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戦国異聞 池田さん  作者: べくのすけ
恒興立身編
15/239

金の価値については賛否両論あると思いますが、この物語では信長と宣教師フロイスの邂逅によって真の価値が知れたという逸話に準拠しています。

信長のお陰で京都に入れる様になったフロイスさんは京都各所を観光します。

フ「京都の文化は素晴らしい。特に金細工が美しいですね。金閣寺とか」

信「金ごときで何言ってんの?」

フ「え?」

信「ん?」

この後金の本当の価値が分かり大暴騰するという逸話です。産出量を考えればそれなりの値段はしていたと思いますが。

 滝川一盛は現在津島に来ている恒興の元に報告に来ていた。

 彼は恒興の命令で伊勢国から九鬼家当主の弟と息子を津島に連れてきたのだ。


「殿、お待たせしました」


「一盛か、ちゃんと居たのニャ?」


「はい、山寺に隠れておりました。説得して連れてきましたのでお会いください」


「うしっ、よくやった。今すぐ会うニャ」


 九鬼家当主の弟・九鬼嘉隆は兄の息子・弥五郎を連れて朝熊山にある臨済宗の寺に逃げ込んだ。

 流石に寺に攻め込むような真似は水軍衆でもしないが、外はまだ危険な状態だった。

 最初一盛と従者達が寺に行くと、嘉隆は追手と勘違いし弥五郎を連れて逃げようとしたらしい。

 直ぐに顔見知りの一盛がいるとわかったので説得に応じたというわけだ。

 恒興が一益に紹介が欲しいと言ったのはこういう意味がある。

 見ず知らずの武士が行けば嘉隆は100%逃げている。

 一盛に案内されて来た宿の一室にボサボサのヒゲを生やした男が居心地悪そうに座っていた。

 恒興も一盛と共にその男の向かい側に座る。


「スミマセン、私が九鬼嘉隆です。スミマセン、生きててスミマセン」


 みすぼらしい格好をした大男が体を縮こませ、恒興の前で名乗る。

 何回スミマセンを言うつもりだと恒興は思う、前の記憶ではもっと自信に満ち溢れた感じだったので拍子抜けしてしまった。


「まあ、いいニャ。ニャーは津島奉行の池田勝三郎恒興。お前を呼んだのは他でも・・・」


「スミマセン、無理なんです。もう生きてくだけで精一杯です、スミマセン」


 九鬼嘉隆は大きな体を最大限折り曲げて何度も土下座して許しを乞う。

 彼の心は既に折れているようで取り付く島がない感じだ。

 彼自身、九鬼家の復興はもう無理だと諦めてしまっている様だ。


「・・・話を聞けよ。単刀直入に言うとお前に志摩水軍を収めさせて、織田家の傘下にしたい。そう言う話だニャー」


「無理無理無理無理ですよ、スミマセン勘弁してください。九鬼家はもう無いも同然なんです、スミマセン」


 志摩水軍の代表格・九鬼家。

 元々は熊野水軍の一つだったが紀伊国九鬼浦に移って九鬼氏を称したとされる。

 およそ2百年ほど前に志摩に移り住み、勢力を拡大し志摩で一番大きな水軍衆になった。

 だが元々他所者な上に勢力拡大方法に強引なところが多く、他の水軍衆からかなり警戒されていた。

 そこに志摩水軍を傘下に収めたい北畠具教からの調略を受けて、反九鬼家で連合してしまった。

 九鬼家は本拠地の波切砦は反九鬼連合によって陥落し、当主・九鬼浄隆は討ち死に。

 九鬼家の部下も別の水軍に取り込まれたため、九鬼家には船の1艘も残ってなかった。


「知っとる、だから何ニャ」


「スミマセ・・・え?」


 だが恒興にとってそんな情報は、津島にいれば当たり前のように手に入る。

 また滝川一益からも警告されていることでもある。

 恒興はその上で勝算があるから九鬼嘉隆を連れてこさせたのである。


「そもそもお前ら水軍衆に忠誠心なんぞ欠片も無いだろう。武士の『一所懸命』が理解出来る訳がない。お前らの『一所』は誰も手にすることが出来ない広大な海そのものだニャー」


