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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
激戦と慟哭編
228/239

閑話 そうだ、濃尾勢は果物王国にしよう

 尾張国犬山。

 池田邸の一角に恒興の茶室がある。その広さは10畳。5、6人がくつろげる広さである。襖を全開にすれば眼下に木曽川の流れを一望出来る様になっている。この部屋の襖を竹林の絵で埋める予定で、筒井順慶に制作依頼を出している。まだ数年は掛かるだろうが。

 恒興は今回の茶会に自分が所有する名物を使用した。茶碗は宋代の唐物である白天目茶碗、茶釜は織田信長からの頂戴品の天猫姥口釜、茶入は武野紹鴎所有だった澪標茄子、茶杓は無名ではあるが武野紹鴎遺品。恒興は慣れた手付きと所作で茶を入れていく。それを目の前に座る二人に茶碗を差し出す。


「結構な御点前ですな」


「ではでは、名物鑑賞と参りましょうか」


 今回の客は津島会合衆の豪商である大橋清兵衛と加藤図書助。二人は差し出された茶碗を回し合って、茶を頂く。そして落ち着いたところで恒興が使用した名物を鑑賞する。


「武野紹鴎の澪標茄子、いつ見ても良いですね」


「茶碗も宋代の唐物。上野殿は茶人としても一段上がりましたな」


「いえいえ、まだまだですニャー」


 大橋清兵衛は紹鴎茄子の一つ、澪標茄子を手に取りうっとりとする。加藤図書助も白天目茶碗の縁を摩って感触を愉しんでいる。茶の名物は豪商の二人をも魅了してしまうのか、と恒興は少し恐ろしくなる。まあ、二人の手の中には一つ数百貫という品物があるのだから無理もない。


「最近は狭い茶室が流行りの様ですが、この広い茶室も良いものです」


「堺会合衆の千宗易殿ですな。かなりの評判なんだとか」


「彼の狭い茶室は一対一専用ですからニャ。ニャーとしましては、一対一より、皆で鍋をつつきたいものですから」


 茶をこよなく愛する者達は自分の茶室を造るものだ。最近まで茶室の広さは『四畳半』が至高とされていた。これは足利幕府8代将軍の足利義政が考案したもので、室町時代を代表する文化となっている。なので名立たる茶人たちはこぞって『四畳半』を基本とした茶室を建てていた。

 そして昨今、新しい概念を提唱する者が現れた。それが千宗易(後の千利休)である。彼は何と『二畳』の茶室を造ったのである。宗易は客を持て成すのに、これ以上の広さは不要と断じたのである。ただし、使用用途に主人と客のみ、一対一だという条件が入る。一応、三人までは許容できる。かなり狭いが。

 この概念は大名を中心に受けた。何故か?答えは『密談が容易になる』からだ。大名であっても茶室では一対一となる。距離も近いし腹を割って話せる。これを織田信長は活用していた。相手の考えや性根を見るのに都合が良かったからだ。だが、それは他の大名や武家も同じ事だ。それを防止する為に茶会は許可制になっていく訳だ。

 しかし恒興はこの一対一をあまり好まない。どちらかというと、大人数での宴会の方が好きなのだ。それに主人と客の距離が近いのも問題だ。慣れ親しんだ者ならいざ知らず、初顔合わせでは緊張するばかりだろう。客は身の置所、目のやり場に困り息苦しさしか感じない。つまり使用用途が限られているとしか言えない。


「それが上野殿の『数寄(すき)』な訳ですね」


「良いですな。己の『数寄』を追求する事も茶会の本質でしょう」


 こういう自分好みを『数寄』という。この自分好みを茶湯で表す者を『数寄者(すきもの)』と世間では呼んだ。後年には南蛮の文化を取り入れた『南蛮趣』や、外で行う野点という茶会『野趣』も登場する。ある権力者は黄金の茶室を造ったとして有名になったりもする。


「さて、本題に入りましょうニャ。実は尼寺の荘園で桃や栗を育てる事になりまして。大橋殿には果実の買取を、加藤殿には苗木の確保をお願いしたいのですニャー」


「桃や栗を育てるのですか。渡りに舟ですね。桃を多めでお願いします」


「栗は尾張国周辺でもそれなりにありますからな。私は苗木ですか。お任せ下され」


 恒興は今回の茶会に大橋清兵衛と加藤図書助を招いた用件を伝える。尼寺で麦に代わり、桃と栗を育てる事になった話だ。大橋清兵衛には果実の買い取り、加藤図書助には苗木の確保を依頼したいのだ。苗木の確保には育成する人物の確保も含まれる。尼さんだけだと枯らしてしまう事もあるだろう。そうなる前に対処できる専門家が欲しい。簡単に言うと、現地で桃や栗を育てている農家の次男以下が対象となる。移住者も歓迎するつもりだ。選別は加藤図書助に一任するが、恒興は全員雇う予定だ。


