順慶、織田信長と邂逅す 其の弐
犬山・順慶屋敷。その厨房。
順慶屋敷の厨房は当初は普通の規模の台所であった。順慶と使用人家族が使うだけの物、大した規模は必要ないし、釜戸も一つだった。しかし、順慶が最近、料理研究を行う為にかなり増設されていた。乃恵の父親である源二郎のDIYによって。台所の横にあった勝手口兼物置を潰し、台所の広さを倍増。広目の机を3つ、釜戸も3基に増設した。因みに釜戸などのDIYでどうにかならない物は大谷休伯が用意した。
その厨房に男が三人。神妙な面持ちで控える助六と角吉。机の前に着席する順慶、その顔に笑みは無い。彼の前には丼が一つ、そこに汁で満たされた麺料理が有る。順慶は目前にて手を出し合掌する。『いただきます』というよりは『覚悟完了』という感じで丼を睨む。そして箸を手に取り、麺を掬い口に運ぶ。
「ずず……うう……」
その瞬間、順慶の脳裏に懐かしい感覚が蘇る。コレを口に出来なくなって、早10年あまり。懐かし過ぎて涙すら出そうになる。少し麺が太い気がするが、太麺の物もあるので許容範囲と言える。汁も醤油ベースの濃い味、蕎麦汁と比べると格段に醤油味が増した。味噌以外は薄味が多いので、濃い醤油味は珍しいものだ。
「どうでやすか、順慶様」
「うむ、これぞ『ラーメン』」
「「おお!」」
助六の問い掛けに順慶は答える。これが『ラーメン』である、と。麺について試行錯誤した助六、汁について試行錯誤した角吉。二人ともラーメンの完成に感嘆の声を挙げる。
「これでらぁめんが完成でやすね、順慶様」
「助さん」
「へい」
「ラーメンは奥が深い!」
「お、奥が深いんですかい!?」※理解してない
順慶は真剣な表情でラーメンは奥が深いと断言する。順慶が現代に生きていた頃のラーメンは多種多様だった。麺だけとっても太麺細麺ちぢれ麺とスープに合わせた麺が存在していた。麺一つ取っても様々な麺があり、それが店の特色にさえなる。順慶は経験から知っている。麺作りはスタートラインに立ったに過ぎない、と。それが『奥が深い』の一言に凝縮されている。助六はまだ麺に改良の余地が有ると理解はしたが、『奥』がどの程度かは理解出来ていない。まあ、順慶もいろいろ有る事は知っていても、改良方法を知っている訳ではないが。
「汁はどうです?オラとしては会心の出来と思ってますが」
「角さん」
「はい」
「ラーメンは種類が多い!」
「多いんですかーっ!?」※衝撃
スープについてもラーメンは多種多様だ。醤油、味噌、塩をベースに店や職人それぞれで味が違う。豚骨、鳥ガラ、魚介等の素材を様々に組み合わせて特色を出していくものだ。角吉は醤油に溜まり醤油を使ったり、かつお出汁や昆布出汁を駆使して、順慶の求める濃い味を実現したに過ぎない。つまり、蕎麦汁の発展版でしかない。これでは順慶が求めるラーメンスープにはまだまだ届かないのだ。一応、濃い醤油味が出来上がった程度である。
自分達がラーメン道に足を一歩進めた程度である事を認識して、助六と角吉は頭を抱える。しかし彼等とて絶望はしていない。次はああしようこうしようと、試行錯誤を開始していた。それがラーメンに近付くかどうかは、順慶の舌が判断してくれるのだから。
「あ、順慶様」
「ここに居たのー」
「あれ?乃恵さんと乃々ちゃん?今日は池田邸じゃなかったの?」
そこへ順慶の従者である乃恵と乃々がやって来る。二人共、走って来た様で、少し息を切らせている。乃恵と乃々は今日、池田邸で勉強している予定だった。その彼女達が突然、帰って来たので順慶は少し驚く。池田邸自体、順慶屋敷の斜向かいなので近いが。