「・・・」


 この『一所懸命』こそが陸で生きる者と海に生きる者を分ける最大の違いだろう。

 九鬼家の移動を見てもわかるように、彼等海の者は土地に固執しない。

 今の土地が生き難いならあっさり捨てて新天地を探しに行くのだ。

 自分の土地に縛られ、自分の土地の為に命を懸けて戦い、自分の土地の為に財を奪ってくる武士とは根本的に考え方が違う。


「だから今の環境がイヤなら舟に乗って何処へでも行ってしまう。そんなお前らが水軍衆を形成するのは何故ニャ、北畠家の傘下になるのは何故ニャ?そこに『利益』が有るからだろうが!」


「・・・」


「そう、お前らを結び付けるものは利益のはずだ。ならばニャーが津島奉行として津島会合衆の仕事を九鬼家に優先で廻してやる。これが何れ程の利益になるか、判らん男ではあるまい」


 まず商船護衛の仕事がある。

 海には大なり小なり海賊がいる、志摩水軍も海賊と呼べる存在ではあるが。

 なので商人は独自に護衛船を雇ったり、海賊に通行料を払ったりして凌いでるのが現状だ。

 この護衛を九鬼家で一本化出来れば商人の負担も減るし、九鬼家に属する水軍は儲け続けることが出来るだろう。

 次に廻船の仕事。

 何も荒事だけが仕事ではない、荷物を船で運ぶことも仕事としてある。

 商人はなるべく沢山の品を運んだほうが儲けになるが、船のキャパシティの問題がある。

 そういう時に船を借りて運搬を手伝ってもらう仕事を廻船業という。

 いわゆるレンタル船(人員付き)である。


「材木切り出して出荷しているだけの北畠より余程儲かるぞ。これがニャーが示す利益だ、お前はこれで志摩水軍衆から支持者を集めてこい。そして、逆らう者は潰せ」


「・・・」


 志摩水軍に属する者達が九鬼家を攻撃したのは九鬼家が気に入らないということもあるが、最大の理由は生活のためであろう。

 傘下に入る見返りを北畠家から約束されているはずである。

 それならば九鬼家がそれ以上の利益を示し生活を豊かにしてくれるのであれば、志摩水軍の大半が参加してくるはずだ。

 故に現状の九鬼家に船の1艘も無いというのは別に問題にはならないのである。

 と言う事を恒興は伝えたのだが、当の目の前の嘉隆は静止したまま無反応だった。


(・・・反応無しって・・・あれ、おかしいニャー?)


「・・・ぉ・・・お・・・お・・・俺の、俺様の名は九鬼嘉隆!!海を統べる海賊王、だっ!!」


 ピタリと固まっていると思ったら体が震えだし、突然立ち上がった嘉隆は天井に向かって爆発した様に叫ぶ。


(海賊王って・・・九鬼家の当主ですらなかったはずなんだがニャー)


