遺産と欲望Ⅰ
第四章―遺産と欲望―
「うーん、だいぶ深く落ちたなあ。地上に出るには遺跡の中を少し歩かないといけないか」
程なくして、遺跡の大体の構造に、自らの魔導力を巡らせて把握したシルバーが、面倒くさそうに判断した。遺跡の中は、思っていたよりも罠が多く、他にも人の気配を感じたのだ。こんな時間に人の気配等、明らかに味方ではないだろう。
だがシルバー一人であったなら落ちてきた時の逆で、重力魔導と風魔導を組み合わせて適当に入り口へと戻れるのだが、他に確認したい事が出来た為にその方法は同行している二人には口を噤んでいた。
「さてと、ルド殿下はそろそろ元気出たかな?レディ・キャットは疲れていない?すこーし、面倒くさい事になりそうだけど大丈夫かな?」
傍らにいる二人へと、シルバーは座ったままの二人を覗き込むように身体を曲げ、美しい銀の髪を揺らしながら問いかけた。まるで、ピクニックにでも行くかのように緊張感の欠片もない口調で。
「大丈夫ですわ。怪我もしておりませんし、エーベルハルド殿下も落ち着かれたようですし」
レディ・キャットが応えれば、エーベルハルド殿下も頷いて立ち上がる。被っていたショールをレディ・キャットの肩へとかけながら。
「私も大丈夫だ。みっともない姿を見せてしまったが、面倒くさい事とはなんだい?」
レディ・キャットも疑問を抱いていたのか、二人揃って面倒臭い事という内容に首を傾げた。
そんな二人を見たシルバーは、大丈夫そうかと判断して笑顔で顔の前に人差し指を立てて一言言った。
「どうも、侵入者がいるからボコろうかと思うんだ」
「は?」
「え?」
シルバーの清々しいまでの笑顔に、内容が頭に入らなかったレディ・キャットとエーベルハルド殿下は、理解出来ずに益々首を傾げた。
だが、徐々に内容が理解出来てくれば、物騒な内容だという事に気付いた。
「ちょっと、どういうことですの?侵入者というのは、外敵という事で決定なのかしら」
「外敵というか、私達を夜中に手紙で呼び出して、此処に突き落とした人物という事なのかな?」
レディ・キャットの疑問を、遺跡に落ちる前に抱いた手紙の謎と共に、エーベルハルド殿下はシルバーに纏めて問いかける。遺跡に落ちる直前に、二人して手紙で呼び出されたと話した事を、落下時に意識を失っていなかったエーベルハルド殿下の方がしっかりと覚えていたのだ。
互いに手紙で呼び出した本人に呼び出されるという、明らかに他者の思惟が介入している事を、レディ・キャットもエーベルハルド殿下の言葉で思い出したかのように、はっと息を飲み込んだ。
「そういえば、エーベルハルド殿下も手紙で呼び出されたと…」
「それについては、二人を風の魔導で突き落とした人物を、使い魔に追わせているから追々はっきりすると思うよ。けどね、今現在の侵入者が同一人物かは判らない。判らないけれど、遺跡への侵入は明らかな調停違反だからね」
手紙の差出人も、キシャルがはっきりさせるだろうという自信がシルバーにはあった。
だが、それ以上に遺跡の調査をするべく手筈を整えていた自分たち以外が、遺跡に足を踏み入れていた事に思うところがあるようだった。その証拠に、シルバーの笑顔は、明らかに黄金の瞳だけが笑っていなかったりする。
「それに一番問題なのは、私の睡眠時間を削る等という手間を取らせたのが悪い」
ぐっと拳を握り、シルバーは力一杯宣言した。
「そういう事なら、同意しますわ」
シルバーの宣言に、深々と吐息を零しながらレディ・キャットが応える。
シルバーの横に立ち、腰に手を付いて胸を反らし、シルバーの怒りが最もだと言わんばかりにレディ・キャットも仁王立ちで遺跡の暗がりを眺めている。その大勢が、豊かな胸を強調している事は彼女にとって現状は無意識な事が、エーベルハルド殿下には目の保養でしかない。もちろん、それを口にするほどエーベルハルド殿下も間抜けではないが。
一方で、エーベルハルド殿下は言葉なく冷や汗を垂らさんばかりに、この二人をどう止めるべきか慌てていた。
「二人ともその理由が一番大事なことなのかい…?」
少し落ち着こうと言うかのように、エーベルハルド殿下がシルバーとレディ・キャットの肩をそれぞれぽんっと叩いた。エーベルハルド殿下のなけなしのその慰めは、全くの効果がなかったのは相手が悪かったと言うしかない。
何せ、チェルソとハーラルトを始めとした魔導士たちは、既にこの二人の性格が、どこかしら似ている事を理解していたるぐらいだったのだから。
「エーベルハルド殿下、何を当たり前な事を聞くのです。睡眠は人間の活動において重要な身体的欲求の一つなのですよ」
レディ・キャットも既に落下からの衝撃から立ち直って、子供を諭すかのように笑顔を浮かべて言う。
シルバーに至っては、答えるまでもないとばかりに、肩に置かれた手も気にせず放置して遺跡の床を歩き出し、出現させている光源の数を増やして視界を広げていた。この二人には、もう言うべき言葉が見つからないと思ったエーベルハルド殿下は、諦めの溜息を零して心の中で神に祈った。どうか、侵入者の無事が確保出来ますようにと。
「ルド殿下、レディ・キャット!そろそろ意見のすり合わせは済んだかい?済んだのなら、こちらへ進んで欲しいのだが」
十メートル程先へと進んで、天井高く広々としたホールのような遺跡の部屋の中で立ち止まり、シルバーが声を響かせた。その遺跡の構造故か、シルバーの声が大きく響く。
一つの部屋で、この天井の高さというのならば、どれだけエーベルハルド殿下とレディ・キャットは落下したのか、二人は想像を巡らせて僅かに緊張を取り戻すと、慌ててシルバーの元へと床を蹴った。