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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
恒興立身編
19/239

経済封鎖

桶狭間前のノーマル恒興「戦で華々しい武功を挙げるニャー。きっと信長様も喜んでくれるニャ」

桶狭間後の転生恒興「戦は8割が調略だニャ。刀振り回して遊んどる暇など無いニャ」

このくらい変化しています。

 恒興が尾張に戻って数日後には土居宗珊が元部下を連れて到着した。

 既に家臣との面通しが済み、宗珊は精力的に活動を開始した。

 この宗珊の家老抜擢には反対意見も出るかもという予想を恒興はしていたが意外な程皆無だった。

 一応尾張出身の家臣である加藤政盛と飯尾敏宗に宗珊の事を聞いてみる。


「既に一条家で家老を務め、かなり実績もある方。むしろ頼もしいです」


「左様、仮に家老就任に反対して他の誰に家老が務まるのでしょうか」


 二人とも能力・実績から宗珊の家老就任は歓迎してくれているようで、恒興は安心した。

 ここで拒絶され家中が不和にでもなったら問題だからだ。

 この点は既に最古参の政盛や敏宗でさえも池田家に来て1年未満である事が幸いしたと言える。

 特に政盛は人手が足りなくて四苦八苦しているので余計にだろう。

 そんなわけで家老に就任した宗珊に現在の織田家の状況や恒興の調略計画を話していく。

 暫くは内務に専念して、この地に馴れてもらうつもりだ。


「成る程、そういう状況ですか」


 恒興は宗珊に今進めている調略計画を話す。

 ここから先は彼も関わることになるからだ。

 ただ計画自体は恒興が進めていくつもりで、宗珊には主に家中統制から始めてもらう予定である。


「これから伊勢の仕掛けを作動させるニャ。何か気付いた点はあるか?」


「伊勢については何も、効果の程が楽しみですな。ただ多治見の若尾家は気になります」


 現在、美濃調略の対象は三人。

 可児の久々利城主・久々利頼興。

 多治見の根本城主・若尾元昌。

 加茂の堂洞城主・岸信周。

 この内、岸信周については調略の効果を期待していない。


「若尾家が?何故ニャ?」


「彼等は何故あのタイミングで独立したのかですな」


「主家の衰退・滅亡が理由ではないのかニャ」


「それは切っ掛けであって理由ではない気がするのです。これでは状況次第で主を捨てる不忠者の謗りを免れません。豪族という生き物は体面を特に気にするものです。この場合若尾家には主家から独立しても守りたい何かが存在している、某にはそう思えるのです」