「池田殿!話は分かった!だが条件がある!」


「言わんでもいい。織田家への傘下入りと津島会合衆の商人の安全と協力、こちらの条件はそれだけだニャ。あとは好きにしろ」


 傘下入りは当然として、津島会合衆のことも条件に加える。

 そもそも恒興は津島の利益拡大の為に動いているという名目で嘉隆に力を貸すのである。

 なのでキッチリ津島会合衆の役に立ってもらわねばならない。


「太っ腹だな、いいのか?」


「ニャー達は陸の者、海の統治のやり方など知らん。お前に任す。それで、どれくらいで志摩水軍を収められる?」


 海の者にも独自の作法があるため、過度に織田家が干渉すると直ぐに見限られる。

 何しろ忠誠心という物は0だし、海の上では織田家でも全く勝てないので簡単に離反するだろう。

 だからこそ『利益』で彼らを縛り付け、更に過ごし易い自由を与えておくくらいが丁度いい。

 統制に関しては九鬼嘉隆に一任でいいと恒興は考えている。


「1ヶ月は欲しい。九鬼家をただ敵視している様な奴等もいるのでな!」


「分かったニャ。片付いたら滝川殿を通して信長様に会うといい」


「了解した!織田家が約定を守る限り陸の上では忠誠を誓うと約束しよう!」


「ハハハ、面白い忠誠の誓い方だニャー」


 その後早速動くと言い残し九鬼嘉隆は退出していった。

 部屋に残された恒興と一盛は今後のことを相談していた。


「一盛、九鬼嘉隆のことを滝川殿に話通しておいてくれ。あと九鬼の取次役も頼むニャー」


「よろしいのですか?九鬼家の取り込みが我が義父の功績になってしまいますが」


「ニャーは津島奉行として、津島の利益拡大に動いているだけだ。九鬼家の取り込みは伊勢調略責任者の滝川殿の領分。ニャーがやったら越権行為だ」


 恒興は本来中濃東濃の調略責任者なので伊勢での調略は越権行為である。

 もしも滝川一益の伊勢調略責任者就任に一役買っていなかったとすれば、一益から文句を言われかねない行為である。

 なのである程度彼に功績を渡していく必要があるのだ。

 それに今後を考えれば一益と仲良くする意義は大いにある。


「・・・滝川家は殿に大きな借りを作ってしまいますな」


「そんなもの滝川殿の身代が大きくなれば簡単に返せるニャー」


「そうでした、義父から伝言です。桑名城が昨日落ちたそうです」


「早っ!電光石火だニャー。後でニャーも挨拶に行くと伝えてくれ」


 恒興は一益から伊勢国攻略の拠点としてまず桑名を制圧するという計画は事前に聞いていた。

 一益は責任者就任から1週間で桑名城を落とし、現在周辺を制圧中とのこと。

 城を落としたというが兵は用いていない、説得しただけらしい。

 そもそも桑名の豪族の戦力は大したことがなく、ある勢力さえ絡まなければ問題はない。

 この分だとその勢力とも問題は無かったようで、恒興は胸を撫で下ろした。


 ---------------------------------------------------------


 この日の本ではお金に相当する物は『米』である。

 又は『布』もお金として扱える。

 米は遥か昔から租税の対象になっているので価値が測りやすいためだ。

 布は生活必需品であり、平安期には絹を通貨に見立てた法律が出されたくらいである。

 だが布はともかく米をお金として扱うには問題が多い。

 その最たる問題が『相場』である。

 米が一番少ない収穫前と一番多い収穫時期では相場が10倍近く変わってしまうのだ。

 この問題は平安時代には既に存在していた。

 これを解決しようとしたのが平清盛である。

 彼は海の向こうの大国『宋』と貿易してかの国の通貨『宋銭』を輸入した。

 これを用いて貨幣経済を実現しようとしたのだ。

 これ以前に朝廷は貨幣を鋳造して発行したが、鋳造技術が低く贋作、混ぜ物が多発し信用を無くして頓挫した。

 だが宋銭は鋳造技術が高くとても贋作は造れなかった。

 故に宋銭は通貨として重宝されたが平清盛の死去と共に貿易が無くなり手に入らなくなった。

 こうなると何が起こるか、貨幣価値が上がりデフレが起こる。

 貨幣そのものが手に入らないのだ。ここで貨幣経済は一度頓挫する。

 時は下り室町時代、幕府3代目将軍・足利義満の頃に大国『明』との勘合貿易が始まる。

 この時に輸入された通貨が永楽通宝、所謂『永楽銭』である。

 これにより貨幣経済が復活の兆しを見せるが室町後期には貿易は途絶え、頓挫するかと思われた。

 だがこの頃に日の本には新たなる価値観が伝わりつつあった。