「それどころじゃないです。今から織田家御当主・織田信長様が来るんですから」
「え?な、何で?」
「順慶様に会いに来たに決まってるの。早く支度をするのー」
「え?ちょ?……助さん角さん、ちょっと待っててー!」
乃恵と乃々は順慶に有無を言わせず部屋へと連れて行く。いきなり織田信長が来ると聞かされて順慶が驚く。歴史に疎い順慶でも『織田信長』は知っている。やはり知名度は段違いだ。現代のテレビCMでも時々名前が出るくらいに。順慶が次に知っている戦国武将といえば独眼竜『伊達政宗』である。独眼竜の響きが厨二っぽくて覚えたらしい。で、徳川家康、暴れん坊将軍、水戸黄門、遠山の金さん、大岡越前、鬼平と続く。……殆ど、戦国時代じゃない。あとは豊臣なんちゃら。順慶は現代において東海地方に在住していた。その東海地方では『織田信長』『徳川家康』の知名度は抜群で『豊臣秀吉』は殆ど出ない。本拠地の場所が問題かも知れない。
乃恵と乃々が着付けを手伝って、順慶は侍らしい格好となる。着付けが終わる頃には織田信長が到着していた様で、恒興が順慶を迎えに来た。恒興に連れられて部屋に入ると、そこには二十代半ばの男性が居た。順慶はその対面に座る。順慶も男性も顔を見合わせるが、両者共に無言である。その静寂を破るべく、恒興が務めて明るく喋り掛ける。
「ほれ、順慶。こちらが織田家当主の信長様だニャー。挨拶しろって」
「あ、ども、筒井順慶です……」
「お、おう、オレが織田信長だ……」
「「……」」
(会話、終わったニャー!いや、喋らんのかーいっ!)
自己紹介しただけで会話が終了した。その様に恒興は心の中でツッコミを入れる。順慶にはもっと喋れと、信長には何しに来たんですか!?と。こんな気まずい会見をする為に来た訳じゃないだろうに、信長は全然喋らない。予習復習練習はしてきただろうに、いざ本番になるとまったく効果を発揮していない。取っ掛かりが欲しい感じなんだろう、たぶん。恒興は信長は無理と断じて、順慶の方から話題を提供させる事にした。
「ほれほれ、順慶。有名人の信長様だぞ。ニャんか聞きたい事はないのか?あるよニャ?」
「う、うん。……な、何で、織田信長さんの様なエライ人が俺なんかに会いに来たのかなって……俺、気になって夜しか寝れなさそうで、さ……」
(ニャに、そのアホくさい質問!純情か、キサマァァァ!あと夜以外に寝てるのか!起きろニャ!ボケが早まるぞ!)
順慶は何故、信長の様な偉人が自分に会いに来たのか、何も理解出来ていない。その為、順慶は自分をかなり卑下した発言をする。恒興には対等みたいな態度を取るのにだ。いつものズケズケとした性格は何処に行った?そんな純情な性格じゃないだろ!と恒興は叫びたかった。あとは夜以外に寝るな、とも。明るいうちは活動時間なので、ここで寝ていると活動時間が減ってボケが早まると信じられている。実際、身体は使わないと衰える。
「え……?いや、何でって……オレは『親子丼』を食ったんだ。スゲェ美味かった。美味いってのは幸せな事だ。それが風土古都で民衆でも味わえる。これは途轍もねぇ幸福なんじゃねぇかって思ったんだ。だ、だから親子丼も風土古都も考案した筒井殿はスゲェなって……会ってみてぇって思ったんだ。娘を嫁がすんだし、気兼ね無く話せたらなぁ、って、まあ……」
(ちょっとーっ!?ニャんですか、その感想文みたいな返しはーっ!純情ですか、信長様ァァァ!!)
