東濃攻略
犬山城主となった恒興は家老の土居宗珊に、犬山城の徴兵と物資を整える様に伝令を飛ばす。
その後、小牧山城で森可成と佐久間出羽の二人と行軍について打ち合わせを行う。
今回主役となる森衆は山間部を抜けて多治見に入り、鳥峰城を目指す予定である。
国境の山間部には斎藤方の砦があるが、これは若尾家が事前に押さえる事になっている。
また佐久間衆も多治見から入り久々利城の増援となる。
久々利家の兵力は多くても1千程度、龍興の本隊が来た場合支えきれない。
なので佐久間衆3千が入り防衛力を強化する。
更に小牧山城で織田信長、那古野城で林佐渡、桑名城で滝川一益が兵を整え万が一に備える予定である。
鳥峰城の修繕まで持ち堪えれば勝ちなので総力戦にはならないと恒興は考えている。
軍議を終えた恒興はそのまま犬山城に向かった。
そして犬山に入った時に犬山城を見上げる。
犬山城は完全に木曽川沿いにある88m程の山の上にあり、その城郭は山の下の平地部まで拡がる平山城である。
最外郭には木曽川へ合流する川を利用して堀が形成されており、城自体は陸から切り取られた様相である。
ここに城を築いた理由は眼下に広がる美濃の平野の監視であろう。
(ニャーはまたこの城の主として戻れたか。離れてから1年くらいしか経ってないのに、何だか感慨深いニャー)
恒興は『小牧長久手の戦い』の折り、犬山城を攻略し此処から戦いに赴いた。
この犬山城は恒興にとって最初と最後に城主を務めた思い出深い城だった。
(うーん、ニャんだろ?何か前と違うような?)
恒興は最後に見た犬山城と何かが違うと感じていた。
城郭自体は変わっていないと思うが、山の頂上にあるべき物が見当たらないのだ。
(そうか!天守が無いんだニャ!)
恒興が城主の時に造った二層二階の天守が無いので少し印象が違った訳だ。
というか恒興が造ったのなら在るわけがない。
(天守櫓は既に畿内の城にあるんだし、ニャーが造ってもフライングじゃないよね。今度は三層四階くらいの造ろうかニャー)
今現在でも頂上に木組みの物見櫓くらいはある。
だが天守櫓の役割とは物見だけではない、支配の象徴であり敵に威容を見せる物でもある。
また無学な農民でも天守を見れば直ぐに殿様の居場所だと理解する。
そして敵には財力と戦力の両方を見せ付ける物となる。
戦国後期にはこれが発展して権威と権力の象徴になっていったのである。
とは言え天守は居住区画ではなく、戦時にしか使用しないので焦って造る必要はないとも恒興は思う。
因みに居住出来るのは安土城や大阪城の様な破格に大きい天守閣のみである。
恒興はそんな事を考えつつ、馬を走らせ自分の城へ入っていった。
「宗珊!今戻ったニャ!」
恒興が城内に入ると紙と筆を持った宗珊が色んな人間に指示出しを行っていた。
恐らく手に持っている紙には仕事や予定が書いてあるのだろう、時折見ながら指示を出していた。
そして恒興を認めると走り寄って祝いの言葉を述べる。
「おお、殿。この度は城主就任、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。だけどお祝いは後にするニャ。状況は?」
「政盛と敏宗が率先して徴兵に動いてくれています。現在までに2千」
犬山城には犬山の侍達が元々いる。
彼等は現在は信長の部下だが、前は織田信清の部下であった。
そのため加藤政盛と飯尾敏宗にとっては元同僚であるため、彼等を動かすには最適な人物となっていた。
この犬山の侍達はそのまま恒興の部下に加わる事になっている。
彼等抜きで犬山の統治は手間と時間が掛かるだけだからだ。
なので後々編成して各家臣の元に割り振ることになるが、政盛と敏宗には多目に配置することになるだろう。
ただ犬山の統治を監督していた城代及び代官達は元から信長の部下なので戻る事になる。
この空いた地位に恒興と池田家臣が入れ換わる。
「アイツ等にとっては勝手知ったる何とやらだからニャー。他は?」
「一盛は軍編成、休伯と長安には兵糧の備蓄と矢弾を揃えさせています。長近は多治見国清殿を小牧山城に届けた後合流すると」
滝川一盛は集められた兵を編成して場所や役割を決めていく。
