77歳の決断
母は今年で89歳になる。
50代で夫と死別、以来20年以上自由気ままな一人暮らしを続けていた。
昔からお洒落な人で実年齢より若く見られ、娘と姉妹に間違われるのが
何よりの自慢だった。多少自己中のところはあるが気前が良く、面倒見の
良い社交家で誰からも慕われていた。
ちょうどバブル期と重なり父の遺したものと年金で優雅な独身貴族?を謳歌。
毎年のように海外旅行を兼ねて娘夫婦のところに一か月程滞在し、ブランド
品のショッピングやグルメを楽しみ、友人隣人への土産物をスーツケース
いっぱいに詰めて帰国する。
『おばあちゃん大好き‼』—— 大盤振る舞いされる二人の孫ばかりでなく、
当時の私も少なからずバブルの恩恵を受け、おこぼれを頂戴していた。
『娘の世話になんか絶対ならない。老後はこの家を売って
温泉付きの老人ホームに入るから心配しないで!』
あの頃の母の口癖だった。
性格からしてたぶん本当にそうなるだろうと、周囲も私も確信していた。
ところが喜寿を迎える頃に事態は一変する。
持病の糖尿病が悪化し脳梗塞で倒れた。幸い軽度で後遺症も残らずに済んだ
が、それまで何事にもポジティブだった母が少し気弱になり始めた。
当時すでに今で言う後期高齢者、明確な老後のプランを決定・実行する良い
転機でもあった。
親一人子一人、母親を独居老人のまま日本に残しておくことはできない。
そこで私が提案したのは、『老人ホーム入居』か『娘夫婦と同居』の二択
である。
「じゃあ、アメリカで暮らすわ!」
母はいとも簡単に後者を選択した。
(え?温泉付きの老人ホームじゃなかったの!?)
あまりの潔い即決に私は喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。
もしかしたら心のどこかで前者を選んでくれることを願っていたのかも
しれない。二人は性格がまるでちがう。ネアカで何事にもケセラセラ的な
楽天家の母と、どちらかと言えばネクラで慎重派の娘。確執とはいかない
までも若い頃には母娘間特有の、それなりの衝突も何度かあった。
「ほ、本当にそれでいいの?」
「マリナもケントも日本語できるしジェフさんもやさしいから、
なんとかなるでしょ」
英語がダメでもバイリンガルの孫と気の合う婿がいるから大丈夫と、
すっかり本来のポジティブ思考の母に戻っていた。
確かにアメリカ生活の経験はあるが、それはあくまで海外旅行の延長線上
にあったもの。生まれ育った国を捨て異国の土になる(ちょっと古いかw)
覚悟があるのか!?
いたって楽観的な母に、言い出しっぺの娘のほうが少々不安になった。