 豪族が体面を気にするのは当然である。

 何故ならこれも民衆統治に必要な要素だからだ。

 どうせ支配されるのであれば、強くて立派な者を民衆は求めるものである。

 弱々しくみすぼらしい者を支配者に選ぶ民衆は特殊な事情でも無い限りいないだろう。

 なので彼等豪族は出来るだけ謗られる行為は慎み、誇りが汚されれば戦わなければならない。

 なのに若尾家は多治見家が龍興によって潰されると、直ぐに独立して龍興に臣従した。

 この事から恒興は若尾元昌は保身を第一に考える人物と見てターゲットにした。

 しかし言われてみれば宗珊の言う通りである。

 保身を第一に考える人物なら独立の名目を整えないはずはない。

 更に恒興は尾張に帰った時に金森長近から報告を貰っているが、若尾家は全く反応していないらしい。

 恒興もずっとチグハグな感じに思っていたので、宗珊の考えは一理あると感じた。


「成る程ニャー。長近の中間報告でも久々利は興味を示しているけど若尾と岸はほぼ無視しているらしいしな。よし、長近に若尾家を洗わせるニャ」


「は、それで某は暫く領地経営と家臣の皆と交流ですな」


「ああ、色々面倒を見てやってほしいニャ。そうすることで宗珊の立場も確固たるものになるニャ」


「お任せくだされ」


 ----------------------------------------------------------------


 桑名城の一室で恒興は今回の伊勢攻略に関して説明を行う。

 桑名城には今回の作戦で各所指揮を執る人間が集められた。


「それ、マジでやるのかよ!?流石にえげつねえ!」


「やかましいですニャー」


 その内の一人、桑名城主・滝川一益は作戦の内容を聞いて驚く。

 作戦内容を聞いてやってもいいのか悩む一益を、恒興はとりあえず黙らす。

 既に作戦の変更など出来ないからだ。


「此方は一向に構わん!作戦内容が海だけで安心したわい!しかしえげつないな!」


「海の方は任せた。あとやかましいニャー」


 今一人、九鬼水軍頭領・九鬼嘉隆は全面的に賛成する。

 陸戦でなければ協力するとのこと。


「伊勢大湊の商人達も津島会合衆に合流。今回の作戦に協力するとのことですぞ。えげつない効果ですな」


「それは幸先がいいです。て言うかやかましいですニャー、図書助殿は最初から知ってたでしょうが」


 最後の一人は津島会合衆の加藤図書助。

 彼は既に恒興から作戦内容を聞いており、話を秘密裏に伊勢の商人に流した。

 結果、伊勢の商人の大半がこの作戦に乗るため津島会合衆への加入を決めた。

 この手の情報を流しても伊勢の豪族達に気付かれていないところを見るに、伊勢の商人達も今の伊勢の現状に辟易しているのだろう。


「でもよく商人達がこの作戦を承諾したよな。普通に考えても損だし」


 作戦が発動すると商人の活動の妨げとなるため、これ程の商人が参加することに一益は違和感を覚える。

 それに対して図書助が簡潔に答える。


「素早く申し上げると伊勢国自体が商業的に美味しくないからですな」


「は?そんなバカな」


「石高から見ても尾張、美濃に匹敵する穀倉地帯の国が美味しくないとは」


 この図書助の答えには一益のみならず嘉隆も驚く。

 この時代『濃尾勢』と言えば日の本一の穀倉地帯と言っても過言ではない。

 この三国で石高は優に百万石を超える。

 治水もまだ出来ていないこの現状でもだ。

 治水も完璧になれば石高は百五十万石を超えるだろう。

 故にこの三国は人口も多い。

 例えば美濃一国で最大3万人近い兵士が出てくる程である。(長良川の戦いは道三軍3千vs義龍軍2万7千であるため)

 つまりそれだけ人口が多ければ客も多くなるはずだ。

 そこでの商売が美味しくないという意味が二人とも理解出来なかった。


「・・・滝川殿は伊勢国を転々としていたのでしょう。内陸部の貧困はどうでしたかニャ?」


「ん?そう言えば異様に貧しい地域もあったな。米が取れないのかと思っていたけど」


 一益は幼少の頃から父親が仕官を目指して転々としていたため、伊勢の色んな場所を知っている。

 伊勢は伊勢神宮のお膝元故、商業は遥か昔から盛んである。

 だが少し山の方へ行くと異様に貧しい村も沢山あったのを思い出す。

 一益は子供心に米が取れないか税が厳しいのだと思っていた。


「違いますな。そこまで商人が中々行けないから、物流が滞り物資が不足するという訳です。だから貧しいのですよ」


「行けない?何でだ?」


「問題は一つ、『関銭』ですニャー」


「そう、豪族達はそれぞれで関所を設け関銭を徴収しています。伊勢国は中小の豪族がひしめいていて纏まりがありませんから、内陸部の市に品が届く頃には何れ程の関銭を取られているやら」


『関銭』、それは中世の悪習というべきものかも知れない。

 室町幕府8代将軍・足利義政の正室・日野富子が京の都周辺に関所を沢山作ってボロ儲けしたのが一番悪名高いだろうか。

 特に伊勢の様な纏まりの無い国などは酷いもので豪族達が好き勝手に関所を設け関銭を徴収していた。

 これが豪族達の収入源になっているのである。


「関銭の分は商品に上乗せですから、伊勢国では必然的に物価が高くなる。だから商業的に美味しくないのです、高いと売れませんからな」


 商人達も儲からなければ生きていくことは出来ない。

 必然的に関所が少ない海側の町は発展し、関所が多くなる山間部は貧しくなる。

 この関銭は商業の、そして伊勢国そのものの発展を妨げていた。


「それを踏まえて、伊勢国が織田家の支配下になったらどうなりますかニャー?」


「そりゃ、織田家は関所自体を認めてないから・・・」


「そう!津島会合衆の商人は伊勢国全域で思う存分商売に励めるようになるのです!皆、それが目的なのですぞ!」


「信長様は関所も関銭も認めませんニャー。これは織田家の領地全域であり、豪族も関係ありませんから。というか商業利益の一部を場所代として受け取る方がずっと儲かりますニャ。だから尾張では誰も反対しなくなったのです」


