順慶、織田信長と邂逅す 其の参
犬山・順慶屋敷。
筒井順慶に会いに来た織田信長は岐阜城へ向かった。岐阜城で信長を待っている林佐渡がブチギレた為だ。彼女は濃尾勢全体の内政を取り仕切っている。この進捗状況の報告を受ける事が、今回の信長の帰還目的だった。その為、林佐渡は報告を纏めていた。この作業には数日掛かる物だと見られていたが、彼女は早々に報告を纏めて岐阜城に来ていた。信長が美濃国に着く前に。日頃からマメに纏め作業を行っていた証拠である。しかし信長の真の目的は筒井順慶と面会する事だった。その為、信長一行は岐阜城の目の前、長良川の渡しで舟に乗り、木曽川に入って犬山へと向かった。これを知った林佐渡がキレた訳だ。
信長が去り、順慶屋敷の厨房には池田恒興、筒井順慶、料理人の助六と角吉が残された。恒興もそろそろ戻ろうかと考えていると、順慶が声を掛けてきた。
「ねえ、恒興くん、ちょっと相談があるんだけど」
「小麦粉か?ちょっと時間をくれニャ。必ず何とかしてみせるから」
「うん、いいよ。ラーメンはまだフードコートに出せる物じゃないし」
意外な事に順慶はラーメンはまだ風土古都に出せないと言う。今回のうどんもどきラーメンは恒興からしても十分に美味しかった。恒興も信長もこのラーメンを完食したくらいだ。値段はさておき、味的には風土古都に出しても問題は無い筈だ。
「そうなのかニャ?十分、美味かったぞ」
「まだまだだよ。あんなんじゃダメだ」
順慶は首を横に振る。何かとても強い意志を感じる。これについては誰の意見も聞かない、という程の。恒興としては不思議に思うものの、小麦粉の問題が解決するまで待って欲しいので好都合だ。なので特に反対意見などは出さない。
「そ、そうなんですかい、順慶様?」
「あれでもまだ不合格ですか?」
「不合格とは言わないけど、まだ足りない。今のままでは一時期、流行る程度さ。長くみんなの舌を唸らせる事は出来ないんだ。もっと、もっと!みんなが熱中するくらいの物に仕上げないと。じゃないと!ラーメンは『真の完成』を見ないんだ!!」
順慶は理解していた。自分が前世のラーメンを真似たくらいで『絶品』のラーメンが完成する訳がないと。ラーメンは誰もが熱中し、誰もが愛し、誰もが求めたが故に発展を遂げたのだと。それに応える為に大勢のラーメン職人が日々切磋琢磨し、独自を生み出し、直球も変化球も駆使し、あらゆる要素を取り込んで、ようやく幾多の『絶品』が生まれたのだ。だから順慶一人が求めているだけではいけない。誰もが『絶品』を求める様にならなければいけないのだ。自分が生み出すラーメンはその切っ掛けであればいい。全ての料理人が切磋琢磨する基礎であればいい。その為にも、作るラーメンはより美味しく、より人々の記憶に残る物でなければならない。誰もがラーメンを求め、全てのラーメン職人が切磋琢磨した時、順慶は『真の完成』を見た『絶品』ラーメンに出会えるのだと確信している。そう、順慶の目的は儲ける事でも美味い物を作る事でもない、ラーメンの素晴らしさを布教する事なのだ。
前世では順慶が何も考えなくても、その状況が生まれていた。多数のラーメン屋が乱立し、独自の味を提供していた。順慶はその恩恵に預かり、労せずして『絶品』ラーメンの数々を味わえた。だが、戦国時代には何も無い。だから順慶はその状況の始まりを作ろうとしている訳だ。
「真の……」
「完成……」
ラーメンはまだ完成していない。この言葉に助六と角吉は軽く眩暈を覚える。今回のラーメンを作るだけでも、彼等はかなりの苦労をしていた。
