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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
激戦と慟哭編
227/239

大樹が朽ち果てる日 其の弐

フィクションですニャー(重要w)

 阿波国勝瑞城。

 三好三人衆筆頭格である三好日向守長逸(ながやす)は三好家諸将を集めて評定を開いた。三好家諸将を集めたのは、これから主だった者達で織田信長に対する反撃を行うからだ。


「さてと、そろそろ畿内へ打って出る頃合いだ。兵糧も十分に揃った。各々、戦の準備を怠るなよ」


「待て、日向。何故、兵糧が十分なのだ?昨日まで足らぬ足らぬと言っていた筈だ。戦費も足らぬだろうに」


 長逸に対して反論したのは篠原右京進長房。三好長慶の弟である三好実休の右腕として活躍した者だ。現在は三好実休の息子である三好長治に仕えている。しかし長治はまだ10歳なので、篠原長房が執政を務めている。彼は優秀な武将でありながら、優秀な内政官でもある。実質的に阿波国と讃岐国の内政を司っていると言っても過言ではない。


「どうにかなったんだからいいじゃねえか。それより三好家の再興の方が重要だろう」


「あれだけの事をしでかしておいて、よくも言う」


「あん?それは足利義輝の事か?俺は教えてやっただけだぜ。『将軍が棒振りしても意味ねーぞ』ってな、ハハハ」


 篠原長房が言う『あれだけの事』とは、足利幕府前将軍である足利義輝殺害の件だ。その行為の余波は大きく、畿内の大名、豪族、商人の三好家支持をかなり失う結果となった。そこに織田信長の上洛が重なり、織田家に鞍替えする者が後を絶たなかった。最終的には三好家は畿内の勢力を失う事に繋がったと長房は見ている。

 しかし長逸はそれを一笑した。自分はただ教えてやっただけだと。幕府将軍には棒振りよりも、もっとやる事が有るんじゃないのかと。

 この返答を聞いた長房はワナワナと怒りに震えて、拳を床に振り下ろした。評定の場にダンっと床を打つ音が響き渡る。


「ぐっ、出来る事ならお前の首を持って、織田信長と和議を結びたいくらいだ!」


「面白れぇ、やってみろよ?」


 鬼の形相で長房は叫ぶ。長逸の首を差し出して、信長と和議を結びたいくらいだと。長逸は素の表情になってやってみろと返す。二人の間に雷《いかづち》が走っている。評定の場に居た誰もがそう錯覚する程だ。


「出来る事なら、と言っただろうが。今となっては是非もない。くそう!」


「だろうな。信長に堺を押さえられちゃやって行けねえもんな」


 先に折れたのは長房だった。無理なのだ、織田家と和議を結ぶなど。問題は堺との通商である。淡路水軍の安宅信康が即座に織田家傘下になったのも、堺との通商問題が大きいからだ。瀬戸内水運の内側で生きる彼等にとって、堺の動向は財政に直結している。織田家と結ぶなら和議では済まない。降伏か傘下となる。

 流石に降伏か傘下を選ぶ程、屈辱に満ちた事はない。そこまで敗けた訳でもない。あくまで三好三人衆が下手を打ったに過ぎない状況だ。四国の阿波国と讃岐国における三好家勢力は健在なのだから。


「問題はまだあるぞ。どうやって畿内に行くのだ?淡路水軍が織田家に付いた今となっては」


 畿内で戦う為の兵糧は揃ったという主張は信じる事にする。いくら長逸でも味方を騙して敗けさせる事はない。そんな事をしても利益は無いし、長逸は勝ちに拘る男だ。

 それはそれとして、畿内に兵員を運ぶには問題がある。淡路水軍が織田家傘下となっているので、船が無いのだ。たとえ他所から船を調達したとしても、どうやって淡路水軍を避けるのか。その方法が大問題だ。


「どうやって?淡路水軍の船で行くに決まっているだろ」


「話を聞いているのか!?」


 長逸は事も無げに淡路水軍の船で行くと言う。確かに淡路水軍の船で行けば、淡路水軍を避ける事を考えなくて良いので簡単ではある。問題は淡路水軍が織田家傘下という話なのだ。長房は話になっていないとばかりに叫ぶ。