 信長は当主になると全ての関所を撤廃した。

 先代の信秀も撤廃しようと動いたが自身の領地のみで終わる。

 織田家の勢力がまだ小さく、豪族の領地までは手が出せなかったのだ。

 信長は当主になると直ぐに織田大和守家を討てる大義名分を得るという幸運にも恵まれ、あっという間に尾張を席巻し関所を破壊して回った。

 更に豪族達には自分に従う条件として関所の撤廃を入れる程の念の入れ様だった。


「だからワシは商人の説得などしてない訳です。全員、自分の判断でこの話に乗ってきただけですな」


 つまり伊勢国を織田家が差配する様になれば関所も関銭も無くなる。

 そして織田家は商業に関しては津島会合衆を優先させる。

 となれば津島会合衆に参加して良い市場(座)の長になればもっと儲かるし、これまで開発出来なかった僻地の市場も発展させられる。

 商人の醍醐味といえる事を、伊勢が織田家の支配下になれば叶うのである。

 そして有利な場所を確保するためにも(こぞ)って津島会合衆に参加してきたわけだ。

 因みに信長は誰が何処の市場の長をするかは基本的に会合衆に任せており介入していない。

 なので恒興にとってはかなりの幸運である、伊勢大湊の商人が敵対した場合は九鬼家の水軍で叩かねばならない可能性もあったからだ。

 これにより津島会合衆に属していない商人は小粒な者達のみとなった。


「九鬼殿、会合衆に属していない商人は九鬼水軍で足止め。強行突破するヤツには容赦するニャよ」


「応!任せてもらおう!」


「さあ、作戦第二段階開始するニャー!」


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 後日、滝川一益は作戦開始を受け、伊勢4大豪族の鈴鹿神戸城主・神戸具盛を訪問していた。

 この後同じく4大豪族の伊勢亀山城主・関盛信を訪ね同じ事を告げるつもりである。

 一益を迎えた具盛は不機嫌を隠そうともしなかった。

 当然である、この口上は前も聞いたし、はっきりと断ったのだから。


「滝川殿、何度来られても答えなど変わらんぞ。我が神戸家は織田家の傘下になど入らん」


「わかってるさ。だがこれだけは言っておこうと思ってね。俺からの勧告はこれが最後だ」


 一益の様子は終始余裕な感じで具盛を苛立たせる。

 具盛は織田家の侵攻など全く恐れていなかった。

 まず隣の伊勢亀山城主・関盛信とは同盟を組んでいる。

 そして2人とも南近江日野城主・蒲生定秀から嫁をもらっており、いざとなれば六角家の援軍も期待できるのである。

 一応これらは拡大する北畠家対策として整えたものであったが。


「だから答えは変わらんと何度言えば・・・」


「だから最後だって言ったろ。次は神戸殿、あんたが桑名に来てくれ。俺は門を開けて待ってるぜ」


 あまりの発言に具盛は座席の横に立て掛けてあった刀を手に取る。

 刀を抜き白刃を見せて一益を威しつけた。


「世迷い言を、私にたたっ斬られる前に帰れ!!」


 一益は特に驚いた様子も無く、やれやれといった感じで立ち上がり帰ろうとする。


「ああ、これで失礼するよ。・・・ただなぁ、織田家のブレーンは緩くないぜ」


「ふんっ!ほざいてろ」


 去る間際に一益は捨て台詞を置いていく。

 だが具盛にはただの負け犬の遠吠えにしか聞こえていなかった。


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 一益が帰った後直ぐに鈴鹿神戸城に異変がおこり、具盛の家臣が血相を変えて報告にきた。


