アキの場所 『アトリエスミス』
魔女と婚約すれば此処から出られる。
三女様こと魔女、アキが告げたのは、衝撃の事実であった。
「婚約って、結婚の婚約?」
「それ以外に何の婚約があるのよ。」
「こんにゃくじゃなくて?」
「魔女とこんにゃくって何よ。」
魔女と結婚する。彼女にするを通り越して、結婚してしまう。
フユや、アキと結婚する。夫婦の契りを交わす。
ウエディングドレス姿のフユやアキの姿を思い浮かべて、クリフは割と悪くないな、とか思ったりした。
「いやいや。」
言っている場合では無い。
フユにぬいぐるみにされた時の事を思い出す。
結婚してしまえば、あの恐ろしい魔女と一生一緒に過ごす事になる。
そんなのはクリフも御免だ。それに、どうして魔女と結婚する事が外に出られる事に繋がるのか。
素直にクリフは聞いてみる。
「どうして魔女と結婚したら外に出られるんだ?」
「まぁ、正確には結婚するから外に出られる訳じゃなくて、外に出る条件を満たしやすくなるから何だけどね。」
「外に出る条件?」
聞き返すと、組んだ腕を解いて、アキは垂れた縞々マフラーをばさりと腕で払って肩にかけ直す。それと同時にそよ風に赤みがかった髪が靡いた。ふわりと甘い香りがする。
くるりと身を翻し、アキが草原を歩き出す。
「玄関で立ち話もね。座れる場所、移動するから。」
「あ、ここ玄関なんだ。」
「お茶は出さないけど。」
ぶっきらぼうに、吐き捨てるようにアキは言う。その背中を追い掛けて、小走りでクリフは草原を進んだ。暫く進むと、赤い扉に辿り着く。
『ATELIER SMITH』と丸みを帯びた文字で書かれた(意外と可愛い文字)札が、扉の前にはぶら下がっている。アキが扉のノブに手を掛け、開け放つ。
そこは、爽やかな草原と打って変わって、落ち着いた雰囲気の、シックな印象の部屋であった。
濃い茶色の木目の壁。壁に沿うように並べられた木のテーブルには、無造作に本や不思議な鉄製の道具が置かれている。
「汚いけど、近場でまともに座れるの此処くらいなの。あと、さっきの話の続きにも都合がいいしね。」
ガタン、と床に置かれた木の椅子を足で乱暴にずらして、アキが座る事を促す。クリフは促されるままに椅子に座った。
アキはというと、木のテーブルのひとつに腰掛け、其処に詰まれた本を取り、目の前で開いた。
アキの顔が見えなくなる。本の背表紙を向けたまま、アキは喋り始めた。
「何処まで話したっけ。そうそう。外に出る条件。」
自分の頭の中を整理するように、アキはぶつぶつと喋る。
「この魔女の館には、五人の魔女が住んでるの。」
「五人!?」
五人。想像以上に多く、思わずクリフは声に出した。
「フユと私、姉が二人。後は、私達の母が一人。全部で五人。」
アキが三女という事は、姉が二人居る事は想像がついた。そこに更に、母がいるらしい。
父親は? そんな事も気になったが、聞く間もなく、アキは淡々と話を続けた。
「この館から出るには、五人の魔女の過半数から『承認』を得る必要があるの。」
「承認?」
「そう。承認。この館を出られるのは、三人以上の魔女の許しを得た時だけ。私達、魔女の娘達も例外なく、ね。まぁ、姉妹の中で外出を禁止されてるのはフユくらいなんだけど。」
外出には魔女の過半数の承認が必要。
それは魔女も例外でなく、フユは外出を禁じられている。
そう考えると、クリフは少しだけ、あの少女が可哀想に思えてきた。
ぬいぐるみと、喋るカエルとだけ一緒で、部屋の移動もハルねえという姉に禁じられているようだった。
自由の無い、籠の中の魔女。
ぬいぐるみにされた時、大事そうに抱き締めた力が、どこか物寂しげだった気がしたのは、ただのクリフの気のせいなのだろうか。
少し、フユの事が気になったが、今はアキの情報に耳を傾ける。
「少なくとも、外部からの侵入者は、そうそう逃がしてはくれないでしょうね。」
「侵入者って……。」
「分かってるわ。被害者なのは。でも、そんなの魔女に通ると思う?」
「……思わない。」
しかし、とクリフは、何故か本で顔を隠す魔女を見る。
話せば話す程、魔女っぽくない。
「だから、魔女のルールを利用する。」
「魔女のルール?」
「『魔女は互いに、相手の持ち物に手を出してはならない。』」
アキが今言った事がルールなのだろうか。
相手の持ち物に手を出してはならない。
それがどう、館の外に出る手段に繋がるのか。
「魔女は何でも思い通りになるから、好き勝手し過ぎて喧嘩にならないようにお母さ……母が決めたルールでね。たとえ欲しいものでも、他の魔女に取られた時には、無理矢理手を出したらいけないの。」
お母さん、と言い掛けて母と言い直した。
大人ぶっているのだろうか。
それに気付くと、本で顔を隠した魔女が、子供っぽくて可愛いと思えてきた。