「篠原、お前こそ淡路水軍を安宅信康なんて小僧が統率し切れると思ってんのかよ?あの小僧と仰祇屋仁兵衛と、どっちが怖えと思ってんだ?」


「仰祇屋仁兵衛だと!?アイツが関わっていたのか!」


 長逸も凄んで返す。安宅信康という少年一人で淡路水軍が全て統率出来るものか、と。彼と仰祇屋仁兵衛、淡路水軍がどちらの意思を尊重するのか考えろと長逸は言う。

 仰祇屋仁兵衛の名前が出て、篠原長房はハッとなる。今、線が繋がったのだ。足りない筈の兵糧と戦費。織田家傘下になった筈の淡路水軍が協力する事。この畿内奪還戦を現実的にしたのはこの男によるものだった。


「ククク、どうやら淡路水軍にすら顔が利くみたいだぜ。どれだけ手広くやってんのかねえ」


「では今回の兵糧の出所は……」


「詮索しなさんな。意味ねーぞ」


「……」


 意味は無い。その通りだ。仰祇屋仁兵衛は瀬戸内にも影響力を持っている。それは何故か?仰祇屋仁兵衛は石山寺の本願寺勢力とも繋がっているからだ。どれくらいの繋がりかは分からないが、かなり上層部にも意見が言えるらしい。石山寺周辺は島曲輪になっていて、舟による通商が盛んだ。その通行料が石山寺の資金源にもなっている。もちろん淡路水軍もそこに出入りしている訳だ。おそらくはこの辺りで仰祇屋仁兵衛と淡路水軍は繋がっているのだろう。ここに出入りできないと淡路水軍は大損だ。だから仰祇屋仁兵衛の要請を淡路水軍は断り切れない。そこに多額の謝礼まで用意されれば、首を縦にしか振れない。そのくらいは長房も容易に想像出来る。


「淡路水軍を味方に付けて、安心し切っている信長の横っ面を思い切り殴れるぜ。やるっきゃねえだろ。久々に暴れようぜ、篠原右京進」


「是非もなし、か……」


 淡路水軍を傘下にして堺方面を盤石にしたと考えている織田信長に一撃を与える絶好の機会だ。三好長逸はそう言ってニヤリと笑う。篠原長房は戦場でも頼りになる事を彼は知っている。今は仕方ないと凹んではいるが、畿内に行けばやる気を出す筈だ。

 こうして三好家は畿内反抗戦の準備に掛かるのだった。


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 摂津国石山御坊。

 本願寺三坊官筆頭の下間頼照は珍しい客を迎えていた。彼が石山寺までやって来るのは何年振りだろうか。その男は神妙な顔つきで挨拶もそこそこに、とんでもない提案をしてきた。


「織田信長と敵対せよ、と言うのか?仰祇屋仁兵衛よ」


「その通りです」


 その男、仰祇屋仁兵衛は本願寺が織田信長に対して攻撃を開始せよと言ってきたのだ。いくら何でも、これは無い。たかが一人の商人が本願寺を自由に出来るなどとは思い上がりも甚だしい。頼照は冷たくあしらう事にした。


「断る。法主様は戦を避けよと仰せだ」


「三坊官筆頭のお言葉とは思えませんな。貴僧が言えば法主様とて翻意するでしょう」


「まるで私が法主様を操っている様に言う。何様だ」


 本願寺十一世顕如法主の意思は非戦と決まっている。それを商人一人の意思で変えられる訳がない。そう答えると仰祇屋仁兵衛は頼照なら法主の意思も変えられる筈だと言う。この主張に頼照はカチンと来る。それでは法主が自分の傀儡だと言っている様なものだと。


「これは申し訳御座いませんな。しかし私も遊びに来た訳ではありませんので」


「話はここまでだ。お帰り頂こう」


 もう話す事など無い。織田家との非戦は決定事項だ。頼照は法主の意思を尊重するつもりであり、変えようなどとは思っていない。確かに織田家のやり様には忸怩たる思いはあるが、そこも交渉で道を開くべきだと考えている。