 恒興は土蔵に積み上がった金塊を見て微笑む。

 別に恒興は金に興味がある訳ではない、収集癖がある訳でもない。

 ただ知っているのだ、この金の価値が後に爆発的に上がることを。

 だから恒興は今のうちに金塊を集めることにしたのだ。

 加藤図書助に頼んでいるアレの仕入れとは、この金塊のことである。


「金の価値が上がったら信長様に全部献上するニャー。これは絶対褒められる、間違いないニャ」


 この戦国時代、金に価値は大してない。

 全く無い訳ではないが建物や仏像などを飾る細工物程度である。

 こんな逸話をご存知だろうか。

 室町幕府8代目将軍・足利義政は3代目将軍・足利義満の造った『金閣寺』を超える物として『銀閣寺』を造った。

 だが財政難により銀箔が貼れず計画通りには成らなかったというもの。

 今の感覚でいけばおかしくないだろうか。

 なぜ『銀』閣寺で『金』閣寺を超えれるのか?

 この答えは貿易にある。

 恒興がいる少し前まで明との貿易は行われていた、幕府ではなく中国大内家主導だが。

 この貿易の時に日の本から何を出していたかが答えだ。

 それは『銀』である。

 当時の明の国内貨幣は銀製だったので、銀の重さで貨幣価値がわかったのである。

 また、この頃大陸から『灰吹き法』が伝わり、大内氏が所有する『石見銀山』から湯水の如く銀が採掘できた。

 このため大内氏は隆盛を極め、日の本一の大富豪となる。

 その後、石見銀山を狙う出雲尼子家と争うことになり、石見周辺でおびただしい血が流れた。

 この戦いで疲弊した両者を倒し、中国の覇者と名乗りを挙げたのが毛利元就である。

 このように銀の価値は明によって保証されたため、日の本でも価値があるのである。

 それに比べて金は誰もその価値を保証してくれないので価値が低かったのだ。

 だがこれはおかしな話である。

 西洋では当たり前の様に金は価値があったし、中国の王朝でも同様だ。

 そして日の本においても平安期までは金にちゃんとした価値があったはずであるが、恐らく日宋貿易の終焉と共に使い道が無くなり価値が落ちたものと思われる。

 なのでこの現象には外交の断絶と金の採掘場所が関係していると思われる。

 鎌倉時代あたりで外の国との外交が断絶し、その後も細々としか貿易をしていない。

 そして金山があるのは東国だということ。

 この頃にはキリスト教の宣教師が日の本に上陸しているが、彼等がいるのは西国で京の都から東には来ていない。

 このため金の価値が伝わらず、南蛮人もこの国に大量の金山があることを知らなかった。

 もし知られていれば日の本はインカ帝国の様にされたであろう。

 この頃にはスペインの植民地軍がフィリピンまで来ているのだから。

 金の真の価値を日本人が知るには信長が上洛して宣教師達と会い、金が貿易の原資として使えると判ってからである。

 なのでよく言われる武田家の重要財源は甲州金というのは信憑性が低い。

 あれは領地内通貨としてそれなりに流通していたのみで、ある程度は採掘したと思うが積極的はないだろう。

 もし武田家が掘り出した金を収入に替えるなら、金を京の都や奈良まで運ばねばならない。

 となればまず駿河に運び船で津島や大湊などの湊へ。

 そこからは陸路となる。

 だが問題は駿河にも金山があるということだ。

 甲州金を一度駿河で売らなければならないのだから、高値が着くとは思えない。

 みかん農家にみかんを売って高値がつくかという話と同義だ。

 大体甲州金をバリバリ掘っていたのは徳川家なのだから。


「確か徳川家の大久保某とか言う奴だっけ。ニャーもそれくらいの部下が欲しいニャー」


「殿さん、何してんすか?」


「ん、長安か。手に入れた金塊を納めてただけだニャ」


「何時見てもスゲー量っすねー。金もこれだけあれば圧巻っすよ」


 土倉の中に積み上がった金塊を見て長安も唸る。

 何しろ土倉を満杯にするほどの金塊が積まれており、その高さも二人の身長をはるかに超えていた。


「殿さんは金が好きなんすか?仏像でも作るんすか?」


 今現在の金の使い道は金細工にして建物を飾るか、仏像仏具を飾るかしかない。

 金のみならず銀も銅もそうなのだが、実用性が鉄に劣る。

 このため金属としての価値がなく、あくまで”貴”金属なのだ。

 そして貴金属は貨幣価値が判って初めて貴金属になれる。


「いや別に、ニャーにとって金なんぞただの道具に過ぎないニャ」


(今にコイツの価値は数倍に跳ね上がるのニャー。とはいえ安い物ではないから集めるのは苦労するニャ)