この場合は交代で物見をする者や弓矢が使える者を分けて、他は雑用兼歩兵といったところ。
今回の急な城主任命と戦準備で人手が足りないため、大谷休伯も駆り出された。
と言っても土屋長安が津島の商人から買い付けた戦時物資を運んでいるだけではあるが。
城内物資の管理は長安が入念に行っているとのこと。
金森長近は多治見家の嫡男を護衛中、じきに戻るであろう。
「そうか。2日後には森衆が可児に入る、そこから10日が勝負となるニャー」
「美濃に放った細作からの報せですが、稲葉山城で徴兵の動きがあるそうです」
「ま、そうだろうニャ。しかし今から始めたんじゃ森衆の進軍には間に合わん。予定通りだニャー」
「後は美濃の豪族達も徴兵を開始、直接此方に来そうなのは岸、肥田、佐藤の中濃豪族と猿啄城代・日根野備中でしょうな」
日根野備中守弘就。
斎藤家先代義龍の信任を受けていた剛の者で、猿啄城を差し押さえ現在城代を務めている。
この猿啄城は可児の北にある城なので、ここに集結されるのは避けたいところではある。
だからこそ恒興は対岸にある城を利用するつもりだった。
「対岸にある鵜沼城も大騒ぎですな。こちらの様子が見えているのでしょう。・・・まあ、今回は都合が良いですが」
「ああ、今回犬山城は囮だからニャー。精々頑張って龍興に伝えて貰おう」
犬山城の対岸には斎藤方の城がある、木曽川を渡って直ぐの場所で目視出来る位置だ。
その城を鵜沼城といい、斎藤方の豪族・大沢次郎左衛門正次が治めている。
規模的には犬山城よりずっと小さいので、今頃犬山城の動きに焦って増援を要請しているであろう。
それを示す様に鵜沼城にも少数ではあるが兵が集まりつつあった。
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2日後、犬山城の準備が順調に進み、政盛と敏宗が恒興の所に報告に来た。
「殿、お待たせしました」
「徴兵の件は無事終了して御座います」
二人は犬山での徴兵は初めてではないので予定通りに終わらせる事が出来た。
「御苦労だったニャ、政盛、敏宗。どれくらい集まった?」
「およそ3千と言ったところです。池田庄から親衛隊が5百で3千5百です」
「いい感じに集まったニャ。これなら上手く戦えるか」
恒興の元の領地である『池田庄』はそのまま母親の養徳院の化粧料になることが決まっている。
3千石の化粧料は破格過ぎるのだが、信長が押し通した。
なので親衛隊は家族ごと犬山の未開地に移す予定でいる。
「しかし、懸念が1つ在ります。・・・兵の練度が異常な程低いのです。」
「どうやらこの半年間、城代が信清追放の混乱を鎮めるのを優先し、軍備を疎かにしていた様で大した訓練もしていないと」
織田信清追放から半年ほど信長から派遣された城代は内政官で統治を優先していた。
そのため集めた兵士は訓練不足で、士気もいまいちだった。
「・・・最前線の城で何の冗談だニャー。でも今更言っても遅いニャ、今回はこれで乗り切らないと!」
(誤算だニャー!これじゃ出撃出来んじゃないか。練度の低い兵なんて外に出したら逃げちまう、防戦で使うしかないニャー。こうなると当てになるのは池田庄の親衛隊5百のみか)
今回の任務は龍興の軍勢が可児又は鳥峰城に行かないよう、足止め出来ればいい。
無理に出撃しなくてもいいと思うし、もし必要なら親衛隊のみで後方撹乱しようと思っている。
彼等だけなら上手くやれるだろう、あとの問題は指揮官を誰にするかとなる。
飯尾敏宗が第一候補だが彼には犬山兵全体を鍛えてもらおうと考えている。
「しかし7万石の犬山で3千人だと、1千5百石の池田庄が5百人は破格ですね」
「池田家の兵は信長様の親衛隊の役目があったからニャー。戦費も兵糧も織田家に持ってもらっていたし。まあ、これからは自分で養わないといけないけどね」
池田家の兵士は信長の親衛隊の様な扱いを受けていたため、その編成に懸かる費用は全て織田家が賄っていた。
恒興の領地である池田庄は祖父の代に堤防を造って拓いた土地である。
そのため住民も一から募集せねばならず、ならば戦える者を優先的に入植させた結果だ。