 しかし仰祇屋仁兵衛は一段と冷たい目をして下間頼照に通告する。


「そうですか。では仰祇屋は、いえ敦賀は加賀国への支援の一切を切らせて頂きます。後悔なされぬよう」


「ま、待て!どういうつもりだ!?」


 仰祇屋仁兵衛の言葉に頼照は焦る。彼は加賀国への支援を全て切ると言ったのだ。それだけはあってはならない。頼照の表情は一気に追い詰められたものに変化した。


「遊びに来たのではない、と言ったでしょう。当方も織田信長に圧迫されていて、支援どころではありませんな。加賀国で何十万人、飢えて死のうが知った事ではありません」


「ぐっ!」


 戦国時代の加賀国は『一向一揆』が毎年の様に巻き起こる国として有名だろう。しかし、その実態を知る人はどのくらい居るのだろうか?そもそも『加賀一向一揆』とは何か?それを紐解こう。

 時は応仁の乱まで遡る。加賀国には『富樫家』という守護大名家が存在した。当時の富樫家当主・富樫政親は応仁の乱において東軍として参戦した。ここまでは普通だ。しかし、ここで応仁の乱特有の現象が起こる。それを「気に入らない主君が東軍に付いた?それなら幼い弟君を擁立して、西軍に付いたろ。よし、殺そう」という。正式名称は知らない。応仁の乱とは家臣が謀叛の罪を被らずに主君を殺せる免罪符となってしまったのだ。富樫家でも当主である富樫政親が京の都に行っている隙に、弟の幸千代を家臣が擁立して叛乱を起こした。その為、政親は京の都での戦争を切り上げると、加賀国へ戻った。この戦いは当初、五分五分であった様だが、ある勢力が幸千代側に付いたので形勢が一気に傾いた。それが『浄土真宗高田派』である。「幸千代様の味方になれば加賀国で我々を優遇してくれるらしい。よし、頑張ろう」と門徒達を率いて参戦した訳だ。こうして富樫幸千代が勝利し、富樫政親は追放となった。

 富樫政親もやられっぱなしではない。その頃の加賀国は幸千代側に完全制圧されていて、かなりの苦戦が予想された。そこである勢力の助力を頼んだ。それが『浄土真宗本願寺派』である。この要請は細川政元の意思でもあり、『王法為本』に則って受諾された。「政親様の味方になれば加賀国で我々を優遇してくれるらしい。よし、頑張ろう」と門徒達を率いて参戦した訳だ。この政親の助力要請は本願寺派にとっても渡りに舟でもあった。


 浄土真宗本願寺派は山城国吉水の北の辺『大谷』に本寺を持っていた。ここには親鸞聖人の墓所があった。三世覚如上人は大谷に寺を建立し、『本願寺』と名付けた。しかし、本願寺の民間布教が比叡山延暦寺の逆鱗に触れてしまい、大谷本願寺は焼き討ちされてしまった。当時の法主は本願寺八世蓮如上人、彼は越前国に落ち延びた。その後、蓮如上人は落ち延び先の越前国で寺内町を大発展させ、本願寺派の確かな拠点『吉崎御坊』を建立した。だが寺内町が大きく発展し過ぎた為に利権も大きくなり、本願寺内部で僧侶同士による内ゲバが発生。蓮如上人は嫌気が差したのか、山城国山科に本寺を建立する事に注力していたという。時代は応仁の乱の最中。例に漏れず、越前国でも斯波家の家督争いが起こるのだが、事態は思わぬ方向に進む。応仁の乱が長引いている要因に『西軍斯波家の朝倉孝景がメチャクチャ強い』があった。その為、東軍大将を引き継いだ細川政元は朝倉孝景を引き抜く為に交渉した。政元は「アンタが東軍になってくれるなら、越前国(の斯波家の家督)を好きにしていい」と提案。「越前国を好きにしていい」と聞いた朝倉孝景は大喜びで東軍に鞍替えした。そして越前国の全ての利権を手に入れる為、斯波家、織田家、ついでに本願寺も追い出したのである。更に敦賀も制圧し、朝倉家最盛期を創り出した。……ここから近江商人が朝倉家を徐々に浸食するのは、また別の話だ。ともかく越前国の本願寺派は国を追われる破目になった。


