毛利さんちの事情・再
安芸国吉田郡山城。
今日、この屋敷の一室にはまたまた三人の男が呼び集められていた。まず毛利輝元10歳、彼は元々吉田郡山城に居る。その叔父が二人。出雲国月山富田城主の吉川元春34歳と安芸国新高山城主の小早川隆景31歳である。そして上座には一人の老人が居る。彼こそ毛利輝元の祖父にして吉川元春と小早川隆景の父親、毛利元就67歳である。
「さて、今回は如何にして大友家を撃退して博多を制圧するか、という議題じゃ」
毛利元就が息子二人に孫を集めたのは、博多を制圧する算段を話し合う為である。その話にまず吉川元春が反応する。
「親父、それは良いが、戦場を何処に設定するんだ?」
「元春兄さん、おそらくは立花山城辺りになりますよ」
「成る程な、博多の近くか。そこに地歩を固めれば、博多制圧も現実的になるな」
戦場となるのは筑前国立花山城の辺りだと小早川隆景が答える。高橋鑑種をはじめ、筑紫氏などの調略している豪族が近くに居て、博多を守るのに重要な場所に存在しているからだ。
「元春、出雲方面から兵を出せるかのう?」
「それが雲行きが怪しい。山名家が織田家と接近している様だ。圧を強めていると武田高信が報せてきた」
毛利家は幕府に工作を行い、山名家が懲罰される様に謀った。反抗する尼子家残党を支援する山名家を動けなくし、その間に吉川元春が残党を片付ける為だ。この試みは成功し、山名家は織田家の羽柴秀吉により打撃を受け、吉川元春は尼子家残党を蹴散らした。これで元春が動ける様になったかと思われたが、何故か山名家は織田家に急接近しているという。それを背景に山名家が因幡国への圧力を強めており、元春が警戒しなければならない事態となってきていた。
「懲罰の件で織田家と山名家の離間も狙ったのですが、裏目に出てしまうとは。何故、こうも私の謀略は上手く行かないのでしょうか」
「隆景の謀略は、筋は悪くないがのう。詰めが甘い。もう少し細部まで、関わる人の事情を見てみる事じゃ」
「はっ、父上」
この策を提案した小早川隆景は酷く凹んだ。何故、自分の謀略は裏目に出てしまうのか。普通に考えれば、織田家と山名家は不倶戴天の敵になっている筈ではないのか?それが何故、仲良くなっていくのか?隆景にはまったく理解出来ない。
それに対して元就はもう少し細部まで謀る様に助言する。特に謀略に関わる人々の事を注意する様にと。
「まあ、いざとなれば武田高信を見捨てれば済む話だ。あまり気にするなよ、隆景」(笑)
「そうですね、元春兄さん」(笑)
「ふぉっほっほ。では気を取り直して、大友家の話じゃな」(笑)
(……酷くね?この三人、普通に武田さんを見捨てようとしてんだけど)
凹んだ隆景を見て元春がフォローを入れる。山名祐豊に狙われているのは鳥取城の武田高信である。なので、ある程度は武田高信を支援して時間を稼がせ、都合が悪くなれば見捨てれば良いと笑った。それを聞いて、隆景も元就も一様に笑い声を挙げた。端から見れば、何と和気あいあいとした親子かと思うであろう。
唯一、笑わなかったのは毛利輝元のみ。彼は冷めた目で腹黒な祖父と叔父達を眺めていた。
「大友家の強さは何と言っても家臣団だ。勇将知将謀将まで勢揃いだ。しかも結束が固いときてる。勘弁してくれよ」
「欠点といえば、その家臣団が高齢化しているくらいですかね。とはいえ、父上の方が歳上ですけど」
「待っとると、ワシが先に居なくなるのう」
大友家の強さは団結力のある家臣団だと元春は主張する。しかも勇将知将謀将と揃っていて、それぞれ役割も分担しているので無駄も少ない。問題があるとすれば年齢だ。大友家臣団が高齢化してきているのに、後継者がなかなか育っていない。なので年数を経過させれば毛利家が有利になるかも知れない。のだが、その大友家臣団の誰よりも元就の方が歳上なので、使える手段ではない。