「それでどの辺りで育てるのですか?」


「母上から苗木を寄進する尼寺の目録を貰ってますニャー。ま、2、30ヶ所といったところ……ん?何コレ?」


「どうかしましたかな?」


 恒興は笑顔で母親である養徳院から貰った目録を開く。2、30カ所だろうと気楽に考えていた恒興は驚愕に目を見開く。そこにはとんでもない数の名前が記載されていたのだ。


「いや、え?100以上の名前が……え?ニャにコレ」


「こ、これは、濃尾勢の尼寺の殆どでは?」


「そ、その規模で桃と栗を育てるんですか?流石に過剰ではないかと……」


 尼寺はそう多くない。尼寺は女性専用であり、入れる人は自ずと限定される。武家、公家、商家など実家が太く、支援が受けられる者が一般的だ。こういう人は高位尼となる。養徳院桂昌は池田恒興の母親なので確実に高位尼である。この高位尼が行き場を無くした女性や孤児となった女児を引き取る。女中の様な仕事を住み込みで任せる為だ。こんな感じで尼寺は構成される。だが高位尼でも実家から十全に支援されている者は少ない。だから尼寺は末寺ほどの数は無いし、裕福な尼寺は殆ど存在しない。

 恒興が養徳院と関係が有る尼寺を2、30カ所と言ったのは尾張国内の尼寺という事だ。末寺なら1000カ所以上は在る筈だが。その尼寺の数が100カ所以上というなら、図書助の指摘通りで濃尾勢全域だろう。


(母上、これ幸いにとすべての尼寺に声を掛けたニャ。尼寺は宗派を超えた横連帯があると聞いた事はある。いつの間にか、母上の勢力圏が濃尾勢全体に及んでるんだけど、どうなってんだニャー?)


 養徳院から受け取った尼寺の目録には100を超える名前と場所が書いてあった。彼女はこの全てに果樹園を造れと言っている訳だ。その為に必要な苗木の数は万の単位に達する可能性すらある。いや、何処にそんな苗木が有ると言うのか?商人を総動員するか、時間を掛けるかしないと不可能だろう。出来る手段が有るだけ、池田恒興は凄いと言えるが。

 あの母親に多額の投資を迫られている。恒興は床に突っ伏して堪えるしか出来ない。いつの間にこうなったのだ。いくら何でも養徳院勢力の拡大が速過ぎる。一応だが、尼寺は宗派を越えた繋がりが有る事は知っている。

 尼寺は宗派本山からあまり優遇されていない。単純に男尊女卑と言えば簡単なのだが、他にも本山への『看板料』の支払いの問題も有る。地方にある末寺は荘園の他に門前市なども持っている。それを男性僧兵が守っている。この場所代や利益などで本山への看板料もちゃんと支払える。しかし尼寺は荘園も少ないし、門前市が殆ど無い。尼寺になると僧兵も女性になるが、まったく怖がられない。強い弱いは関係が無く、女性だとイタズラしてやろうとかいうチンピラが後を絶たないからだ。こういう輩は女性僧兵に痛い目を見せられてもまったく懲りない。度胸試し的な考えで際限なく湧いてくる。騒ぎばかり起こるので尼寺の門前市は維持がかなり難しい。荘園の農作物だけで本山の看板料を払い切れる尼寺など殆ど無いのだ。

 看板料は何が何でも取り立てるものではない。その事情なども考慮して高低するものだ。災害に見舞われた末寺に満額払えなどとは言わない。所謂、努力義務の様なものだ。末寺はちゃんと払う、尼寺は毎回満額払えない。さて、貴方が本山のお偉いさんならどちらを優遇するのか?払っても払わなくても平等に扱っていたら、末寺まで払わなくなるが良いのかな?という話になる。なので尼寺は本山から優遇されない。

 だからなのかも知れない。尼寺は宗派を越えて横の繋がりが有る場合が多い。尼寺は宗派教義の争いなどしない。なので本山が敵対関係でも尼寺は関係が無いし、本山も尼寺まで気にしていない。ここに養徳院が勢力を拡大出来た要因があったのだ。養徳院は当初、織田家の女性達に学問を授ける場所として、尼寺を活用していた。全員が実家から池田邸に来るのは、流石に無理がある。その為、尾張国各所の尼寺に場所を借りて、近くに住む娘達を集めていた訳だ。これが養徳院と尼寺の繋がりだ。その場所代が支援となり、支援は投資へと変貌しようとしている。支払うのは全て、池田恒興なんだが。


(まさか母上は信長様が日の本を統一なさる(恒興の予定)から、自分は日の本の尼寺を統一しようというのかニャー!?何という野心か!これは阻止しなければっ!)