麺を担当したのは蕎麦職人の助六だ。今回の麺はうどんの様になってしまったが、それでも苦労した。蕎麦とうどんでは用いる材料が違う。蕎麦粉を小麦粉に代える程度ではない。なので最初は満足いく味が出ずに試行錯誤した。順慶の弟子の中にうどん職人が居たので、彼から教えてもらう事で、今の麺まで到達した。その他にもこね方や打ち方も一から学び直したくらいだ。結局、うどんになってしまったが。
角吉はスープを担当した。こちらも試行錯誤の連続だった。単に『醤油味』といっても醤油を入れればよいというものではない。出汁も重要だし、下味を整える調味料も欠かせない。その上で細かい分量の違いで驚く程、違いが出て来る。作っては捨て、作っては捨てと繰り返した。
二人がそれだけ苦労して作り上げても、順慶はまだ満足出来ないというのだ。どれ程長く、苦難に満ちた道程なのだろうか。彼等には想像もつかない。しかし、彼等の目に絶望は無い。むしろ炎を宿したかの様にギラギラとしていた。
「……へへ、助さん。オラ達はようやく登り始めたばかりだったようだな。このはてしなく遠いらぁめん坂をよ…」
「未だ完ならずってか。やったろうぜ、角さん!」
「応よ!」
彼等は理解したのだ。自分達はとんでもなく長い長い旅路のスタート地点に来たのだと。だが、後悔は無い。順慶を信じ、彼と進み続ける。何万回の試作、何万回の試食も繰り返してみせる。風土古都に出せる一品が出来上がるまで。二人は燃え上がる程に気合を入れて、お互いの意志を確かめ合った。
「フッフッフ、登って来るがいい。この至高の場所まで」
(ニャにこの展開?ニャにこの熱量?え?何?コレが理解出来ないニャーが悪いの?)
意気上がる二人を見た順慶はわざと顔を顰めて、したり顔でウンウンと頷いている。何か気取ったセリフと共に。
そして恒興は一人、置いてけぼりな気分を味わっていた。というか、この展開に付いて行けない。料理がまったく出来ない、食べるだけの恒興は料理を作る苦労を知らないからだ。何なら戦場飯ですら作った事も無い。風土古都に出す料理品目を増やすのは重要だ。民衆に飽きられない為にも。ただ、ここまでの熱量が必要な話なのか?と料理を知らない恒興は思う。たかが料理だろ、としか思っていないのだ。美味しい物は食べたいにも関わらず。
「おっと、そろそろ昼時の準備をしねえと」
「では、オラ達は店に戻りますんで」
「またね、助さん角さん」
助六と角吉は風土古都の店に戻った。彼等は朝食時営業と昼食時営業の合間に来ていた。なので、その準備は妻や雇った女児達がやっているが、彼等がやらないといけない事もある。
「じゃ、ニャーも戻るか」
「いや、待ってよ。まだ相談してないって」
「ん?小麦粉の事じゃニャいのか?」
恒興も戻ろうとしたが、順慶が呼び止める。どうやら順慶の相談は小麦粉の事ではない様だ。
「違うよ。俺の婚約の件は知ってる?」
「ああ、そっちか」
「その婚約だけど……断りたくて、さ」
順慶は開口一番、秀子との婚約解消を申し出た。流石に順慶でも赤ん坊は無いだろうと思っている様だ。ロリってレベルじゃないぞ、と。現代人の感覚しか持っていない順慶にとっては普通の話だ。いや、戦国時代でも早過ぎる。婚約の話が出るのは、せめて七五三を越えてからの話になる。まあ、何故か池田家には例外が何人か居る訳だが。
(フフフ、来たか。お前の考えていそうな事など、ニャーは全てお見通しだ。稀代の謀略家・池田恒興を舐めるニャよ。どうせ赤ん坊はイヤだとか、他に好きな娘がいるとかだろ。そんなもん、100万通りの返答を用意してるニャー)
しかし、そんな事は恒興の想定通りだ。自称『稀代の謀略家』は順慶の答えを予想し尽くしていた。その答えも100万通り用意したと心の中で豪語する。順慶の考えなど簡単だ。秀子が若すぎる、赤ん坊なのだ。赤ん坊を嫁にしてどうするんだという事だろう。