「他にはやはり『鉄砲の数』だな。鉄砲なんて弓の下位互換だろ、とか思っていたが、あれだけ数を揃えられると脅威だ。弾丸と轟音で兵の勢いを削がれる」
「鉄砲保有数が優に1000丁を超えているらしいですね。南蛮貿易の成果ですか。鉄砲や火薬を手に入れる為に人の命を売り払う、と。だいたいは戦争捕虜とはいえ酷い話ですよ」
九州の大名が鉄砲や火薬を手に入れる為に、人を売っていたのは有名な話だ。特に九州西岸地域に集中している。南蛮船が寄港しやすいからだろう。
これは後年、豊臣秀吉に知られてしまい、彼が大激怒してキリスト教禁教令を出す切っ掛けとなった。更には南蛮人宣教師も日記で「日本人は鉄砲の為に同胞を売る」と書いている。
南蛮人宣教師の記録は現代日本において一級品の歴史資料となる。何しろ、南蛮人宣教師は外国語で日記を書く為、日の本の人々には読めないだろうと、かなり好き勝手に書いていた。ルイス・フロイスは織田信長を痛烈に批判しているし、豊臣秀吉も女性にだらしないと書きまくった。彼等が嘘を書く理由が無いし、為政者も読めないから遠慮しないのだ。
「外道な。やはり博多はワシが治めねばならぬな」
(((何故そうなる?)))
人を売っていると聞いて、元就は博多を占領する意志を確かめる。ウンウンと頷く元就を見て、息子二人と孫はどういう理論を展開したらそういう結論になるのか、理解は出来なかった。
「こういうのはどうでしょう。織田信長は人身売買を認めず、人買い商人を処断している様です。九州の大名達が南蛮人相手に人身売買をしていると教えてやれば、信長は怒り狂って手を貸してくれるかも知れませんよ」
「止めろ止めろ。お前の謀略は上手く行かん。裏目に出るのがオチだろ」
「悪かったですね!」
小早川隆景は提案する。織田信長は人買い商人を認めず捕らえて処断している。人の売買を禁じている朝廷の歓心を買いたいのだとは予想している。であれば、九州の現状を教えてやれば、織田信長は不快に感じ、何かしら手を打つと隆景は考えた。朝廷の歓心を買っている手前、無下には出来ない筈だ。
それに対して、兄の元春は弟に謀略を止めるよう注意する。彼の謀略は何故か裏目に出る事が多いからだ。仮に織田信長が怒り狂って瀬戸内海を進んで来ようものなら、毛利家にとっては大損害になってしまう。こちらから誘ったのだから断われない上、瀬戸内海利権をぐちゃぐちゃにされるからだ。
そこで毛利輝元がはいっと手を挙げる。
「それなら毛利家でもキリスト教を受け入れてみるとかはどうですか?そして南蛮貿易を始めるんですよ。当家には石見銀山がありますから、人の命を売る事など無いでしょう」
輝元は領内でキリスト教の宣教師を受け入れ、南蛮貿易を始めれば良いと主張する。場所としては周防国や長門国が相応しいだろう。大内家が治めていた頃は南蛮寺院もあったし、布教出来る下地がある。また下関辺りの湊を使えば南蛮貿易も可能になる。これで鉄砲や火薬を揃えて大友家に対抗する訳だ。そして石見銀山を手中にしている毛利家なら、人の命を差し出さずとも取引可能な筈だ。
「輝元はバカじゃな」
「輝元はバカだな」
「輝元はバカですね」
どうでもいい意見を聞いた毛利元就、吉川元春、小早川隆景の三人は首を45度回して輝元にバカと3コンボを決めてくる。
「……あの、三人で同じ事を言うの、止めて貰ってもいいですか?」
前にも似た様な展開があり、輝元は小さく抗議した。元春と隆景は「はあ」と溜め息をついて話を始める。
「あのなぁ、山口の南蛮寺院を破壊したのは俺達だぞ」
「それを命令した人がこの場に居ますので聞いてみましょうか。ねえ、父上?」
