典型的症状のオンパレード
診断が下って一年が経過した2012年から2013年頃には軽度から
中等度に移行し、教科書通りの症状が次々と現れるようになった。
今思えば、この頃が母にとっては一番辛い時期だったような気がする。
心身の衰えから言えば、身体のほうは動作がスローになり介助を必要と
することもあったが、まだまだ自分のことは自分で出来ていた。
けれど心のほうは、脳が正常に機能している状態の時とそうじゃない時、
いわゆる『まだらボケ』の、後者の比率が次第に高くなっていく・・・
耄碌した自覚はあっても、認知症であることが理解できない。
記憶が飛んで頭の中が真っ白になったり、どんよりと靄がかかり何も思い
出せず上手く言葉に出せない。その苛立ちと不安から感情がコントロール
できなくなり、急に怒り出したり激しく落ち込んだりする。
『何もわからなくなった、もう死にたい!』
絶対100歳まで生きると言っていた超ポジティブ人間の母の口から
そんな言葉が飛び出すようになった。
塞ぎ込んだ時は食欲も気力も顔の表情も無くなり、まるで鬱病患者の
ようになる。健康体でも空腹になると血糖値が下がり頭がボーとして
思考力が低下するように、脳に栄養が届かず母の頭の中はよけいに
混乱するという悪循環。こんな状態が定期的にやって来る。
認知症の典型的な症状も顕著に現れるようになった。
『実行機能障害』--計画的な行動ができない。
シニアの会、外食、病院の検査の日…などの外出時は、前日に伝えると
内容は忘れても、どこかに出かけるという概念は頭の隅に残るようで、
朝の5時前から起床、部屋の中で不安げにソワソワウロウロし始める。
それで前の日ではなく、その日の朝と出かける二時間前位に伝えるよう
にした。が、それでも上手く時間配分ができないため直前まで準備が
完了せずイライラし「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と、
逆切れする。
『理解・判断力の低下』--自分では決められなくなる。
服装のコーディネートが出来なくなり上下ちぐはぐなものになったり、
色の組み合わせが変になったり… お洒落だった母からは考えられない
ような恰好をするようになった。
部屋を片付けようとして洋服やバッグ、アクセサリー、小物類が部屋の
床の上に散乱し収拾がつかなくなることも・・・
外食の際、メニューを選ぶのにもの凄く時間がかかるようなる。
メニューのページ(日本食レストランの写真付き)を捲りながら溜息を
つき、ウェイトレスが何度も注文を取りに来てやっと決まるようなこと
が多くなった。それまでは「そんなに迷うほど大したものないじゃない」
と誰よりも一番だった人が・・・
『嗅覚・味覚の衰え』--料理をあまり作らなくなる。
昔から料理が得意で、こっちへ来てからも味噌汁や煮物などの和食は
母の担当だった。それが、「味が決まらない」と言ってやり直したり、
何度も醤油や砂糖、味醂などの調味料を足したりするようになった。
そのうちほとんど作らなくなり、その年の暮れのおせち料理が最後と
なった。臭いにも敏感だった人が、トイレの消臭剤や外出時の香水の
量が増え「えっ!?」と思うようなこともしばしばあった。
一人暮らしの高齢者の住まいが『ゴミ屋敷』化し悪臭が漂う話や、
お年寄りが風呂に入らず不潔になったり、料理をしなくなるのをよく
耳にするが、決して好きでそうなったのではない。
やりたくてもできなくなると言うことが母の行動を観ていて良く解る。
そして、悲しいかな、それが老いるということ。周囲の援助や介助
なしでは生きていけなくなるのだ・・・