他には別の好きな娘がいる程度だと思われる。候補は順慶屋敷に居る二人だが、彼女等については娶るなら家女房しかないと前に伝えた。故に正室は別人になるし、障害にすらならない。
「秀子様が赤ん坊ニャのが嫌なんだろ?」
「違うよ。何も知らない赤ん坊のうちに相手を決められるのはおかしいって言ってんの。そんなの秀子ちゃんが可哀想じゃないか」
「え?」
「恋愛結婚でもお見合い結婚でも、まずは相手を知らないと始まらない訳でさ。こんなの、秀子ちゃんは不幸だって思うじゃん」
順慶は何も知らない何も分からない年齢で婚約者を決められる秀子が可哀想だと主張する。そんな事が許されていい訳がない、と。これは順慶の中に有る現代の結婚観が大きく作用している。現代の結婚とは好き合う男女が結ばれる。又は、子供が欲しい、家庭を持ちたいと願う者同士が見合いをして結ばれるのが一般的だ。望まぬ結婚は不幸でしかないと常識的に教えられる。だから順慶もこれでは秀子が不幸になると思っているのだ。
一方の恒興は狐に摘まれた様な呆けた顔になる。正に青天の霹靂状態だ。青天の霹靂とは有り得ない事が起こって驚いている様を表す。この順慶の考え方は戦国時代では異質過ぎる。戦国時代の武士の結婚とは家を結ぶ行為だ。つまり家に主眼が置かれる。家格は?勢力は?大きさは?有益か?と。しかし順慶が主眼に置いているのは個人なのである。それでは話が噛み合う訳がない。
(何言ってんの、コイツ。純情なん?流石にコレは予想してなかったニャー)
恒興は茫然となる。武家の結婚で誰が嫁の都合なぞ考えるのかと。戦国時代の結婚とは家の当主や父親、『家長』の考えだけで決まる。お見合いは結構多いが、恋愛はかなり少ないと断言出来る。家長の意思に反する恋愛結婚は勘当されて野垂れ死にが相場だからだ。家長も男性なので、基本的に結婚は男性の独壇場な訳だ。これも戦国の男尊女卑である。
恒興は失念していたのだ。彼の目の前に居る男は戦国時代の常識が欠落している事を。流石に筒井家に文句を言いたくなる。常識くらいちゃんと教えておけ、と。筒井家では順慶の父親である筒井順昭が早世した為、順昭によく似た木阿弥という僧侶を影武者にして、順慶を長らく表に出さなかったという。つまり順慶は長期間、家の奥に居た『箱入り息子』な訳だ。だから順慶は戦国時代に馴染まず、持ち越した前世(現代)の常識で生きている。それなりに順応してきてはいるが、時々こういう常識外れが出て来る。
(誰でも『又左出来る』訳じゃないんだよ!結婚ニャんて十割で家の都合だ)
又左は前田又左衛門利家の事で、『又左する』は恒興の造語だ。常識外れの行為を、成し遂げた人物名で表した物で、意味は『恋愛結婚する』である。この前田利家は戦国屈指の恋愛結婚で知られている。しかもロリコン属性付きというとんでもなさである。正室である松の第一子出産が11歳である為、結婚したのは11歳以下で確定だ。一応、戦国時代は数え年なので当時基準では12歳となるが、あまり変わらない。
利家は元々は前田家の四男であり、政略結婚させられる立場になかった。前田家内で出世が大して見込めない利家は実家を出て仕官先を求めた。それはBIGな男になって松を迎えに行く為だとも言われている。いや、松は何歳だよ?そして利家は長い長い仕官先を求める旅に……出て直ぐに信長の近習になった。というか、傾奇者無頼集団に入った。この時に恒興とも親交が始まった。その後、利家は信長から正式に召し抱えられると速攻で松を迎えに行ったと言われている。いや、だから松は……もういいや。こうして前田利家は戦国屈指の恋愛結婚、戦国屈指のロリコン、戦国屈指の愛妻家、加賀100万石の大名として名を残したのである。