大内家の本拠地であった山口館の近くには、かつてフランシスコ・ザビエルが建てた南蛮寺院が存在した。大内義隆はキリスト教を信仰していた訳ではないが、興味は持っていた。なので、訪ねて来たフランシスコ・ザビエルに南蛮寺院を建てる事を許可したのである。その後、大内家の滅亡時に、南蛮寺院は破壊された。それを破壊したのは、何を隠そう、この三人である。
という訳で、隆景はその命令を下した人物に直接、理由を語って貰おうと、元就に話を振る。
「だってワシ、アイツラ嫌いなんじゃもーん」
「「「……」」」
偉大な老人からは何か子供滲みた答えが返ってきて、三人共に無言になる。元春と隆景は予想と違う答えだから、輝元はそんな好き嫌いの問題なのか、という感じで唖然となっていた。
「え?親父、マジで理由それだけ!?」
「本気ですか、父上。そんな個人的嗜好だけでキリスト教を拒否してたんですか……」
「何を言う、仏教は素晴らしいぞ。毎朝、お日様を觀音様に見立てて祈る事で、一日を清く正しく生きられるのじゃ。お前達もちゃんと毎朝やれい」
「「はいはい」」((清く正しく、ねぇ))
毛利元就は自他共に認める仏教徒である。それを元就に教えたのは養母である『杉大方』だ。彼女は元就の父親である毛利弘元の側室だったが、子供はおらず元就と血縁は無い。若き元就が井上元盛に領地を押領され『乞食若殿』と周りから笑われる程の困窮に陥ると、杉大方は「それでは元就が可哀想だ」と再婚話も全て断り元就を養育した。その時に杉大方は元就に朝日を拝む念仏礼拝を教えた。この教えを元就は終生、守り続けたと言われている。
当然、元就は息子や孫にも朝日を拝む様に教えたが、彼等はあまり熱心ではない。その辺りが元就は不満らしい。
「ま、親父は置いといて。毛利家が全域で伴天連の教えを拒否しているのは理由が有る話なんだ」
「我々が暮らしている中国地方は山と海ばかりなんですよ。なので平野が少なく、収穫高も低い。それ故に昔から閉鎖的な村が多いんです」
「あー、確かに。一国で10万石程度でも珍しくないですし。近江国なんて一国で7、80万石あるって話だし。何ヶ国分になるんでしょうかね」
中国地方の語源は平安時代に京の都と大宰府の中間に在る国だからとなっている。他は出雲大社の祭神・大国主が治めた葦原の中つ国から来ている説もある。
この地方は山脈が東西に走っていて、その麓に僅かな平地、そして海となる。それ故に基本となる農業収穫高が少ない地域が多い。山陽は備前国や安芸国に広めの平地があるものの、山陰は海と山が近く、かなり厳しい。なので中国地方には山間部の閉鎖的な村が多くなった。
山間部の村代表として伊賀国を挙げよう。伊賀国は山間部で収穫高は低い。不作の年には全員が生きるには十分な食料は獲られない。だから食料を奪われないように、周りを警戒して信用せず、各々独立した勢力が発生した。これが『豪族の発生』で、日の本全土で起こった。なら伊賀国はどうするのか?近隣を襲っても同じ様に食料が無い。それならと豪族同士が手を結び、隣の伊勢国や大和国を襲い出したのだ。襲うなら強くならなければならない。山間部というフィールドで彼等は自分達を鍛え、平野でぬくぬくと過ごす人間より強く、そして多様なスキルを得た。これが『乱波者』の始まりだ。
甲賀も同じ成り立ちだが、こちらは六角家が優遇していたので、家臣化が進んでいた。この状態まで来ると、主家からの任務を行う『忍者』と呼べるだろう。それに比べて伊賀国は守護大名だった仁木家が内政を顧みず、戦費徴収など搾取していた。そこで伊賀豪族達は手を組んで仁木家を追放した。これを『伊賀惣国一揆』と言う。現在、伊賀国に大名は居ない。伊賀衆が『忍者』となるには服部半蔵を通じて徳川家康がその有用性を認める必要があるだろう。また池田恒興も柘植三之丞を通じて、伊賀衆の有用性に気付き始めているので、彼等が『忍者』と呼ばれる日は近いのかも知れない。