 富樫政親の要請をこれ幸いにと本願寺派は加賀国へと進んだ。そして高田派と正面衝突する事となった。この戦いは本願寺派が勝利し、富樫政親は復権、富樫幸千代は消息不明となった。これで加賀国は浄土真宗本願寺派が隆盛を極める国と約束された。……のなら、良かったのだろうが。富樫政親はこう考えた。「武器持って暴れる坊さんなんて、ただのテロリストやん。弾圧したろ」(訳・用済みだから消えろ)と。という訳で、本願寺派も含む仏教勢力は冷遇される事になる。これに対して本願寺派を含む全ての仏教勢力が怒りに沸いた。そして10万人とも20万人とも言われる信徒で政親が籠る高尾城を重包囲した。政親は自害し、一族郎党も滅亡した。ここに加賀国守護大名・富樫家は滅亡し、『百姓が持ちたる国』が誕生した。これが『加賀一向一揆』と呼ばれる事件だ。

 しかし話はまだ終わっていない。先程、本願寺派と高田派が戦い、本願寺派が勝利したと言ったが、高田派は別に滅亡していない。高田派は富樫幸千代ほど弱くなどない。寧ろ、先んじて加賀国に足場を固めていたのは高田派なので、すこぶる元気である。同じ国に敵対する同宗他派。何が起こるかはお分かりだろう。

 ここからは加賀国の一年を見て行こう。

『春』それは始まりの季節。新たな草木が芽吹き、大地を新緑に染める。風はそよぎ、日差しも柔らかく、穏やかと言える時期。人々は田を耕し、苗を植え、新たな始まりを言祝ぐのだ。そして本願寺派と高田派は殺し合う。もちろん巻き込まれる。

『夏』それは騒がしくなる季節。草木は青々と生い茂り、この世を我が物にせんと隆興する。虫達も飛び回り、命を繋がんが為に一生懸命になる。人々は田畑の世話に追われ、たまに踊り、日々の疲れを癒す。そして本願寺派と高田派は殺し合う。もちろん巻き込まれる。

『秋』草木は色づき、落葉が風に舞う。大地は黄金に輝き、稲穂は垂れる。収穫の時だ。人々は謡を歌いながら、収穫を進める。次の豊作を祈って、農民は鎌を振るう。そして本願寺派と高田派は殺し合う。もちろん巻き込まれる。

『冬』生きられる人間と生きられない人間が決定する。立場の弱い小作人は地主に全てを奪われる。そして生きられない人間は亡者の群れを為し、隣国を襲う。襲っても死、襲わなくても死、確定した死は人に死者の力を与える。そして本願寺派と高田派は休戦して一緒に他国を襲う。大量の死人を作って、また春を迎える。

ここで話している本願寺派と高田派というのは、『武家坊主』の事で僧侶ではない。武家坊主とは武家の性格そのままに僧侶になった者、又は僧侶を名乗っている者。ハッキリ言うと、『僧侶のコスプレをした武家』である。僧侶になる為の修行など欠片もした事が無く、宗派の看板だけ勝手に振りかざす。有名人だと『武田信玄』だろう。池田家も『土居宗珊』が武家坊主である。だが、上級の侍ならまだマシだ。彼等が武家坊主になるのは政治的な事だったり、自分へのケジメ、家督相続の為の隠居理由が主となる。しかし小豪族や国人衆辺りになると酷い。宗派の看板を大義名分化して、他宗派を襲い出す。知能レベルが「オレサマ オマエ マルカジリ」(意訳・食糧と財宝寄越せ。その後、焼き払う)程度しかない。山賊の方がマシまである。

