アメリカ移住
一年ほどの準備期間(永住権の取得、実家の売却、我が家のリフォーム等々)
を経て、同居生活が始まった。
母78歳、私48歳の夏———
『〇〇さんにはあっちの暮らしの方があってるわ!』
『きっともっと若返るわよ!』
こんな友人隣人たちの言葉に見送られ母は颯爽とアメリカにやって来た。
当時の我が家の家族構成は専業主婦の私、同い年の夫、社会人一年生の娘、
それに大学生になったばかりの息子の4人家族。
結婚生活34年の前半は夫の仕事の関係で日本とシンガポール、後半は
アメリカの東海岸と西海岸を行ったり来たりのジプシーな生活だった。
やっと定住したここ西海岸は一年中気候が温暖で直行便で日本へも行け、
他州に比べて日系コミュニティーも充実している。日本からの食材や雑貨も
二倍出せば(日本の価格の)ほとんど何でも手に入る、母お気に入りの
場所でもあった。
私のように、高齢になった母親や父親、両親をこっちに呼び寄せる日本人も
少なからずいる。身近にはいなかったけれど、ネットのおかげで同じような
境遇のお仲間との情報交換、先輩方からアドバイスを受けることができた。
永住権取得までのプロセスは膨大な書類や証明書の提出が必要。日本の
お役所仕事と同様、時間がかかり一つでも記載漏れがあればNG。
結構長い道のりではあるがなんとかクリアできる。が、なんと言っても
一番のネックは医療保険の問題である。
日本のような国民健康保険のないオバマケア以前のアメリカでは、民間の
保険に加入するしかない。唯一の公的保険である老人医療保険は65歳
以上で永住権保持者なら母のような外国人(月額は4倍以上になるが)でも
加入できる。ただし米国居住期間が連続5年という条件がつく。
この『魔の5年間』に誰もが頭を抱える。入院・手術でもしようものなら、
莫大な医療費がかかるこの国で保険なしの生活は考えられない。
民間の保険会社は糖尿や高血圧などの持病、脳梗塞や心臓疾患の病歴の
ある老人を拒むことができる。母も何社かトライしたがすべて書類審査で
落とされた。
苦肉の策として、いざとなった時に帰国し日本の医療を受けさせるため
5年間、住民票を母の弟の家に移し健康保険料を払い続けることにした。
通常、住民票は海外に移住した時点で抹消されるべきものだが、そこは
あくまで自己申告。この選択は違法ではないもののグレーゾーン(今は
どうか分からないが)のようだった。
医療保険に関しては一安心できたものの次は年金問題。
住民票が日本にある限り年金機構から海外の銀行への直接振り込みはして
貰えない。一旦日本国内の米系バンクに口座を開設しネットバンキングで
転送する方法もあったが、母の希望でそのままの状態にして何度が帰国、
まとめて引き出すことにした。
住民票の住所に届く年一の生存確認?の葉書は、叔父が三文判を押して
ポストに投函してくれることでクリアできた。あまりの安易さに、その昔
死んでいるはずの親の年金を何十年にも渡って不正受給していたという
ニュースを思い出し、なんとなく納得できた。
因みにこの『生存確認』、こちらでは本人が領事館の窓口まで出向いて
在留証明書を貰い添付しなければならない。
こうして年数回の血液検査、3か月ごとの医者訪問と薬代だけの実費で
日本の医療機関のお世話になることもなく『魔の5年間』を乗り切った。
この間、日本から友人知人が遊びに来たり、年金引き出しの里帰り旅行と
称して温泉に浸かりながら日本の桜や紅葉を満喫したり、グルメを堪能
したり・・・
今振り返ると、この最初の5年間が母にとってアメリカ生活のハイライト
だったように思う。