中国地方にはこの様な村が多い訳だ。しかも、中国地方には更に条件が重なっている。それは海がある事だ、しかもそれが古から交通の要衝となってきた。
「だが、瀬戸内海は昔から商人や唐船が行き来してた。だからなんだが、文化的な物は入り込んでいてな。中国地方の各地にいろいろな仏教宗派が軒を連ねているんだ」
瀬戸内海は交通の要衝である。しかも外国からの船まで通る超重要航路となっている。外国船の往来、商人の活動の活発化等により、道となった中国地方には盛んに仏教が入り込んだ。入り込んでしまった。全ての宗教は正統性を巡って争う。仏教も例外ではなく、同じ仏教宗派でも正統性争いを繰り広げる。浄土真宗本願寺派とか浄土真宗高田派とか浄土真宗大谷派とか。それが中国地方には各宗派が入り乱れて定着している。……面倒くさいの極地である。
「それは知ってますが、何が問題なんです?」
「輝元、貴方は備前国で何が起こったか知らないんですか?」
「備前?何かあったので?」
輝元は備前国で起こった事と言われても、首を傾げる。備前国は毛利家の領地ではないので、特に報せが来る訳でもないからだ。
「備前国金川城主である松田元輝は法華宗に帰依してたんだ。それで法華宗の僧侶をよく匿ったりしてたんだ」
「何と!?法華宗の僧侶を!?何て事を!?」
話は備前国金川城主である松田元輝が法華宗の僧侶を匿ったという事だ。それを聞いて、輝元は驚愕で立ち上がり叫んだ。その様な事は人間としてあってはならない。というくらいの勢いで。それを元就、元春、隆景の親子は冷ややかに見ていた。
「……輝元、お前は何を驚いてるんだ?」
「あ、いえ、ここは驚く場面かなーと思って空気読んだんですけど。よく考えれば、好きにすれば?って話ですね」
一応、元春が理由を問うと、輝元は空気を読んでみたらしい。しかし冷静に考えると、個人の勝手だと気付いた様だ。
「輝元はバカなんじゃな」
「輝元はバカなんだな」
「輝元はバカなんですね」
「いや、だから、その三連打は止めて欲しいんですけど」
どうでもいい空気読みを見た毛利元就、吉川元春、小早川隆景の三人は若干、可哀想なヤツを見る表情で首を45度回して輝元にバカと3コンボを決めてくる。
「問題は松田元輝のアホが極まっていた事だ。ヤツは法華宗の教えに傾倒してな。領内の寺社や村々に法華宗への改宗を勧めたんだ」
「?まったく上手く行く気がしませんが?」
「そうです、上手く行きませんでしたよ。そうしたら松田元輝は非協力的な寺社や村々に焼き討ちを掛けたんです。法華宗の素晴らしい教えに帰依しないなんてクズだ、生きてる資格は無い。だそうですよ。因みに、この所業を見て法華宗の僧侶は逃げ出したらしいです」
「あ、アホ過ぎる……」
松田元輝は法華宗の教えに傾倒してしまい、法華宗こそ最高の信教と信じる様になった。人は自分が信じるものは最高だと確信してしまう生き物だ。それを認めさせようと他人にも押し付け始める。松田元輝は自分の領内は法華宗のみにしようと改宗を勧めた。しかし各村々は昔から世話になっている寺社と住職が居る訳で、明日から法華宗にしろなんて無理な話だ。その返答に松田元輝は大激怒し、非協力的な寺社や村々を焼き討ちしたのである。この件で松田元輝と家臣の間は冷え切ってしまった。
彼に匿われていた法華宗の僧侶達はこの所業を見て残らず逃げ出したらしい。いや、責任取ってくれ。
「話には更に続きがあってな。これで混乱した松田家に攻め込んだのが、宇喜多直家という男だ。コイツは要注意だぞ」
吉川元春は宇喜多直家という武将について解説する。彼は宇喜多直家が強敵になるかも知れないと警戒している様だ。