松も幼少から内面的に魅力的な女性であったのかも知れない。彼女の逸話は多いが、中でも徳川家康をビビらせた話がある。それは『関ケ原の戦い』の少し前、前田家は利家が死去し、息子の利長が継いでいた。その時に突如、『五大老筆頭・徳川家康暗殺未遂事件』が発覚したのだ。家康はその首謀者は前田利長、協力者は細川忠興だと発表した。当然、二人に身に覚えは無く、訳が分からなかった。利長はそんな事していないと弁明したが、家康は「お前が無実だと言うなら、芳春院(松)を人質に出して貰おう」と返答した。これは家康が前田家を降す為の謀略だった。前田利長は戦国有数の『マザコン大名』として知られていた。だからこの要求で利長に「それだけは勘弁して下さい」と土下座させるのが目的だった。しかし伏見城の家康の前に現れたのは芳春院その人だった。これには家康の方がビビった。芳春院は家康の返答を聞くや否や、荷物を纏めて加賀国を出たのである。加賀国に行った徳川家の使者より早く到着したとかなんとか。驚いた家康は終始低姿勢となって、彼女の体調を考慮し、春を待ってから江戸へ丁重に送らせたという。こういうのは学問教養より度胸である。こうした魅力を幼少期から持っていたなら、利家が松に惚れた可能性も否めない。
この松の行動は前田家でも青天の霹靂だったらしい。特に利長の弟である前田利政は衝撃だった。利政は抗戦派の首魁だ。彼は家康が前田家に濡れ衣を着せる無礼だとして一戦辞さずという考えだった。しかし、松は利政が反対する暇も無く、さっさと伏見城に行ってしまった。兄に負けず劣らずマザコンだった利政は抗戦論を控えた。それは松の身を危うくするだけだからだ。こうして抗戦派は意気消沈して、前田家は徳川家との和平に進んだ。
前田利家は前田家の四男で実家から特に期待されていなかった。松は母親の縁で前田家預かりとなっていただけで、何かを期待されている訳ではなかった。その二人が恋愛結婚したからといって、実家の前田家は特に何も思わなかった。好きにしたら?程度だ。しかし利家は次第にBIGになって、前田家を相続。彼の出世は続き、ついには日の本有数の大大名にまで成長する。だから余計に彼の恋愛結婚が目立つのだ。
(これだから現代人転生者はイヤなんだ。もっと戦国時代の常識を学んでからコッチ来いよ。お前の場合は恋愛でもお見合いでもニャい、『政略』だ。ニャーと一緒なんだよ)
稀代の謀略家(笑)は現代人転生者に悪態をつく。もっと戦国時代の常識を学んでから来いと。いや、この男が知っている現代人転生者は筒井順慶一人なんだが。
順慶は結婚の種類を恋愛とお見合いとしている様だが、戦国時代の主流は『政略結婚』である。というか、大本流だ。
恒興自身がその典型である。恒興と正室の美代は面識が無かった。美代の弟で遠藤家当主の遠藤慶隆は織田家の傘下に入って援軍を欲した。その為に慶隆は姉の美代を信長の側室に入れようとした。しかし、信長は面識も無い娘を娶る事は避ける傾向にある。女性なら誰でもよい訳ではない。しかし奥美濃の支配権は欲しい。その為、この縁談を恒興に振ったのだ、突然。恒興は信長の意向ならと受け入れた。一方の美代も嫁ぐ相手が恒興となったと聞かされ受け入れた。二人は何故、反対もせずに受け入れたのか?それが『家長』の命令だからだ。
ここからは『損得』の話になる。恒興は美代と結婚する事で遠藤家と縁戚となり、奥美濃の統帥権を手に入れた。統帥権とは大まかな命令は出来る権利だ。「戦だから兵士を出して」とか。遠藤慶隆は池田恒興という後ろ盾を得て、奥美濃の統治権を確実なものとした。つまり、奥美濃は織田家の領地となり、池田軍団に属し、統治者は遠藤慶隆という構図が完成した訳だ。これが恒興の利益だ。
