子育て再開
『介護者のメンタル面が良好であれば、被介護者の状態も安定する』
このことを身をもって実感した私はしゃかりきになるのをやめ、なるべく
ストレスを溜めないよう無理をせず手抜きの介護を目指すことにした。
2011年の秋———
中断していた"ボケ防止メニュー"を再開したが、バトル期間中のブランクは
思いのほか母の脳力を後退させていた。日付はおろか生年月日や自分の名前
を書くのもおぼつかない。体重や血圧の測り方を忘れてもらっても構わない
が、せめて自分の姓名を書けるだけの状態は保っていてほしい。
そこでメニューの内容も量も大幅に減らし、母にやる気を起こさせ無理なく
続けられる良策はないかと思案中、以前お世話になった"公文の先生"のこと
を思い出した。
東京に居た頃、二人の子供に日本語の読み書きを教えたくて自己流を試みた
が上手くいかず、公文式の教室に通わせたことがあった。
その時のT先生のモットーは『継続は力なり』ーー とにかく優しく子供に
接し、その子の進度に合わせて無理をさせず、少しでもできると褒めたたえ、
その気にさせてくれる。
『ママはすぐ怒るからイヤだ!』と拒絶反応を示していた娘も息子も喜んで
教室に通ってくれた。私立のお受験を目指すお母さんたちの間では生ぬるい
との批判もあったが、うちの子供たちにとっては最高の先生だった。
思わず声を荒げそうになると、心の中で(怒っちゃダメ怒っちゃダメ!)と
呪文のように唱えT先生のごとく母にアプローチした結果、自分の名前と
血圧を測定しノートに記入できるまでに回復した。
(日付や生年月日なんてどうでもいいや、苗字と名前が書けりゃあ上等!)
私が気軽に構え母に無理強いしなかったこともあってか、この日課は姓名の
漢字が象形文字化wする2013年まで続けることができた。
この時期の母はまだ傍目には認知症とは無縁の、どちらかと言えば実年齢
よりずっと若くみえる元気なおばあさんに映っていた。
私でさえ『え?もしかしてボケたふりしてるだけ』と思うような時もあった。
もし同じ屋根の下に暮していなくて、偶に会ったり時々電話で話す程度なら
確実に見逃していたと思う。
K先生やナース、シニア会のメンバーなど、とにかく人前では気合を入れて
自分を良く見せようとする。これは認知症の初期には共通している事らしく、
盆暮れに帰省する娘が実母の介護をしてくれているお嫁さんに疑いの目を
向ける、なんて話は十分納得できる。けれど、まじかで看る者にはその言動
が徐々に確実に衰退していくのがよく判る。
『おばあちゃん、全然大丈夫じゃん!』
と言う娘に母の実態を見せるため、二人でこっそり部屋の中を覗いたことが
あった。入浴後、鏡台の前で張り紙に書かれた手順を読みながら夜のスキン
ケアをする姿はいたって普通、いや、むしろ85歳の老女には見えない。
ところが、いったんその場を離れるとまた鏡の前に座り、同じ事を一から順
に繰り返す。朝の支度も然り。ストップをかけないとまるで壊れたレコード
のように延々と同じ行動を続ける。
以前の私なら部屋に飛び込んで『何回やれば気が済むの!?』くらいの嫌味
は言い放っていただろう。が、当時の私は(危険なことをやっているわけ
じゃなし別にいいか)くらいの気持ちで悠然と構え、その間に自分の用事を
済ませていた。
我が娘曰く、『ウザい教育ママから放任主義に一転したね』。
そう、小さなことに一々目くじらを立てカリカリするのは精神衛生上最悪!
過保護にもネグレクトにもならず、適度にいい加減な手抜きの子育てをする
のも大事なこと―― と伝授する私だった。