 現在の日の本の海外貿易は南蛮商人とだけで明とは行っていない。

 因みに南蛮人というのは欧州人を指すが、この時代にはポルトガル人とスペイン人しか来ていないので大体彼らのことになる。

 この南蛮貿易の原資も『銀』である、南蛮人は銅や銅貨では取引をしてくれないのだ。

 だが銀には飛びついた、彼らの国でも銀貨が存在するからである。

 そして日の本の銀は欧州相場の半額という安さだった。

 それゆえに遥か欧州から船を出す南蛮商人が後を立たないほどだった。

 このように銀は明に引き続き南蛮人によって価値を保証され貿易の原資となる。

 そして後年金が銀より遥かに上の価値を持つと南蛮人によって保証される。

 それを恒興は知っているのである。


「何だったら俺の知り合いの商人を紹介するっすよ。駿河の商人」


 駿河国にも金山があるので京の都や奈良に向けて金が出荷されている。

 長安はその商人と知り合いで、頼めば少し安く仕入れできるかもと提案した。


「武田家にいた頃は地産の品を駿河で売り捌いてお家の軍資金に換えてたっすよ。まあその縁があって駿河から津島へ素早く逃げれたわけで」


「ほお、商人とも交渉していたのか。意外に手広く仕事してたんだニャ」


「まあね、だから思うんすよ。津島って倉庫みたいだなって」


 それは恒興も津島へ最初に行った時に気付いた。

 買い物客よりも荷運びの人間の方が多かったからだ。


「それは仕方ないニャー。何しろ桑名の分も荷受けしてたから。ニャーが奉行になった時にはもうあんな感じだったし」


「それっすよ、多分そのせいで今みたいに商店と倉庫がごっちゃになったんすよ。津島は湊町なのだから倉庫と商店はきっちり分けるべきっす。桑名の復興で少しは向こうに倉庫が移動するだろうし、この機に区画整理をするべきっすね。まず湊側に倉庫街は良しとして、倉庫に近い辺りには軽物を扱う店を集中させるっす。倉庫から在庫を取り出しやすくして回転率を上げれば利益も上がるっすよ。あ、軽物っていうのは値段の安いよく売れる物のことで主に食品を指すっす。鮮度の問題もあるから湊に近いほうがいいっすよ。で、順に外側へ向かって重物を扱わせればいいっす。何しろ重物は売れるのに時間がかかるし、倉庫から出したら暫く置いとくことになるんだから頻繁に出し入れしないし。出入り口との関連も重要っすよ。特に食料品目当てで来る客は多いっすから、その客を津島の奥まで誘い込むような店の配列が重要っす。そうすることで副次的な販売チャンスが・・・」


「スマン、長安。ニャーにはお前が何言っとんのかよくわからん」


「えー、そりゃねえっすよー」


「だからな、それは会合衆に直で言ってこいニャ!!津島奉行補佐として!!」


「マジっすか!さすが殿っす!早速行ってくるんで吉報待っててくださいっす!」


 その言葉を聞いた途端に長安は喜び勇んで津島へと走り出した。

 来たばかりの自分に重要な仕事を任せてもらえたのが嬉しかったようだ。


(ノ、ノリで言っちゃったけど大丈夫かニャー)


 因みに津島奉行補佐という役職は無い、恒興が即興で言ったものなのだ。

 この後、土屋長安は商売のエキスパート兼アイデアマンとして会合衆から一目置かれる存在となる。

 そして恒興が即興で言った役職は正式に作られることになる。


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 恒興は一盛に伝えさせたように、桑名城の滝川一益を訪ねていた。