「殿!一大事です!」


「織田軍が来たのか?」


「いえ、湊を覆う様に志摩水軍が展開しております」


 それは恒興の命令で作戦を開始した九鬼家の水軍だった。

 ただ上陸などは全くせず、遠巻きに湊を包囲しているのみだった。


「志摩水軍だと?そう言えば九鬼家が織田家の傘下に入ったと聞いたな。湊を封鎖して何の真似だ」


「恐らく商人の行動を阻害しているものと思われますが」


「荷止めという訳か。くだらん」


『荷止め』と言うのは商人が敵対している大名や豪族に対して行う経済制裁措置だ。

 内容は生活物資や必需品などの流通を止め、相手に経済的なダメージを与える事である。

 また支持大名から依頼されて行う場合もある。

 だがこの荷止めはそんなに効果はない、そもそも商人自体が一枚岩ではないからだ。

 ある商人が荷止めを行ったのなら、別の商人が荷止めされている品物を卸し儲けてしまう。

 関係無い商人からすれば、ただの儲け話でしかない。

 故に取引出来ないのなら別の商人に依頼すれば済む。

 荷止めをされたところでこの程度の認識しかないのである。


「しかし物価の高騰が懸念されますが」


「ならば近隣の豪族達から廻してもらえるよう要請を出しておけ。どうせ水軍なんぞ長くはおれんわ」


 彼も豪族として気に入らない商人は武力で排除してきたし、その度に別の商人がすり寄ってきて穴埋めをするので問題にならない。

 そして水軍が長く滞在出来ないのも当然で、食料がもたないのだ。

 そもそも日の本の船は積載量が低いので、戦船の様に人数が多いと直ぐに食料が無くなる。

 だから各地の水運は湊が近距離に存在しないと食料が保たず、食料を載せすぎれば儲からないので主な水運が3つに絞られるのである。

 更に水軍衆は農業をしていないので食料を購入しないと戦争は出来ない、よって食料事情も良くない。

 なので水軍衆とは突然現れて一撃離脱する戦法をよくやる。

 襲って奪って直ぐ帰るが一般的な水軍衆の戦い方だ。

 今回の様な包囲が長く続けられるわけがない。

 だから彼は大して効かないと判断した。

 本人にそのつもりはないのかも知れないが、心の何処かで商人や水軍衆の事をとるに足らないと舐めていた。

 この時点で具盛は判断を誤っていたといえるだろう。



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「あれから半月か。水軍衆め、粘りおる」


「殿!一大事です!」


「織田軍が動いたか!?」


「ち、違います!各農村で強訴一揆の動きが出ています」


 正確には強訴と一揆で別物である。

 一揆とは領主が非道だったり、税の取立てが厳しかったりと民衆の生活が脅かされると起きる民衆蜂起である。

 他、前の領主が民衆に好かれていると侵略軍に対して蜂起する場合も含まれる。

 関東小田家あたりがこの典型だ。

 宿敵佐竹家が戦で勝ち小田領を占領しても、その度に民衆蜂起が起きて撤退に追い込まれる。

 その後、小田家復活となるのである。


「な、何故だ!?」


「生活物資が手に入らなくなり、物価が高騰し続けているんです」


「だから近隣の豪族に・・・」


「何処も同じです!伊勢国全体が経済封鎖を受けているんです!どの豪族の領地でも強訴一揆の動きが出ています」


「い、伊勢国全体・・・だと?この規模で荷止めしているのか、織田家は?」


 もし、この辺りの商人達を連合させる組織があったとしたら。

 もし、組織に属さない商人を一切通さない水軍衆がいたとしたら。

 連合した商人達により重度の荷止めを行われ、隙間を狙う商人も水軍衆により排除される。

 そして水軍衆には長期に渡る作戦行動のため、大名家から食料が潤沢に補給されている。

 こんな状況が作られたら結果として起こるもの、それは一揆である。

 領民が領主の支配を受け入れるのは生活のためである。

 領主が領民の暮らしを守り、領民が領主に税を支払う。

 一般的な仕組みである。

 では領主が領民の暮らしを守れないならどうなるか、答えは一揆だがもう1つプロセスを挟む。

 それが『強訴』と言う話し合いの段階だ。

 ここで失敗すると本物の一揆に発展する。


「殿!このままでは!」


「くっ、仕方ない。一揆が起きたら鎮圧しろ。織田軍に隙を見せる訳にはいかん」


「・・・あの、どうやって鎮圧するんでしょう」


「兵で鎮圧する以外、何がある」


「・・・その兵は何処から集めるんでしょうか」


「そんなもの農村からに決まって・・・あ、あああ」


「その兵自体が強訴一揆の主力になっているんです!我が方の兵は城に詰めている2百人程度しかいません!」


 基本的に大名や豪族は農村から徴集する民兵を使う。

 このため農繁期には徴集出来ず、戦争をすることが出来ない。

 そこを言うと織田家は傭兵が多いので農繁期にも戦争が出来る、織田家の優位性の一つだ。

 だがこの話で最もヤバイのは、この民兵が訓練済みで武装している点だ。

 神戸家の兵士は基本農村からの民兵であり、恐らく9割は一揆に加わるだろう。

 これだけで既に勝ち目はない。


「・・・・・・なんだ、これは・・・なんなんだ、これはーっ!!」


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「奴等が使っているのは民兵、それだけでこの結果は見えていたニャ。」