つまり1千5百石は純粋に恒興の給料で池田兵に懸かる費用は含まれていなかったりする。
なので池田庄の親衛隊は準備が出来次第、犬山の未開地に移動させる予定だ。
恒興が徴兵状況の報告を受けていると、金森長近が小牧山城から帰ってきた。
どうやら無事に多治見国清と若尾家の息子を送り届けた様だ。
「待たせたね、心の友よ。金森五郎八長近、只今戻ったよ」
「長近、御苦労だったニャー。・・・出来ればその『心の友』も止めない?」
「仕方ないね、では『心の』は縮めて『フレンズ』と呼称しよう!」
「是非!!『友』一文字で!!お願いしますニャ!!」
けものとか付けられたら堪らないので、恒興は即座に拒否する。
とりあえず呼称については『殿』あたりを目指して交渉を続けていこうと考えている。
「ふう、君がそこまで言うのならそうしよう。ああ、そうそう。信長様から鉄砲2百丁預かってきたよ。犬山城防衛に使う様にって」
「それは助かるニャー。敏宗、鉄砲は親衛隊に持たせろ」
「畏まりました」
親衛隊には鉄砲を扱った事がある者も少数いるのでそれなりに使えるはずである。
ただこれからは恒興も鉄砲を買い付けて、鉄砲隊を編成するつもりだ。
この戦いの後には訓練計画を練らなければならないと、恒興は考えている。
「政盛、経過報告は来たか」
「今朝、森衆が若尾家の手引きで多治見に入ったとのこと。明日には鳥峰城に着くかと」
森可成率いる森衆は国境の山間部を抜け、多治見に入った。
山間部にある砦も元から若尾家の管理下だし、そこからの道案内も若尾家先導である。
当初は若尾家が寝返らない事も想定して、森衆は犬山から木曽川を遡上する予定だった。
だがこの計画だと瞬時に斎藤方に発見される、特に鵜沼城に。
なので若尾家が寝返った事で森衆の動きは完璧に秘匿され、犬山城は囮としての効果を最大限発揮していた。
なのでおそらくではあるが森衆は鳥峰城に入るまで発見されないと予想している。
「いよいよか、敵も動くはずだニャ。皆に警戒を呼び掛けておけ」
「「「はっ!」」」
この調子であれば稲葉山城の本隊は確実に犬山城に来ると恒興は踏んでいる。
そこから可児や鳥峰城に行こうとするなら、後方撹乱してやろうという事だ。
いよいよ戦が始まることに各人、気を引き締めている様子で長近も意気込みの程を述べる。
「ふっ、斎藤龍興よ。来るなら来てみるがいい。この金森五郎八長近がチューしてくれよう!!」
「漢字の『誅』を使って喋れニャァァァアアアーーー!!!」
「なあ、敏宗。殿はどうやって金森殿が漢字使って喋ってないって分かるんだろうか」
「さあな、殿は非凡な方だからな。我々には分からん何かがあるのではないか」
とりあえず恒興は長近にツッコミを入れておいた。
政盛と敏宗に説明は出来ないが、何故か恒興には解ってしまったのだ。
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あれから1週間が過ぎた。
森衆による鳥峰城占拠と改修は順調に進み、既に8割方終了し城として機能出来るとのこと。
さらに斎藤大納言家の再興も宣言され、日和見していた周辺豪族も続々と鳥峰城に参集しているらしい。
これで東濃で残る大豪族は信濃国境の岩村城や苗木城等を所有する『遠山家』のみとなった。
ただこの遠山家は遠山七頭と呼ばれる沢山の遠山家に分かれそれぞれの立場で外交している、この七頭の七は沢山という意味で使われており七つではないので気を付けよう。
そのため岩村遠山家が総領とされているが意志統一は出来ておらず、何処の大名に属しているかも定かではなかったりする。
既に恵那遠山家が鳥峰城に参集しているとの事で、遠山家説得は難しくないと思われる。
中濃の豪族達は猿啄城と鵜沼城に参集、兵力はどちらも3千弱。
可児には佐久間出羽率いる佐久間衆3千と久々利城1千が展開中なので問題ない。
あとは犬山支援に信長の本隊が小牧山城で6千、西濃豪族の牽制に滝川一益が桑名城で6千を招集。
他には那古野城の林佐渡が2千で多治見入りし、可児か鳥峰城かの支援に向かう予定だ。
そして斎藤龍興は稲葉山城に7千近い兵を集めており、織田家vs斎藤家の戦いは激戦が予想されていた。