「もう桑名を制したのですか。早いですニャー」


「桑名城主の伊藤武左衛門は知らん仲じゃないからな。これが最後のチャンスだって言ってやったらあっさり降伏したぜ」


 最後のチャンス・・・つまり断ったら信長の出陣があると脅したのである。

 この桑名は川を挟んで尾張との国境にある場所で伊勢の最前線である。

 にも関わらず桑名だけで3つの豪族が勢力争いをしており、正にグダグダであった。

 この3つの豪族を合わせたとしても兵力は2千に届かないほどの中規模豪族達である。

 更に桑名城と言ったが見た目はただの古い砦である、これが桑名で一番大きい城なので防衛力などお察しのレベルだ。

 他の桑名周辺小豪族も滝川一益が桑名城に入ると頭を下げ家臣化した。


「だが問題はここからだな、伊勢国4大豪族の勢力圏はこうは行かん。真っ先に当たるのは鈴鹿神戸城の神戸具盛と伊勢亀山城の関盛信だな」


 伊勢国4大豪族は霧山城北畠家、長野城長野家、亀山城関家、神戸城神戸家の4つ。

 この内北畠家だけは豪族と呼ぶ存在ではなく、伊勢国司であり公家でもある。

 本来は伊勢を統括する立場なのだが、南北朝の時代に南朝方だったため北朝方の足利幕府にイジメ抜かれ勢力が豪族レベルになった。

 だが戦国時代になると勢力を盛り返し始める。

 先代当主晴具が優れた手腕で勢力を広げると、現当主・北畠権中納言具教は志摩国を傘下に置くことに成功。

 更に強敵だった長野家に養子を送り込んで乗っ取るなど、戦国大名として大きくなろうとしていた。

 これに危機感を抱いた神戸具盛と関盛信は同盟を組み対抗しようとしていた。


「問題ありませんニャ。一ヶ月後には攻勢に出る予定ですから」


「九鬼家の力か?勢力は盛り返させるとしても過信しすぎじゃないか?アイツ等、陸上では何の役にもたたんぞ」


「ええ、彼らの担当は海ですから。九鬼家が無事勢力を盛り返したら、織田家への紹介をよろしくお願いしますニャ」


「悪いな、結構な功績なのに頂いちまって」


 既にこの件は信長にも報告されており、九鬼家が無事勢力を盛り返したら織田家に正式に紹介される手筈となっている。

 なので九鬼家の件は既に一益の功績にカウントされており、彼は信長から桑名城主になることが内示されていた。


「しかしよく制圧出来ましたニャー。・・・隣にアレがいるのに」


「ああ、七島だな。いや、向こうは驚く程静かでな」


 実は桑名とは東海道の要衝であり、すぐ横の揖斐川を遡れば東山道(後に中山道となる)にも行ける湊として最高の位置にある。

 この桑名はかつて『十楽の津』と呼ばれ室町中期には栄えていた湊町だった。

 だが戦国時代はある勢力の支配圏であり、誰も手出しは出来なかった。

 その勢力が居なければ織田信秀あたりが速攻で制圧しているはずだ。

 その勢力を『浄土真宗本願寺派』という。

 七島にある『願証寺』を拠点としてこのあたり一帯に勢力を持つ存在で、ここ数十年でかなり武装化している。

 なので一益の桑名制圧も横槍の危険があったのだが、向こうからは「寺の権利に手を出さないなら黙認」とこれだけだった。

 流石の一益もこれには拍子抜けだった。

 因みに『七島』とは現代の『長島』のことである。

 この時代は木曽三川河口には七つの島があり故に七島という。

 この七島の読みが訛って長島になったといわれている。


「なるほどですニャ。それで桑名がこんなに荒れているんですな」


 本願寺は大名ではない。

 彼らは僧侶であり、国の経営ノウハウなど持っていないし必要ない。

 ただ彼らは寺内町を造るノウハウは全宗派の中でトップクラスであった。

 特に中興の祖とされる8世蓮如法主はこの寺内町造りの天才であり、この経験を受け継いだ僧侶が多数在籍している本願寺派はここ100年ほどで急成長した。

 しかし寺内町の様な小さな区域を管理することは出来ても、国そのものは経営できない。