 大名が豪族を従えるには朝廷の官位や幕府の役職、家柄に縁戚や実力などが支配権として必要になる。

 だが豪族が民衆を支配する場合は日々の暮らしの保障が第一にくる。

 官位や役職もあるに越したことはないが。

 そもそも古代から中央集権国家であった日の本が今、分権乱立している原因がここにある。

 つまり「中央は日々の暮らしを守ってくれない」からだ。

 だから平安期に納税拒否が横行し、力ずくで徴税する武士が生まれた。

 武士は地方に土着し豪族となり、民衆の日々の暮らしを守る存在になる。

 その代償として民衆は納税しているのである。


「そもそも民衆は納税の意義など知らんからニャ。あくまで豪族が日々の暮らしを守るから払っているだけだ」


 なので民衆にとっては上が豪族だろうと織田家だろうと日々の暮らしが守られるならどっちでもいいが大半である。

 ただ武力制圧した程度では言うことを聞かない非常に面倒くさい民衆もいるので見極めは必要になる、・・・三河とか。

 そこを言うと伊勢の民衆は豪族達にさして思い入れは無いのだろう。

 そもそも伊勢は伊勢平氏の本拠地で中小豪族でも平氏が多く、源氏の幕府方とはそんなに相性が良くないのかも知れない。

 因みに北畠家も村上源氏である。

 この戦国時代で源平藤橘がそこまで重要という訳でもないが同族意識の醸成には必要なのだろう。

 そして伊勢の豪族の約半分が室町幕府の対北畠家対策で移ってきた大名や家臣が土着したものである。

 つまり鎌倉後期からずっと続く南北朝の武家の争いに皆が辟易している国、それが伊勢国なのだ。

 なので同族意識など大して無いため日々の暮らしが脅かされるなら、あっさりと牙を剥くだろう。


「それでも一揆の前に強訴があるだけマシだニャー。ヤバイって事が直ぐ認識出来るからな」


 ここで民衆を説得出来なければ一揆へと繋がる。

 だが民衆の方も豪族に対して無闇に反抗したいわけではないので、豪族が相当強硬な態度を取らなければ一揆になったりはしない。

 なので伊勢の豪族達は民衆の我慢が限界に達する前に、この物資不足と物価高騰を解決しなければならないのである。


「そういう訳だニャー。わかったか、政盛、一盛?」


 恒興は今回の伊勢攻略作戦について加藤政盛と滝川一盛に説明する。

 二人にはそれぞれの父親と義父の連絡係りをして貰わなければならない。

 この作戦は物流を海に頼る北伊勢には多大な効果があるものの、大和路にも商路を持つ南伊勢には効果が薄い。

 だが打撃にはなるので作戦は継続する予定だ。

 特に北畠家や長野家には主力出荷品である木材の流通を停止させて稼がせない予定である。

 木材はかなり重いので海路でなければ運べないのだ。

 その説明を聞いた二人は見事にハモった感想を述べた。


「「はい。流石は殿です、えげつない!」」


「政盛、一盛、お前らもか!?マジでやかましいニャー!」


 恒興は意外なところでブルータス(うらぎりもの)共を発見してしまった。


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 恒興の作戦開始より1ヶ月後。

 民衆を家臣達に説得させ抑えているうちに、神戸具盛は桑名城に急行した。

 滝川一益は先の宣言通り直ぐに迎え入れ面会した。

 一益は土下座する具盛を見て、やはりこうなったかと思ってしまった。


「頼む、滝川殿!信長様に取り成してくれ!神戸家は織田家に逆らう気は無いんだ!」


 一方の具盛は余裕など微塵もなかった、ここで交渉が不備に終われば彼は確実に終わりである。

 自分が信長に殺されようと神戸家だけは遺さねば、それくらいの覚悟で桑名城まで来ていた。


「よく来てくれたな、神戸殿。待ってたぜ。じゃあ清州城に行こうか?」


(・・・清州で私は死ぬのか?だが領地に帰っても一揆に殺されるだろう。織田信長なら切腹くらいはさせてもらえるかな・・・あの時意地を張るんじゃなかった)