信長が順慶に会いに来たのは、娘婿だからではない。それはただの口実だ。信長の本心はただ筒井順慶に会いたかった、これだけだ。
信長は以前に『親子丼』を食べた。それは信長が今まで食べた物の中でも上位に入る美味しさだった。それが風土古都で提供され、庶民でも気軽に食べれる。この事に信長は衝撃を受けた。
美味しいと感じる事は幸せな事だ。その幸せを風土古都によって、誰でも感じる事が出来る。これは万民を幸せにする事と同義ではないか。自分の理想の一端を順慶は叶えている。信長はそう思ったのだ。
そして養徳院から『救龍』の報告。これは水資源が絶対必須な農業に革命を起こすかも知れない程の力を持っている。信長は池田邸に行く前に『救龍』の実物を検分し、その威力に戦慄を覚えた。
その後に恒興から『ろ過器』を紹介された。泥水を清水に変える装置。この戦国時代は『水』が得られなくて死ぬ人間のなんと多い事か。この問題の改善は誰もが取り組み、誰もが頭を悩ませ、誰もが失敗を繰り返す。巨額を投じ、長い長い時間を掛けてきた。それで得られた成果は未だに微々たるもの。相手は『自然』なのだから容易ではない。その現状に筒井順慶は大きな大きな一石を投じて見せたのだ。だからこそ、信長は順慶に会いたかった。その感情は『憧れ』に近い。
最早、信長は自分が順慶より上等な人間だとは思えなかった。順慶こそ真に敬われるべき人間ではないのかと思うのだ。そう思うと気さくに話して良いものか迷ってしまった。彼に嫌われたくないと思い、人見知りも相まって、かなり消極的になってしまった。それで出て来た言葉は感想文の様な物だった。恒興が頭を抱えたくなるくらいの。
「「……」」
(また会話終わった。ダメだわ、この二人。絶望的な人見知りだニャー。もっと、こう、気さくに話せばいいのに。いや、順慶って人見知りか?アイツは緊張してるだけだと信じたいニャー)
また黙り込んでしまった二人に恒興はゲンナリする。二人とも絶望的な人見知りだと。会話など相手の失礼に当たらなければ自由に発言すればよい。会話が上手い者はそこから話題を拾って繋げていくものだ。
というか、順慶は人見知りなのだろうか?恒興には初対面から馴れ馴れしかったはずだが。とはいえ、順慶が積極的に話す人物は割と決まっていて、見知らぬ者に声を掛ける事は少ない。池田家臣で言うと、順慶屋敷の整備をしている大谷休伯、ろ過器や救龍に関わる土居清良、護衛をしていた渡辺教忠、資金面を管理している加藤政盛、あとは雑用に行く事もある加藤弥次郎兵衛と小西弥九郎くらいか。逃げる順慶を捕えた飯尾敏宗は避けられている。敏宗はちょっと気にしているらしい。
(あの織田信長が俺の親子丼を、美味しいって?)
順慶が黙ったのは人見知りによるものではない。ただ信長の言葉を反芻していただけだ。あの織田信長が親子丼を美味しいと言ったのだ。織田信長ほどの偉人ならもっと美味しい物を食べていて、親子丼になど見向きもしないと順慶は考えていた。それが信長に『順慶は凄い』と言わせる程の美味しさだと認められていたのだ。順慶はその事が嬉しくなった。
「あの、親子丼、美味しかった?」
「お、おお、美味かったぜ……」
(あの織田信長が、美味いって!)
順慶は静寂を破って、もう一度確かめた。親子丼は美味しかったか?と。信長はオウム返しの様に答える。信長の言葉が嘘ではないと知った順慶はパッと笑顔に変わる。
「じゃあさ、じゃあさ、実は新作があるんだ!味見して見ない?材料も有るし料理人も居るからさ」
「え?新作?マジで?もちろん頂くぜ!」
急に順慶の態度が変わる。まるで親しい友人と話しているかの様に。この豹変振りには信長の方が気圧されそうになる。しかし、順慶の折角の提案だ。信長に断る理由は無いし、筒井順慶の新作も気になる。何より、順慶と仲良くしたかったのは自分だ。ここで引く訳にはいかないと、信長も応じた。
(アレ?ニャんか一気に仲良くなってない?今の一瞬で何があったニャー?)