そして犬山城の恒興は───────────
────────────犬山城頂上にある物見櫓の上で夕日を眺めていた。
西の方角(稲葉山方面)を見ながら体育座りで虚ろな瞳で。
要は黄昏ているのだ。
そして隣にもう一人、家老の土居宗珊も同じ様に黄昏ていた。
「ニャんで龍興が動かないんだ?こんなの絶対おかしいよ」
「確かに、これでは大名失格ですな」
何処の戦線も戦力は拮抗、境界線には木曽川があるので衝突には到っていない。
だからこそ斎藤龍興が率いる7千の軍勢が何処に向かうかが焦点となる。
5日前くらいから稲葉山城には兵が揃っているはずなのだが、龍興に動きはなかった。
「稲葉山城の様子はどうニャ?」
「細作からの連絡が来ておりますが、稲葉山城に参集した7千余りの兵は未だに動いていないと」
恒興は織田家の細作を美濃各地に放ち、斎藤家の動静を調べている。
あと動静がわかっていない大豪族は奥美濃の遠藤家だったのだが、内乱中で動けない事がわかった。
そして桑名城を警戒している西濃の豪族は動いていないので、稲葉山城にこれ以上の参集はないだろう。
となればとっくの昔に出撃していなければおかしいのだが。
「動かん理由が解らんニャー。奇襲でも狙っているのか」
「まず無理でしょう。稲葉山城の動静は監視しておりますし、木曽川を渡る時点で大体気付きます」
今回の織田軍は渡河点のみならず、木曽川全域を見張っている。
前回の反省もあるので、奇襲警戒はかなり厳しくしている。
たとえ少数だとしても今回は見逃さないだろう。
「この場合、敵方に動けない事情が出来たのかも知れませんな。兵は参集しているのですから、動く気はあったのでしょう」
恒興は宗珊の言う動けない事情について考えを巡らせてみるものの、思い浮かぶ事はなかった。
宗珊も同様に考え込むが何も無い様だ。
二人がああでもないこうでもないと話していると滝川一盛が慌てた様子で報告に来た。
「殿、一大事です!」
「何があったニャ!?龍興が動いたか!?それとも・・・」
それともの先は予想したくない事態を口に出しかけて、慌てて閉じる。
この場合の予想したくない事態は、森衆の撤退か可児の突破くらいである。
現段階では有り得ないはずの事を考えてしまうのは、少し心が弱いなと恒興は反省する。
それに一盛の様子からも織田家の危機という感じはない、ただ驚いたという風である。
「あ、いえ、我が方にとっては朗報かも知れませんが」
「一盛、手早く報告を」
「はっ、今から7日前に菩提山城主・竹中重治が浅井領に侵攻。佐和山城主・磯野員昌を撃破したとのこと」
それは西濃関ヶ原に勢力を持つ菩提山城主・竹中半兵衛重治が突然浅井領へ攻め込んだという報告だった。
事の経緯は関ヶ原国境の小豪族が竹中家を裏切り、北近江の大豪族の堀家に寝返った事に端を発する。
この小豪族の懲罰のため竹中重治が出撃すると堀家も軍勢を出してこれに対抗、結果堀家は押し返され竹中軍はそのまま浅井領へ追撃。
本来は増援だった佐和山城主・磯野員昌が撤退支援に駆けつけると、兵力が倍以上違うにも拘わらず壊滅させたらしい。
その後、堀軍が立て直しもう一度押し出して、竹中軍は撤退したとの事である。
「・・・なにそれ、ギャグ?」
「いえ、信じられないのも無理はありませんが真実の様です」
「スマン、一盛。あまりの事態に思考が付いて来なかったニャ」
「某も状況を整理致しますのでお待ちくだされ」
恒興も宗珊も目頭を押さえて頭痛にも似た痛みに堪える。
一体何が起これば竹中重治が単独で浅井家に攻め込むのか、皆目見当が点かないのだ。
戦をする前にもう少しやるべき事があるだろうと言いたかった。
だがこれで別の謎は解けたといえる。
「もしかしてコレか、龍興が動けなくなった理由は!」
「殿、7日前と言うと森衆が多治見に入った時。つまり作戦の開始日です。これはあまりにもタイミングが良すぎます」
以前から敵対していたり、険悪だったりすれば戦う理由は有るかも知れない。
だが今回は交渉や抗議をすっ飛ばしていきなり武力行使である。
まるで恒興の計画に合わせて動いたと言われた方がしっくり来るだろう。
