幼児がえり
"子育て" が始まってからもうすぐ6度目の新年を迎えようとしている。
思い返すと2012~14年の二年間が私にとって最も大変な時期だった
ように思う。『出来る事』が減り『出来ない事』が月単位で増える中でも
まだしっかりと自我や自尊心があり、とにかく何でも自分勝手にしようと
する。こっちも出来る事はできる限り自力でやってもらおうと育児と同様に
黙って見守り、なるべく手を貸さないようにした。
だが羞恥心がたっぷり残っているため、失敗してもそれを隠そうとし、
「ええっー! まさか! 嘘でしょ!?」
驚いたり、呆れたり、悲しくなるようなことを色々とやらかしてくれた。
冷蔵庫の奥から老眼鏡が出てきたり、行方不明の補聴器が冷凍保存されて
いたり、洋服ダンスの引き出しに食べかけの果物やお菓子があったり・・・
なかでも一番困ったのは、やはり排泄に関すること。
濡れたパッドをトイレに流し詰まらせてしまい何度も大洪水に。
何か臭うなと思うと、浴室の屑籠に汚れた下着が放置されていたり、
便器の周りが悲惨なことになったこともよくあった。
やんわり指摘すると、
「私じゃない、私はそんなことやってない!!」
逆ギレされてしまう。幼子のように素直に「ごめんなさい」とは言ってくれず
失敗から学ぶこともない。
我がまま度も増していく。何か気に入らないことがあると子供のようにそれを
ストレートに口にし態度で現すようになった。それまでは私が唯一の標的
だったが、血の繋がった孫たちばかりでなく主人や孫娘婿といった他人に
対しても自分の感情を露わにする。
要するに「大人の対応」が全くできなくなってしまった。
2014年以降は徐々に自分一人では何も(判断も行動も)できなくなり、
逆に母親に甘える子供に戻ったように私にべったり依存するようになった。
私自身も「もういいよね」という気持ちになり、悉く手出しするようにした。
時間を見計らって「おしっこ行く?」と声かけし、傍にスタンバイ、パッドを
手渡し交換するという具合に・・・
粗相をして後片付けさせられるよりはずっと楽になったが、幼児のトイレット
トレーニングとは真逆のプロセスをたどるわけで、認知症の現実を突きつけ
られたようで娘としては何とも複雑な心境だった。
2015年の新年会を最後に”シニアの会”への参加をやめた。
自分から「もう行きたくない」と言い出した。おそらくコミュニケーションが
上手く取れなくなり、同年輩の人たちと過ごすことが苦痛になったのだろう。
以後は急速に認知症の症状が進んでいく・・・