朝倉孝景が本願寺を追い出したと言ったが、追い出さたのは武家坊主だけで蓮如上人と本願寺派僧侶は吉崎御坊に残っている。朝倉家によって吉崎御坊が破却され、蓮如上人と本願寺派僧侶が越前国を退去する破目になったのは、加賀国に行った武家坊主が一向一揆を組織して越前国に襲い掛かったからだ。そう、蓮如上人が居る越前国に。もう、一向一揆というか、武家坊主が制御不能だった。それはそうだろう。彼等、武家坊主は己の欲望の為に、宗派の看板を掲げているだけなのだから。仏教理や教義、五戒など何も知らない。だから蓮如上人は加賀国に行かず、京の都に行った。関わりたくなかったのだろう。

一向一揆の主犯格はこの『武家坊主』であり、正体は僧侶に扮した欲望全開の小豪族や国人衆である。宗教を理由にしている筈なのに、実際は宗教などまるで関係が無い。そんな訳が分からない物が『加賀一向一揆』だったりする。

 これが加賀国の一年である。これを100年近く繰り返しているのだ。

 ここまでくればお分かり頂けるだろうか?おかしいのだ。戦争しながら食い扶持を得られるのか。戦国時代はこんな舐めプして生きていける様なヌルイ世界ではない。もう加賀国から人が死滅していなければおかしいくらいだ。何者かが(・・・・)支援していないと成り立たないのである。

 そして小作人。毎年の様に大量の死人となるのに尽きないのは何故か?土から生えてくる訳はない。誰かが補充している筈なのだ。その答えが仰祇屋仁兵衛の言葉に表れている。そう、敦賀に本拠地を置く『近江商人』だ。


(加賀国を見捨てる、だと。かの地は、かの地こそは、ゆくゆくは本願寺の大道場として、浄土真宗の聖地とするべき国なのだぞ。武家の支配を受けない日の本初の『国内不介入』を実現させる。それを……)


 下間頼照には望みがある。夢想にも等しい望み。寺には寺の不文律が有り、如何なる外部勢力にも侵されてはならない。それを『寺内不介入』という。しかし現実は、横暴な武家がその武力で頻繁に介入してくる。果ては自分達の戦いにまで、僧侶を巻き込む。もう彼はうんざりしていた。敵対する武家も、利用してくる幕府も。真の『不介入』を実現したかった。そう、それが加賀国だ。かの地には大名が存在せず、幕府の介入も無い。その国に確かな勢力を築く事が出来れば、他国からの干渉も跳ね除けられるだろう。それが頼照が夢見る日の本初の『国内不介入』なのである。加賀国そのものを本願寺の大道場とし、そこから多数の門徒を輩出する。門徒は各地に散らばり、本願寺の教義を日の本に定着させる。そして本願寺こそが日の本の第一仏教としての地位を確立する。こうして武家の横暴を抑え、日の本を仏教理に則った平和な国にする。加賀国はその第一歩とせねばならないのだ。今は戦乱に塗れていようと。いつかは。だから今は加賀国の門徒に生き延びて貰わねばならない。たとえ近江商人にその武力を利用されていようとも。


「お分かりですな。一時だけであったとしても、織田信長を叩いて頂きたいのです。お願い出来ませんかな?」


「り、理由が無いのだ……。戦をするだけの」


 下間頼照は言葉を絞り出す。否定する理由を。彼にとって加賀国を見捨てる事は、自身の夢の断絶を意味する。だからキッパリと拒否出来ない。言葉を濁して、何とか仰祇屋仁兵衛を納得させるしか方法が無い。それを知ってか知らずか、仰祇屋仁兵衛は顔色一つ変えない。


「石山寺破却の話を使えばよろしい。必要なら命令書もお持ちしますよ」


「命令書があるのか!?」


「偽造です。十分でしょう。信長の花押くらい、簡単に模せます。見本はそこいらの豪族から手に入れてますから」


 理由が無いと話す頼照に仁兵衛は石山寺破却の件を持ち出す。それは前に細川晴元が話したホラ話だ。それが嘘であることくらい、下間頼照も調べていた。当然だ、織田家に付いた摂津豪族辺りから聞けば、織田信長の動向くらいは分かる。そして信長は石山寺破却など口にしていない。

