同士
夜な夜なPCの前で我が意を得たりとばかりに大きく何度も頷く——
第三者から見ればきっと異様な光景に写っていただろう。
『2ch認知症の親を介護する〇〇スレ・・・』
あの頃の私にとってここは、難病に罹った子供を持つ親たちが同じ悩みや
苦しみを分かち合い情報交換する『〇〇の病を抱える親の会』のような場所
だった。
「大変だろうけど頑張ってね!」
(親の介護とは無縁の人の空々しい言葉)
電話の向こうから聞こえる何十年来の親友の優しい声も私の耳には
届かない――
「もう少しのんびり構えてみたら…」
(自分の母親じゃないからそんな呑気なことが言える)
妻の状態を案ずる夫の助言さえも素直に受け入れられない——
「私の気持ちなんて誰にもわからない!」
それほどまでに私の心は疲れ、ひん曲がっていた。
"2ちゃんねる"に癒されるってどうよ?と思われるかもしれないが、当時の
私には "最強の友" だった。
「うちも今まさにソレ!」「うちもそうだった!」「そんなのまだ序の口!」
ファーストステージからファイナルステージ突入まで、様々なステージの
親を抱える者たちの本音、愚痴、慰め、助言、激励… 生の声が飛び交う。
投稿すれば先輩、同輩、後輩から瞬時に答が返ってくる。
親のことを ※"妖怪" と呼び面白可笑しく異常行動を列挙したり、その対処法
やストレス発散法を伝授したり、されたり・・・
どんな高名な認知症専門家のアドバイスよりも、認知症の親を介護する有名人
の美談本よりも心の中にすんなり入り込んでくる。
※“妖怪”(要介護にかけ、ある意味人間離れし妖怪に近づいていく親の愛称)
この呼称は世間的にはNGだろうし人によって嫌悪感を抱かれる方もおられる
かもしれないが、私はけっこう気に入っている。
『認知症介護』という接点だけで、顔も見えない名も知らない、会ったことも
会うこともないであろう人たちにこの時期ずいぶんお世話になった。
同時に自分がいかに甘ったれていたか、恵まれているかを思い知らされた。
同じ認知症の親の介護と言っても介護者も被介護者も千差万別である。
退職を余儀なくされ一人で両親の世話をする息子や娘。例え兄弟姉妹がいても
口は出すが手は貸さない状態で全く当てにできないケース。親の年金がゼロ、
あるいは少額で介護費用が賄えない等々… 世の中には私よりずっと厳しい
状況下で悪戦苦闘している人たちがいる。被介護者の症状や異常行動も認知症
の程度はもちろん、個々の性格によってもかなり違ってくる。
うちの母は色々とやらかしてくれた時期もあったが、総じて大人しく扱い易い
"妖怪"さんの部類に入ると思う。家族を一番悩ませる認知症の定番である徘徊
や妄想がないのが何よりも有難い。
元々お金に対して無頓着なところがある所為か『〇〇にお金を盗られた!』
みたいなことは一度もない。ただ、何度かお気に入りのピアスや指輪が見つ
からなかった時はパニックになり、私と娘に疑いの視線を向けたことはあった
けれどw 徘徊に関しても、夜中に自室を抜け出し朝ゲストルームやリビング
のソファーの上で発見するプチ徘徊はあるが、家を飛び出し行方不明になる
ようなことはない。
『上を見たらきりがない、下を見てもきりがない』
育児も介護も思い通り、テキスト通りにはいかないものだ。
もっと酷い状況の他人と比べ自分のほうがマシという発想は健全ではないかも
しれないが、とにかく育児放棄寸前だった私は "同士" のおかげで子育てを
再開することができた。海外からのアクセスが禁止になりすっかりご無沙汰
状態だが、今でもとても感謝している。