宇喜多直家は事前に自分の娘を松田元輝の嫡男・松田元賢に嫁がせていた。そこから松田家臣と繋がり、調略を展開していた。そして松田元輝が法華宗の件を起こし家臣の信頼を失うと、徐々に寝返りの約束を取り付けていった。そして松田家重臣で妹婿にした伊賀久隆を寝返らせると備前国金川城に攻め込む。松田元輝は討死。嫡男の元賢は防戦したが、衆寡敵せず。彼は妻である宇喜多直家の娘と共に金川城を脱出した。その後、宇喜多直家は金川城に対して徹底的な殲滅を命じた。城内に居た者は老若男女を問わず殺された。生きている者は炎で焼き、生き残りはいないか確かめる為に死体の喉を突かせ、女子供であろうとも撫で斬りにした。金川城内は炎と血の海になったという。
一方で逃げた元賢と娘には追っ手を差し向けて追い詰めた。最早此れ迄と悟った元賢は妻を逃がして、自分は敵陣に斬り込んで討ち死にした。しかし妻は逃げなかった。宇喜多直家の娘なのだからそのまま保護される、という事はない。娘は理解していた、父親はそんな甘い人物ではない、と。母方の祖父を惨殺し、母を自害させた男だ。目的を果たせば、使った道具は捨てる。父にとって自分はもう捨てるべき道具なのだと。夫である松田元賢の最期を見届けた彼女は逃げる事なく、その場で宇喜多家臣の目の前で自害して果てた。その後、この辺りの人々は七夕の祭りを止めた。彦星と織姫を二人に重ねた為と言われている。彦星と織姫はもう会えないのだと。
これだけの惨劇を起こし、家族すら謀略の糧とする宇喜多直家を世の人々はこう評した。『奸悪無限』と。
「こうして宇喜多直家は妻も娘も謀略の犠牲にしたって事だ。マジで手段を選ばない、こういうヤツは恐ろしいから注意はしておけ、輝元」
「何で家族まで……。もっと他にやりようはなかったのでしょうか……」
「さあな。有ったのかも知れんし、無かったのかも知れん。俺には結果しか分からん」
元春には詳しい経緯までは分からない。ただ彼は起こった事と事実と結果だけで話している。それに関わる人々の事情までは考慮しない。分かるのは宇喜多直家は松田家正室に自分の娘を出した事、宇喜多直家が松田家に攻め込んだ事、宇喜多直家は金川城で殲滅戦を行った事。そして宇喜多直家の娘は死亡した事だ。やむにやまれぬ事情は有るのかも知れないが、他人には分からないだろう。
「同じ謀略家として、父上はどう思われますか?」
「隆景、ワシが謀略を使うのは全て『家族』の為じゃ。ワシは幼い頃、家臣に領地を押領された。首実検を強要され、甥は病気になって死んだ。その後は毛利家内で相続争いが起き、ワシは弟を殺す破目になった。息子を人質に出さなければならなかった。何故、ワシがこの様な目に遭わされるのか?簡単じゃ、『弱い』からよ。だからワシは毛利家を強く大きくしたかった」
「お祖父様……」
「しかし、幾ら強くなろうとも戦に勝とうとも、ワシや家臣、領民にも限界がある。ならば如何するのか?自身が強くなると同時に、敵が弱くなれば良いのじゃ。その為に謀略を使ってきた。全ては『家族』を守らんが為に。謀略の為に家族を犠牲にした宇喜多直家をワシと同列に置くのは止めよ」
元就は隆景に言われて、珍しくムッとした表情を見せる。『宇喜多直家と同じ』と言われた事が気に入らなかったらしい。
毛利元就の経歴もかなり悲惨なものだ。父親と死別した幼い元就は多治比猿掛城に移るが、所領の全てを家臣の井上元盛に押領され、城からも追い出される。杉大方が元就を助けに来るが、彼女も側室ではなくなったので貧乏だった。なので二人で貧乏生活する事になる。そして、ここで元就は神算鬼謀の謀略を駆使して……という事は一切なく、井上元盛のやりたい放題だった。元就は井上元盛に何も出来ずに数年、貧乏生活を送る事になる。ただ、井上元盛は割と高齢にて病気でポックリ死亡した。こうして元就の所領は勝手に返って来た。十代の少年であった元就はこの程度だった。