「……何よその目は。……とにかく、魔女と婚約しろ、っていうのはそういう事よ。」
「どういう事よ?」
「誰か魔女の所有物になってしまえば、他の魔女は興味をなくしてくれるってこと。そうすれば、外に出さない理由もなくなる。過半数の承認を得て、はいさよなら、ってわけ。」
「成る程。」
成る程、と言いつつ、魔女のルールというものが今ひとつピンと来なかったが、クリフは考える。
条件自体は、魔女の過半数から外出の承認を貰う事だという。
『最短の方法』が、魔女との婚約、つまり魔女の所有物になるという事である。
しかし、クリフは引っ掛かる。
「でも、それじゃあ、俺は魔女の夫になってしまって、結局此処から逃げられないんじゃ……。」
「まぁ、そこはその魔女にお願いするしかないんじゃない?」
そこのところは適当である。これでは出られるかどうか分かったものではない。
「アキ。俺と結婚しない?」
「ばっかじゃないの?」
即答であった。やはり、アキは親切に色々と教えてくれてはいるが、ぶっきらぼうで素っ気ない。
可愛い。気が利く。そして、魔女なのに話しやすい、とかなり良い子に思えたが、そういう子に限って脈無しという。クリフは半分冗談で、半分本気で言ったのだったが、一蹴されて若干凹んだ。
アキと仮にでも婚約していれば、外にそのまま逃がしてくれそうな気もしたが、それ以前の問題だったらしい。
本で顔を隠したまま、アキはぱらりとページを捲った。
「……まあ、それが最短の方法ね。あとは、面倒で危険で厄介で、時間を食う方法。まぁ、そろそろ分かるんじゃ無い?」
外出には魔女過半数の承認が必要である。
それが本当の、魔女の館から脱出する条件。
つまり……クリフにも、もう一つの脱出方法が思い付いていた。
「過半数の魔女に、外出の承認をくれるよう、お願いする。」
「そうね。」
魔女の承認さえ得られれば良いのだから、承認を下さいと、お願いして回れば良い。
しかし、当然、険しい道のりなのは分かっている。
「私は別に承認してもいいけど。それでもあと二人ね。……まず、クリフを連れてきた張本人のフユが承認を出すわけないし、母にも期待しないことね。だから、可能性があるならば、二人の姉くらいかな。」
「その二人は、アキみたいに話しやすいのかな?」
「……私みたいにって。ああ、取り敢えず誰とも比べずに言ってしまうと、『滅茶苦茶話しづらい』。」
「……ですよねー。」
アキが散々面倒な道だ、と言った通りに、一筋縄でいく魔女では無いらしい。
しかし、結婚してしまう訳にもいかない。
クリフが意を決するのは、思いの外早かった。
「じゃあ、お願いして回るかな。」
「……本気?」
本を僅かにずらして、アキが顔を覗かせた。どうやら、彼女からすれば、信じがたい選択肢だったらしい。
しかし、クリフには勝算がある。
そう、『無限コンティニュー』である。
失敗してもやり直せばそれで良し。
クリフは大分慣れてきていた。
「……館の、姉さん達の場所の地図なら、すぐ用意できるけど。」
「え? そこまでしてくれるの?」
「案内はしないけどね。勝手にすればいいんじゃない。」
ぶっきらぼうにアキは言う。ついてきてはくれないらしいが、出方を教えてもらい、地図まで貰えれば万々歳である。
クリフは、魔女らしからぬ、親切な少女に頭を下げた。
「ありがとう、アキ。」
「お礼とか、まだるっこしい。あと、あんまし魔女に頭下げるもんじゃないわよ。利用されるから。」
「え。そうなんだ。でも、それをわざわざ教えてくれるんだな。」
「……だから、あんたなんかに興味ないだけだっての。」
「……ですよねー。」
ぺらりと本を捲る音。続いてページが破れる音。
アキは本からページを千切った。そして、切れたページの一枚を、ひょいとクリフに向かって投げた。ひらりひらりと舞う紙切れは、クリフの手元にすっぽり収まり、それと同時にぶわっと黒い模様を浮かびあがらせた。
紙の上には赤い点。そして、複雑な迷路。
「その赤い点がクリフ。二人の姉の居る場所には丸印をつけたから、其処を目指して。」
「ああ、ありがとう。」
「あと、×印は母がいる。其処には絶対に近付かないでね。」
「そのお母さんって怖いのか?」
「……さてね。」
アキは本で再び顔を隠した。
「ほら。早く行けば。もう用は済んだでしょ。」
「ああ、うん。ありがとうな、アキ。」
クリフは椅子から立ち上がる。そして、丸印のある方向の扉に向かった。
「死ななきゃいいわね。」
「そこんとこはまぁ、大丈夫。」
そう言いながら、クリフはこっそりくすねたペンで、手にした地図に小さく名前を書き込んだ。
目指すは二人の魔女姉妹。
果たしてクリフは承認を得られるのか?
To Be Continued...