「・・・アイツ、ニャーの計画を見透かしてたニャ。その上で龍興に伝えずにこの行動か」
この竹中重治の行動は斎藤龍興を動けなくしただけではない、恒興にとっても最大級の脅しになっている。
つまり自分の実力を内外に見せ付け、恒興には「お前の計画、知ってるぞ」と言外にアピールしてきたのである。
それでいて竹中重治は斎藤家から離反した訳でもなく、龍興も罰する事は出来ないだろう。
「可能性はあるかと。しかしそうなると彼は斎藤家のためには動いていない事になりますな」
恒興はこの電撃的な制圧をかなり秘密裏に行ってきたし、現実に稲葉山の斎藤龍興に悟られる事は無かった。
だが竹中重治は恒興の東濃攻略と時を合わせるかの様に近江への攻撃を開始した。
これにより稲葉山の龍興は全く動けなくなってしまった。
何しろ竹中重治の舅は西美濃三人衆の安藤守就であり、西美濃全体が竹中に同調していてもおかしくなかった。
この段階で龍興は稲葉山を留守に出来ず、恒興の東濃攻略を指をくわえて見ているしかなかったのである。
(これだからあの竹中重治は怖いんだよ。一体何を何処まで見ているやら。だがあの男が織田家に心を寄せているのは事実の様だニャー)
「今なら竹中重治を調略出来るのでは?」
一盛が調略を提案する、端から見れば織田家に寝返りたがっている様に見えるのだろう。
だが恒興は即座に否定した。
「無理だろうニャー。アイツは織田家のためとか自分の領地の保全とか考えて動いている訳じゃないと思う」
恒興は過去の記憶と印象から竹中重治の目的を推察していた。
「多分でしかないけど、竹中重治は織田家を大きくして敵を作り、戦いに次ぐ戦いの中で自分の能力を見せ付けたいだけだと思う。織田家を選んだのは都合が良かっただけの偶然でしかないニャ」
さらに言えば重治はこれだけの事をやっておいて、裏切りも寝返りもしていない。
浅井領侵攻など「堀家が悪い」で終わる話だからだ。
なので竹中家は未だ斎藤方であり、織田家の動静を見つめているだけの存在である。
織田家がこの後衰退する様な事があれば、あっさり見捨てて他を探すだろう。
彼は織田家に仕えたいのではなく、織田家が今のところ都合がいいだけなのだから。
「理解し難い御仁ですな。常識では測れないからこそ『今孔明』ですか」
「まあ、ニャーは西美濃担当じゃないし、焦って考える必要はないニャ」
(竹中半兵衛か。あんなの部下に持ったら、やらんでもいい戦争をいつの間にかやらされる破目になるニャ。とは言え放置して心変わりされても困るニャー。ああいう面倒なのはそのまま藤吉に任せよう。『墨俣築城』、提案してみるか)
墨俣築城。
木下藤吉郎秀吉による『墨俣一夜城』として名高い。
実際一夜で出来たのは張りぼてと塀のみで内装は後から造ったらしい、なので実質は20日程掛かっているそうだ。
この墨俣築城が秀吉の2、3足飛ばしの大出世の要因となる。
そして信長もほぼ最初から墨俣に目を付けている、毎回木曽川を背にして戦う不利を解消するためである。
だがこの墨俣築城を成功させるにはある条件をクリアしなければ不可能だということを織田家の全員が知っていた。
(その条件がクリア出来るのは藤吉のみ。ただどうやって信長様を説得するかだニャー)
この頃の秀吉は信長配下の台所奉行である。
部下は全員が信長の家臣なので、現在の秀吉に家臣は一人もいない。
それを墨俣築城責任者にするのはかなりの無理があるし、築城責任者など台所奉行の分限を遥かに超えている。
つまり立場もないし家臣もいないので推挙するのも難しいのだ。
恒興はこの件に関しては後で考えることにした。
今は新たに兼山城と名付けられた旧・鳥峰城の完成と作戦の完遂、そして自身の犬山城主を祝おうと思った。
恒「1千5百石で5百人徴兵って出来るわけねーギャ。べくのすけはバカなのか。ちゃんと資料を調べずに書くからこうなるんだニャー」
べ「フ、ファンタジーですからー」(汗)
恒「ファンタジー世界でも無理だニャ!農村から根こそぎ人を持っていく気か!」
べ「親衛隊だもん、池田家は特別だもん」
そして親衛隊理論で無理やり押し通すべくのすけであった。