 笑顔で宣告する一益に対し、具盛は刑場に引き立てられる罪人の様な顔をしていた。


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 一益によって清州城に連れて来られた具盛は謁見の間にて織田信長と対面する。

 と言っても具盛は最初から平伏しっぱなしではあるが。


「神戸具盛、よく来たな。オレが織田上総介信長だ」


「ははーっ!」


(斬首はイヤだ、斬首はイヤだ、斬首はイヤだー。何とか切腹を・・・)


 もう生きては帰れないと思う程に追い詰められた具盛は切腹しか望んでいなかった。

 何故なら切腹は武士の作法であり、名誉の死というべきものだからだ。

 それに対して斬首は罪人の処刑法である。

 同じ死ぬにしてもカッコ良く死にたいと願うのが武士という生き物なのだろう。

 そんな具盛の様子を知ってか知らずか、信長は書状をしたため差し出す。


「そら、コイツが領地の安堵状だ!持って帰りな」


「よかったな、神戸殿」


 信長から一益へ、一益から具盛に渡された安堵状には欠片も削られていない領地が保証されていた。

 領地が削られる事も、自分の死すらも覚悟してやって来たのに具盛は呆気に取られてしまった。

 つまり神戸家は陣営が無所属から織田家に変わっただけなのだ。

 豪族としての独立性は保たれているといえる。

 関所の撤去など条件はあるがそこまで無茶な要求は無いので問題もない。


(え?ん?あれ?何のペナルティも無く領地を安堵されてしまった。・・・私は一体何をあんなに悩んでいたんだ)


 そして会見は終わり、神戸具盛は自分の城に戻っていった。

 同時に神戸領における経済封鎖は解除となった。


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 神戸家の一件は情報として伊勢全域に飛び交った。

 神戸具盛が少しも領地を削られる事もなく、あっさり信長から領地安堵されたというものだ。

 これを境に周辺の中小豪族達も領地の安堵状を求めて桑名城に押し寄せた。

 このため滝川一益は大忙しなのだが、大半の中小豪族は滝川家で取り込む事にした。

 無論、領地は安堵して滝川家の附与力にしたのである。

 結果的に神戸家の鈴鹿と関家の亀山以外の北伊勢は大体勢力下に置いた。

 なので滝川家が使える限界兵数は7千近くになっていた。

 そして半月後、そんな感じで勢力編成に忙しい一益の元にある人物が訪ねてきた。


「頼む、滝川殿!信長様に取り成してくれ!関家は織田家に逆らう気は無いんだ!」


「よく来てくれたな、関殿。それじゃ小牧山城に行こうか?」


(なーんか慣れちまったな、この展開)


 神戸家の織田家加入から半月後には関家が加入を申し入れた。

 関盛信は嫁の実家である南近江日野城・蒲生家から甲賀路を使って支援して貰っていた。

 だが海側から来る物流分は補えず、四苦八苦しているところに相婿であり同盟者の神戸具盛が説得にきたのである。

 時流に逆らっても何もいい事がないと判断した関盛信はこの説得を受け桑名城へ向かったということだ。

 こうして約一月半程で北伊勢制圧は終了し、この間に信長の軍事拠点である『小牧山城』は完成した。


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 完成したばかりの小牧山城にある賓客が信長を訪ねてきていた。

 その人物は暗殺された将軍・足利義輝の弟・足利義秋の使者であった。


「細川殿、待たせて済まねぇな。オレが織田上総介信長だ」


「足利将軍家家臣・細川兵部大輔藤孝と申します、どうかお気遣いなく」


「織田家家老・林佐渡守秀貞で御座います。本日はようこそ御越しくださいました。主君に代わり厚く御礼申し上げます」


 林佐渡と藤孝は深々と礼をし合う。

 信長だけ礼をし損ねる感じになってしまったが、さりげなく林佐渡がフォローしたので良しとした。

 使者の名前は細川兵部大輔藤孝。

 元は足利義輝の家臣で三好家による暗殺事件が起きると、監禁された義秋を救い出し南近江に逃れた。

 義輝からの信頼も篤く、彼の『藤』の字は義輝からの偏諱である。(足利義輝は以前義藤と名乗っていたため)