筒井順慶には人見知りの気配が少しある。特に自分より偉い人物に発動しやすい。
人見知りは他人が怖いのではない。他人が自分に共感せず、自身を否定されるのが怖いのだ。近寄って否定されるのが怖い。自分の事を話して共感されないのが怖い。だから他人に近付かないのである。自分がキズ付くのが怖いから、その可能性に近付かない、臆病になる。そして他人との話し方が分からなくなるのだ。コミュニケーションも経験値が物を言うのだから。因みに、拗らせると人間不信になる事がある。
その反面、自分への共感を得られると、その人に物凄い親しみを感じてしまう。信長は順慶が考案した物に共感を示した。美味しかった、と。それが順慶にはこの上なく嬉しいのだ。だから、今の順慶には信長がとても親しく良い人に見えている。順慶が恒興に直ぐに懐いたのも、『転生』というキーワードで共感が得られたからだ。この人は自分を理解ってくれる人だ、と。
一方の織田信長も人見知りだ。今回は頑張って順慶と話すつもりだったが、やはり上手くは行かなかった。しかし、既に順慶の方からガンガンに押して来ているので、この波に便乗しようと思っている。信長の場合は、自分から話題を提供するのは難しいが、相手から来たなら対応出来る。
「えーと、織田信長さん」
「その呼び方は面倒だな。何か良いのを考えてくれ。オレは順慶って呼ぶからよ」
「じゃあ、『信さん』で!」
「いいね、それ!」
信長は『順慶』とそのまま呼ぶ事にした。そして順慶には呼び方を考える様に促す。順慶は少し考えて信長の事を『信さん』と呼ぶ事にした。信長はそれを良いと評した。そう、信長は順慶とそう呼び合う仲になりたかったのだから。
「あの、信長様、公式の場では控えて下さいニャー」
「ちっ、堅苦しい猫だぜ。なあ、順慶」
「だよねー、信さん。冗談も通じないしさー」
「それな」(笑)
(何これ。ニャーだけ蚊帳の外の様な)
信長が『順慶』と呼ぶ事、順慶が『信さん』と呼ぶ事。どちらも公式の場ではアウトになるので、恒興は一応釘を刺しておく。信長は心底、面倒な顔をしてやれやれと手を振る。順慶も真似をして「恒興は冗談も通じない」と溜め息を吐いた。信長は笑いながら同意する。
何故だろう、自分一人が蚊帳の外に居る様な気分を恒興は味わう。マジで一瞬でこうなった。あまりの展開の移り変わりの速さに付いて行けない恒興である。
「こっちこっち」
「お、ここは台所か」
順慶は先導して信長を厨房に案内する。そこには二人の男が話し合いながら作業をしていた。順慶が来た事に気付いた助六と角吉は手を止めて声を掛ける。
「順慶様、会見は終わりましたかい?」
「あ、犬山のお殿様と……そちらの方は?」
「信さんこと、織田信長さんだよー」
「「織田家御当主様ああぁぁぁ!!!?」」
順慶が恒興を連れて来るのは分かる。彼等も恒興なら慣れているので問題は無い。しかし、まさか織田信長本人を連れて来る事は予想外だった。
「助さん、土下座しねえと」
「そ、そうだった」
「おい、止めろ。料理人が手を汚すんじゃねぇ。公式の場所じゃねぇんだしよ」
「助さん、角さん、しゃがむくらいにしとけニャー」
「へい、そうさせて頂きやす」
土下座しようとした二人を信長が止める。これから順慶の新作料理を作る者の手を汚したくなかったからだ。公式の場ではないのだから、問題にする人間は居ない。とはいえ、控えなくてよい訳ではないので、膝をつくくらいにする様にと恒興は言う。流石に立ったままという訳にはいかないからだ。
「さあ、助さん角さん。信さんと恒興くんに『ラーメン』を味見して貰うよ。準備して」
「へい、分かりやした」
「任せてください」