美代の利益は池田家正室の座となる。正室と側室では家中における価値がまったく違う。正室は武家内で当主に次ぐ地位にあり、家臣達は敬わねばならない。側室は居ても居なくても良いので、家臣達が命令を聞く義務は無い。建前として。だから実家と同格以上の池田家正室はかなりの幸運と言えた訳だ。その後の彼女は養徳院桂昌を味方にし、藤という理解者が居て、幸鶴丸という嫡男を得た。美代は池田家正室として、順風満帆な人生を進んでいる。
これが恒興と美代が政略結婚に納得する理由だ。
「まあまあ、落ち着けって。つまり秀子様が赤ん坊で意思確認が出来ないのが問題って事だニャ?」
「まあ、そうかな」
「それで婚約解消かニャ」
「うん、何とかならないかなー」
まずは順慶の意思を確認する。彼は秀子自身が嫌なのではなく、意思確認出来ない赤ん坊だからダメだと言っている。つまり、順慶自身は結婚自体を拒否していない。まあ、良い人ならくらいには考えているのだろう。ここに恒興は突破口を見出す。
「話は理解る。しかし、それも秀子様の意思を無視しているとは思わないかニャ?」
「ん?どういう事?」
「秀子様が成長して婚約を解消されたと知り、そのままの方が良かったと泣いたらどうするんだニャー」
「う、それは」
お判りだろうか。この猫男は一瞬で論点をズラした。順慶は意思確認も出来ない赤子に結婚を決めるのはおかしいから婚約解消と言っている。しかし恒興は順慶も秀子の意思を確認していないと指摘した。婚約解消を意思確認へズラしたのである。
「それに婚約を解消された秀子様は尼寺に押し込められる可能性もあるニャー」
「は?何それ?」
「あるんだよ。今の世の中はニャ。男の方はまず無いけどな」
「ええ……」
ある。これは恒興の前世でも身近にあった事だ。それは武田信玄の四女とされる松姫だ。彼女は織田武田同盟の強化の為に7歳で織田信忠に嫁ぐ事が決まった。しかし彼女が輿入れする前に織田家と武田家は決裂。婚約は解消となった。その場合は再嫁するのが一般的だが、運悪く父親の武田信玄が死去した。更に彼女には苦難が降り注ぐ。武田家の滅亡である。しかも主力を率いたのは夫になる筈だった織田信忠だ。更に、その後には織田信忠が本能寺の変で自害した。松姫は世を儚んで仏門に入った。22歳で未婚だったという。武田信玄の娘という事でそこら辺の武家には嫁げないし、織田家に嫁ぐ予定だったという事で、松姫はかなり敬遠された。武田勝頼も扱いに困っただろう。婚約解消だけでこんな目に遭わされるのが戦国時代というものだ。
女性が再嫁するなら最低でも子供を産んでおく事が条件に入ってくる。嫁に行って子供を儲けなかったら、無能と見做される世の中なのだ。もし秀子との婚約を解消したら、同じ運命ではなくとも不幸には近付く。まあ、自分の身内には甘々な信長だから大丈夫という可能性は高い。恒興も預かっている以上は全力を出す。秀子が満足する結婚を見付けるまで、ありとあらゆる手を尽くす覚悟がある。だから順慶との婚約解消は何としても阻止するつもりだ。
「だからニャ。婚約解消については時期尚早じゃニャいか?もう少し待って、秀子様の意思が確認出来るまで時を置くべきだと思う」
「うーん」
「それともお前が秀子様を嫌いだって言いたいのかニャ?」
「いや、そこまでは言わないけど。ていうか、赤ちゃんが嫌いとかある訳ないって」
恒興は結論を先延ばしにする事を提案する。根本的に順慶が秀子を嫌いだと言うなら話は別だが、意思確認が出来ないからという理由なら、確認出来る年齢になるまで待つべきだと。
順慶も秀子が嫌いだとは言わない。赤ん坊を嫌うとか狭量にも程があると、順慶とて思う。こういう所は常識的な順慶である。
「なら成長された秀子様が嫌だと言うか、お前が秀子様とは合わないと言うか。それならニャーも本気で動いてやるから」
