遺産と欲望Ⅷ
さて、魔族という脅威などよりも、自らの上司の脅威に耐えている部下を置いてきたシルバーは、室内の中央で立ち止まると闇の凝った方向へと声を上げた。空間の中央で立ち止まるのは一見して不用心に思えるが、右の魔導である攻撃魔導に長けたシルバーにとっては逆に優位な位置である。
「準備を待ってくれるなんて親切だな。でも、こちらはもう問題はない。そろそろ話し合いをしないか?」
爽やかとも呼べるほどのシルバーの笑顔に挑発されたのか、不自然な程に凝っていた闇が解けるようにして揺らめく。其処から現れるのは、先程と同じく黒いローブで顔も隠した人物が一人と、人の形をしてはいるが明らかに人ではない存在。
紫色の髪をし、瞳の色までは把握出来ないが、世の一般的な女性であれば、心を蕩かされるかの様な優し気な甘ったるい美形。三十前後の見た目の容姿に、身体に貴族のような豪奢な青い服を纏った男。
但し、煌めくような銀髪に、硬質的な黄金の眼差しをした、薄い刃物を思わせる美貌のシルバーよりも劣ると、レディ・キャットの心中では査定が入っていた。
「親切という訳ではないがな。貴様達がこの部屋を出て行こうとしたら、魔導士以外をこの室内に閉じ込めようと思っていただけだ。まあ、それも貴様の思惑により外してしまったが」
「ああ、そういう事。面倒な魔導士は相手したくないから、本命だけ一本釣りしようとしてたのか」
なるほど、とシルバーは頷くと、黒いローブの存在を放置して、人ではない魔族という存在との会話を続けた。実際、はぐれの相手など、片手間で十分なのだ。ならば、力のある魔族を優先して片付ける方に集中すべきなのだ。
「それで、あの二人を狙うのは、お前にどんな利益があるんだ?」
答えが返るとは思っていないが、試しに聞いてみる。
「アレを殺せば、私の従属がこの国を魔族に住み心地よくしてくれるというのでな。少し、力を貸してやってもいいかと思ったま…っでだ」
うんうんと頷きながら魔族の言葉を聞きつつ、シルバーは左手をそれとなくひらりと翻し、圧縮した風の刃を魔族へと投げ飛ばした。避けられた風の刃が、遺跡の壁に大きな傷を残す。傷という甘い言葉で表せる程のものではなかったのだが。
魔族の言葉が途中で途切れ、明らかに更なる挑発に乗ってくるかとシルバーは試したのだ。
「貴様……会話の途中で舐めた真似をしてくれる」
「うん?勘違いしてるようだけど、私は初めに言ったじゃないか。そろそろ話し合いをしようと」
明らかに、シルバーの言っている意味を正しく理解した魔族は、折角の端正な顔を怒気に歪めて魔導力を引き寄せだした。それは、結界の内にいるチェルソとハーラルトにも判る魔導力の多さ。勿論、対峙しているシルバーに判らない訳がない。素早く、指で首筋を撫でて二頭の金と銀の蝶を顕現させる。
「キシャル、あちらのはぐれを確保しておいてくれ」
魔族が魔導力を溜めている隙に、シルバーは銀の蝶へと指示を出す。しゃりんっと硬質的な音と共に飛び立った銀色の蝶キシャルに、はぐれが逃げる心配と、魔族の攻撃に巻き込まれる可能性が無くなったと思いつつ、自らの回りを舞うアンシャルに指示をするタイミングを計る。
そう、魔族が溜めた魔導力でもって自らに攻撃を仕掛けてくるタイミングだ。
「その余裕、どれだけの魔導士かは知らんが…所詮は人の子。魔導力より生まれし我らに敵うものではない!」
魔族が先程シルバーが飛ばした風の刃の比ではない、巨大な黒い刃のような物を幾つもシルバーに向けて放った。
空中を切り裂くようにして飛んでくる黒い刃の群れが、自らの目の前に辿り着く直前に囁く。
「アンシャル…喰らえ」
すでに攻撃態勢に入っていた金の蝶は、シルバーの言葉が終わるか終わらないかのうちに、飛来する黒い刃とシルバーの間に留まり、黒い無数の刃をその身に一つ受ける度に金の鱗粉を散らし、その金の鱗粉がまた黒い刃に触れていく。
結果、アンシャルとアンシャルの金の鱗粉に触れた黒い刃の群れは、遺跡を破壊することもなく元から存在しないかのように消失した。
何処か満足そうに、優雅にひらひらとアンシャルが再びシルバーの回りを舞う。
「ほう、闇魔導に特化した使い魔か……」
自らの放った攻撃が、悉く消失したにも関わらず魔族は何処か納得したように金の蝶であるアンシャルを見た。
魔族なりにアンシャルを分析したのか、先程とは比にはならない魔導力が魔族の両手に集う。
「どういう事なの……」
シルバーが施した結界の中で、レディ・キャットがぽつりと呟きを零していたが、チェルソもハーラルトも当たり前の結果だとばかりに平然としエーベルハルド殿下に至っては不謹慎にも瞳を輝かせていた。
そんなレディ・キャットに答えを告げる者もなく、魔族が再び魔導力を振るっていた。
