母からの手紙
発症から3年半が経過した2014年――
「え、まさか‼ 嘘でしょ!?」
久しぶりに母のノートをチェックした私は驚愕した。
何ページにも渡り同じ日付が並び、姓名の漢字が象形文字のように・・・
前日の日付をコーピーし名前も写し取っていたようだが、ついにはそれも
できなくなってしまったのだ。
「とうとう自分の名前も書けなくなったのか…」
ショックと同時に、ボケ防止のためと娘から言われるがままにやらされる、
母にとっては苦行の日課だったかもしれないと思うと、済まない気持ちで
いっぱいになった。
「もう明日からはやらなくてもいいよ」と言った時の、ほっと安堵したような
母の顔が今でも忘れられない。
それからしばらくしてクローゼットを整理していると一通の古ぼけた封書が
出てきた。20年以上も前に日本に居る母から届いたものだった。
その頃の私は二人の子供の育児に追われカリカリした日々を送っていた。
母の提案で久しぶりに実家に里帰し子供を母に任せ、心身ともにリフレッシュ
してアメリカに戻って来た。その直後に届いた手紙だった。
娘や孫を思う母の優しい気持ちがしっかりとした字体と文章で綴られている。
当時の母の姿、言動が脳裏に蘇る・・・
60代の母は溌剌としていた。友人たちと毎月のように日帰り旅行を楽しみ、
社交ダンスを習い、木目込みの人形作りの教室に通い、近所のお年寄りの
世話をするボランティア、町内会の役員にも名を連ねていた。
「娘のお荷物にならないように頑張らなくっちゃ!」
この口癖を実践すべく、テレビの情報番組で得た身体に良いもの、アンチ
エイジング、ボケ防止になる、あるとあるゆるものに挑戦していた。
誰もボケたくてボケる人はいない、好きこのんで子供の世話になる人も
いない。どんなに身体に気を付けても、若い頃から節制しても、人は癌にも
認知症にもアルツハイマーにもなってしまう。
私にだって娘や息子に迷惑をかける時が来るかもしれない・・・
介護に疲れた時、母のことを疎ましく思ってしまった時、机の引き出しの奥に
保管してあるこの手紙を何度も読み返すことにしている。