順慶は二人に号令を出す。二人は一度、深く頭を下げてから立ち上がる。そして慣れた手付きで調理を始める。麺もスープも用意は出来ている。そもそも二人はその作業をしていたのだから。順慶が戻って来たら、仕上げをするつもりだった。それを恒興と信長に振舞うだけだ。助六は麺を茹で、角吉はスープを調合して温める。時間は然程、掛からない。
程なくして、恒興と信長の前に二つの丼が置かれる。芳醇な香りが二人の鼻孔をくすぐる。見た目も香りも美味しそうだと、二人は確信した。そして箸を手に取り、同時に食い付く。一口、二口、恒興も信長も目を見開いて顔を上げる。
「こ、これは!?」
「ニャんて美味い!」
「「うどんだ(ニャー)」」
「うどんじゃなーいっ!!!」
二人から出て来た感想はとても美味しい『うどん』である。その瞬間、順慶はうどんじゃないと反論した。信長が吃驚する程、順慶の表情が変わっていて、彼はヤバイと感じる。
「あ、ああ、うどんじゃねぇな。なあ、恒興」
「いやいや、信長様。このツルッとした舌触り、もちっとした麺の腰、うどんですニャー」
(ちょ、恒興ーっ!?空気読みやがれーっ!)
順慶に気を遣う信長だったが、恒興は意に介さず『うどん』だと言い張る。恒興の言うツルッとした舌触り、もちっとした麺の腰。そう、これは『うどん』と呼ぶべき麺なのだ。実は信長も内心はそう思っている。
これは助六が蕎麦打ちしか知らないのでこうなった。この頃の蕎麦は太麺で、感覚そのままに蕎麦粉を小麦粉に置き換えただけだ。順慶もうどんっぽいとは思ったが、太麺のラーメンもあるので問題無しとした。助六と角吉はうどんを食べた事が無いので、うどんだと気付くのは不可能である。うどんは庶民が口に出来る様な安い料理ではないからだ。だから代替え品の『蕎麦』が生まれた。しかし信長と恒興は回数は少ないながらも、うどんを食べた事はある。したがって、二人は『うどん』だと感じた訳だ。
ただ信長は順慶の機嫌を損ねたくないので気を遣っているのだが、恒興にその気は無い。至っていつも通りである。心の中で信長は恒興に抗議する。空気を読め、と。
「うどんじゃない!ラーメンなんだよおぉぉ!!」
「うどん以外の何物でもねーギャ」
「違うのにーっ!」(泣)
(おい、駄猫!もう黙れーっ!)
信長は我慢していた。この感情のままに叫ぶと順慶が怖がるかも知れないと思ったからだ。しかし信長の怒りはここ最近で最大のものになっている。それこそ羽柴秀吉の浮気問題や明智光秀がやらかした御禁料押領問題などどーでもいいと言える程に。というか、明智光秀のやらかしに信長は大して怒っていない。
あの件はそもそもだが、六角家の混乱に付け込んで領地を押領した比叡山延暦寺の悪僧に原因がある。明智光秀はそれを取り返しただけで、武家なら当たり前の行動だ。ただ、やり過ぎて御禁料まで制圧しただけだ。大した事ではない。
信長は正親町帝に謝罪する破目になったものの、謁見は和やかなムードだった。正親町帝は信長こそ自分の退位を為し得る人物だと見ているし、公卿達は信長の態度を殊勝で潔しと評価している。また、押領した御禁料の他にも、比叡山延暦寺元々の荘園も併せて返還する事を信長は約束した。これも光秀が間違えて押領したものだ。これらの荘園を直してから返還し、その間の補償も決めた。この為、比叡山延暦寺の態度は「ちゃんと補償して返還してくれるなら、許して上げてもいいんだからねっ!」な感じに軟化している。
それはさておき、信長は上洛後最大級に怒っていた。黒いオーラが凄い勢いで噴き出す程に。恒興はまだ気付いていないが。
「しかし、順慶様、このらぁめんには問題がありやす」
「助さん、問題って何?」
