猫と魔導士Ⅴ
シルバーが大人しく王宮の客間で寛いだ頃、レディ・キャットは足早に客室がある棟を後にして、区画を区切って守る門番へと一言二言挨拶をしていくと、広間へと再び戻ることにした。
主賓のいなくなった舞踏会では、すでに貴族達も一部帰り始めて閑散としだしていたが、視線を巡らせれば未だ国王が在席していたことを確認し、壁際をたどって真っ直ぐにけれど目立たないように国王の元へと近寄る。
国王の側には、王族の一人である王の甥っ子がいたが、やはり王太子殿下の姿は見えない。
この王の甥のせいで、王が退室していないうちから貴族たちも帰宅の途についたのだろう。なにせ、この王の甥は王族であるにも関わらず、評判のよろしくないと有名な人物なのだ
さて、どう陛下に用を済ませようかと思っていれば、何やら怒鳴った後に王の甥が手にした酒のグラスを煽ると、足音荒く立ち去ってくれた。
何があったかは聞くまいが、レディ・キャットはあの人物は鬱陶しいと前々から思っていたため、勝手に立ち去った事にこれ幸いとばかり国王陛下の更に側へと歩み寄る。
「レディ・キャット、ご苦労。彼の魔導士殿は無事に休ませたのだろう?」
「もちろんです陛下。あれだけ、連日この国の為に調停に走り回っておられるのです、疲労も限界が近かったでしょう。途中、少し悪戯をされかけましたが」
国王から話しかけられたことに、レディ・キャットは安堵して返事を返すことが出来た。黒髪を後ろに撫で付けた姿は柔和そうな雰囲気ではあるが、存外目端の利く王である。
見た目通りでは、大国の王として国を治める事も出来ないのだから、それぐらいは容易い事だろう。ただ、その見た目すらも武器として他国とは渡り合っているあたり、外面と内面の温度差にレディ・キャットも時々頭痛を覚えることがあった。大臣や官吏達に至っては、更に胃薬常備であるのだろう。
「悪戯かい?彼も君の美貌に、思わず食指が動いてしまったのかな?」
楽しそうに笑いながらも、小さな声で言う国王に、レディ・キャットはどう答えるべきか悩みかけるが、ありのままを伝えることにした。国王の冗談に付き合っていては、肝心の本題に進む事が出来ないと過去の経験から学習している。
「いいえ、魔導士殿は色事に興味があまり無いようでしたわ。ただ、通りすがりの人物に見られた時のためと、抱き寄せられかけただけです。そして、私の悩み事に関してもまた、調停を請け負って下さるとのこと、こちらは陛下にもご報告しておくべきかと。ああ、更に魔導士殿の要請がありました」
忘れかけていたとばかりな仕草で、口元の動きを隠すように扇を広げてその下で国王へと内容を告げる。口の動きすらも誰に見られることのないように。それが、彼女が宮廷で気をつけている一つである。
「要請?疫病に関しては、相当数の医師を派遣しているが…何か、疫病の根源でも見つかったかな」
「それもあるかもしれません。しかし、この度の要請内容に関しましては、私を王宮内の事情を知るための諜報人員として魔導士殿が接触したいという事のようです。それも日中の職場ですらも・・・曲りなりにも貴族としては、日中は弱いので陛下の許可が取れたらと伝えてあります」
冗談混じりに言いながらも、総ては国王の心次第だと存外に告げる。臣下としては、不遜にも取れる発言だが、元王妃の秘書官時代からの慣れたやり取りであった。
実際、王自身もただの報告よりも、言葉遊びに近い報告の方が好んでいるということもある。
「つまり、貴族達や先ほどここで駄々をこねていた王族の事も知りたいという事か。そうだな、君は王妃亡き後もこの国の事情には明るい。是非とも事の真相の為に魔導士殿の助けになって貰おうかな。ついでに、うちの馬鹿息子の監視もかねて」
色々と理由を付けた上で、最後の最後に国王は本音を言った。
王太子殿下の暴走を止める事という、難題中の難題である。
全力で断りたいところだが、現状のレディ・キャットの事情では、そういうわけにはいかない。調停が無事に済んでさえいれば、断る為の理由を百は越すほどに並べ立てただろうが。
「わかりました…。早速明日より、使節団の元へ出向き魔導士殿の必要な質問にお答えする事に致します。王太子殿下のお目付け役も謹んで承りましょう。疫病を治め、その根源を調べていらっしゃる使節団の方々の邪魔にならないように!」
はっきりと内容を確認するように告げてから、レディ・キャットは苦々しく後半の台詞を吐き出した。心から面倒だと言わんばかりに、隠すこともなく。
「ああ、頼む。本当にレディ・キャットは勿体無いなぁ。秘書官であったときですら有能ではあったが、男であれば能吏としてこの国の大臣になることすら容易かったろうに」
「今更、言っても詮無き事です。それでは陛下、今宵は私もこれにて失礼させて頂きますわ。使節団の方々は、朝も早いですからね」
なおも喋りたそうにしていた国王の発言を、無理やり遮ってスカートの裾を摘み優雅に一礼すると、振り返る事もなく国王の前を退出した。
その後ろで、ああ、また振られちゃったなー等と言う不穏な発言を国王がしていたことに、レディ・キャットは幸いにも気付くことはなかった。
気付いていたところで、あっさりと笑ってかわしていただろう。