 出来るのであれば加賀国があんな状態にはなっていない。

 あくまで寺とそれを取り巻く寺内町を管理しているだけで、桑名の様な難しい要地は経営ノウハウが無い。

 なので現地豪族に委ねた結果、豪族同士の勢力争いで荒れ果てたようだ。

 現在湊ですら最低限の稼働も出来ていない。


「城もボロいし、湊もボロい。かつての十楽の津も落ちたもんだよ」


「城も湊も造り直した方がいいですニャー。このままでは防戦もままなりませんよ」


「そうなんだが先立つ物がな、ちと厳しくて・・・」


「分かりました。ニャーが津島から援助を引っ張ってきます」


「い、いや、これ以上借りを作るわけには」


「滝川殿にはここに根を張って意地でも守り通して貰わないと困るんですよ。ニャーも会合衆も」


 津島会合衆は今回の一益の桑名占拠を歓迎しており、これでやっと桑名を復興できると期待していた。

 更に桑名の位置は揖斐川の下流と海の境にあるため商人達は是が非でも復興したい理由がある。

 その理由とは船である。

 海を航行する船は大体『安宅船』等の大型船か『関船』等の中型船で川を航行する場合は『小早舟』等の小型船でなければならない。

 海と川では底の深さが違い喫水が問題になるからだ。

 なので揖斐川河口あたりで大型船から小型船に荷を積み替えるのだが現在それが出来るのは津島だけだった。

 津島の出入り口は海からともう一つ木曽川にもあり、木曽川から七島を経由して揖斐川に入るルートがあるのだが・・・パンク状態だった。

 確かに津島は桑名の分まで大発展したのだが、荷受量が多くなりすぎて船が発着できない事態まで起こっていた。

 なので恒興は桑名の商業権と湊の使用権を餌に城の築城費、及び湊の造営費を持ってくると提案していた。

 更に桑名自体低地であり揖斐川の洪水被害を一番受ける場所でもある。

 ついでに大谷休伯の仕事を増やす恒興であった。


「うう、しかし借りっぱなしは気持ち悪いんだよなぁ」


「直ぐに返せますって、それに桑名を開発したいのは会合衆ですから気にしなくていいですニャー。義父殿など既にノリノリですし」


 天王寺屋は津島に支部は作ったが広い倉庫などはまだで、津島では湊に近い良い場所が確保出来ない状態だった。

 そもそも津島は開発され尽くしているので、後から来た天王寺屋が良い場所を取れるわけがない。

 なので天王寺屋の助五郎は手頃な商家を○○しようと計画していたところに、恒興はこの桑名の事を即リークした。

 現在上機嫌で湊に近い場所を物色中である。


「それより作戦の第一段階、よろしくお願いしますニャ」


「伊勢の全豪族に織田家に従えって言うだけだろ。流石にもう無理だと思うけどな。殿の出陣はあるのか?」


「ありませんニャ。織田家の兵力は対美濃攻略で使わねばなりませんから」


 そもそも恒興は中濃東濃調略の責任者であり、彼にとって伊勢攻略は美濃攻略の前段階でしかない。

 美濃攻略に関しては恒興の仕掛けが作動するとどうしても合戦に及ぶため戦力の温存は必須だった。

 恒興は本来伊勢攻略に関われる人間ではないが、津島奉行として津島の利益拡大の名目で動いている状態だ。


「となると桑名周辺の豪族も取り込んだから、限界兵数は3千か。築城を急ぐよ」


「そうしてくださいニャ」


(細工は流々仕上げを御覧じろ、か。次は一ヶ月後に第二段階へ・・・それじゃニャーはお藤と堺に行ってきます。凄い人が紹介されるといいニャー)

本日の恒興!後ろ、後ろー!はこちらでございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 金と銀の価値の逆転ですね。 「沈黙は金、雄弁は銀」のことわざができた当時も 銀の価値のほうが上だったそうですね。
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