前が付いているので、民衆反乱と思われがちではあるが、主導しているのは『悪党』と同質の『武家坊主』なのである。
さて、この話は誰が悪いのであろうか。これが恒興が考える日の本仏教の問題点だ。しかし、比叡山延暦寺については自浄はまだ期待出来ると、恒興は考えているが。
「光秀、これだけは覚えておけニャー。人間に完全は無い。求めるな、完全を、完璧を。どんな聖人の高潔な精神も、崇高な理想も、完璧な思想も、人間の欲望は必ず喰らい尽くす」
「……」
恒興は諭す様に言う。人間に完全は無いと。完全な人間も存在しないと。聖人と称えられる人物達の高潔な精神、崇高な理想、完璧な思想は現代にも多数残ってはいる。だが、原形を留めている物は存在しない。何故なら人間の欲望が喰らい尽くすからだ。その様を『曲解』と呼んでも良いし、『改竄』と呼んでも良い。『進化』でも合っているし、『歴史』でも良い。それとも『正義』と呼ぶのか。何れにしても、選択する者が都合の良い言葉を選ぶだけの話である。
「お前、割と完璧主義なところ、あるだろ。最初から最上の選択肢を選ぼうとして何も選べない。そうやって御禁料問題で失敗した」
「それは……」
「今はただの経験不足だが、経験を積めば決断出来る様になるだろうニャ。だが、覚えておけ。最上なんて最初から無い。完璧主義者や理想主義者は最初から最上を求めるから、過激な手段ばかり取る。破滅的手段でも正しいと感じる様になる。『いずれこの決断が正しかったと評価される筈だ』とニャ。ま、それも後に続く人間の欲望に喰い尽くされる運命だがな」
完璧主義者や理想主義者は最上を求める傾向がある。こういう人々は大抵、優秀なインテリ層だからだ。頭の中の妄想だけで遥か未来を見通す……様な気分になっている。独裁者にはこのタイプが多い。自分の理想を叶える為にどんな手段でも使う。もう手段と目的が入れ換わっているのではと思える行動もする。しかし彼等は錯乱などしていない。後世に自分の決断が最上だったと評価されると信じているだけだ。
恒興は思うのだ。明智光秀は最上の決断と信じて本能寺を襲ったのではないか、と。彼がどんな未来を描いていたかは、もう分からない。目の前の男は未だ、あの明智光秀ではないのだから。そして彼の最上の決断は、他者の糧にしかならなかった。
「なら、どうしろと言うんですか?」
「『最上』より『より良い』を選択するんだ。ニャーは最初から犬山を今の様にしよう、などとは思わなかった。ただ、一つ一つより良くしていっただけだ。要は積み重ねニャんだよ。積み木を上へ上へと積むんじゃない。周りを固めてしっかりとした土台を築いてから、少しずつ上に積め。何回も下を振り返れ。本当に大丈夫か?と」
「……」
「今は心に留めておけば十分だニャ」
恒興は『最上』より『より良い』を求める様にアドバイスする。彼は犬山を例として挙げる。犬山は尾張国と美濃国の最前線の拠点で、いつ戦場になってもおかしくない場所だった。故に恒興が赴任した頃は農村がまばらにあった程度、とても発展しているとは言えなかった。ここから今の犬山の様になるとは考えてもいなかった。ただ恒興はその場その場で『より良い』を選択し続けただけだ。恒興の言う『より良い』とは急がずに着実に進めという事だ。積み木を上にばかり積んでいれば、簡単に崩れてしまう。恒興は時間を掛けてでもしっかりとした土台を組んでから、着実に上を目指していくべきだ、としている。そして後ろや下を見る事も大切だ。人々がちゃんと付いて来ているか確認せよと、光秀に伝えた。
今回の話は戦国時代の仏教を外側から見た感じになりますニャー。望んで僧侶になった文治派と、望まず押し込まれた武断派に分かれた感じがします。
武家坊主の感覚を現代的に例えると、毒ガス撒いても、病原菌を振りまいても、他国を空爆しても、ミサイル撃ち込んでも、何十万人虐殺しても、『南無阿弥陀仏』って呟けば許されると勘違いした人々です。頭を剃っているかはその人次第で、禿頭とは限りませんニャ。僧侶になる為の修行も勉強もした事無いのもデフォ。だって、『南無阿弥陀仏』って言っときゃ何でも許されるんでしょ?こういう人達がお寺の看板を掲げて暴れている訳ですニャ。