「それで御用の向きは如何なるものでしょうか?」


 林佐渡が完全に外向きの笑顔と口調で問い掛ける。


「公方様より織田上総介殿の内心をお尋ねするように仰せつかって参りました」


「内心でありますか」


 これは林佐渡では答えられない事なので信長に目配せして促す。


「此方には公方様を迎える準備はあるぜ。上洛に関しては美濃制圧まで待って欲しいがな」


「ほう、既に上洛まで考えておいでとは。これは頼もしい」


 信長は既に答えを出していた。

 実のところ信長は美濃攻略が終われば上洛し、義輝の力になろうとしていた。

 だからその弟である義秋を担ぐことに大した違和感は感じていない。

 なのでハッキリと答えたのだが、藤孝はとても感じ入っている様子だった。


(ちょ、殿!?安請け合いはマズイって!冗談が通じる相手じゃないんだよ!)


(いいんだよ、これで。オレの意志は決まってんだ)


 林佐渡は信長に耳打ちをして警告する。

 だが信長に撤回の意志は無く、林佐渡も諦める。


「細川殿、オレは元々上洛するつもりだった。オレが義輝公の力になるつもりで勢力を拡大してきたんだ」


「・・・・・・」


「義輝公の事は間に合わずに残念だ。だがその分、義秋様の力になろうと思っている」


「・・・成る程、貴殿ならもう少し実務的な話をしても良さそうですな」


 信長の決意を聞いた藤孝は深く頷いて話を切り出した。

 実際のところ信長ほど明確に協力を口にしている大名は皆無で各地の大名からの反応は鈍かった。

 なので藤孝は信長にはお世辞など言わず、味方の一人として話をすることに決めた。


「実務と言うと?」


「まず敵対勢力です。三好家は当然ですが、これに六角家が加わりました」


「え!?六角家は義輝公を支援して三好家と戦っていたではないですか」


 林佐渡は思わず吃驚して声を上げてしまう。

 そもそも六角家と三好家は敵対関係であったはずだからだ。

 だからこそ義秋は三好家の監禁から逃れるとまず六角家を頼った。

 その昔、京の都を追い出された兄・義輝は朽木谷に避難していた際、南近江の六角家が味方をして三好家から守っていた。

 当初、六角承禎は匿うことを約束したのに突如変心したのか義秋を捕らえようとしたらしい。


「何があったかは解りませんが公方様を捕らえようとしたのです。なので公方様は現在越前国に逃れておられます」


「越前・・・朝倉家か」


 越前国朝倉家、信長の織田家とも多少因縁がある家である。

 まず斯波家を主家として、どちらも下剋上した家である事。

 そして土岐家を担ぎ織田朝倉連合で一緒に美濃を攻めた時、斎藤道三に攻撃される織田信秀を見捨ててさっさと越前へ帰った事。

 この事からお互いがお互いの家を『主家を見捨てた不忠の家』と罵り、仲好くブーメランを投げ合っている始末である。


「朝倉家は公方様の上洛に兵を出すのでしょうか?」


「微妙かと、私が見るに朝倉家は家中の意見が纏まらない様に見受けられます。」


 朝倉家の内部は大きく2つの派閥がある。

 主君である朝倉義景の派閥、もう一つは朝倉景隆を中心とした軍人派閥である。

 優れた治政能力で一乗谷を『小京都』と呼ばれるまでの発展をさせた先代当主・孝景を敬う義景は内政志向。

 優れた軍事的才能を持ち加賀の一向一揆30万の大軍を1万の軍勢で追い返すなど、あらゆる戦で勝利した朝倉宗滴の薫陶を受けた朝倉景隆らは軍事志向。

 この両者は孝景と宗滴が死去してからは意見が分かれるようになり上手くいっていなかった。


「そうか、まあ此方も美濃を攻略しないと上洛はムリだしな。義秋様にはもう少し待ってて貰おう。よろしく伝えてくれ」


「承りました、公方様もお喜びになるでしょう。私は他の大名家を回らねばなりませんので、今後は『明智光秀』という者を連絡役に派遣します」


「明智光秀だな、了解した」


 明智十兵衛光秀。

 美濃土岐氏支流明智一族の生き残りであり、恒興にとってとてつもなく因縁深い人物でもある。

 その彼が歴史の表舞台に上がろうとしていた。

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