猫と魔導士Ⅳ
王宮の客間の多く取られた一画、一つの部屋の前で立ち止まる。
豪奢な扉にかけられた錠は、道中で客間への門番から借り受けて扉を開け放てば、通常貴族が泊まる時と違って、静かな落ち着いた花が一輪飾られているだけだった。
もちろん、内装までもが質素になったわけではなく、どの調度品一つとっても王宮という場所に相応しい物ばかりだ。
「シルバー殿、官吏達からの確認も取れておりますし、こちらの部屋をお使いになるようにとの事ですので、今宵はごゆっくりとお過ごしください。何かありましたらベッド横の鈴を鳴らして頂ければ、部屋付きの女官がすぐに参ります。湯浴みや夜食など、ご入用でしたらどうぞ遠慮なく」
室内へと自らも入りながら、レディ・キャットがベッド脇の鈴を扇で示す。
その上で一度鈴を鳴らし、女官を呼ぶとお茶の用意をさせてから湯浴みの支度も一応準備しておくように指示するだけして下がらせた。
「では、私はこれで失礼致します。疫病について、根源となる原因が早く見つかることをお祈りしております。それでは…」
深紅色のドレスの裾を摘んで腰を落とすと、退室の挨拶としてその場を後にした。
その後ろ姿は、ドレス姿なのに能吏と言えそうな背筋の伸びた美しい姿だった。
「うーん、彼女は有能だけどそれでも調停が必要な相談ってのは何だろうね、キシャル」
室内を辞した女性の姿を思い出しながら、用意されているお茶を口に運びシルバーはそう呟く。
空いている片手の指で、自らの左の首筋をとんとんっと撫でるように触れば、立ち襟の上着で隠れた首筋から銀粉を散らすように銀色の蝶が飛び上がった。
この世界のすべての魔導士には使い魔が存在し、その使い魔はその身体の何処かに刻まれているといわれている。逆に言えば、使い魔がいなければ魔導力を扱う事が出来ない。魔導士という存在に成り得ないのだ。
そして、使い魔を得る事が出来るのは、大陸中央の魔導教会という場所のみである。
この銀の蝶は、シルバーにとっての使い魔なのだろう。シルバーの周りをゆったりと飛び回りながら、シルバーの独り言についてリーンっと硬質的な小さな羽音を立てた。
「キシャル、ちょっと疫病の方はアンシャルに任せるから、先程のレディ・キャットについて調べてきてくれ。お前ならば一日もかからないだろう」
空にしたティーカップをテーブルに置いて、銀の蝶「キシャル」にそう告げると、キシャルはすっと中空で姿を消失させて何処かへと飛び立っていった。もちろん、添えられていたお菓子に関しては綺麗に完食済みである。
魔導士たちは、酒も煙草も嗜まない。理由としては煙草と酒の効力は、魔道士の魔力を減ずる効果がある為という、実力主義の魔導士にとっては有り得ない物だからだ。その為、シルバーも先ほどの広間において酒を口にすることもなく、ここで用意された菓子に関しては喜んで平らげたのだった。
案外この国は平穏そうなのに、面倒くさそうな国だなぁ・・・とシルバーが呟いた言葉を聞く者は、幸いにも誰にもいなかった。そして、今宵は好意に甘えて休むかと、纏った真っ白なマントの留め金を外しソファに投げれば、その下からは黒地に金銀の刺繍というだけでなく様々な色合いのガラス玉が紐に通されていて腰や腕を飾り、魔導士特有の、しゃりんっというガラス玉の音を響かせた。
魔導士の身につけるガラス玉はそれだけで実力を示し、魔導士としての地位である序列を示す物であるのだ。それだけで、このシルバーという魔導士の実力が高位であるとの証明ともなっているが、普段は白いマントの下に大半を隠してしまっていた。
この魔導士のガラス玉は一般人では複製が出来ず、魔導力を行使されて作られている為、魔導士を騙る者もいない。
腰や腕の紐に通されたガラス玉は、透明感のあるものながら中に通っているべき紐が透けて見える事もなく、代わりに魔導文字による習得した魔導の位階が浮かんでいるのだ。それ故に一般人が見ても、そのガラス玉の特異さに判別が出来るのだった。