「小麦粉の値段が高えんですよ。庶民じゃ簡単に破産しやす」
「え?そうなの?」
助六からラーメンの問題が提起される。それは『小麦粉の価格が高い』である。順慶や信長、恒興といった大名が愉しむ分には問題は無い。しかし庶民となると手が届かないだろう。それこそスープにもかなり拘っている。さて、値段はおいくら?庶民は聞きたくないだろう。
「はっ!順慶、お前まさか!このらぁめんを風土古都に出すつもりじゃニャいだろうな!?」
「そのつもりで作ったんだけど……」
恒興は気付いた。順慶は風土古都に出す新作としてこの『ラーメン』を作ったのではないか、と。それは当たりで、順慶は初めからこの『ラーメン』を風土古都の目玉にしようと画策していた。
それを聞いて、恒興はブチギレる。
「アホか!この小麦粉麺がいったいいくらするんだニャー!庶民が気軽に食べれる代物にならねーギャ!」
「で、でもさ。何とかならないかな〜て」
「なるかぁ、ボケ!常識で考えろニャー!」
「でも、でもぉ」
「でももヘチマもないニャー!」
恒興は怒りそのままに順慶を追い詰める。その勢いに順慶は涙目になる。それ程に小麦粉の価格は高いのだ。どう考えても風土古都に出せる料理にはならない。今回ばかりは恒興でも賛同出来ない。助六や角吉も蕎麦麺にした方がいいと思う。
「おいっ!恒興ぃぃぃぃぃーっ!」
「え?はい、信長様?」
だが、そんな事情は知った事ではない、怒りを溜め込んでいる人物がブチギレた。盛大に黒いオーラを放ちながら。振り返った恒興はやっと信長が怒りを爆発させている事に気が付く。そして冷や汗をダラダラと流す。
「お前!順慶が困ってんじゃねぇか!何でもっと親身になってやらねぇんだよ!」
(ええー、信長様がいつの間にか順慶の味方になってるニャー)
「信さん……」(感動の眼差し)
信長は順慶の話を聞かない恒興に怒っていた。もう100%で順慶の味方になっている事に、恒興は唖然となる。
順慶はやっと救世主が現れたという感じで信長を見ている。このラーメンに関しては助六も角吉も否定的だからだ。それ程に小麦粉の価格に問題が有るという事なのだろうが。しかし、織田信長なら、織田信長なら何とかしてくれる。そう思えるのだ。
「いや、信長様、流石に小麦粉は」
「やれる事あんだろ!お前なら何か方策が有るんだろ!?絶対に無理なのかよ!」
「そこまでは言いませんが、ニャー……」
正直に言えば、小麦粉の価格問題は恒興でもどうにもならない……訳ではない。ただし、とんでもなく面倒クサイ。だから順慶のワガママ程度ではやりたくなかった。しかし、事態は恒興の主君にして義兄である織田信長まで行ってしまった。信長は順慶と仲良くしたいが為に、彼の味方をするだろう。というか、信長はその為に犬山までやって来たのだから。そして、いつも通りに恒興へ無茶振りするのだ。
「だったらやれよ。出来る限りをよ!順慶はオレの息子になるんだ。いや、親子ほど歳は離れちゃいねぇ。弟みたいなもんだ。ならよ、お前の弟でもあるんだぜ!」
(今、論法が八艘飛びしたんですがニャー)
信長は言う。順慶には秀子を嫁がせるのだから『息子』の様なものだが、歳はそこまで離れていないので『弟』と言って良い。信長にとって恒興は弟、信長にとって順慶は弟。ならば恒興にとっても順慶は弟の筈だと。
源義経が八艘の舟を飛び渡るが如く、凄いこじつけで弟が湧いて来た。恒興は何故か筒井順慶という弟が出来たらしい。とりあえず勘弁してくれと思うが反論は出来ない恒興である。