通常の魔導士であったら、詠唱が必要となるほどの魔導力だが、魔族故に詠唱など必要もなく呼吸するかのように攻撃を行う。片手で、再度アンシャルに向けて黒い無数の刃を飛ばしつつ、もう片手でシルバーに向かって接近するように飛び上がりながら焔の矢を無数に飛ばす。
「アンシャル、牽制!」
そんな魔族に対し、シルバーはアンシャルに向けられた刃はそのままアンシャルの意思に任せ、自らへと接近してきた焔の矢を左手を翻し薄い水色の巨大な盾で受ける。薄く、簡単に壊れてしまいそうな水色の盾は見た目とは打って変わって、焔の矢を難なく受け止めてシルバーに届く前に消える。
更に、向かってきている魔族に対して、シルバーは軽い呼気を向けた後、自らも飛ぶように白いマントを翻し魔族へと飛び蹴りを放つ。勿論、普通の物理的な蹴りではなく、魔導力による蹴りという形の衝撃だ。それだけでも、通常の魔導士にとっては詠唱なく出来る者は少ないであろう。
「ちぃっ……」
シルバーの思いがけない飛び蹴りに、魔族は対処が遅れ腹部を蹴られたかのように空中から壁へと吹き飛ばされた。魔族がぶつかった壁が、円形状にヒビが入って壁が僅かに崩れたのを見たチェルソが頭を抱えていた。
すぐに態勢を立て直し、魔族は壁を蹴って再度空中を飛ぶと、アンシャルへの牽制も忘れずシルバーへと黒い焔の塊を数個飛ばしながら、それを盾にするようにシルバーへと接近を計る。
追い打ちを掛けるかのように、飛び蹴りの後に魔族へと重力を調整して再び蹴りを放とうとしていたシルバーだった為に、魔族の思惑通りに距離が縮まった。
シルバーは蹴りで飛ばす魔導力を、魔族が放ってきた黒い焔を見ると咄嗟に切り替えて、先程生み出した水色の盾とは違い色彩の無いかのような盾を黒い焔にそれぞれ当たるように仕向けた。
シルバーと魔族の周囲で、黒い焔とシルバーが創り出した盾の干渉で爆発が幾つか起きると、戦いを見守っているレディ・キャット達からはシルバーの姿が見えなくなった。
心配した眼差しをレディ・キャットとエーベルハルド殿下がシルバーに向けている間も、爆発が起きているその中で、シルバーと魔族の魔導力が行使されていた。
シルバーの黒曜石の指輪が嵌った手と白水晶の指輪の嵌った手が、それぞれ別の魔導力を引き寄せて魔族へと手刀を放ちながら、更に焔の塊を魔族の背後に創り出してから手刀の魔導力に力を上乗せした。手刀の魔導力に押されるようにして、魔族が背後の焔にその身を押し付けられる。
「ぐああああああっ!!」
魔族の口から、自らの背後に押し付けられている焔に込められた魔導力の強さ故に苦痛の声を上げる。人とは違い、肉の焼ける匂いがしないのが幸いだと、シルバーはレディ・キャットという貴婦人やエーベルハルド殿下の事を思う余裕があった。
魔族が焔に押し付けられた状態のまま、最初に上げた苦痛の声を二度目からは噛み殺している間に、周囲で魔族の放った黒い焔とシルバーの防御用の盾が爆発を収めて消えていくと、結界の中に護られているレディ・キャット達にもその光景が見えた。
「これで終わりか?もう少し、遊べると思ったんだけどね。そうそう、さっきはアンシャルを闇魔導に特化した使い魔と言っていたが、訂正しておくよ。アンシャルは右の魔導に特化しているんだ」
宙に滞空したまま、手刀から変えて片足で魔族を焔へと押し付けて固定しているシルバーは、銀色の髪をさらりと揺らして微笑む。まるで、子供のような笑みに見えなくもない。
「ぐっ…貴様……これだけのっ、魔導力…一体、何者だ…」
苦痛を堪えた魔族が、言葉を途切れさせながらシルバーの魔導力の高さのみならず、戦闘慣れしている事に疑問を浮かべ問う。
魔族の疑問も尤もなもので、複数の魔導を同時に行使したり、魔族の扱う魔導力を容易く詠唱もなく対応出来たりする時点で普通の魔導士では有り得ないのだが。
もうお終い?とばかりに、ひらひらとアンシャルが飛んできて、シルバーの肩に止まって魔族を眺める。使い魔に自我がある事は少なく、アンシャルやキシャルは自我のある希少な使い魔だった。
「何者って言われてもね、魔導士としか言いようがないな。だけど、見えるだろう?このガラス玉の数が」
戦闘を行っていた為に、背へと全て流れてしまっている白いマント。
その為に露わにされている魔導士としての位を示すガラス玉の量。
「そんなもの…っ…所詮、人の子の決め事だろう…が!」
魔族が鋭い視線でシルバーを眺めるものの、答えに納得出来ないとばかりにシルバーを睨み付けた。
レディ・キャットやエーベルハルド殿下達が、自らの背の方向に居る事を確認しながらも、魔族の視線に対してシルバーは魔族よりも冷たい眼差しを向けて微笑む。
そして、魔族にしか聞こえないように身を乗り出すようにして、小さな声で囁く。身を乗り出す事で、魔族が益々焔の塊に押し付けられる事も構わずに。
「十二柱を担っていると言えば、納得するか?」