 だが、仰祇屋仁兵衛は石山寺破却を本当の事にせよと言っている。その為に命令書まで偽造したという。織田信長の花押サインも容易く偽造出来るらしい。


「仰祇屋、何故そこまで……」


「言ったでしょう。遊びに来たのではない、と。私も乾坤一擲なのです」


 下間頼照は愕然とした。仰祇屋仁兵衛はここまで徹底的にやるのか、と。何が彼をここまで駆り立てるのか、もう頼照には理解出来ない。


「暫く時間を貰いたい……」


「もう少し後、三好三人衆が摂津国野田に上陸し、本圀寺を目指します。それまでにお願いします。返事は結構。その時の動きで加賀国をどうするか決めますので」


「……」


 頼照は時間が欲しいと言うだけで精一杯だった。しかし彼は追撃を止めない。仰祇屋仁兵衛は「三好三人衆が動くまでに決めろ」とだけ言い放ち、部屋から立ち去った。

 あの男に何十万もの門徒の命を握られている。頼照は床に突っ伏して堪えるしか出来ない。いつの間にこうなったのだ。近江商人が加賀国を裏から支援していたのは、富樫家を滅亡させてからの話だ。あの頃、敦賀は朝倉孝景によって制圧された。当初、近江商人は朝倉家の力を弱める為に加賀一向一揆を利用した。これは上手く行った。味を占めた近江商人は魚津、直江津を制圧した越後長尾家にも加賀一向一揆を差し向けた。これは少し失敗気味となった。なにしろ一揆勢が越後長尾家当主である長尾為景を敗走させて死亡させてしまった。その後、当主交代の混乱はあったものの、最終的に後継となった長尾景虎は父親を超える程の戦術家であった為、越後長尾家の勢いはあまり落ちなかった。

 敦賀の勢いが増したのは仰祇屋仁兵衛が登場した時だ。彼は20代そこそこで近江商人内で頭角を現すと、直ぐに仰祇屋は敦賀を代表する商家となった。彼の手法は巧みであった。毎年の様に一向一揆を越前国に差し向けた。朝倉家は勇将・朝倉宗滴を中心として迎撃し、毎回打ち破った。しかし戦費の消費は甚大である。その戦費を朝倉家は敦賀から徴収していた。仰祇屋仁兵衛はそれを渋る事なく、朝倉家が満足する程に出していた。しかし朝倉家が戦費を費やせば費やす程に、敦賀からの資金を当てにすればする程に、朝倉家は敦賀を重要視しなければならなくなる。そうやって少しづつ朝倉家内部を侵食して行ったのだ。今の朝倉家はもう敦賀の支援無しには経営を維持出来ない状態になっている。

 仰祇屋仁兵衛の恐ろしいところは全力支援をしてきた筈なのに、切り捨てる判断が一瞬なのだ。普通の人間は自分が投資してきた物を簡単に捨てられるのだろうか。お金を貯めてローンも組んで買った新車が一日目にして事故で廃車になったら、買った人は何を思うのだろうか。まあ、そんなものだろう、で気にしないのが仰祇屋仁兵衛という男だ。これまでの支援が全て水泡に帰す事さえ一顧だにしない。彼がやると言えばやるのだろう。

 下間頼照は何十万の門徒の命と自身の夢に対し、織田信長と戦う事を天秤に掛けられたのだ。

仰祇屋仁兵衛さんは何故、そんなに食料を持っているのかニャー?そういえば何処かの勢力が大量に米を売ってましたニャー。彼はそれを他所に売ってなかった訳ですニャー(すっとぼけ)

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― 新着の感想 ―
仰祇屋着実に信長包囲網構築中。動機が見えないのでなんとも不気味な感じです。前世と比べると浅井は最初から敵にカウントしていて弱らせてるし、武田が潰れているから、かなりましな状況ですね。ところでこの時点で…
仰祇屋さんこれで子供もいないんじゃ、何のために生きているのかとなりますよね普通。 フィクサーとしては完璧だけど、完璧ゆえに何を目指しているのか分からない怖さがある
なるほどねえ 信長包囲網の裏に仰祇屋アリ、と そうなると武田にも何やらツテあったりするかな?
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