実際、池田恒興は織田家一門に近い。織田信長の乳兄弟というだけではない。恒興の初名は『信輝』、織田信輝である。そう、織田家の通字である『信』の字が入っている。これは信長の父親である織田信秀が名付けたからだ。養徳院桂昌は恒興が三歳の時に織田信秀の側室になっている。信秀が恒興の後見人になって池田家を円満に受け継ぐ為だ。つまり、この時点で恒興は養徳院の連れ子として織田家入りしているのである。連れ子はほぼ実子扱いで養子よりも立場は格段に上である。相続権までは流石に無いが。その為、恒興は信長の弟達からも『兄』と慕われている。信長に言いにくい事は、恒興に言う者も時折居るくらいだ。それは池田恒興と名乗る今も変わらない。信長の妻である帰蝶から弟扱いされているのも、信長の妹である市から兄扱いされているのも、この事が起因している。ただ恒興は信秀の死後に、信長に家臣として仕える覚悟を示す為に名前を『池田恒興』としただけだった。それで周りからは織田家一門に見えなくなった。
恒興は順慶という弟の為に小麦粉価格問題に取り組まねばならないらしい。断れば信長がどれ程の大爆発を起こすか、考えるだけでも怖い。
その時、厨房の戸が開き、一人の少年が膝をついて信長に報告する。
「信長様」
「久太郎か。何だ?」
少年の名前は堀久太郎。現在は信長の小姓を務めている。なかなか見所が有ると信長から目を掛けられている。
「岐阜城から急使が来まして」
「急使?何かあったのか?」
「その、林佐渡様が、えっと……」
「げ、佐渡のヤツ、既に岐阜に居たのかよ」
(たぶん信長様が岐阜城を無視して犬山に来たから、佐渡殿がブチギレたんだニャー)
信長は岐阜城で林佐渡から濃尾勢の内政報告を受ける名目で京の都を出た。なので林佐渡も岐阜城に来る訳だが、信長の予想ではまだ来てないと思っていた。それは信長が予定より早く出発したからだ。しかし林佐渡は既に岐阜城に居て、信長を待っていたのである。というか、報告する事が多過ぎて、彼女は「はよ来いや」と手薬煉を引いていたのだ。それなのに信長は岐阜城を華麗にスルーして犬山に行った為、それを知った林佐渡がブチギレた訳だ。
今度は信長がゲンナリした表情になる。
「しゃーねぇ。岐阜城に行くか。すまねぇな、順慶。また来るからよ」
「うん、またね、信さん」
「恒興は……分かってるな?」
「はい、頑張りますニャー」
順慶には詫びながら笑顔で別れを告げる。順慶も特に気にしていない様だ。そして恒興には脅しながら睨む。恒興は顔面蒼白になりながら返事をした。
比叡山延暦寺が態度を軟化させている?そんなバカなと思うかも知れませんニャー。「悪僧とは何ぞや?」というところから説明せにゃならぬので長くなります。今回は割愛しますニャー。小説現在で叔母さんと奥さんを連れて、犬山に向かって来ている人がいるので、その時にしますニャー。
織田信長の性格
基本的に人見知りだが、武家当主の嫡男として産まれたので、武士にはあまり発動しない。馴れた者にはとことん馴れ馴れしくなる事がある。
筒井順慶の性格
あまり人見知りはしないのだが、自分より数段偉い人だと緊張が相まって発動する。相手から自分への共感が得られると、途端に馴れ馴れしくなる。
池田恒興の性格
人見知りなどない。信長の為ならどんな相手とでも戦うし脅しに行くし交渉する。反面、空気を読まない事が多い。転生して人生経験を持ち越しているので、多少はマシになったが、本質は変わっていない。
『宇佐山城の戦い』VS朝倉軍 池田恒興 森可成
『古木江城の戦い』VS本願寺軍 山内一豊
『長光寺城の戦い』VS浅井軍 柴田勝家 白井入道浄三
を書く予定ですニャー。本圀寺と野田城に三好三人衆と本願寺軍となりますが、ここは信長さんと佐久間出羽さんなので報告のみにする予定ですニャー。