その後、毛利家当主で兄の興元が死去。元就は残された甥の毛利幸松丸2歳の後見役となる。この頃の元就は勇猛果敢で多大な戦果を挙げ、近隣に名前を轟かせた。しかし大大名である尼子経久に逆らう事など出来ず、毛利幸松丸の首実検参加を強要され、幸松丸は心にキズを負って死去した。享年9歳。元就は2歳の頃から手塩に掛けて育てた甥を失った。その後も毛利家相続争いで元就は腹違いの弟の相合元綱を殺す破目となる。弟を尼子経久が支援していたからだ。二十代後半だった元就は武働きによる出世の限界を悟った。
元就は尼子家から離脱する為に大大名である大内家に接近する。その為に嫡男と三男を人質に差し出さなければならなかった。三十代になった元就は大大名の間で揺さぶられ続ける我が身を呪った。そして漸く悟った、『弱さ』は罪なのだと。だから欲した、この現状を打破する『強さ』を。それが『謀略』だったのだ。
敵が強ければ自分がそれ以上に強くなれば良い、という脳筋的思考では家臣や領民も直ぐに限界が来てしまう。ならば『謀略』によって強い敵が弱くなって、自分が上回れば良い。この結論に到った訳だ。四十代の毛利元就、彼は漸くにも本領を発揮し始めた。そして彼はついに大大名だった大内家と尼子家を倒して、毛利家を大大名足らしめたのである。彼の根底にあったのは『家族を守る』という強い意志だった。
「申し訳ありません、父上。私の失言でした」
「理解れば良い。宇喜多直家がその謀略の果てに何を望んでいるのかは見えて来ぬのう。ただ、暗い感情は見えておる。自分を侮るな、自分を見下すな、自分を蔑むな、という様な。だから敵に容赦が無い。反面、こういう者は部下や従う者には優しい事が多い」
隆景は自分の失言を認め、父親に謝罪した。元就は理解したなら良しとした。
元就によれば、宇喜多直家からは暗い感情が見えているという。自分を侮るな、自分を見下すな、自分を蔑むなといった負の感情が。彼の生い立ちにもいろいろあったのだろう。だから敵となった者には容赦が無い。それがたとえ『家族』であったとしても。その反面として、味方にはとことん甘い面もあるという。
「確かに。それだけの事をしても離反者は居ないし、寝返った伊賀久隆も松田家の領地の大部分を貰って15万石程度になったらしいな」
「もうソレは大名なんですが」
宇喜多直家は味方には甘い。それを示すかの様に、松田家から寝返った伊賀久隆には松田家の領地の大半を渡している。その為、伊賀家の領地は15万石程度になったそうだ。伊賀久隆は寝返り一回で池田恒興と同レベルになったという訳だ。こうして宇喜多直家は味方になれば良く報いると示しているのだと思われる。
「話が大分外れてしまいましたね。戻しましょう。松田家の件は極端な例ですが、割と他人事ではないんですよ」
「え?マジですか、隆景叔父上?」
「大マジです。村々の閉鎖性から外部を信用せず、自分達の宗派を最高と信じ、他を排斥する。そんな者が多いんですよ」
「その癖、いろいろな宗派が軒を連ねてるもんだから、あちらこちらで諍いが起きる。もう阿鼻叫喚地獄に日の本で一番近いかもな」
「はい!?何でそんな事に!?」
松田家が行った法華宗改宗騒ぎは極端な例ではあるものの、中国地方各地で起きる可能性はあると隆景は話す。結局、人間は自分の信仰が一番だと信じる者が多いからだ。その為、他を認めず許容せず排斥する。瀬戸内海から様々な仏教文化が侵入した中国地方は、この可能性を多分に内包している。それがそのまま、毛利家の領地なのだ。
「まずは毛利家自体に支配権が存在しない事ですね。だから幕府に頭を下げ続けているんですよ。幕臣です、幕府の役に立ちます、何でも言って下さい、と」