 恒興は養徳院の野望を垣間見る。彼女は織田信長の日の本統一事業に託けて、自分は日の本の尼寺を統一しようと動いていたのだ。恒興はこの野望を何としても阻止すると意気込む。これ以上、養徳院を頂点とする池田家女性陣を強化される訳にはいかない。昔から勝てないのに、今でもまったく勝てないのに、これ以上に強化されたらもう絶対勝てない。……いや、最初から勝てないじゃん、というツッコミは無しだ。勝率0から上げれる可能性は微粒子レベルで存在している可能性が有るかも知れない様な気がする訳で可能性だけは有る……筈だ。勝率無し可能性無し無駄無価値無意味よりはマシだ。恒興は須臾(しゅゆ)の域に達している様な可能性に賭けるのだ。因みに須臾は1000兆分の一である。


(……別に良くね?騒ぐ程の事じゃないかニャ)


 そこまで考えて恒興は我に返る。産まれた時から無い勝率が未だに無いという話だ。何も変わらないじゃないかと。

 まず尼さん達は池田邸に居る訳ではない。そして尼さん達は集団で何かをする訳でもない。彼女達が日々やっているのは尼寺での共同作業、荘園の世話、あとは各々の趣味(修行含む)だ。悪僧みたいに誰かに暴力を振るう訳でもないし、あこぎな稼ぎを得ている訳でもない。つまり尼寺とは俗世間から離れた女性が助け合い、各々の趣味に時間を費やす場所なのだ。仏教の勉強や研究などはしないし、宗派の争いも尼寺は関係しない。メジャーな趣味としては執筆活動が多い。お経の写本を書く者や日記を書く者、紫式部や清少納言の様に物語を書く者も居る。現代の様に出版する下地が無い為、殆ど残らなかったが。それでも戦国時代は多めに残った方だろう。世が世なら、たくさんの女流小説家が生まれていたかも知れない。そんな彼女らが養徳院の統制下にあったとして、恒興が何に困るというのか。

 とりあえずは母親が何を考えているのかより、この尼寺の過剰な数にどう対処するかを考えるのが先だろう。この数の尼寺に桃と栗を栽培させるのは、果実の価格崩壊すら招きそうだ。大橋清兵衛もドン引きの表情になっているのだから。


「どうしましょうかニャー、コレ」


「ふむ、こういうのはどうですかな?桃と栗以外の果物も育てるというのは?」


「他?柿とかですかニャー?」


「上野殿、柿くらいなら、そこらに有りますぞ」


 言葉もない大橋清兵衛に代わり、加藤図書助が提案する。それは桃と栗以外も栽培したらどうか、という建設的な意見だ。それを聞いて恒興は安易に柿を思い浮かべる。桃栗とくれば柿という感じで。ただ、柿は即座に否定される。というか、柿は濃尾勢が日の本有数の産地である。そこら辺に柿の木が有るし、干し柿を作るのも日常風景だ。この時代の貴重な甘みとして重要ではある。しかし、収穫量には流石に困らない。


「じゃあ、図書助殿は他に案はありますかニャー?」


「甲州には葡萄がありますが。如何ですかな?」


「おお、流石は図書助殿、よくご存じですね」


「いえいえ、小耳に挟んだ程度ですよ。関東周辺ならお任せあれ、と言ったところですかな。ただ葡萄を育てるのなら尾張国は向かない気がしますな。美濃国や伊勢国の山間が適切かと」


 加藤図書助からは葡萄が提案される。甲斐国には葡萄を栽培している場所がある。伝承によれば、葡萄は奈良時代の僧侶である行基上人が甲斐国勝沼に薬種園を造ったのが始まりだという。鎌倉時代には『甲州ぶどう』として有名だった。この葡萄を取り入れようと提案する。

 葡萄は比較的標高が高い場所を好むとされている。その為、平地しかない尾張国での栽培には向いていない可能性がある。栽培を自然に任せねばならない時代である故に、なるべく同じ条件の場所を探すのも大切だ。そうなると、候補は美濃国や伊勢国の山間部辺りになると予想される。