「そっかー。秀子ちゃんの意思も大切だよね。数年は待った方がいいのか」
「そうそう。考える時間は有るって事だニャー。焦って決める必要は無いし、決めても悪影響しかニャいぞ」
「うーん、恒興くんがそう言うなら、もう少し様子見がいいのかー」
順慶は悩みながらも恒興の提案を受け入れて、様子を見る事にした。特に反論する要素が見当たらないからだ。もし順慶か秀子が婚約拒否となったら、恒興も本気で動くと約束した。
(よしよし、上手く行ったか。フフフ、あまりニャーの母上を舐めるニャよ。あの人はヒゲむさい権六と市姫を円満結婚させたんだぞ。秀子様だって、そう教育するに決まってるニャー)
恒興はほくそ笑んだ。任務達成と。そう、この稀代の謀略家(笑)の目的は『時間を稼ぐ』事だ。これさえ達成すれば、後は養徳院の出番である。秀子を養育し教育し、織田家の姫君として相応しく育て上げる。そして順慶の良い所や実績を教え込み、適度に会わせて親交も図るだろう。その時に乃恵と乃々の二人が秀子の傍に居れば鎹として万全であろう。
だいたい、養徳院は柴田勝家と市姫の仲も取り持ったのだ。よくもあの短期間で出来たなと恒興ですら舌を巻いてしまう。養徳院への信頼有ったればこそなんだろうが、恒興は「もうこれ、洗脳に近くね?」とすら思っている。それくらい養徳院が取り持つ結婚は破談が無い。
(つーか、結婚はもっと損得で考えろニャー。お前の今の厚遇は信長様あっての事だぞ。信長様を怒らせたら小麦粉の件だって消えるし、筒井家だってただじゃ済まニャい。……って言っても、コイツには逆効果なんだろなー。はあ、常識が無いって難しいニャー)
実は説得方法はもう一つ有った。こちらが戦国時代の常識になる。「婚約解消はお前の実家がただじゃ済まない」と脅す事だ。こちらの方が簡単なのだが、恒興はこれを悪手と感じた。御覧の通り、筒井順慶は戦国時代の常識が欠落している。その為に常識を突き付けても「そんなの関係ねー」とか言い出しそうなのだ。だから恒興は説得に回りくどい手法を使った。現代人転生者は面倒だなと溜め息をつく恒興であった。
次回は恒興くんの謀略にお母さんが怒る話となります。メインは何故、米が通貨なのか?ですニャー。
『逃げ若』さんが一度に三人も嫁さんを貰ったとか。おめでとうございますニャー。そういえば戦国時代の超有名人も一度に三人の嫁さんを貰ってます。その超有名人の名前は『織田信長』さんですニャー。まあ、これは敵を欺く謀略の一環でしたが。時期は父親の織田信秀さんが亡くなった直後。チャンスと言わんばかりに織田大和守家の織田信友さんが攻勢に出るか考えていました。そこに信長さんが三人の側室を一度に娶ったという報告が来ました。これを聞いた信友さんは「葬式直後に結婚?三人も同時に?何だ、信長は女好きの愚か者かw『うつけ』は評判通りだなwならば時間を置けば、信長の勢力はガタガタになって、私が有利になる。暫く放置しよw」と信長さんを侮りました。織田弾正忠家相続直後の信長さんはかなり不安定だったので、安定させるまで時を稼ぎたかった訳です。そして家中を急速に安定させた信長さんは信友さんを討ち、清州城を奪って本拠地としました。これも謀略ですニャー。
『逃げ上手の若君』北条時行さんといえば、北条氏康さんも『臆病な若君』として有名ですニャー。そんな人が『河越夜戦』で突撃しまくる訳ですから、人は見かけによらないですね。あ、因みに河越夜戦では突出し過ぎている氏康さんを、多米元忠さんが勝手に退き鐘を鳴らして戻したそうですニャー。で、帰って来た氏康さんは多米さんにド叱られたとか。元々、多米さんを信頼していた氏康さんでしたが、この件で更に信頼したそうですニャー。