「毛利家の支配はな、実力は有るが権利は幕府から得た薄弱な物しかない。だから領地を治める為には更に領民の支持も必要になる。だが、周りは宗派間でギスギスしっ放しって訳だ」
問題の一つは毛利家が安芸国の一国人に過ぎず、領地に対する『支配権』が存在しない事だ。だから毛利家はこの広大な領地を維持する為に、足利幕府に頭を下げ続ける事を選択した。毛利輝元の名前の『輝』は足利義輝からの偏諱である。幕府自体には大した実力も無い権利発行機関なので、頭を下げておけば無茶な要求も無いと判断したのだ。だが、この幕府からの権利は薄弱な物で、幕府が消滅したら吹き飛ぶ程度の物だ。だから毛利家では実力、権利の他に『民衆の支持』も必要になる。だが、毛利家の領地は仏教宗派の違いでギスギスし続けている。
「ど、どうするんです、ソレ?」
「簡単だ。宗派の上の方から民衆に言って貰う事だ。他の宗派を攻撃してはならない、毛利家を支持しろ、とな。つーか、それしかない」
「なので、各仏教宗派への折衝は毛利家にとっては支配の根幹に関わる大事なんですよ。疎かにすれば、毛利家が崩壊しかねません。その大事を担っているのが『安国寺恵瓊』殿です。彼は幕府や大名にも交渉しますが、一番大きいのは寺社への交渉です。こういう人を『外交僧』と呼びます」
「だから安国寺殿はあんなに存在感があるんですね。どうしてなのかと、ずっと不思議でした」
ここで登場するのが毛利家の外交僧『安国寺恵瓊』である。高名な僧侶である彼は各宗派と外交する事が出来る。寺社としても高名な僧侶の訪問は名誉な事であり、喜んで受け入れる。ここから外交を展開し、信徒である民衆に毛利家を支持する様に寺社から言って貰うのだ。これは安国寺恵瓊にしか出来ず、代わりが一切利かない。だからなのだが、毛利家臣団において彼は巨大な存在になっている。吉川元春も小早川隆景も彼には気を遣わねばならない程だ。武功が一切無い僧侶の彼が、毛利家において巨大な存在になった理由がここに有る。
「つまりな。毛利家の支配はまったく盤石じゃないんだ。幕府からの信用、寺社からの信用、どちらかを無くせば毛利家はバキバキに割れかねん。そこに寺社が大絶賛敵視しているキリスト教なんて入れてみろよ」
「毛利家が割れるか、内乱が止まらなくなるか、他大名に攻め込まれるか。こんな未来しか待ってません。だから父上のキリスト教排斥は結果的に正しいんです」
「フッ、流石はワシよ」
「「はいはい」」
毛利家の支配は幕府と寺社に依存している割合が高い。だから足利幕府が消滅する事は認められないし、寺社と険悪にもなれない。領地維持の為に、彼等には頭を下げ続ける状況になっている。
そこに新しく外国から来たキリスト教を受け入れたらどうなるか?既に寺社はキリスト教を敵視し始めている。おそらくは寺社がヘソを曲げてしまい、民衆への抑制を止めてしまうだろう。そうなれば毛利家の領地内で近隣バトルロワイヤルが開幕する。さあ、誰が生き残れるのだろうか、それとも他大名が攻め込んで来るのだろうか。想像するだけで、元春も隆景も背筋が寒くなる。
だから毛利元就の南蛮寺院破壊やキリスト教排斥は結果的に正しいのだと隆景は言う。それを聞いて元就は誇る様にドヤ顔をする。元春と隆景は呆れ顔だが。
「じゃあ、僕がキリスト教を受け入れるなんて言ったら……」
「ワシが張っ倒しちゃる」
「俺が張っ倒す」
「私が張っ倒します」
輝元の超絶危険な意見を聞いた毛利元就、吉川元春、小早川隆景の三人は首を45度回して輝元に張っ倒すと3コンボを決めてくる。
「……はい、すみませんでした」
毛利家の現状を認識した輝元は代案すら出せず、ただ謝罪した。コレ、詰んでね?と思いながら。
こうして安芸国吉田郡山城の夜は更けていった。何一つ、決まる事もなく。
本編にはさっぱり影響ありませんニャー。