「では桃と栗と葡萄という感じでいきますかニャー」


「もう少し、別の物も欲しいところですが」


「ふーむ、それならついでに梨もどうですかな」


「「梨?」」


 山間部では葡萄栽培を試み、他は桃と栗とする。この案で恒興は纏めようとするが、大橋清兵衛は難色を示す。まだ桃と栗が過剰と予測出来るからだ。

 そこに加藤図書助が梨を提案する。梨は昔から救荒作物の一つで果物にはカウントされない。不味い、水っぽい、不味いと三拍子揃っている。梨はどうかと言われて、恒興と大橋清兵衛は怪訝な顔をする。


「梨って、あんな不味い物を、ですかニャー?」


「それが甘い梨が有るんですな。関東に」


「甘い……梨??そんな物があるんですかニャ?」


「場所は下総国の辺りでしょうか。一度、試しに食べた事があるのですよ。ほのかに甘い蜜水の様な感じですか。数が揃わないので、仕入れは諦めましたが」


「ほほう、それは一度、取り寄せたいですね」


 梨は江戸時代初期に栽培法が開発され、果実として認識される様になったという。種無し蜜柑と同じで突然変異だとされている。江戸時代初期に栽培法を確立したというなら、甘い梨自体はもっと前から在る筈だ。となると、関東公方が治めていた平和な時代ではない。その頃に有ったのなら、もっと人々に知られている筈だ。予測になるが、関東戦国が始まった後から戦国時代にかけて変異したのではなかろうか。戦乱のせいで甘い梨は広まらず、地域の人々のみ知っていた。平和な江戸時代になって、栽培法を確立するに至り、全国に広まったと考えるのが妥当だろう。


「よし、図書助殿、苗木を仕入れて下さいニャ。金に糸目は付けませんニャー」


「お任せ下され」


「甘い梨とは、楽しみですね」


 梨は何処でも育つ事は恒興でも知っている。梨は救荒作物なのだから。甘い梨と聞いて、大橋清兵衛も期待を寄せている様だ。

 これで尼寺支援の果物栽培の骨子が定まった。山間部では葡萄、平野部では梨、桃、栗。これで養徳院に一応の格好はつくだろう。あとは小麦粉の価格が下がる前に、栽培を始めておきたいところだ。


(……南蛮にも知らない果実が有るかもニャー。今度、小西殿に聞いてみよう)


 恒興は今回の話を聞いて、既存の果実栽培だけではもったいないのではないかと考えた。日の本にも恒興が知らない果実はあるのだろう。しかし戦国時代は情報と流通が滞り、恒興まで届かない事が多い。甘い梨はその最たる例だ。そちらは織田信長の日の本平定事業を進める事で改善するしかないだろう。

 もう一つ注目すべきは、南蛮、つまり海外の果実だ。恒興がまったく見た事も無い果実が来ても不思議ではない。それが濃尾勢で生産出来たなら、この地域は確実に潤う。

 恒興が知っている南蛮の果実は『バナナ』である。恒興の前世の記憶になるが、南蛮の宣教師であるルイス・フロイスが織田信長にバナナを献上した事があるからだ。それなりに数があったので、恒興も信長と一緒に食べたのである。バナナを日の本で育てられないのか?他に果実は有るのだろうか?恒興はいろんな可能性を探りたいという気持ちになった。

 今度は南蛮貿易を手掛けているという小西隆佐に相談してみようと思う。もう濃尾勢は果物栽培の一大拠点にしてもいいんじゃないか、と恒興は考えるに到った。

 甘い梨は……あったという事で、一つお願いしますニャー。


 前回の話でまるで本願寺派と高田派の僧侶が殺しあってる様に書いてあり、説明が足らないと認識致しましたので加筆しましたニャー。主に『武家坊主』について。恒興くんが以前に仏教が酷くなった元凶と言った人達ですニャー。比叡山の悪僧もこのカテゴリーと同質と言えます。

『武家坊主』がどんな人達か?例としてはアニメ『逃げ上手の◯君』の中盤〜終盤辺りに出て来た鎧を来たおハゲさんが適当ですニャー。おハゲさんの過去回想は『田分け者』『一所懸命』が含まれる良い話でしたニャー。この『武家坊主』がいろいろな原因となってます。比叡山延暦寺が浄土宗や浄土真宗を殊の外嫌う原因ともなっていますニャー。何故なら、浄土宗とその後継たる浄土真宗が『武家坊主』の発生源となったからです。次回に光秀くんが来ますので、その時に詳しく説明出来るのかニャー?

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― 新着の感想 ―
甲州ぶどうって鎌倉時代からブランドあるのかよ 強すぎる……
果物ならば枇杷とか桑の実 果物以外ならば梅この辺りならばこの時代に存在してます 海外から仕入れるならばイチジク イチジクは干したりして軍の携行食にもなる
リンゴ、パイナップル、ライチは南蛮から購入できそう あとは金柑も悪くない
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